市民憲章と和語


(はじめに)
 日本の市民憲章は、大半のものが「前文」と「本文」によって構成されており、「本文」は「和語」(大和言葉、原日本語、固有日本語、pure Japanese)を多用した日本語で極めて簡潔に(多くのものは五箇条の箇条書きで)表現されているが、和語が多用されているのは「心からなる祈りや願いは和語によって述べられる」という古来からの伝統を受け継いでいることによるものと考えられる。
 また、大多数の「前文」にはそれぞれの都市を取り巻く自然環境に関する記述があるが、ここでも「やま」・「かわ」・「の」・「うみ」などの和語が重要な役割を担っている。
 従って、日本の市民憲章の特徴を知る上において、いくつかの観点から「和語の意義」を確認することは極めて重要な意味を持っている。
 本考察は、市民憲章は日本人の国民性を示す象徴的な存在であり、「日本らしさ」を振り返る際の貴重なテキストであるという基本的な認識に基づき、「和語」に関する前提的了解事項を示さんとするものである。


1.日本人の原点
[日本人の原風景]
 近年、日本の古代史に関して旧来の常識を覆すような考古学上の発見が相次ぎ、定説が激しく揺れているようであるが、日本列島に少なくとも五千年以上前にかなり高度の文明を持った古代人が生活していたことだけは事実であると見てよかろう。
 この人達の生活や精神を明らかにしようとする際、重要な手掛かりになるもの一つは当時の遺跡や遺物であるが、今一つ忘れてならないものは古語(上代の日本語以外に縄文語・アイヌ語・琉球語・古代朝鮮語なども含む)や神話である。
 特に、文献資料によって遡り得る限界を超えた時代の様子については、当時から現在に至る連続性があるという点において、「和語」はそれ自体が貴重な検証資料である
 そこで、『日本国語大辞典』(小学館)の記述を踏まえ、和語を手掛かりに「日本人の原風景」とも言うべき古代人の宇宙を再現してみると、例えば以下のようになる。
 古代人にとって「あま」・「あめ」(天)とは、「ひろびろとした大空」であり「日・月・星などが運行し、神々のいるところ」であった。また、仰ぎ見る対象でもあり、雨が落ちてくる元の場所でもある。
 この「あめ」に対するものが「つち」(土・地)であるが、「つち」は、単に陸地や大地を指すのではなく、「人間のいるところ」である。
そして、この「つち」の続きで、高く「あま」に近いところが「やま」(山)であり、深く水を湛えているところが「うみ」(海)であるが、どちらも、神の住む神聖な地域で、しばしば信仰の対象となった。実際、「海」もまた「あま」と呼ばれることがあったと思われ、その痕跡が「大海人皇子」という人名や「愛知県海部郡」という地名に残っている。
 これに対して、「やま」と「うみ」の間の「つち」は、人間が住むところであるが故に、更に細かく区別されていた。
 すなわち、「やま」に近くやや小高いところが「おか」(陸・岡・丘)であり、「うみ」に近く「あま」(海)の端ともいうべきところが「はま」(浜)である。
そして、「おか」から「はま」に至る広々した平地が「の」(野)・「はら」(原)であり、ここを縫って「やま」から「うみ」へ「かわ」(川・河)が流れている。
 また、「の」・「はら」には人間が集まって住む「さと」(里・郷)ができ、それが「むら」(村・邑・邨)となり「まち」(町・街)となっていった。
 我々日本人は、極めて重要であるという意識でものごとを述べる際、自らの存在を含め対象となるものを取り巻く自然環境から説き起こすことが少なくない。
 これは、「あめ」・「つち」・「やま」・「うみ」・「かわ」・「おか」・「はま」・「の」・「はら」・「さと」・「むら」・「まち」・・・・といった和語によって形成される原風景を意識の深層に描いて様々な出来事を重ねてきたことによるものと推測される。

