国民文化研究所・着せ替えわぴこさん掛

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サンプル わぴこさんのKiSSです。多分fKiSSな感じで作ったはずなので、顔をクリックすると、わぴこさんがご挨拶します。

 なお、サンプルは縮小画面です。チェストも閉まります。

わぴこさんのKiSS(75k)

KiSSのビューアは、こちらでゲットして下さいな。
WPK(World KiSS Project)さん。すごい、圧巻。
WPK(World KiSS Project)さん。すごい、圧巻。

 

なんと、ネット上で着せ替えが出来る!!
 着せ替えわぴこさんJavaへGo!
諸般の事情で突発的に作られた「着せ替えわぴこさん 乙号」乙号って打ち込んだら「御都合」と出た。これでもいいかな。
←諸般の事情で突発的に作られた「着せ替えわぴこさん 乙号」
 乙号って打ち込んだら「御都合」と出た。これでもいいかな。

 せっかくなのでまた作りました。
「着せ替えわぴこさん 乙号 de Java」(なぜフランス語?)

 

着せ替えわぴこさん丙式
←困ったことにまた出来ました「着せ替えわぴこさん 丙式」
 で、またまたまた作りました。
「着せ替えわぴこさん 丙式 de Java」(懲りずにフランス語)

 

はたらく少女探偵なわぴこさん
「はたらく少女探偵なわぴこさん」
Javaな「はたらく少女探偵なわぴこさん」はこちら。
KiSSデータは右のリンクからどうぞ。ローダーはWKPさんのHPで入手されますよう。


談話:怠けず遊べ

 良識あるみなさんは、なぜいま、わぴこを取り上げるのかとおっしゃるやもしれません。その点については、今日の学校教育の現状からもうしあげなければなりません。

 いまや日本の義務教育はひとつの構造的な歪みを有しております。それは、教育それ自身における目標の喪失という危機的状況に由来するところが少なくありません。つまり、「何のために学ぶか」というのではなく、「教育のために教育する」という自己撞着、あるいは自己目的化の横行がそれです。わたくしたちの多くは、戦後民主主義の恩恵を受け、その教育を享受してまいりました。そして、少なくとも十数年前までは、わたくしたちは教育の目標をまがりなりにも持つていました。端的にいえば、それは、良き社会人となることでありました。たとえそれが、経済成長という一種の利益主義的性格を有していたとしても、疑いなく一つの確乎たる目標でした。

 しかし、良き社会人となるには社会のうちに自らをおく必要があります。いわゆる「徳 arete 」は、アリストテレスの云うように、人間の日々の生活における習い性(ならいしょう)において獲得されるものであって、戦前の日本におけるやうな教条的な道徳教育(修身)では獲得できないからです。わたくしたちは、「良き社会人」を求めてゐるのであつて、「忠良ナル爾臣民」を求めてゐる訳ではありません。

 良き社会人を育てるために、社会のうちに児童・生徒をおくということは、社会に放り出し、無軌道に遊ばせるということを意味しません。そうではなく、まさに目の前にある関係性、「学校」という、彼れらにとって第一に存在するこの社会に関わらせることを意味するのです。そして、そこにおける関係性の習熟が良き社会人への道なのです。

 したがって、児童・生徒をいかにこの社会に関係させるか、これが最大の問題だと思います。その一つの答えが、『きんぎよ注意報!』だと考えます。東映動画の旗野義文氏(プロデューサー)は次のやうに言われます。

     この世に一匹しかいないピンクの金魚が空を飛ぶ! ぎょぴとゆう名のその金魚をペットにしている中学生たちが校則にも世間の常識にも縛られず、自由奔放に楽しい学園生活を送っている! これは、まさしく、大人たちの目から見れば危険このうえない「学園もの」ですが、同時に大人達に反省を強いるとても含蓄のある作品だと思っています。(強調・引用者)

 このやうに前置きし、旗野氏は戦後の「民主的な教育」への熱意とそこからの乖離の現状を「教育は死んだ」というショッキングなことばで総括し、このアニメにおいて、「もっと遊びなさい」と訴えかけるのです。

 むろん遊ぶというのは、「やることがないからゲーセンに行く」とか「暇だからサボる」ということではありません。そうではなく、「怠けず、しつかり遊びなさい」と訴えているのです。

 もとより、「怠けず、しっかり遊ぶ」というのはかなり難しいことです。それは精神的なダルをもって日々を送るのではなく、積極的に自らの生にかかわることを意味するからです。遊び方は何でもよいのです。たんに消費される授業を離れて、自分が全身を抛って惜しまないのであれば、それは既に遊びなのです。したがって自分の好きな教科だけを過剰に勉強することも遊びです。大量生産と大量消費の連関の中にいるだけでは、人間が単なる消費過程に過ぎなくなるように、単に学校の中にあるだけでは、児童・生徒は授業を消費する過程にすぎません。さういつた人間疎外を打ち壊す方法こそが「怠けず、しつかり遊ぶ」ことに他ならないのです。

 まぁ、だからといつて、着せ替へである必要はないやうな気がしますが…。

(この文章はインタビューを再構成したものです。)
猫部ねこ・講談社・テレビ朝日・東映動画・日本コロムビア]

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