Project-YUCA


最終話 解明



「お兄ちゃん、朝だよっ。起きようよぉ。」

由香の声が聞こえたような気がして、長谷川豊は飛び起きた。 しかし、そこは一人きりのアパートに過ぎなかった。 由香が死んでから既に1ケ月が過ぎた。 由香の物は全てダンボールにまとめたが、捨てる気にはなれなかった。

「そっか、今日は研究所に行かなきゃならないんだっけ。」
独り言のように言ってみる。答える者などいない。 長谷川豊はあの後の所長との会話を思い出していた。

「どうしても辞めるというのかね。」
「はい。これ以上、このような研究を続けたくありません。」
「君がショックなのはわかる。しかし、研究自体は有意義なものなんだぞ」
「その結果、由香の人生を狂わせてしまいました。」
「これくらいの問題は小さなことさ。君は疲れてるんだよ。 暫く休んではどうかね。有休だって残ってるんだろ。」
「はい。1ケ月分くらいは。」
「では、しばらく有休を取りたまえ、 有休を残して辞めるなんて損だろ。 その間に新しい仕事を探してもいいじゃないか。」
「わかりました。」

 それから1ケ月。長谷川豊はボーッと毎日を過ごした。 心の中に大きな穴が開いたようだった。 有休は昨日までで終わりである。 今日は退職手続きのために出社せねばならない。

「研究室に行くぞぉ」

もちろん答える者はいない。 由香がいなくなってから独り言の癖が付いたようだ。 1ケ月ぶりの研究所に入る。まずは所長室に向かう。 途中に標本室のドアがあった。

「あ、由香に会えるのもこれで最後だな。」

見ない方が良いとわかっていても、 そこに由香がいると思うだけで、入らずにはいられなかった。 長谷川豊の失敗のために生まれた奇形児達の標本が並んでいる。 そして、その一番奥で、由香は眠っていた。 大きな瓶の中に満たされた保存液の中で、 由香は目を閉じて眠っている。標本であるから、着衣はなく、 由香が全裸の姿のまま眠り続けている。 二度と微笑むことはない。 また涙が込み上げて来た。 合掌し由香に別れを告げて標本室を出る。

「あぁ、来たか。第9研究室で待っててくれるか。」
「第9ですか...」

それは忘れることなどできない場所だ。 由香と初めて出会った場所であった。 できることなら二度と近寄りたくないと思っていた。 こうして第9研究室にいると、 また反対側のドアから由香が入ってくるような錯覚を覚える。

「1ケ月間どうだった。」
「おかげ様でゆっくり休めました。」
「新しい仕事は見つかったのか?」
「いえ、それが...何もする気がなくなってしまって。」
「そうか。どうだ、もう一度戻って来んか。」
「さっき由香に別れを告げてきました。 もう二度とあのような研究はすべきではないと再認識しました。」
「由香は、本当にそれを望んでるかなぁ。」 「そう思います。新たなクローン人間に同じ苦しみを与えるのは嫌です。」
「由香は、苦しかったと言って死んだかな。」
「それは....」
「由香という名前はな。私の娘の名前なんだ。 妻と一緒に交通事故で亡くしたがね。 だから、このプロジェクトをYUCAと名付けた。 由香を取り返すつもりでな。だから、あの時は私もショックだった。」
「そうだったんですか。」
「高橋は自殺として、片付けられたよ。欠員を募集しようかとも思ったが、 今募集すれば、またスパイかもしれん。 だから新たな人間は入れられんのだ。 そこで君にも辞められたら困るんだよ。戻って来んか。」
「せっかくですが..」
「でも、また新たな仕事は見つかっておらんのだろ。」
「はい。」
「じゃあ、子供の面倒を見てくれる人を探してる人がおるんだが、 君、やってみんか」
「子供ですか。」
「気が紛れるだろう。」
「でも、由香を思い出しそうで...」
「うむ、それはそうだろうな。おーいっ、由香ぁ、入りなさい。」
「は?」

長谷川豊は耳を疑った。 しかし、次の瞬間、彼は目をも疑うことになった。

「お兄ちゃあん」

満面の笑みの由香が入って来た。 あの日と同じドアから由香が入って来たのだ。 由香であった。まさしく由香であった。

「お兄ちゃん会いたかったよぉ。なかなか来てくれないんだもん。」
「由香....由香なのか....」
「えぇ!?お兄ちゃん由香のこと忘れちゃったのぉ。ひどーい。」
「忘れるもんか。信じられないだけだよ。」
「でも、お兄ちゃんは研究所辞めちゃうんでしょ!?」

