地方都市のルネッサンスが日本を変える
(1998. 8. 5)


【目  次】

序 章 何故、今、ルネッサンスなのか    第一章 ハワードの「田園都市」に学ぶ 

第二章 日本の社会を駄目にした思想    第三章 地方都市のルネッサンス 

終 章  誰が先頭に立つか




序 章  何故、今、ルネッサンスなのか

  1.はじめに
 程なく21世紀を迎える現在、世界各国はそれぞれに解決すべき多くの切実な国家的課題を抱えており、それらのいくつかは経済的あるいは軍事的な問題として国際的な広がりを見せている。我が国においては、戦後の経済復興が一見順調に進んできたように見え世界各国からも相当な評価をされてきたが、実はそれが虚構であったと言わざるを得ないような厳しい経済状況に直面している。特に、赤字国債の発行・財政投融資の弊害・年金制度の破綻などについては、国家施策の問題として、社会的ストックの形成対象や形成方法が適切ではなかったのではないかという明確な反省が年毎に強まっているように思われる。
 このような状況の中で、数多くの人間が様々な分野で新しい時代の産みの苦しみとも言うべき模索を重ねている訳であるが、実際のところは、確固たる哲学と明快な方策が見えぬまま不毛な論議と努力を強いられているというのが現状なのではあるまいか。
 蓋し、このような我が国の社会状況の深刻さは、単なる世紀末の一過的現象として捉えられるような底の浅いものではなく、来るべき21世紀を前にして日本人全員に対し考え方や生き方の再構築を根本的に迫っているものと見るべきであろう。

  2.現在の日本とルネッサンス
 現在の日本においては、政治・経済・産業・法律・学術・教育・等様々な分野で大きな転換が求められているが、これは単に世代の交代や制度の変革が求められているといった表面的あるいは形式的なものではなく、もっと本質的な「人間としてのあり方」が厳しく問われているのであると思われる。
 そして現実的には、大多数の人間が八方塞がりのような状況の中で、「どうすれば気持ちよく仕事ができるのか」・「どうすれば気持ちよく暮らしていけるのか」といったことを切実に求めていると言えよう。
 ところで、1970年代あたりからの日本の社会を振り返ってみると、人間らしさを取り戻すという希求が年毎に強くなってきているように思われるが、例えば、社会風潮を反映するキーワードの一つとして「ルネッサンス」という言葉に注目してみると、ここ10年ちょっとの間に目に付くものを挙げてみるだけでも、「アーバン・ルネッサンス」(アーバン・ルネッサンス社)・「東京ルネッサンス」・「阪神大震災復興ルネッサンス」・「医療ルネサンス」(読売新聞・家庭欄)・「オフィス・ルネサンス」(林昌二・編著、彰国社)・「コンピュータ・ルネサンス」・「コスメティック・ルネッサンス」(ノエビア化粧品)・「ハウジング・ルネサンス」(服部岑生・編著、彰国社)・「アメリカン・ルネッサンス」・「街なかルネサンス」(田端修・著、学芸出版社)・「ルネサンス百科事典」(マーガレット・アストン編、三省堂)・「シグナ・ルネッサンス」(シグナ保険)・・・・・・というように、色々な方面でかつて無い程数多く登場している。
 これは、現代の日本の社会において多くの人が、あの「ルネッサンス」の時代のように、人間性を肯定的に再評価したいと望んでいることの証左の一つと見ることができよう。
 このような視点で日本の社会状況を改めて見直してみると、所謂「ルネッサンス」(あるいは「ルネサンス」)の萌芽期に非常によく似ていることに気付かせられる。
 周知の如く、「ルネッサンス」(Renaissance)というのは14世紀から16世紀にかけてイタリアを中心に起こった古典文化の復興および人間性解放の運動であり、語義は「再生」を意味するフランス語である。
 古代のギリシア・ローマの古典的学芸に範を求めて明るく自己肯定的な人間観を再発見し、閉塞感の伴う中世のキリスト教的権威から人間性を解放することを意図したものであることから、日本語では「文芸復興」と訳されることが多い。
 また、ルネッサンスは、東方貿易によるイタリアの新興都市の経済力と市民の自由な気風を基盤として生まれたものであるが、「現世の肯定」・「人間性の解放」・「個性の尊重」といったルネッサンスの根本精神は、所謂「ヒュ−マニズム」(人文主義)の骨格を形作ったり、質の高い美術作品を産み出したりした後、西ヨーロッパをはじめとする世界各国の近代思想に大きな影響を与えたことが知られている。
 このようなルネッサンスの歴史を現在の日本の社会と引き比べてみると、特にその初期の状況において非常によく似ていると思われる点が三つある。
 第一は、社会状況が大きく変わる基盤は実は都市にあるということである。
 ルネッサンスはベネツィア・ローマ・フィレンツェといった都市で始まったが、その国の文明が先駆的に具現化されるのは都市であるという一般的な意味においても、日本の社会が今後大きく変わる鍵を握っているのは都市であると考えられる。
 第二は、人間性を回復するために是が非でも超克しなければならぬ思想的な壁が存在するということである。
 ルネッサンスの時代は権威主義化したキリスト教の思想が人間性を疎外する最大の要因であったが、後で述べるように現在の日本においては「科学主義」が人間性を蝕んでいると考えられる。
 第三は、閉塞した社会状況を変革するものは単なる思想ではなく実践を伴った運動であるということである。
 ルネッサンスの精神は様々な分野において当時の人間の具体的な活動を喚起しそれが社会変革の基盤となった訳であるが、現在の日本ではそのような意味におけるルネッサンス的な国民的運動が求められていると考えられる。
 本論文においては、以上のような基本認識に基づき、第一章では求めるべき都市の姿について、第二章では「科学主義」の問題点について、第三章及び終章では国民的運動の方向性と方策についてそれぞれ論究する。