[古代人の生活や精神]
 少なくとも五千年以上の歴史を持つ古代人の生活や精神については興味深い点が多々あるが、従来あまり重大視されなかったことで極めて重要な事実がある。
 それは、日本の古代人は少なくとも文字と呼び得る体系的記号を持たず、記録や伝達は専ら個々人の口伝によっていたということである。
 周知の如く、日本人が初めて自ら使用することのできる文字(漢字・真仮名)を得た時期は、単なる渡来を別にすれば6世紀の仏教伝来以降と考えられ、しかも、特権的な知識層であった僧や貴族以外の日本人が文字に馴染んだ時期ということになると、恐らく12世紀以降であろうと推察される。
 従って、実に四千年以上もの長い間日本の社会は無文字社会であった訳である。
 このような事実は、日本人の生活や精神と和語の深く長い関係故に、現代においても次の3つの事柄が大きな説得力を持っていることを意味する。
 第一は、和語は話し言葉として洗練されてきたということである。
 従って、和語は本来声に出されることによってその生命が保証されることになる。
 第二は、日本人の意思伝達は顔を合わせて話すのが原則であるということである。
 このことは「あう」(合う)という言葉を接尾語的に用いた複合動詞が極めて多いこととも関係が深いと考えられる。
 第三は、日本人は個々人が聞いて覚えたことを文化形成の基盤に据えてきたということである。
 これは直接間接の別を問わず個人の体験内容が言葉によって伝承されることを意味している。
これらの事柄は、何れも現代における我々の生活や精神を根本的に見直す際の確かな基盤であると考えられる。
 一方、言葉の前提となるべき生活自体についても、日本人の古来からの習慣や体質といったものを改めて振り返ってみる必要がある。
 確かに、明治以降僅か百数十年ばかりの間に日本の社会は激変し、日本人の生活も一変したが、逆に、装いが変わったからといって日本人の本質が大きく変わった訳ではないという認識も重要である。
 例えば、上下足の履き替え、箸の使用、押入の重視、畳・布団・襖・暖簾・刺身・米飯・風呂といったものの愛好、等々、外国人から明らかに日本的と見られている事実が現在でも多々ある。
 また、「祭り」や「天皇制」の起源や歴史は、日本が何千年にもわたって稲作を中心とした農業国家であったという事実と無関係に論ずることはできない。
 このような事情は、21世紀に日本が採るべき進路を考える際も、日本人が真に拠って立つべき哲学を求める際も、「日本の文化的DNA」を確認するという意味において、古代の日本人の生活や精神に思いを巡らせることが重要であることを示唆していると考えられる。

[言霊と祝詞]
 日本に限らずどの国にあっても、原始的生活の中では、宗教・倫理・規範・禁忌といったものが渾然一体となって人々の生活を規定していたであろうことは容易に想像し得ることであるが、そのような事柄に関する和語の中で特に重要であると思われるものは「ことだま」(言霊)と「のりと」(祝詞)である。
 まず「ことだま」についてであるが、上代以前の日本語では「こと(言)」と「こと(事)」の意味が未分化であったと言われている。
 すなわち、古代の日本人にとっては、言葉として発せられることはその人の意思でありそのまま行為として実現されるのが当たり前であったのである。
 そして、そのような意味の「こと」から「ことば(言葉)」・「ことわり(理)」・「まこと(真・信・実・誠)」・「しごと(仕事)」・「みこと(命)」などの重要な言葉が派生したと考えられている。
 これと同様に「たま(霊)」と「たま(玉)」の意味も未分化であった。
 すなわち、古代の日本人にとっては、肉体や日常品の存在性を超えた美しく崇高なものが「たま」であった。
 「たましい(魂)」・「あたま(頭)」・「こだま(木霊・谺)」などの言葉は「たま」から派生した可能性が高い。
「ことだま」は、このような由来を持つ「こと」と「たま」が合わさってできた言葉であり、古代人が言葉にある種の霊力があると信じていたという事実の証である。
 一方、「のりと」の「のり」は、神の意思を人間に伝えるという意味の動詞「のる」(宣る)の変化したもので、日本人の法規概念の根本をなすものである。
 「いのり」(祈り)は、命の源を示す接頭語「い」と共に人間の最も崇高な行為を表す言葉になったものであり、「みことのり」(詔)の主旨は、国家の重要事について天皇が国民に神仏の意思を伝えるという点にあったと考えられる。
 これらの言葉からも推察される通り、少なくとも「のりと」という言葉には日本人が「神に向かい心を込めて直向きに言葉を発する」という意味が含まれており、人々が神に願いや誓いを奏上する際、神事に携わる者が代理としてそれを申し述べるという伝統的事実の証でもある。
このように、「ことだま」と「のりと」は、何れも言葉が人間の力を超えたものと結びついた重いものであるという基本認識を含む言葉であり、古代人の言葉に対する認識を明確に示すものである。
 すなわち、文字を持たなかった古代の日本人にとって、言葉は単なる表現や伝達の道具ではなく、自らの存在を賭けて発するものであったと考えられる。


