Project-YUCA


第五話 宿命の風



 由香は、ゆっくりアパートの階段を上った。 そして、いつものドアから中に入り、明かりを灯した。 虚ろな眼差しのまま買ってきた食材を冷蔵庫に入れる。 胸の中の不安が、由香の意識を支配し続けている。
 冷蔵庫を閉じる。次にすることは待つことだけ。 テレビを点けてみても、どの番組も楽しめる気分ではない。 由香はすぐにテレビを消した。 誰も居ない部屋。その寂しさが由香を覆っている。 無音の重圧が、由香の小さな身体にのしかかる。 胸の中の不安が身体全体に広がっていく。

「恭子お姉ちゃん....」

届くはずの無い声を発してみる。 由香の不安は次第に大きくなり、やがて由香の瞳を潤した。

「やっぱり待ってられないよ。」

由香は部屋を飛び出した。


 恭子は、インセクテスに従って、高く飛び立っていた。 いつもの街並みが、はるか下に広がっている。 そこには沢山の人々の暮らしがある。 そこから離れ、はるか上空を飛ぶインセクテスと自分が、 追い出された存在のように思える。 いつもなら、背中に由香の重みがある。 それは、恭子の身体を人々のいる街並みに近付けるように下へと働く。 しかし、今はそれも感じられない。 インセクテスの姿がある前方からは、 いつもより冷たい風が恭子に打ちつけている。 その風に向かって飛ぶしかない悲しみを、恭子は感じていた。

 町外れの神社に着くと、 インセクテスは、2本の剣のうちの一方を腰からはずし、 恭子に向けて投げた。

「ヘル、あんたのだ。取りな。」

透明に輝く美しい剣が、恭子の足元に落ちた。

「ダイヤソード....」

それは恭子がヘルエンジェルと呼ばれていた頃に、 ネノテレキネシスで炭素を固めて作った、 ダイヤモンド製の剣だった。

「あぁ、ヘルには一番お似合いの武器だ。外見ばかり綺麗で実用的じゃない。」

恭子は足元のダイヤソードに手を伸ばした。 ダイヤモンドで出来た剣は、恭子の腕の力に比して重すぎるものだ。 恭子は無意識にテレキネシスを使って持ち上げた。

「どうやら扱い方は覚えているようだね。安心したよ。」

恭子は、憂いを帯びた目をそっと閉じた。 そして再び目を開いた時、その瞳には強い意志が感じられた。

「インセクテス、あなたの希望通り戦うわ。 その代わり、あなたに約束して欲しいことがあるの。」
「なんだ?」
「もし、私が破れても、由香ちゃんに手を出さないと誓って。」
「ふんっ。落ちぶれたもんだな。戦いの前に負けを意識するとはな。」
「由香ちゃんを傷つけないと誓ってっ。」
「あぁ、誓ってやるよ。あんなガキを殺したって、面白くないからな。」
「私が、あなたを少しでも傷つけることができたら、 あなたの剣を取り上げられたら、二度と私達の前に現れないと誓って。」
「あぁ、構わないよ。どうせ、お前は私には勝てない。 失う物がある兵士は弱いもんだからね。」

 恭子は、身体をインセクテスに向けたまま、 視線を左右にずらし、周囲の状況を確認した。 木々に覆われた境内の広さは中途半端なものだった。 お互いに、飛行することはできるが、恭子の旋回能力では、 木々の上に出ない限り、空中戦をできないだろう。 ナノテレキネシスを使って爆発させれば、 自分まで傷つくことは確かだ。 しかし、恭子は勝つしかないのだ。

「いくよ」

インセクテスの短い言葉が終わると同時に、 その黒い肢体が恭子に迫った。 インセクテスは、地上1.5m程度の高さを高速で飛行して、 恭子に突進きたのだ。 その手に握られた剣が、恭子の首に向かっている。 それをかわしつつ、後を向いて飛び去るインセクテスの身体めがけて、 ダイヤサーベルを....

(できないっ)

恭子が躊躇っている間に、 インセクテスは急旋回すると、 再び恭子に向かって猛スピードで飛行してきた。 恭子自身、旋回能力では勝てない相手だと認識していたが、 ここまでのものとは思っていなかった。 恭子が同じことをすれば、木々に体当たりしてしまうだろう。

(どうすれば....)

先ほどと同じように、インセクテスの剣をかわしつつ、 恭子は考えていた。
インセクテスは何度も同じ攻撃をしかけてくるが、 次第に飛行速度が速くなり、かわすのがつらくなってきている。 インセクテスが無防備になるのは、 それは飛び去る瞬間だ。 しかし、恭子はその瞬間に、インセクテスに切りかかることを躊躇った。 誰も傷つけたくないという思いが、 自分の手での攻撃を躊躇わせているのだった。

「どうしたんだい?攻撃することもできないのかい?」

インセクテスは挑発するように言うと、 同じ攻撃を再開した。

(楽しんでる。インセクテスには、まだ余裕があるんだ)

インセクテスの攻撃をかわしているだけなら、 体力の消耗は少ない。 しかし、次第に速くなるインセクテスの攻撃をかわす余裕は どんどん減ってきている。 何らかの打開策を考えなければ切りつけられるのは必至だ。

(あの木々がなければ私も飛べるのに....)

恭子に考えが浮かんだ。 自分めがけて高速で飛行してくるインセクテスをかわし、 そのまま、インセクテスと逆方向に全速で飛び立つ。 前方木々の上を越えて真っすぐに。 飛行速度なら、インセクテスに勝つ自信がある。 十分な距離を確保できるに違いない。 インセクテスが急旋回しているであろうタイミングを見計らって、 恭子は地上に手を向け叫んだ。

「ヘルグランバーストッ!」
「恭子お姉ちゃーーん」

インセクテスから数mの所で爆発が起きる寸前、 恭子は由香の声を聞いた。 恭子を心配して駆けつけた由香の叫び声をさえぎるように、 爆発音が響いた。 恭子が作り出した爆風が、由香の小さな身体を吹き飛ばすのを、 恭子は目にしていた。


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