第一章  ハワードの「田園都市」に学ぶ

  1.大都市の姿が示すもの
 ルイス・マンフォ一ド[Levis Mumford、1895〜1990]は『都市の文化』の中で「都市は人間の文化・文明の象徴である」と述べているが、これは、その時代その時代における最も高度な技術や最も洗練された芸術が都市で具現化されるといった都市の持つ正の側面を意味する一方、その国の社会問題の多くが都市において象徴的に出現するという都市の持つ負の側面をも意味するものであると解釈すべきであろう。
 例えば、日本に限らず先進国と言われる国々においては、「民主主義の矛盾」及び「情報化の弊害」といった二つの問題が社会問題として深刻になりつつあるが、日本においてもそれらの問題は東京や大阪などの大都市において現に顕在化しつつあると思われる。
 そこで問題点を明確にすべくその間の事情を少し詳しく眺めておくことにしよう。
 先ず「民主主義の矛盾」についてであるが、一般に民主主義の社会は王や独裁者といった絶対的な権力を原理的に否定しているため、確かに善良な市民が理不尽な権力に泣かされることは無いかもしれない。しかし、それは同時に多数決による決定事項を受容しない者や常軌を逸した犯罪を犯す者に対する最終的な対抗手段が無いことをも意味する。特に日本のような宗教的規範が社会的に弱い国においては、刑罰が甘くなると「意識的に悪事を働いて開き直る人間」に対する正当な制裁手段が皆無に等しいことになる。しかも、しばしばそのような不心得な人間の不始末のつけは「人権尊重」という詭弁によって真面目に生きている多数の人間に「民主的に」回されることになる。
 このような民主主義という制度の持つ原理的な矛盾や限界は、既にチャーチル[Winston L. S. Churchill、1874〜1965]が「民主主義はこれまでのどの政治形態よりもましな形態でしかない」と評していたことからも察しがつくが、最近の日本における高級官僚の破廉恥な天下りや不良債権の無節操な処理を見れば見事なまでに明らかである。
 ここで見逃してならぬことは、このような不条理な現実が実は大都市の匿名的あるいは没個的生活実態によって成り立ち得ているということである。
 例えば、大都市においては不見識な行為をした人間の私生活に対する市民の追及の目に殆ど実効性がないため、たとえ犯罪的な経緯で多額の金品を入手したような人間であっても単なる高額所得者として大都市のどこかで優雅な市民生活を送ることが可能である。
 すなわち、大都市においては悪い人間が悪い人間であるというレッテルを貼られることなく幸せに生きることができるため、邪な人間によって民主主義の弱点が悪用され易いということである。
 蓋し、民主主義の矛盾は個々の人間の名誉や責任が希薄になりがちな大都市においてより顕著に露呈するのである。
 次に「情報化の弊害」についてであるが、情報化社会は、情報が経験の記号化という側面を持つ以上必然的に二つの現実的な傾向を産み出すことになる。
 一つは、知る者と知らざる者との差が極めて短い時間で解消されるため、知的ヒエラルキーが根本的に崩れていくということであり、今一つは、個々人の長期にわたる経験までが簡単に情報化されるため、成果の獲得に要する努力の過程が過小に実感されがちになるということである。
 これらのうち前者は、現実の問題として教育のあり方や学校のあり方が大きく変わらざるを得ないことを意味している。
 すなわち、情報化が進むと教師が教育活動の前提条件ともいうべき知的アドバンテージを保つことが極めて難しくなるということである。特に大都市のように情報量の多いところにおいては、教師の至らなさや学校の詰まらなさが過剰に喧伝されて教育の現場が根底的に荒廃しがちである。
 また、後者は、能書きばかりが多くて行動力に乏しい大人や努力をすることなくいい思いをしたがる子供が漸増することを意味している。
 すなわち、情報化が進むと他人の体験を安易に理解し自らの疑似体験を過大に評価しがちになるということである。特に大都市は結果として有名になっている人間が多く集まっているため、そのような傾向に一層拍車がかかることになる。
 これらの二つの傾向は、例えば、大都市における近年の若者の投げやりで無気力な態度、乱暴で場当たり的な行動、政治に対する関心の異常な低さ、風俗化した賭博や売春といったものを見ると、疑いなく弊害と呼ぶべき状況に立ち至っていることが実感される。
 このような大都市の状況は、何れも若者の健全な発達によい影響を与えているとは到底言い難く、社会に明白な原因があると思わざるを得ないだけに悲しく痛ましい気がするが、もっと辛いことはこのような悪しき状況が大都市のマスメディア等を発信基地として全国各地に敷衍していくように見受けられることである。
 蓋し、情報化の弊害は多くの情報が集積されその処理や伝達が産業として成立する大都市において急速に現実化するのである。
 このような観点で大都市を見てみると、現代社会の抱えている深刻な問題の多くは大都市にはっきり現れているということが容易に推察できる。
 一方、都市というものが良きにつけ悪しきにつけ社会を映す鏡であることを思えば、今後の日本を考える上において、都市のあるべき姿を求めることにより、社会のあるべき姿を、そして更には人間のあるべき姿をはっきりさせようとすることは十分意味があることであると思われる。
 しかしながら、先に述べたように、現在の日本の大都市においては寧ろ否定的に語らざるを得ない状況が多々ある。
 また、理想という言葉が絶えて聞かれなくなった最近の日本においては、大都市に限らず多くの都市において、都市のあるべき姿は勿論都市そのものが見え難くなってしまっている。
 残念ながら、我々が求めるべき都市の姿は、少なくとも現在の日本の大都市には無い。

