市民革命をめぐる共同幻想
―誰れが為めに革命の鐘は鳴るか―

 そもそも市民革命は、市民革命といふくらゐなのですから市民が主体であるわけです。そこで、はたしてその市民とはなんぞや、と考へますと、いまどこかの政党が「市民が主役」とかいつてポスタァを張り付けてゐたりしますが、あゝいふ抽象的な話ではなくて、もつと具体的な像(イメジ)があります。市民であることの条件は、

 その1 財産があること
 その2 識字者であること
 その3 男子であること

 の三つに集約できるのではないかと思ひます。つまり市民は平民ではあるものゝ有産者として一個の階級でありえたわけです。この諸階級をヒエラルヒーで表すと、こんな感じになります。

  第一階級(僧侶)
     |
  第二階級(貴族)
     |
  第三階級(市民=有産平民)
     |
  第四階級(平民=無産平民)

 階級としての市民は第三階級ともいはれ、フランス革命のイデオローグであつたアベ=シェイエス『第三身分とは何か』において「第三身分とは何か、それはすべてゞある」と申しました。しかしながら、その下層に無産平民が存在してゐる点で、必ずしもすべてゞはなかつたのですが、アンシャン=レヂィム以後の社会における主体者といふ意味では、確かに彼らは「すべて」であつたといへます。

 なぜなら、彼らは彼ら自身のための社会を作るのですから、その新しき社会における社会主体は彼ら以外の何物でもないといふことになります。従つて、その社会においては、市民に非ずんば人に非ずといふことになります。これはべつに極端なことを云つてゐるのではなくして、あのフランス大革命における金字塔であるフランス人権宣言は、その正式名称を「人及び市民の権利宣言」といひまして、市民(有産平民男子・市民は男性名詞)において認められる権利と人間一般において認められる権利との区別を明確に意識してゐたわけです。

 しかしながら、このやうな時代的制約はありましたが、彼らが主張した「それはすべてゞある」といふ人民主義(全人民性)の思想はフランス革命以後の主要な思潮となり現在に至つてゐます。むろん市民革命の段階では、この全人民性はブルジョア・イデオロギイといふか、近代の共同幻想なわけですが、現代においてはむしろその全人民性を真の全人民性にするといふ運動が「近代に封する債権の回収」として現れて来てゐるところに、民主主義革命の永久革命性を見ることができると思ひます。

すみません今回あんまり落ちませんでした。

戻る