2.和語の意義
[日本語の語彙]
 日本人が文字を持たなかった時代に、社会的に重要な事柄は「かたりべ」(語部)を代表とする一部の人間の特別な記憶能力に頼った口伝によって継承されていた。
 語部は、歴史や物語の伝承を職務とする「部」(特殊技能者)であったと推定されており、古詞を奏する部としての正式の召集記録が10世紀初頭の延喜式にも記されている。
 しかし、ここで2つの重要なことを確認しておかねばならない。
 すなわち、一つは、そのような時代以前から既に「和語」と呼ばれる相当数の日本語が成立していたということであり、今一つは、同音異義語の多い漢語は口伝によって正しく継承することが原理的に難しいということである。
 従って、古代から上代にかけての日本においては、漢語がかなり用いられるようになった時期にあっても、和語が極めて重い役割を果たしていたことが容易に理解できる。
 和語による古い記録や文物として代表的なものは「祝詞」・「万葉集」・「古事記」・「風土記」などであり、いずれも古代の日本語を研究する際の第一級の文献資料である。
 これらの文献資料には漢字が表音文字として用いられているが、それらの制作に関わり得た一部の特権的な知識層を除く大多数の国民が、殆ど和語による話し言葉のみに縋って生活していたことは言うまでもない。
 この後、仏教の発展や中国との交流に伴って漢語が大量に日本語の語彙として取り入れ続けられることになるが、公式の記録や宗教的論述に漢文が用いられる反面、日本人の心情を表現する伝統的な形態としての「和歌」は、性別・身分・職業等に関係なく、現在に至るまで長らくの間一貫して和語によって詠まれてきたことを忘れてはならない。
 その後、16世紀以降ポルトガル人・スペイン人・オランダ人を始めとする外国人が多少の外国語をもたらしたが、現代の日本語の語彙を形成している外来語の大半は、19世紀の明治維新以降入ってきた英語・独語・仏語であり、特に、太平洋戦争の敗戦後にアメリカを中心とする欧米から急速に流入したものである。
 このような歴史を経た結果、現代の日本語の語彙においては、和語・漢語の他に外来語・混種語・翻訳語などもかなりの割合を占めるに至っている。

[日本語の用いられ方]
 国語学においては、日本語の語彙の出自別分類を「語種」といい、「和語」「漢語」(字音語)・「外来語」(洋語)、これらのものが混合してできた語「混種語」に分類している。
 和語と漢語の混種語には、所謂「重箱読み」のものと「湯桶読み」のものがあり、それらの事例は、既に『源氏物語』の語彙の中に両方とも出現している。
 なお、漢字の字音については、仏教関係の語に多く用いられ古く日本に入った南方系の「呉音」、平安時代の始めごろまでに遣唐使や留学僧によって伝えられた北方系の「漢音」、江戸時代およびそれ以前から伝えられた宋や明などの発音による「唐宋音」、例外的に日本独自の読み方をする「国音」(慣用音)などがあるが、数からは圧倒的に「漢音」が多い。
 さて、これらの和語・漢語・外来語は、日本語としての成立過程の違いもあって、現在に至るまで用いられ方には幾つかの明確な相違がある。
 例えば、何千年にもわたる無文字の時代に専ら和語を用いていたため、「漢語は書き言葉として用い、和語は話し言葉として用いる」という意識には根深いものがある。
 また、多くの漢語の実質的成立期に当たる奈良時代・平安時代においては、知識階級の男性が漢文による記録を正式なものとしていたため、「漢語は知識階級が用い、和語は庶民が用いる」・「漢語は男性が用い、和語は女性が用いる」・「漢語は公的な文書に用い、和語は詩的な文書に用いる」・「漢語は理知的な状況で用い、和語は情緒的な状況で用いる」・「漢語は建前に用い、和語は本音に用いる」といった通念的傾向がその後の社会においても広く定着してきたものと考えられる。
また、外来語は、16〜17世紀のポルトガル語・オランダ語等についても19世紀以降の英語・ドイツ語・フランス語等についても、先進文明国の文物を積極的に摂取するという国家的風潮の中で日本語化したため、「新しいものや珍しいものに外来語を用いる」・「技術や性能の優秀さを誇示するために外来語を用いる」・「実体の定かでないものの箔付けに外来語を用いる」といった用いられ方をしているように思われる。
 このような事情は、現代においてもそれぞれの言葉が用いられる分野の差となって明確に現実化していると考えられ、例えば、法律用語・行政用語・学術論文・公式文書などには漢語が多く用いられ、歌や小説などには主として和語が用いられており、日本語として未消化な概念や商業宣伝には外来語が多く用いられている。
 これらの「語種による日本語の使われ方の違い」について注意すべきことが2つある。
 一つは、確かに漢語と外来語は特権的な知識層によって日本語化されたという側面を持っているが、それは、和語の持つ言葉としての確かさや豊かさを否定したり軽視したりする根拠になることではないということである。
 今一つは、和語は同音語に意味的な関連のあることが多いのに対して、漢語と外来語には同音語に意味的な関連が殆ど無いため、耳から情報が入る場合、和語は安心して聞くことができるのに対して、漢語や外来語にはある種の苛立ちが伴うということである。
 これらは、これまで、国語学の分野では話題にされることが少なかったことであるが、何れも21世紀の日本人が「日本らしさ」を再認識する上において重要な事実であると思われる。