  2.「田園都市」とは
 今から丁度100年程前の1898年に近代都市計画のバイブルとも言われる歴史的名著であるエベネザ一・ハワード[Ebenezer Howard、1850〜1928]の『明日の田園都市』(明日−真の改革に至る平和な道)が刊行された。この「田園都市」(garden city)という提案は、産業革命以降のイギリス社会が求めた理想的な都市の姿に対する彼の具体的な解答である。
 そこで、先ず当時のイギリスの社会背景および「田園都市」の提案に至る過程を概観した上で、ハワードの提案内容の概要を今日的な視点で確認することにしたい。
 19世紀のイギリスは所謂「産業革命」による工業化が急速に進む中で、中小の工場が立地条件のよい都市に集中する一方、農村における「囲い込み」によって農村人口が激しく工業都市へ流入した。
 この結果、マンチェスター、バーミンガム、リヴァプールといった代表的な都市の人口は急激に増加し、特に首都ロンドンは1810年代に約100万人、1840年代に約200万人であったものが1880年代後半には400万人を超え世界最大の都市になった。
 しかし、交通機関が未発達な時代であったため、低賃金で働く労働者の住宅は大半が工場の近くに密集して建てられることになり、彼等は林立する煙突から排出される煙・工場の排水や家庭の汚水による悪臭・狭い道に積み上げられるゴミ・日照も通風も期待できない過密な共用住宅・等々、現在の都市計画の常識では想像もできないような劣悪な生活環境の中で暮らしていた。
 この当時の労働者の生活の惨状は、1844年に発表されたエンゲルスの『イギリスにおける労働者階級の状態』に詳しく記されている。
 このような社会状況の中では必然的に二つの思想的立場が顕在化していくことになる。
 すなわち、一つは労働者に団結を呼び掛け支配者階級そのものを打倒しようとする暴力的立場であり、今一つは支配的地位にある者が労働者の窮状を改善しようとする慈善的立場である。
 これらのうち前者の典型がマル久スとエンゲルスに代表されるマルクス主義(あるいは科学的社会主義)であり、その活動要綱が『共産党宣言』として1848年に発表されたことは余りにもよく知られている。しかし、後者は主張や手段が比較的地味で穏やかなためか意外な程知られていない。後者の主要な事例としては、綿工場の工場主で空想社会主義者と呼ばれているロバート・オウエン[Robert Owen]が1816年に発表した「理想都市」(農業と工業を結合した理想的な集落)の提案、理想社会主義者と呼ばれているバッキンガム[James Silk Buckingham]が1849年に「国家悪と現実救済策」と題する論文の中で示した「住民約1万人のコミュニティ」の計画、シャフツべリー卿[Lord Shaftesbury]の努力によって1848年に成立した「公衆保健法」をはじめとする「労働者階級宿舎法」(シャフツベリー法、1851)・「共同宿舎法」(1851)、更には「衛生法」(1866)・「職人・労働者住居階層法」(1875)・「住居・都市計画法」(1909)などの立法が挙げられるが、これらは何れも近代都市計画の基礎をなす重要な成果である。
 このような流れの中で、ハワ−ドは「都市と農村は結婚しなければならない。そして、この結合から新しい希望、新しい生活、新しい文明が生まれる」という独特の哲学の下に都市と農村の両者の利点を兼ね備えた理想的な都市として「田園都市」を提案した。
 ハワードの提案した「田園都市」(Garden City)とは、簡単に言えば、中心となる母都市(central city,想定人口58,000人)の郊外に同心円状に幹線道路を構想し、その結節点(6個所)に計画する小規模な新都市(計画人口 32,000人)のことであり、彼のダイヤグラムによれば、一つの田園都市が計画人口に達するまで成長したときは、別の田園都市を次々に生み出し、それらは都市間鉄道と都市間道路で結ばれ、最終的には人口25万人の都市集団を形成することになる。また、一つの田園都市の想定市街地(市街部)は約400haで、その周囲を2,000ha程度の農耕地(田園部)が取り巻いている。
 ちなみに日本で人口が3万人強(平成7年度の人口が3万人以上3万5千人未満)の都市というと、例えば大月[山梨]・新宮[和歌山]・小浜[福井]・糸魚川[新潟]・八日市場[千葉]・大竹[広島]・美唄[北海道]・鴨川[千葉]・山梨[山梨]・土佐[高知]・指宿[鹿児島]・伊予[愛媛]・輪島[石川]など37市あり、人口順位は仝666市の561位から597位にあたる。
 また、人口が25万人程度(平成7年度の人口が23万人以上27万人未満)の都市というと、八尾[大阪]・一宮[愛知]・徳島[徳島]・寝屋川[大阪]・下関[山口]・加古川[兵庫]・茨木[大阪]・福井[福井]・平塚[神奈川]・山形[山形]・佐世保[長崎]・八戸[青森]・水戸[茨城]・清水[静岡]・高崎[群馬]・久留米[福岡]の16市であり、人口順位は全666市の内の76位から91位である。

  3.ハワードの提案の今日的意義
 ハワードの田園都市の構想には刮目すべき幾つかの重要な提案が盛り込まれている。
 勿論、当時のイギリスと現在の日本とでは社会状況や産業構造をはじめ多くの点で計画の前提となるべき条件が異なるため、軽々に参考とする訳にはいかないことはよく承知しているが、それでも彼の提案には今なお耳を傾けるべき点が多々あるように思われる。
 以下、ハワードの提案の要点を示し、それらの今日的意義を考えることにしたい。
 第一の要点は「土地は全て田園都市の経営主体が所有し居住者個人の私有を認めない」ということである。
 このことにより田園都市は誰のものかという素朴な問いに対する明快な答が得られる。
 すなわち、田園都市は土地所有者のものである。従って、田園都市の質を向上させるべき最終的な責任は土地所有者が負うこと、居住者や利用者は勝手に状態を変更できないこと、市街部の土地所有者と田園部の土地所有者が一致しているため田園部の市街化が進まないこと、売買差益を目的とした土地の売却が事実上あり得ないこと、田園都市の内部の不動産は全て相続の対象にならないこと、などが随伴的に明らかにになる。
 第二の要点は「都市の維持に不可欠なものとして農業のための土地を十分に確保し続ける」ということである。
 このような積極的な意義を持つものとしての農業用地を市街地の回りに配置しているため、当然のことながら農業用地の用途変更はあり得ないし、更にこのオープン・スペースが市街部の良好な環境を守り続ける働きをすることになる。
 第三の要点は「都市の計画人口を制限し都市の規模が無際限に拡大しない構造にしている」ということである。
 これは計画技術的には市街部の回りに環状の道路を設けその外側の市街化を認めなければ容易に実現できることであるが、現実的には「市街化を認めない」根拠や権利が判然としないため東京をはじめ多くの都市で失敗している。しかし、田園都市においては「経営主体である土地所有者が適正な密度と良好な環境を保つために田園部の市街化を望まない」という理由だけで十分である。
 第四の要点は「都市の成長や繁栄に伴って生ずる利益は田園都市全体のために留保することができる」ということである。
 これは開発や整備による利益が外部に持ち出されないため田園都市の経営主体が半永久的に居住者のための環境改善の努力をし続けることができることを意味している。従って田園都市においては居住者や利用者の経営主体に対する信頼感や居住者のコミュニティに対する愛着が自然に醸成されることになる。
 第五の要点は「人口の大半の生活を維持することができるような産業を保持する」ということである。
 主として想定されているのは工業であり、現代の「企業城下町」(company town)に近いイメ−ジであるが、これは寧ろ田園都市の成立条件であり計画目標ではない。
 ハワードのこのような新しい提案は1899年10月の田園都市協会の設立によって社会に広められ、1903年9月には彼の考えに共鳴した人々の出資によって第一田園都市株式会社が設立された。そして、ロンドンの北方54キロにあるレッチワ一ス(Letchworth)の地に最初の田園都市が計画されることになった。都市設計は指名設計競技の結果レイモンド・アンウィン[Raymond Unwin、1863〜1940]とバリー・パーカー[Barry Parker、1867〜1947]が担当することになり、第一田園都市株式会社は約1,500haの土地を買収した。この新しい都市は見事に実現し現在も美しくあり続けているが、完成後一世紀近くの間全く分譲売却された事実がないことは特筆に値する。その後、田園都市は1920年にロンドンの北方36キロにあるウェルウィン(Welwyn)に実現した。また、田園都市の強い影響を受けて建設された衛星都市的田園都市(田園郊外、garden suburbs)としては、1907年のロンドン郊外のハムステッド(Hamstead)や1926年のマンチェズター郊外のウィゼンショウ(Wythenshawe)などがある。ちなみに日本の田園調布[東京都大田区]もハワードの田園都市を摸して名付けられた街であるが、事業主が当初から分譲する意図で開発しているため、一時期は高質で良好な環境が実現し得ても原理的にそれを長期間にわたって保つことができない。
 ハワードの田園都市の提案には現代の日本の第一線の都市プランナーをも魅了してやまぬものがある。
 例えば、泉耿介氏[蠹垰坿超計画研究所・代表]は、1997年に発表された「田園都市の基盤としての賃貸都市の文化」と題する彼の論文においで<恒久的田園地帯を実現するための方策として打ち出した「都市を賃貸で経営する」というアイディアにこそ、その発明性の真骨頂がある>という表現でハワードの田園都市の提案の価値を讃え、現実的な地主・地権者(大規模土地所有者)の役割や欲求に言及した上で、「質のよい賃貸住宅に住む」というのが21世紀の都市生活の常識になる可能性があることを示唆している。
 それでは、何故ハワ−ドの提案には時空を超えた魅力があるのであろうか。
 それは、薄汚れた現実主義に疲れ果てた現代の人間に、改めて「理想」というものの偉大さや崇高さを教えてくれるからではあるまいか。


