ラルフ・スメドレイ博士とは?



アメリカ人は豚の耳からシルクの財布をつくることは可能だとかたくなに信じています。顔の整形、セミナーへの参加、朝のジョギング、低コレストロール食などの自己啓発はヴァルハマ(北欧の神話上の神殿)へのチケットです。それならば、オレンジ郡の世界最大の自己啓発の組織であるトーストマスターズで、臆病者が年商数億の会社の花を咲かせたり、全米衣料チェーンの卵を手に入れようが不思議なことではありません。驚くべきことは、リーダーシップや自信やコミュニケーション能力を人前のスピーチを通じて磨くこのクラブが75年前にオレンジ郡でできたということです。

トーストマスターズは、中西部出身のラルフ・スメドレイ博士の所産です。イリノイ州ブルーミントンのウェスレイアン大学を卒業後、スメドレイは地域の少年のためのキリスト教団体に教育ディレクターとして就職します。彼はYMCAを訪れる少年に、コミュニケーションのトレーニングが必要だと痛感し、スピーチのクラブをはじめます。

スメドレイはそのグループをトーストマスターズと名付けます。なぜならば、乾杯の言葉とか夕食後の言葉がある宴会に良く似ていたからです(乾杯のことをトーストという)。少年たちは、スピーチをしたり、論評をしたり、司会をしたりするのを毎週楽しみにしていました。スメドレイのクラブは盛んになりましたが、すぐに彼はYMCAのジェネラル・セクレタリーに昇進し、イリノイ州フリーポートに異動になりました。彼がいなくなった後、そのクラブは消失してしまいました。

それからスメドレイは異動するたびにそこでトーストマスターズクラブを作っていきました。フリーポートでは、ビジネスマンや他の職業のひとがコミュニケーションの技術を身につけることに魅力を感じ、メンバーになりました。しかし、これらの年輩のメンバーはクラブを維持することができませんでした。スメドレイがそこにいる間は盛況だったのですが、彼がイリノイ州ロックアイランドに異動になるとクラブが消失してしまいました。その後、ロックアイランドとカリフォルニア州サンホセのクラブも同じ運命をたどりました。

スメドレイは彼の咲かした花が自己消失の運命をたどるのを見て失望したに違いありません。「私の後任者には、トーストマスターズが奇妙なクラブだと考える傾向があるようです」と後日彼は語っていました。「たぶんこれは伝統的なYMCAの活動と大きく異なるからでしょう」

とうとう彼はサンタアナのYMCAにディレクターとして着任しました。再び彼はトーストマスターズクラブを作り、1924年10月22日にYMCAの地下で最初のミーティングを開きました。南カリフォルニアの楽天的な風土の中で、トーストマスターズのコンセプトは受け入れられました。近所の人たちがクラブを見つけて、すぐ気に入りました。スメドレイはすぐに彼らのトーストマスターズクラブを作る手助けをしました。新しいクラブは、クラブ通しの活動を調和および方法を確立するために、連邦化していきました。

カナダ ブリティッシュコロンビア州ニューウェストミンスターのクラブ設立後に、1932年にトーストマスターズ・インターナショナルとして法人化しました。

長年の間、スメドレイはYMCAサンタアナのジェネラル・セクレタリーを勤め、財務を預かり、寄付の獲得、プログラムの計画、YMCAの従業員のメンバーや監督の問題を扱ってきました。さらに彼は地域のYMCAとYMCAの中央との連絡をもしていました。

どうにかして、スメドレイはトーストマスターズの信条をひろめる時間をみつけ、トーストマスターズ誌の代表および編集者をし、忙しいYMCAのスケジュールをこなしていました。彼は、メンバーや役員の質問に定期的に答えて、クラブのことについてメンバーを励まし、指導していきました。

1941年にスメドレイは、彼のすべての時間をトーストマスターズのために使うことが必要だと感じました。彼はYMCAを辞めて、4メートル×5メートルの事務所をサンタアナ銀行に構えました。そこには、机、タイプライター、電話と中古の住所機がありました。応答のために秘書を雇い、彼はメンバーのために教材を執筆しました。

この組織は2つの教材からスタートしていました。「ベーシック・トレーニング」と「ビヨンド・ベーシック・トレーニング」です。これらはスメドレイが勤務時間後に事務所で書き上げたものでした。彼は時間をみつけて、スピーチおよび議会手順についての本を何冊か書き上げました。「スピーカーの声」、「スピーチの論評」、「未熟な議長」はトーストマスターズのメンバーに大きく受け入れられました。(スメドレイはまた「偉大なピースメーカー、ヘンリー・ロバートの人生、有名なロバートの依頼のルールも書いています)。

トーストマスターズは成長し続けました。1つしかなかった事務所は4つになり、前インターナショナル・プレジデントのテッド・ブランディングが代表を継ぎ、スメドレイは教育ディレクターになり、学習過程と教材に集中することになりました。

スメドレイはトーストマスターズの教育プログラム作りに1965年に87歳でなくなる直前までたずさわっていました。

トーストマスターズは引き続き栄えていきました。1962年(それまで3500クラブ80000人のメンバーを達成)に3000uの事務所をサンタアナに建てました。スメドレイも儀式には参加しました。1973年に女性の参加を認めてから大発展をしていきました。

1985年までに、サンタアナの事務所は12万人のメンバーと5300のクラブを扱っていました。倉庫のスペースとして、560uの敷地が必要となりました。4年間の間の成長は著しかったので、1990年6月にトーストマスターズ・インターナショナルはランチョサンタマリガリタに新しい本部を作りました。

今日、19万人以上のメンバー、9300以上のクラブ、70カ国にひろがっています。何千ものの会社や政府組織がトーストマスターズを組織内に設立し、コミュニケーションのトレーニングをしています。軍隊基地、教会、大学、牢屋などに特化したクラブもあります。老人、ある特定の職業の人、バイリンガルのグループ、独身、弱視の人のためのクラブもあります。

ラルフ・スメドレイの社会への貢献はあまり世間では知られておりません。1950年、ウェスレヤン大学は彼を名誉博士としてたたえました。1955年に、サンタアナは中学校を彼にちなんだ名前にしました。1956年にトーストマスターズは、彼を名誉プレジデントとし、生涯委員会のメンバーにすることを決めました。サンタアナトーストマスターズも、創立者の名誉にちなみ、クラブの名前をスメドレイ・ナンバーワン・クラブに変えました。

しかし、一番のささげものは、スメドレイ・ナンバーワン・クラブで行われていることでしょう。彼の写真と最初のクラブの旗を聖書台の近くのいすの上において、いつまでも彼のことを忘れないようにしているのです。

(2003年5月18日)