由香が寂しそうな表情を見せた。

「今その話をしてたんだが、辞めると言って聞かんのだよ。」
「お兄ちゃん、もう一緒にいられないの?」
「それは....所長、これは一体....」
「君ねぇ。誰も由香が死んだなんて、一言も言ってないよ。」

所長が微笑んで言った。

「全て、彼女のおかげさ。お〜い、井上君」

由香が入ってきたドアから、白衣を着た女性が入ってきた。

「はいっ。あ、お久しぶりね。長谷川君。」

井上綾であった。

「じゃあ...」
「あぁ、由香にクローンで作った新たな身体を与えたんだ。 急速培養すれば、由香の身体くらい3週間もあればできるからな。」
「でも精神プログラムは....」
「あの由香のものさ。 もちろん、母親だのペットだのなんて記憶は消したがね。」
「だって、どうやったんです?」
「うーむ、君が始めて由香を連れて行った晩に、 私に電話してきたろ。 それで「これは変だ」と思って、次の日に私が独自に由香の検査を したんだ。で、記憶データが書き換えられていること、 一部の記憶へのアクセスが制限されていることを知った。 そして、高橋君のマシンのAIを母親と思わされてることもね。 それらを元に戻すためには、 由香の精神体を一度、精神体保存機上に転送する必要がある。 井上君は稼働中の精神体の転送技術を開発したところだからね。 準備を進めておいてもらったのだ。 ただ、精神体の転送については、N1班の担当だ。 まだ君たちに言う訳にはいかなかったから、 今回のことも、敢て言わなかったんだ。 井上君、後の説明頼む。」
「はい。私は連絡を受けて、すぐ準備にかかったわ。 由香に付けられているニューロリング、あの銀色のリングね。 あれは、精神体に直接作用するテレパシー通信機のようなものなの。 由香の精神状態を観察することも、 居場所を知ったりできるの。 高橋繁君は、それで指令を与えたみたいだけど、 私は、ニューロリングで、由香の精神体そのものを転送したの。 私が作った精神体保存機にね。 それで、新たな由香の身体ができたら、そこに転送したのよ。」
「じゃあ、由香は...」
「由香が死んだと、君が思った瞬間、 由香の精神体は全て井上君の精神体保存機に移動しただけだったのだ。」
「本当に、由香なのですか」
「君は疑り深いね。井上君、データを渡してあげなさい。」
「精神体の連続性を証明するデータの中で、 最初の810メガ分は私のマシンに入ってるわ。 残りは、隣の部屋。全部プリントアウトしてあるから、 スキャンして解析してちょうだい。 彼女の脳波をデジタル変換したもの、 感情の起伏、記憶へのアクセス状況など、 いくつものファクターのデータを固めてあるから、 全部スキャンして解答して使って。宜しく頼むわね。」
「そんなっ、俺のマシンは綾さんのよりディスク容量少ないのにっ。」
「まぁ、1ケ月も休んだ罰と思って、 ディスクの掃除をして、頑張ってくれたまえ」
「しかし...私は退職.....」
「君は辞職届すら出していない。ただ休暇していただけになっている。 だから、こうして休暇中の状況を伝えてるのだよ。 由香が死んだことが不満だったようだが、 由香はこうして生きてるし、 彼女に与えらえていた変な記憶データは削除した。 精神プログラムや記憶データの作成や管理についても、 今後は更なる注意をしようと思う。 もう何も問題無いだろ。 技術というのはな、価値ある利用方のためにあるんだ。 悪いのは技術じゃない。使い方なんだ。 さぁ、仕事に戻ってくれるな。」
「はいっ。わかりました」
「わーい、これでまたお兄ちゃんと一緒だねっ」

「ねぇねぇ、お兄ちゃぁ〜ん。」

由香がまた長谷川豊に飛び付いた。
「起きても全然何も見えないしぃ、退屈だったんだよぉ。 いくらお兄ちゃんを呼んだって来てくれないんだもん。」
「ごめんごめん」
「お兄ちゃん、あの私のお洋服取っておいてくれてるっ? そうだ。お山に連れて行ってくれるって言ったよねっ。 一緒に頂上でおにぎり食べるんだよねっ。海も行こうねっ。それから……」

1ケ月分溜っていたお喋りが由香の口から次々と飛び出し続けた。 長谷川豊は苦笑しつつ、それにうなずいていた。

第一部 完


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