第二章  日本の社会を駄目にした思想

  1.社会と思想
 20世紀も程なく終わろうとしているが、この20世紀という時代は、我々日本人にとってどのような状況で終わろうとしているのであろうか。人間であることを誇りに思い、人間の力によって好ましい未来が築き得ると信じられるような状況であろうか。
 残念ながら答えは「否」である。寧ろそれどころか、無力感が年毎に高まり、特にバブル経済が破綻した後においては、倒産企業・失業者・自殺者などの数がじりじりと増加し、絶望的な未来観が支配的になりそうな気配すら感じられる有様である。
 このような状況にあっては、人間の強さを信じ自らの力によって主体的に諸問題を解決していこうとする姿勢が不可欠であると思われるが、そのような姿勢を生み出すものは、人間や社会をただ分析して見せるだけの「冷たい学問」ではなく、自らをも含めた多くの人間を元気にし人間の素晴らしさを実感させてくれるような「熱い思想」なのではあるまいか。
 しかるに、昨今の日本の社会状況を見ると、行財政改革や不良債権処理の問題にしても凶悪な殺人事件やいじめによる自殺の問題にしても、何かが根本的に間違っていると思わざるを得ない。何故ならば、色々な問題が発生する度に多数の「評論家的な学者」や「学者的な評論家」がマスコミに登場し、それぞれにもっともらしい解説をしてみせるのであるが、それが契機となって問題が解決の方向へ向かったり有意義な社会的運動が始まったりしたことは皆無に等しいからである。しかも、全くもってやり切れないことには、このようなことを何度となく繰り返しているうちに、国家や国民の不幸を決定付けるような重大な問題までが他人事のように忘れ去られていくのである。
 このような由々しい状況を評論家然と眺めていて良いのであろうか。そうはいくまい。
 日本は私の祖国である。日本人は先ず私自身である。私は、断じて日本及び日本人を他人事のように眺めることも他人事のように語ることもできない。
 それでは、このような由々しい状況を招来している根本原因は一体何なのであろうか。
 蓋し、古今東西を問わず人間を動かすものも社会を動かすものも思想である。
 この際、どのような思想が日本の社会を駄目にしてきたのか、特にどのような思想が人間に人間としての誇りや自信を失わせ人間社会を駄目にしてきたかということを徹底的に見定めておかねばならない。

  2.「科学的」であることの意味
 これは日本に限ったことではないようであるが、何時からかかなり多くの「知識人」の間で人間を科学的に見詰め科学的に論ずることが無条件によいことであると思われるようになってきている観がある。そして、一般社会においても「科学的」という言葉が良い意味の修飾語であると信じられ何事に対しても肯定的に用いられているように見受けられる。
 確かに学術研究においてものごとを科学的に扱えば、一般に「研究の対象や方法を明確にし易い」・「モデルや法則性を仮定して論理を単純化できる」・「実験や検証の方法を限定し得る」・「論文をまとめ易い」・「学問の体裁を整え易い」といった現実的な利点が多々ある。
 しかし、だからといってそれが学問的に妥当であるということにはならない。
 特に戦後の日本においては、医学や生理学とは全く関係のない人文系諸学の学者の中にも自らの研究が科学的であることを殊更標榜する人が少なくないが、人間の心や行為に関する事柄を科学的に扱うことについては多々問題があると考えられる。
 そこで、「人間の心や行為を科学的に語ってよいのか」という問題を提起する前提として、近代以降の人文系諸学と科学の関係を概観しておくことにする。
 20世紀は「科学の時代」であるとも言われ、医学・生理学といった本来自然科学に近い性格を持つ分野以外の社会学・歴史学・経済学などの人文系の諸学においても、人間を科学的に考究しようとする試みが数多くなされてきた。このような試みの起源や呼称についてはいろいろな立場があり、例えば、17〜18世紀までは社会現象を自然科学と同様の方法で研究する学問分野を「社会科学」と呼んでいたが、19世紀のマルクス[Karl Heinrich Marx、181〜83]とエンゲルス[Friedrich Engels、1820〜95]の史的唯物論によれば全ての科学は「歴史科学」であり、自然史については「自然科学」が社会史については「社会料学」が成立することになる。また、ヴント[Wilhelm Wundt、1832〜1920]は科学を数学や形式論理学のような「形式科学」と経験的な事象を対象とする「経験科学」(実質科学)とに分類し、更に後者を「自然科学」と「精神科学」に分類した。更にまた、リッケルト[Heinrich Rickert、1863〜1936]は方法が普遍化的であるか個性化的であるかにより、前者を「自然科学」後者を「文化科学」として区別した。
 一方、これらとは別に、政治・経済・社会・歴史・文芸・言語などに関する学問の総称として「人文科学」という言い方が広く用いられており、特に人間の思想や行動をある種の現象と見る科学としては「人間科学」という言い方が主としてフランスで用いられ始めた。このような意味における「人間科学」の一部が、アメリカでは「行動科学」、ドイツでは「精神科学」と呼ばれ、時としては心理学の一分野として扱われている。
 なお、些細なことであるが、「人間のなすこと」について、人間科学・心理学・行動科学などの「科学」を絶対視する分野では「行動」(behavior)と呼ばれ、認識論・価値論・法学などの必ずしも「科学」を絶対視しない分野では「行為」(action)と呼ばれることが多い。

