Project-YUCA


第二話 奇行



「さぁ、食事にしようか」

あちこちを確認している由香に声をかけると、由香は振り向いて

「うんっ」

と明るく笑顔で答える。しかし長谷川豊は由香の行動に、 気になることが浮かび始めていた。しかし、それが何なのか彼自信にも わからなかった。

「わーい、ごっはんだ♪ごっはんだぁ♪」
「おなかすいたろう」
「うん。まだ何も食べてないんだもん」

明るく答える由香の言葉が気になる。

「え?何もって。」
「だって私が生まれたの昨日だもん。そのあとは....」
「その後は?」

由香の表情が突然曇った。

「よく覚えてないんだけどぉ… ただ、さっきお兄ちゃんに会う前に薬飲んだの。それだけだよ。」
「薬?」
「栄養剤だって。食事の変わりなんだって。」
「誰が言ったの?」
「所長さんっ。」

そう言うと、由香はダイニングに走って行った。 長谷川豊は相馬所長に電話した。

「あ、長谷川です。ちょっとお聞きしたいことがありまして。」
「何だね?」
「由香なんですが、食事を取らせて大丈夫でしょうか。」
「何かあったのかね?」
「いえ、昨晩に生まれてから食事を取ってないと言うもので、 まだ食べさせてはいけないのかと思いまして。」
「由香が生まれてからのことを言ったのか?」
「本人はよく覚えてないらしいんですが、 ただ、食事を取ったことはないと。」
「由香が言ったのは、それだけか。」
「はい。」
「なら、試験のつもりで食べさせろ。後の様子は明日報告すること。良いな。」
「わかりました。」
「普通に生活させればいいんだ。いちいち気にするな。 何かあったら連絡すれば良いんだ。」
「はい、わかりました。」

電話を切ってから長谷川豊は何かひっかかるものを感じた。

「お兄ぃちゃあん、早くごはんにしようよぉ」

ダイニングから由香の叫び声が聞こえる。

「ごめんごめん。」

由香の声を聞くと、思わず頬がゆるんでしまう。 昨日までの一人きりでの食事に比べると、 由香と二人の食事は楽しく感じられた。

「これは唐揚げ!…これは味噌汁!…これはきゅうり!」
「それは確かにきゅうりだけどぉ、お新香っていうんだよ。」
「これはお新香!」

由香は一つ一つ嬉しそうに食べた。その様子を見るだけで 長谷川豊は幸せな気分になった。

「ごちそうさまでしたっ。」
「ごちそうさま」
「ねぇ、『食べる』って楽しいねっ」

満面の笑顔の由香の言葉に対し、 長谷川豊は返す言葉が浮かばなかった。
 食事の後片づけを終えると、風呂のしたくである。

「お兄ちゃん。おトイレどこぉ?」
「あ、そこの白いドアだよ」
「はーい」

トイレのドアが開閉する音が聞こえた。

「これが便器!これがトイレットペーパー!...」

しばらくして、

「これがオシッコ!」

という由香の声が聞こえた。長谷川豊は思わず吹きだした。 トイレから出てからも由香はいろんな物を確認していた。

「由香ぁ。お風呂沸いたぞぉ。一緒に入ろう。」
「はーい。」

由香は脱衣所に来るとさっさと服を脱いだ。 透き通るように白い素肌が露出する。

「あ、由香。ちょっと身体を見せて!?」

湯槽に向かう由香を呼び止める。

「え?はーい。」

長谷川豊は細かい部分まで由香の身体をチェックした。

「今度は後を向いて。」

もし、遺伝子プログラムにバグがあったら、あるいはクローンが失敗していたら、 入浴さえ由香を殺してしまうことにもなりかねない。 むろん、黙視確認では十分な確認はできないが、 少しでも、危険を回避しておきたかったのだ。

「よし。大丈夫だな。入ってよーし。」
「わーい。おっ風呂だ♪おっ風呂っだぁ♪」

ザブンと湯槽に飛び込む音を聞きながら、 長谷川豊は衣服を脱いだ。

「これは湯槽!これは洗面器!これは石鹸!これはタオル!…」

由香の確認は続いている。 長谷川豊も浴室に入った。

「これはオチンチン!」
「こらこら、女の子がそんなこと言うんじゃないのっ!」
「へへへぇ」
本当に由香の笑顔には弱い長谷川豊である。
二人で湯槽に浸かりながら、 長谷川豊は触診による検査も行うことを考えていた。

「さぁ、由香洗ってやるよ」
「はぁーい」

シャボンの泡のついたスポンジで由香の小さな身体を擦る。 全く普通の少女と変わらない身体だ。 どうやら、不自然な部分は無いようだ。
 再度湯槽に浸かりよく暖まってから脱衣所に行く。 由香の白い肌が紅潮している。バスタオルでその肌から水分を取り去る。

「あ!」
「どうしたの?お兄ちゃん」
「お前の新しい下着がないっ。あぁっパジャマもだぁ。」

極秘ということで慌てて帰って来たため、何も買ってなかったのだ。

「いーよぉ。私このままでもぉ。」
「裸って訳にはいかないよ。」
「だって、後は寝るだけでしょ。どこにも行かないでしょ。」
「でも、風邪をひかせるわけにはいかないんだよ。」
「今は春だよ。こんなに暖かいんだもん、大丈夫だよぉ。」
「そっかぁ。」

裸のままの由香をベッドに横たえる。

「お兄ちゃんは寝ないの?」
「俺はもうちょっと仕事してから寝るから。」
「そう。一緒に寝たいなぁ。」
「ここで仕事をするからいいだろ」
「うんっ」

部屋を暗くし、机のスタンドだけを点ける。

「なぁ由香」
「なーに?お兄ちゃあん」
「おまえ、目が覚めたの何時頃だ?」
「今日の10時ちょっと前だったよ。」
「その前のことは覚えてないのか?」
「うん……あ、なんか私が寝てる横に機械があって…… その前で所長さんが何か…やってたような……」
「相馬佳男所長が?」
「わかんないけどぉ。そんな気がするの。そんなのを見た感じが。」
「10時より後の検査の時じゃないのか?」
「違うよ。違う部屋だよ」
「そっか。おやすみ。」
「おやすみなさぁい。」

長谷川豊は由香の小さな寝息を聞きながら 今日の報告書を入力した。
 どれだけ時間が経ったろうか。背後で動く気配がした。
振り向くとベッドの上に由香が立っている。
窓から差し込む月明かりが由香の小さな身体のシルエットを 滑らかな曲線として浮かび上がらせている。

「どうした?目が覚めたのか?」
「…………」
「あ、ごめん、この灯りのせいか?」
「…………」
「それともトイレか?」
「…………」

由香は無表情のまま無言で立っている。 長谷川豊は由香の顔をのぞき込んだ。

「由香?どうしたんだ。由香?!」
「あ……お兄ちゃん」

由香は無表情のまま、ゆっくりとした抑揚のない言葉で答えた。

「どうしたんだよ、由香ぁ。驚くじゃないかぁ。」
「お 母 さ ん と お 話 し し て た の」
「お母さんって.....夢でも見たのか?」
「ち が う よ。 本 当 に お 母 さ ん と お 話 し て た の」
「顔は見えたのか?」
「う ー う ん、声 だ け だ よ。寝 て た ら お 母 さ ん が 呼 ん だ の」
「お母さんは何て言ったんだ?」
「…………」

その質問には由香は答えなかった。


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