Project-YUCA


第三部

第一話 平穏な日々



「じゃ、行ってくるな。」
「行ってらっしゃ〜い」

 検査の無い日の由香と恭子は、 長谷川豊を送り出すと、すぐ掃除を始める。 二人一緒の時は、由香がハタキ、恭子が掃除機と分担が決まっている。 17歳程度の身体である恭子に比べ、 11〜12歳程度の身体である由香の方が明らかに背が低い。 その由香がハタキというのは、適切な分担とは言えないが、 由香が自分の好みで決めたことらしい。
 由香が、ハタキを使いながら各部屋を回るのを、 掃除機を使いながら恭子が追いかけていく。 真面目に黙々と掃除機を使う恭子に比べ、 踊りを踊るようにピョンピョン跳ねながらハタキを振り回している由香は、 楽しんでるようだ。
 勢い余って、 既に掃除済みの部屋に再び入ってハタキを振り回したりするが、 それでもハタキが効力を発揮するのだから、 由香のハタキの効果は知れたものである。 それでも恭子は文句も言わず、一度掃除した部屋に再び掃除機をかける。
 一度、由香の提案で、恭子が部屋の中で思い切り羽ばたいて、 ホコリを窓の外に飛ばすという方法を試したことがある。 由香は何もしなくて良いのだから楽な方法と思ったのだろう。 しかし、部屋中に舞い上がったホコリは意外と外には出ず、 二人はホコリまみれになった上に、 恭子の羽根にぶつかって落ちた 棚の上の物を片づけなければならず、 効果の割に後始末が面倒だったため、 結局この方法は採用とはならなかった。
 由香は、恭子の羽繕いで抜けた羽根を集めてハタキを作る ということにも挑戦したが、 そのハタキを使うと細かい羽毛が飛乱して却って部屋が汚れるばかりか、 下に落ちた羽毛は掃除機で吸い込みにくいという、 最悪なハタキであったため、これも使いものにならなかった。
 結局、どちらか一人の時は掃除機だけ、 二人ともいる時は由香がごく普通のハタキで恭子が掃除機という 地道な方法で掃除することになったようだ。
 由香のアイデアには、あまり効果的なものは無かったが、 由香が新たなアイデアを提案するたび、恭子は

「うわぁ、由香ちゃん頭いいわねぇ。」

と感心するばかりだ。 いくら、由香より成長した身体を持ち、 より多くの知識を与えられていても、 実際に一般社会で生活した経験は由香の方が多い。 そのため、恭子としては反論できないのかもしれない。
 その辺の違いが表れるのが料理である。

「恭子お姉ちゃ〜ん、お昼なににしよぉかぁ?」
「そぉねぇ...買い置きは何があったかしら?えっと...... あ、スパゲティがあるのと....ラーメンと.......」
「あ、スパゲティがいいっ! この間のカレーを冷凍したのが残ってるはずだから、 カレースパゲティにしようよっ!」
「あ、それいいわねぇ。」
「それだけじゃ寂しいからサラダも作ろうよっ。」
「そうね。ちょうどレタスやキュウリもあるし。 卵をゆでて添えればサラダらしくなるかしら。」

たいていの場合、由香の希望でメニューが決まる。 しかし、これは経験の差ではない。

「じゃあ、私がスパゲティゆでるから、 恭子お姉ちゃんはサラダね。えっとお鍋は...これでよしっと... でぇ、お塩お塩......」
「え?スパゲティに塩味付けるの?」
「う〜うん、ちょっとお塩を入れると美味しくなるの。」
「へぇ、由香ちゃんって物知りねぇ。」
「えっへん!なぁ〜んて、食堂のおばちゃんに聞いただけなんだけど(笑)」
「なぁんだぁ。じゃあ、私はゆで玉子っと...」
「あ、恭子おねえちゃんっ、お酢入れて」
「え?」
「玉子をゆでる時は、お水にちょっとお酢を入れると破裂しなくなるの」
「へぇ〜、知らなかったわぁ。それも食堂のおばさんから聞いたの?」
「えっと、これは購買のおばちゃん。(笑)」

 恭子と同じくクローン人間の由香。 生まれたのは恭子とさほど変わらない。 その由香が、生活のための様々な知識を集めている。 誰にでも気軽に笑顔で話しかける明るい性格によって、 由香が得てきたものばかりだ。

「由香ちゃんすごいわねぇ.....」
「へ?すごいのはおばちゃん達だよぉ。私は聞いただけだもん(笑)」

(それに比べて自分は.....)

 恭子はふとかつての自分の生活を思い出していた。 殺風景な部屋で目覚める。 自分は今井恭子であるという意識のもとに。 会話を交わす相手もいない。 身支度を整えると、やがて研究所の人間が迎えに来る。 そこで今井恭子としての意識がとぎれる。 ニューロリングのスイッチを入れられるため、 記憶に残っても意識には残らないのだった。
 そこの時点から、自分はヘルエンジェルであるという意識が覚醒する。 今ではニューロリングがはずれているから、その後の生活もわかるが、 今井遺伝子工学研究所にいたころは、今井恭子とヘルエンジェルの意識は 同居せず、互いに認識されていなかった。
 破壊目的の超能力の練習が続く。 できなければ、罵声を浴びせられ、肉体的苦痛が待っている。

「自分は兵器なんだ。」

なんども肝に命じられる。 言われた能力が目覚めてもほめられるわけではない。 次の練習やテストが待っているだけだ。
 時には、動物や他のクローン達との戦闘を強いられた。 負けた者に命は無い。 ニューロリングで制御されていた当時はそれに夢中になっていたが、 今から考えると、なんて酷いことをしていたのかと思う。 目の前で動かなくなる動物や仲間、その苦痛と悔しさで歪んだ表情、 時には木っ端微塵になった仲間さえもいた。 今の恭子には耐えられない光景が記憶に残っている。 兵器として生き続けるくらいなら、 他人を傷つけるくらいなら、自分が負けて死んだ方が良かった。 今の恭子はそう思うが、当時はニューロリングがそう思わせてくれなかった。
 やがて夜になると、ニューロリングのスイッチを切られ、 今井恭子としての意識が戻る。 そこは朝と同じ殺風景な部屋で、 原因もわからぬ疲れに耐え身体を横たえるだけ。 さらに、閉鎖された空間が精神的にも耐え難い苦痛を与えていた。
 そんな時に、テレパシーで由香と話すのが唯一心安らぐ時だった。 食べ物のこと、近所で見かけたこと、由香はいろんな話をしてくれた。 別に何が面白いという訳でもなく、たわいのない会話であったが、 由香の言葉を聞くだけで、楽しい気分になれた。
 その由香が今はすぐ横にいる。 予想していた以上に愛くるしい顔や声の由香が、 予想以上の無邪気さと優しさで、恭子を包んでくれている。 由香が築いた人間関係で得た知識を恭子に教えてくれている。 兵器でいるための知識ではなく、平穏で楽しい生活のための知識だ。 決して特別なものではなく、平凡な生活だが、 恭子にとっては、かつて夢にも思っていなかったほどの、 理想の生活。それが現実のものとなっている。 それとて、由香と戦う前に予めテレパシーで話していなかったら、 由香の心に触れていなかったら、得られなかったものなのだ。 あの時、由香の叫び声が聞こえなかったら、 既に恭子は分解処理されていたかもしれない。 こんなささやかな幸せを味わうこともなく、 死んでいたのだろう。 恭子は改めて幸せをかみしめた。

「う〜うん、由香ちゃんって凄いわよ。」

恭子は改めて由香に言ったが、由香はキョトンとしただけだった。


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