  3.「科学主義」の罪
 「18世紀から19世紀にかけての自然科学(特に、物理学・化学)の輝かしい成果を強く意識し、人間に関わることを科学的に扱おうとする学問分野」は、限定された対象については一定の成果をあげてきていると考えられる。
 しかしなから、本来、人間は自然科学の対象などとは異なり、必ずしも科学的な方法に馴染む面ばかりを持ち合わせた存在ではない。
 例えば、人間については、対象の均一性や現象の再現性が仮定し難いばかりでなく、行為の目的に関わる「価値」の問題や長期にわたって行為を継続させる「意志」の問題などについて客観性や合理性を要求することが妥当とは言い難い場合も少なからずある。従って、人間を科学的に考究しようとする試みにはその時点で既に本質的に大きな問題があると考えられる。特に、人間を物質と見るような前提で人間の本質や人間の精神活動を論じたりする思想の不都合さや危うさは、物質主義の蔓延や生命倫理の混乱といった問題に象徴されるように、20世紀の後半に入って間違いなく現実のものとなりつつある。
 そこで、「人間の心や行為を科学的に語るということは一体どういうことなのか」ということを具体的に確認しておきたい。
 人間の心や行為を科学的に語るということは、人間が自らの心や行為を客観的かつ合理的に語ることを意味するが、これは要するに人間が自分のことを他人事のように理屈付けるということである。従って、人間が人間の心を科学的に語れば、当然の如く、傍観者を決め込んで無責任になり、常に結果待ちで事後論的であり、他人の意見や行為には過大な根拠を要求し、しかも計算や理屈で全てを割り切ろうとするというようなことになる。
 しかし、そのようなことをしていれば、例えば「愛」・「冒険」・「ロマン」・「夢」・「情熱」・「信頼」といった人間であることの喜びを感じさせてくれる言葉が死語化し、人間から良い意味の人間らしさが消えていくことは自明である。しかも、一旦そのような流れができると、訳知り顔の鼻持ちならない評論家のような人間ばかりが跋扈し、傷付きながらも頑張り続ける誠実で真面目な人間の心は空しく冷え切っていくことになる。
 このように考えてくると、20世紀後半から現在にかけての悪しき社会状況や人間および社会に関わる諸問題の根本的な原因が、実は「人文系諸学における唯物論的科学主義」にあるということが明白になってくる。
 例えば、「やる気がない」・「生き甲斐がない」・「無気力である」・「刹那的である」・「捨て鉢である」・「思いやりや温かさに欠ける」などといった現代人の心の問題の大半は、そのような「科学主義」がはびこり人間本来の生き生きした思考や行動が著しく阻害されできたことによる必然の帰結であると思われる。
 かくして、現代の人間社会を麻薬のように駄目にしているものが「科学主義」であること、そして日本の社会を駄目にしてきたものがそのような「科学主義」に基づいた「唯物論的人間観」であるということが瞭然とする。
 従って、我々は21世紀を迎えるにあたり先ず第一に、人間について語る場合は原則として「科学主義」の立場は認めないという態度をはっきりさせるべきである。
 そうすれば、水が高い方から低い方へ流れるように、社会は自然に良い方向に向かっていくことであろう。


第三章  地方都市のルネッサンス

  1.「地方の時代」と「地方分権」の流れ
 1990年代に入ってから広く「地方の時代」ということが叫ばれ始め、細川内閣以来の歴代内閣で「地方分権」が主要な政策の一つとされてきていることもあり、地方自治や地方行政には従来にない高い関心が示されつつある。
 実際、1992年の都市計画法の改正による「市町村マスタープラン制度」の創設に伴い、各地で21世紀の市町村像を念頭に置いたマスタープランが発表されつつある。
 しかも、この改正の中で実質的に「住民参加のまちづくり」が義務づけられたため、各自治体におけるマスタープランの立案過程においては、住民によるまちづくり協議会や各種のワークショップをはじめとする新しい制度や手法が積極的に取り入れられている。
 また、1992年の地方拠点都市整備法(地方拠点都市地域の整備及び産業業務施設の再配置の促進に関する法律)に基づき「地方拠点都市地域」が定められることになった。
 これは、東京への一極集中と地方の活力低下が進む現状で、県庁所在地に次ぐ地方都市を中心にして地方の自主性と独自性を生かし「職・住・遊・学」機能の整備を軸に地域の自立的成長を目指すものである。建設省・通産省・郵政省・農林水産省・国土庁の5省庁が主管となるが地域指定は知事が行い、最終的に全国で80個所程度が指定される見込みである。
 更に、1994年の地方自治法の改正により「人口30万人以上、面積100㎢以上」等の条件を満たし都道府県の合意を得て政令で指定された都市を「中核市」とする制度が創設された。
 これは、住民に身近な行政をはじめとする地域行政の充実を図るため政令指定都市に準ずる規模・能力の地方都市に対して事務権限を委譲しようとするものであり、例えば、市街化区域・市街化調整区域内の開発行為の許可、土地区画整理組合の設立許可、養護老人ホームの設置認可、飲食店営業の許可、一般廃棄物処理施設の許可などに関する事務が都道府県から移管されることになっている。
 また、この改正により広域行政を効率的に行うため「広域連合」制度も創設された。
 これは、都道府県や市町村の行政区域を越えて地域行政を行う特別地方公共団体である。
 一方、日本の都市計画は実務レベルにおいてもいくつかの点で大きな転換期を迎えている。例えば、都市計画を取り巻く政治的状況が激変しつつある。かつては、節操のない政治家が利権がらみで行政の現場に介入し、事業決定されたことすら覆したなどという不明朗な噂を耳にすることもあったが、最近は政党間の相互監視や情報公開を求める世論を背景としたマスコミの力により、そのようなことはまず起き得ない状況である。
 また、都市計画に関わる人間の立場・役割・関係が大きく変わりつつある。
 これまでも主として情報化が進んだことにより専門家と非専門家の境界がなくなりつつあったが、先に述べた1992年の都市計画法の改正によってマスタープランづくりに住民の意向を直接反映させることになったのを機に、そのような傾向が一気に加速された観がある。
 このような事情により、都市計画の実務に関わる者の間では従来の都市計画観や都市計画手法の大幅な見直しが迫られている。
 特に、従来の都市計画は「上意下達」・「テクノクラート主導」といった言葉に象徴されるように一部の専門的知識を持った人間が行政組織および法律体系をシステム的に運用することが大原則であったが、最近は「モデル」・「システム」・「数量解析」といった存在論的な発想による無機的な計画を超えようとする試みに関心が移りつつあるように思われる。

