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              鉄道の規模の必要性と事業性は、近代経営組織の発展を意味した。つまり最初に労働組合の組織化に成功した巨大な労働力、鉄道労働組合であった。鉄道は技術の発展に依存していた。鋼鉄の線路と鉄橋、機関車の石炭、突縁車輪、空気ブレーキ。自動連結装置、自動シグナル、寝台車や冷蔵車両が国家の交通システムを作り出す助けとなり、そして徐々にアメリカの技術を促進していく手助けにもなった。

              鉄道(電線と一緒の)は全国的な市場を可能とした。それぞれの都市が独自の屠殺場や独自の製粉所をもはや必要としなくなった。全国的な専門化の成長の一部として、シカゴが食肉を用意し、ミネアポリスでは全国の小麦を製粉した。南北戦争後の20年の間に、5つの主要の鉄道会社(省略)が西部の平野部と山岳地帯を越えて建設された。それらは西海岸やミシシッピ渓谷で結合された。西部の中国系の移民と東部のアイルランド系移民が鉄道建設に一役かった。鉄道はアメリカ西部での一世代での定住を可能としたが、しばしばまだ誰も住んでいない未開の土地に鉄道を建設した。無駄が多かったが、それ以上に(経済的な)破綻はさらに大きかった。

              1890年代までに多すぎるほどの鉄道があり、それらは大幅に割高なコストで建設された。資本財の過剰生産であった。もし、鉄道会社が互いに競い合っていたとすれば、鉄道会社の多くが破綻し投資した金額は失われたであろう。事業計画と統制が必要であった。最初に銀行家とくにJ..モルガンが鉄道を独占しようと試みた。1900年以降、政府は金融資本主義から鉄道会社運営にかかる統制の一部を取り上げた。アメリカ鉄道の別の最初のものとして、政府が規制した最初のビジネスだったことがあげられる。

              鉄道技術は発明の時代の一部に過ぎなかった。アメリカ人のWilliam Kellyとイギリス人のHenry Bessemerは溶鉱炉に空気を送り込み不純物を取り除く方法により鉄鋼を発展させた。平炉での方法は鉄鋼を格段に向上させた。他の発明は、ミシンや靴を作る機械、タイプライター、レジ、電線や電話を含み、そして大きな発展を産業化学にもたらした。トマス・エジソンの研究所は千もの発明を生み出し、蓄音機や録音機、映写機そして電球が含まれる。人々が抱える問題をエジソンの所へ持っていき、エジソンは彼らに必要なものを発明しようと試みた。発明、機械理論、そして科学的経営がアメリカ経済の一部になっていった。

              産業化は産業プロレタリアートを生み出した。アメリカの労働者達は大きな階級意識や団結を発展させなかった。封建制度と戦うこともなく、戦うために団結することを教えることもなかった。選挙権のために戦う必要もなかった。労働者階級は多くの国籍と人種で構成されていた。人々は絶えず他の町へと移動していた。農夫と移民の工場での生活の調整は困難であった。労働時間は長く労働条件も過酷であったが、アメリカの労働者はヨーロッパより多く賃金を貰っていた。熟練した労働者は鉄道労働組合やアメリカ労働総同盟のような職能別組合に参加した。未熟練な労働者や工場での労働者は1930年代のニューディールまで組合をうまく組織できなかった。そのときまで、法律や裁判所はしばしば反労働者であった。

              石油のロックフェラーや鉄鋼のカーネギーのような熟練した産業組織者は、強力なビジネス帝国を築いていった。彼らは生産の効率化に集中し、新技術を用い、鉄道会社からの特別なレートを受け取り、他の企業との産業戦争を戦っていた。経済哲学の時代は自由放任主と社会進化論であった。最高裁判所は州をまたがるビジネスは連邦政府こそが規制でき、他のビジネスを規制する多くの法律は憲法違反だと宣言した。最高裁判所はニ1930年代後半のニューディール時代まで非常に保守的であった。イギリスの哲学者スペンサーはダーウィンの進化論の理論をもちい社会は生物とおなじであると言った。生きることは戦いであり、その社会を生き延びたものこそが適者であるとスペンサーは論じた。

仮に社会が争いに干渉されるとすれば、社会は弱者によって作られている。