  2.日本を変えるシナリオ
 ところで、このような新しい流れの中で日本は本当に良くなるのであろうか。
残念ながら、期待しているほど良くはならず、寧ろもっと悪くなるのではないかとすら思われる。
 例えば、「地方分権」の流れにしても、従来国でやっていたことのかなりの部分を単に都道府県に移すということであれば状況は大して変わらず、都道府県行政の利権構造はそのまま、中央集権的体質もそのまま、画一的計画意識もそのまま、ただミニチュア化するだけということになる可能性が高い。
 また、先に述べた「中核市」の構想にしても、下手をすると悪い意味での「ミニ東京」を全国各地に造り散らすことになりかねない。
 それでは、一体何がまずいから日本が良くならないのであろうか。
 答ははっきりしており、しかも、かなり多くの人間が以前から薄々勘付いていながらずるずると放置されてきている。それは、一言で言えば「制度的な改革だけでは世の中は良くならない」という当たり前の認識が欠けているということである。
 当然のことであるが、どのようなことであっても人間がやることである以上、「懸命に取り組む人間がやっても適当に取り組む人間がやっても同様に好ましい結果が得られるような制度」などというものは原理的にあり得ない。すなわち、どのように巧みで合理的な制度の改革をしても、制度に関わる人間の根底にそのような人間性を重視した認識が無い限りその改革は成功するはずがないということである。
 過日実施された参議院選挙の結果を見ても、それと前後して行われた幾つかの世論調査の結果を見ても、現在日本人の多くが日本を変えたいと願っていることは明白である。
 だからこそ、「日本を変えるシナリオ」は今ここでしっかり確認しておかねばならない。
 蓋し、これから日本を変えていくためには不可欠な前提が二つある。
 一つは、人間が人間としての誇りと自信を取り戻すことである。換言すれば、人間が本来の明るさを取り戻すことである。そのためには、一人一人の人間が自らの存在や力を実感できる場を一つでも多く積み上げていくことが大切である。
 そして、その際前章で述べたようなおぞましい「科学主義」を超克することが肝要であり、少なくとも人間の愛・情熱・志・意志といった「心」に関わるものを妙に冷ややかに眺め、自らが属している集団や自らが営んでいる行為に対して他人事のような論説を加える思想は徹底的に糺さねばならない。
 何故ならば、そのような思想はしばしば主体的に問題を解決しようとする人間の情熱に水を浴びせ掛け、無責任で利己的な人間の弁解を正当化するものであるからである。
 今一つは、求めるべき理想をはっきりさせることである。たとえ時間がかかり多大の労力を要することであっても、多くの人間が信念を持って目指し得る目標を明確にした上で、力を合わせ粘り強い努力を続けることが肝要である。
 しかるに最近、「価値観の多様性」という概念が都合良く用いられ必要な議論までが有耶無郡にされているように見受けられるが、これは明らかに逃げである。
 このような理想の追求を最初から放棄しているような態度からは真剣な思考も情熱に満ちた実践も生まれようがない。そのような態度から生まれるもめは、せいぜい悪しき現状をもっともらしい理屈で追認する現実主義や重要な基本方針を平気でコロゴロ変更するような御都合主義である。
 これらの二つの前提が満たされたとき、人間は自らが良いと信じたことを実現すべく心から一生懸命になることができるものである。そして、そうなった時はじめて優れた制度がその真価を発揮するようになり、地方行政に関わることに限らず全ての社会的な「計画」が好ましい結果を残し続けることになる。
 ところで、3年ばかり前に『脳内革命』[春山茂雄・著、サンマーク出版]という本が公称500万部とも言われるような驚異的な売れ方をした。単行本が20万部も売れればベストセラーと言われる昨今、何故そのような信じられない売れ方をしたのであろうか。
 これは、人間が良いことを念じて生活することが実は健康の秘訣であることを医学的に証明しようという意図が圧倒的多数の人々に支持された結果と見るべきではあるまいか。
 蓋し、一人一人の人間の良いことをしているという意識は、「喜び」・「情熱」・「やる気」・「生き甲斐」・「連帯感」といった現代社会に欠けがちなものを連鎖的に産み出すものである。
 このような意味において、「良いと信じることを実行する」ことの重要さに関わる主張は、日本を変えるシナリオの中枢をなすものであり、しかも現代の日本の社会においては、それが極めて受け入れられ易い状況にあるものと思われる。

  3.日本の都市の構図
 日本の都市について考える場合、先ず問題にすべきは東京であろうという意見があることはよく承知している。確かに都市計画的に見た場合の巨大都市・東京には、インフラストラクチャーの整備や更新の問題、公害や居住環境の問題、治安や防災態勢の問題、首都機能の移転の問題などの他、車の問題、水の問題、廃棄物の問題などの「都市問題が文字通り山積しており、それらの解決には十分なエネルギーが投入されなければならない。
 しかしながら、それらの問題の大半は既に東京都という一行政体のレベルで容易に解決し得る問題ではなくなっている。特に首都機能の移転については1988年に基本方針が閣議決定されているが、具体的な方策としては適地の問題を含め「遷都」・「分都」・「展都」等色々な考え方があり、対象を国会の移転に限ってみても早々に実現するとは考え難い。
 従って、日本の早期変革という観点で都市を眺めた場合、現時点での現実的な視点としては、寧ろ地方都市を徒にミニ東京化させることなく「地方都市の好ましい変革実績を日本の変革の柱と考える」ことが最も有力であると思われる。
 そこで日本の地方都市についてであるが、かなりの規模で計画的に発足し他との抗争をも意識しながら独立国家的に発展したヨーロッパの歴史的な諸都市などとは根底的に成立基盤が異なることに注意しなければならない。
 すなわち、日本においでは、先ず人が集まり「むら」から「まち」へという規模的な拡大と密度的な変遷があり、その後に軍事的・経済的・宗教的・交通的,行政的・産業的などの要因によって個々の「都市」が形成されてきたということである。
 従って、日本の地方都市の主なものは大半が、例えば城下町・宿場町・港町・門前町などから自然発生的かつ連続的に形成されてきており、特に県庁所在地となっている地方都市も周辺の農地を含めた城下町を基盤とするものか多い。
 このような点からも、日本の地方都市においては、当然のことながらヨーロッパの都市とは市民意識や自治意識の上で大きな相違があるということが明らかである。
 この間の事情は、例えば「まち」(town)[町・街・区・坊]という市街を示す和語や「みゃこ」(capital)[宮処・都]という首都を示す和語はあっても(city)[都市]や(citizen)[市民]に対応する和語が存在しないことからも容易に理解することができる。
 一方、明治以降の日本の市町村数の変遷過程を辿ってみると、1833年(明治16年)には、「市」が19、「町」が.12,194、「村」が59,284あった。その後、1889年(明治22年)に市制が施行され、今から丁度100年前の1898年(明治31年)には「市」が48、「町」が1,173、「村」が13,068、太平洋戦争敗戦直後の1945年(昭和20年)10月には「市」が205、「町」が1,797、「村」が8,518、1996年(平成8年)4月の時点で「市」が666、「町」が1,990、「村」が576となっている。ここで言う「市」とは地方自治法第8条で、例えば「人口5万人以上(1954年以前は3万人)、中心市街地を形成している区域内の戸数が全戸数の6割以上、商工業その他の都市的業態に従事する者およびその者と同一世帯に属する者の数が全人口の6割以上」などと規定されている行政単位であるが、現実的には流出等による人口の減少もあって、上記666の「市」のうち約3分の1に当たる226市が人口5万人未満の規模である。
 また、国勢調査では「人口集中地区」(DID、Densely Inhabited District)という現実的に都市らしいイメージを持った市街地を規定しており、「人口密度4,000人/㎢以上の調査区が、互いに隣接して、5,000人以上の人口になる地区」定義されている。
 ちなみに、西暦2000年の日本は、総人口135,000,000人のうち「市」には80%以上、「人口集中地区」には95%以上の人間が居住するものと予想されている。

  4.地方都市には愛がある
 現在の日本においては「もし首尾良く日本の地方都市が各地で好ましい変貌を遂げることになったとしても、それで日本が大きく変わるはずもない」という悲観的な見方が支配的であるように思われる。確かに、地方都市が変わっても東京という巨大都市は多くの問題を抱えたまま厳然としてあり続けるし、日本の産業構造や経済体質が一変する訳ではない。また、ここ数年の政治状況を見ているとそう言いたくなる気持はよく分かる。
 しかし、それでも「地方都市が変われば日本が変わる」と断言し得る大きな理由がある。
 それは、地方都市においては住民の「その土地に対する愛情」が随所で十分に感じられるということである。例えば、その土地の言葉に対する愛着、山や川に対する親しみ、食べ物や住まい方へのこだわり、郷士芸能を保存し継承しようとする熱意、歴史や伝統を生かした特産品の工夫、祭りに惜しみなくかける手間や費用、そこに暮らし続けようという意思、助け合いいたわり合う習慣、あるいは、東京に対する対抗意識、地元出身者に対する応援、地域社会への寄付や奉仕・・・・・・といったものは大なり小なり地方都市で一般的に見受けられるものである。
 これらのものの根底には全て「理屈を超えた愛情」があり、浅薄な算盤勘定や皮相的な数量解析などでは計り知れない大きな価値が秘められているのである。
このような了解の仕方は、「科学的」に人間を見ようとしている人にはでき難いことかもしれない。
 しかし、そういう人は、例えば1997年に出版された『町並みまちづくり物語』[西村幸夫・著、古今書院]という本を読んでみるとよい。この本は都市計画の専門書に近い内容を持ちながら統計資料や数式は全く用いていない。また、制度に関わる実務的な解説や手法の紹介を意図したと思われる記述も殆どない。ただ北海道の小樽市に始まり沖縄県の嘉手納町に至る全国17の市や町のまちづくりの経緯を人間中心に記しただけの本である。
 しかし、この本の一ページ一ページからは「自分の住む町を愛し自分の住む町のために情熱を傾ける人」・「その人に心を動かされ支持し協力する人」そして「そのような人たちに敬意を払いながら暖かい眼差しを向け続ける筆者」の素晴らしい人間性が伝わってくる。
 そして、まちづくりに最も重要なものが何かということをはっきり教えてくれている。
 一方、一体何時からそういうことになったのかよく分からぬが、現在の日本においては「国を愛する」という言葉を口にすることがタブーであるような雰囲気すらある。
 しかも、そのような風潮は「都市を愛する」・「町を愛する」・「故郷を愛する」といった行政や都市計画の原点ともいうべき心情を著しく軽視する姿勢に繋がっている。そして、国を愛せない、都市を愛せない、町を愛せない、隣人を愛せない、家族を愛せない、人間を愛せない、といった悪しき連鎖が日本を覆い、ここかしこで冷ややかなよそ者意識や他人事意識が人も街も荒廃させつつあるように見受けられる。
 しかし、人間の本性を振り返って見た場合、愛しているからこそ大切にする、愛しているからこそ綺麗にしたい、愛しているからこそ支える、愛しているからこそ守ろうとする、といった心情は、対象が人間であっても都市であっても大きな差はないのではあるまいか。
 すなわち、良いことをしようとする動機を考えた場合、行為の対象に対する愛情は極めて重要な前提であると言えよう。
 また、昨今の日本においては、この町が好きだ、この町を大切にしたい、この町に住み続けたい、この町で死にたい、といった「自分が住んでいる町に対する肯定的意思」が住民の意識調査などにおいて結果的状況の評価基準として扱われることが多いように思われる。
 しかし、そういったものは、イギリスなどで自らが住む町を愛する気持ちを「タウン・プライド」(town pride)という概念で表現し、行政や都市計画上の判断・決定・立案・実践などの根拠としているように、本来は好ましい行為の根拠となるべきものであろう。
 このように考えでくると、東京のような大都市に多くの問題があるのは、実は大都市になればなる程都市が見え難くなり愛し難くなるからではないかということに思い当たる。
 そして、例えば、大都市においては私有地の土地利用で利己的な経済性のみが重視され、不毛で際限のない連続的な市街地域の拡大に歯止めのかからない理由がはっきり見えてくるように思われるのである。
 しかしながら、逆に、地方都市には住民の「地域愛」とでも言うべき心情かあってそれが現実的な実践活動の動機や情熱に結び付く可能性が非常に高いのである。
 すなわち、現在の日本においては地方都市だからこそできると期待されることが数多くあり、地方都市での実践活動が人間の素晴らしさを示してくれると思われるのである。

  5.地方都市だからできること
 前節で述べたように、現在の日本においては、東京のような大都市では期待し難く地方都市だからこそできると期待されることが多々ある。
 それらの多くはこと新しいものでも何でもないが、ここで丁寧に確認しておきたい。
 第一に、地方都市においては人間が人間らしさを取り戻し易い。緑や水の豊かな生活環境や暖かい人情の残ったコミュニティは、どのような行政や都市計画をするにせよ大都市などでは得難い前提条件である。確かに、地方の暮らしは刺激が少なくて詰まらないという声や近隣との人間関係が煩わしいという声も耳にするが、改めて健全で健康な生活の重要性を考えてみれば、それらの声は寧ろ贅沢な悩みに近いということが分かる。
 第二に、地方都市においては固有の自然条件や先人の知恵を生かし易い。一般に「その土地らしさ」というものは自然界の理解や数多くの経験によって形成された必然性の総称と言えようが、地方都市においてはそれが歴史性としても風土性としても見え易い形で残っていることが多い。従って、地方都市ではそれを生かした固有で効率的で魅力的な計画が立案し易く、しかもそのような計画は住民に支持され実現もされ易いということになる。
 第三に、地方都市においてはハワ一ドの「田園都市」の発想を取り込んだ将来計画が現実的に可能である。何故ならば、地方都市やその近辺には大都市と比べるとはるかに大規模な土地所有者が多く、しかもその人達の大半は古くから長くそこに暮らしていて、土地を金のために縁もゆかりもない人間に切り売りするようなことを望んでいないからである。
 また、地方における広域行政の流れも「田園都市」的な都市群の実現には好都合である。
 第四に、地方都市においては社会を健全に維持すべきコミュニティが十分成立し得る。先にも述べたように、生活圏としての都市が大きくなり過ぎるとコミュニティにおける社会的制裁が実質的な意味を持たなくなるため、大都市は悪い人間にとって居心地のよいところになり易い。しかし、現時点で地方都市の9割以上が人口30万人以下、7割弱が人口10万人以下、3割強が5万人以下であることに鑑みれば、大多数の地方都市においてはそのような意味における適正規模をずっと保っていけるものと考えられる。
 第五に、地方都市においては集中的かつ効率的な行政が可能である。何故ならば、地方都市というのは、大都市と比べるとはるかに実態がはっきりしている行政体であり、首長の意志が実現し易い行政体であり、制度と現実が乖離していない行政体であるからである。
 従って、地方都市の行政は単に無駄や無理を少なくできるばかりでなく、担当者が対象となる住民の顔や声を思い浮かべながら実施するという点で優れて人間的であると言える。
 第六に、地方都市においては本来住民の間での政策的な合意が得易い。何故ならば、多くの場合極端に異なる考えが多数乱立するということにはなり難いし、長くしこりを残すような対立はできる限り避けたいという意識が働くからである。従って、地方都市においては、首長に対する絶対的な信頼感があれば色々な計画が速やかに決定されることになり、好ましい状況が短期間に実現される可能性が高いと言うことができる。
 このように、地方都市においては人間性を基盤に置いた変革が十分可能であり、数多くの夢やロマンがあり得る。すなわち現代のルネッサンスは地方都市において可能である。
 このような「地方都市のルネッサンス」が各地で起きる時、一人一人の人間の心に少しずつ人間としての自信と誇りが甦り、真面目で継続的な努力の尊さが実感され、喜ばしい成果を皆で分かち合えるようになるであろう。そして、必ず日本は変わる。


終 章  誰が先頭に立つか

 地方分権の流れは今後ますます強くなるであろうという意味においても、東京のような大都市においては行政や都市計画の優れた提案が実現し難い状況にあるという意味においても、これからは地方都市の時代であると言えよう。
 また、先に述べたように、14世紀のイタリアで「ルネッサンス」の運動が起こりそれがやがてヨーロッパ各地に開花する「人間性を肯定した文化」の芽となったが、現在の日本においてもこれと同じような国民的運動が求められているのではあるまいか。
 前章でそれを「地方都市のルネッサンス」と呼び、日本が変わる第一歩であるとの認識を示したが、実は、最も大切な点が抜け落ちている。
 それは、一体誰がそのような運動の先頭に立つかということである。
 これまで行財政改革などについても「優れた案」というものは数多く発表されているが、「誰がそれを命懸けで実行に移すか」ということが示されていないため、結局何も実現しないということになってしまう。
 すなわち、先頭に立って引っ張っていく人間のはっきりしないプランは、エンジンの無いスポーツカーのようなものであり、どのように見事で優れた内容であっても、それを命懸けで実現しようとする人間がいなければ現実的には何の意味もないということである。
 また、豊富な資料・立派な見解・非の打ち所のない分析といったものでできた何百枚もの計画書を見せられても共感できないことはしばしばある。
 やはり最後は「人」である。この人となら一緒に死んでもいいと思えるような人の提案であれば、本来、理屈や根拠は何も要らない。白紙の計画書であっても信じることができる。
 それでは、現在の日本において一体誰がそのような役回りをすべきであろうか。
私は、それは「地方都市の市長」であると思う。
 その理由は、先ず、平成8年現在全国には大都市の市長も含め666人の市長がいるが、人口が30,000人を超える町村が113もあることを考えれば、実質的な地方都市の市長は750人前後いると考えられるという事実である。
 この750人という人数は、ほぼ衆議院議員と参議院議員を合わせた数に匹敵する。
すなわち、国政に直接関与している人間とほぼ同数の人間が全国各地で地方行政の要を務めているのである。
 これらの市長の中には、確かに旧態依然とした体質で保身に汲々とし到底選挙民の負託に答えているとは思えない市長や、市政を私物化して恥も外聞もなく私利私欲のために狂奔しているような市長もいるかもしれない。
 しかし、そのような「いずれ恥ずかしくて日本の国に生きてはいられなくなるような人間」を引き合いに出して悲観的に未来を語ることはもうやめにしよう。
 私の知る限りでは、国政についても一家言を持つ論客として知られる市長、ユニークなアイデアの実現に挑戦し続ける市長、活力の低下した都市を建て直そうとして懸命に奮闘している市長、存在感の薄れた都市のシンボルを市民とともに求めている市長、等々タイプはいろいろであって文字通り多士済済であるが、皆健康が危ぶまれるような働きぶりである。
 また、それぞれの市長の経歴や持ち味を見ると、寧ろ人間としての魅力はエリート揃いで妙に画一化した国会議員をはるかに上回るものがある。
 しかも、このところ多くの地方都市で40代・50代の若い市長が誕生しているが、市長職を県議・県知事や国会議員へのステップなどと考えず、最初から自分の生まれ育った故郷のための捨て石になろうという覚悟で市長になる人が少なくないように思われる。
 このような「地方都市の未来のために本気で命と人生をかける市長」が、地域に安住することなくお互いに切磋琢磨し合って理想を求めれば、必ずや多くの地方都市において、市長の志と心意気が地域を活き活きしたものにし、「地方都市のルネヅサンス」を実現していくことであろう。そして、そのような市長のネットワークが確実に地方から日本を変えていくことであろう。
 最後に、今日も全国各地で奮闘している地方都市の市長に対して心からなるエールを贈り、拙い論考を終えることにしたい。

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