[日本語らしい言葉]
 現代の日本語は、使用頻度こそかなり異なるものの、既に和語・漢語・外来語という3つの語種が当然のように併用されているため、「日本語らしい言葉」の定義は難しいが、その要素は「和語」の特徴としていくつか指摘されている。
 例えば、「撥音を含む語が少ない」・「濁音から始まる語が殆ど無い」・「二音節語の用例が非常に多い」などであり、確かに我々はそれらに反する語を漢語もしくは外来語と予想して理解しようとすることが少なくない。
 ここでは、「日本語らしい言葉」について、日本語の品詞および日本語の造語システムという2つの観点で重要な事柄を確認しておきたい。
 まず、日本語の品詞であるが、初等の国文法においては名詞・代名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞・連体詞・接続詞・感動詞・助動詞・助詞の十一品詞に分類している。
 これらのうち助動詞・助詞(付属語)を除く九品詞が自立語と呼ばれ一語で独立した意味空間を持つとされているが、接続詞・感動詞は語彙も使用頻度も極めて少ないので、常識的には名詞(代名詞を含む)・動詞・形容詞・形容動詞・副詞・連体詞の6品詞によって日本語の意味の大半が形成されていると言って良い。
 ここで最も注目すべき品詞は、形容詞である。
 形容詞は、一般に、「相互的な属性の一方の項」・「位置・方向関係の一方の項」・「比較の基準」・「適不適のよりどころ」・「対人的な態度」・「ものごとに対する態度」・「対人的な感情」・「能力の発揮される対象」・「材料」・「心がむかっていく対象」などを表すとされる。
 また、その働きによって「感情形容詞」(主観的な感覚・感情の表現をなすもの)と「属性形容詞」(客観的な性質・状態の表現をなすもの)に大別され、特に、古語においては、ク活用の形容詞は状態的な属性概念を表し、シク活用の形容詞は心的・情意的な意味を表していたことが知られている。
 何れにせよ、重要なことは、形容詞という品詞は、殆ど例外なく和語のみによって構成されているという事実である。
 このような意味において、形容詞は最も日本語らしい品詞であると言えよう。
次に、日本語の造語システムであるが、日本語が語彙を増やしてきた過程を振り返ると、和語に漢語を加え更に外来語を加えるという本流的な過程とは別に、2つの重要な過程があることが分かる。
 一つは、漢語を材料とした造語で、「愛する」・「発展する」・「成功する」などの「漢語系サ変動詞」と「変だ」・「豊富だ」・「殺風景だ」などの「漢語系形容動詞」である。  この造語のシステムは外来語にも適用され、「プレーする」・「チャレンジする」などといったサ変動詞や「クールだ」・「ドラマチックだ」などといった形容動詞は現在も生まれつつある。  今一つは、「哲学」・「経済」・「建築」・「土木」・「合理性」・「具体的」などの「漢語的翻訳語」や「ナイター」・「ゴールイン」などの「和製英語」である。  後者については、外国語の知識が平均的に上昇するにつれて頭打ちの観があるが、前者については、翻訳書の増加に伴い日本語として定着するかどうか疑わしいものまで含めると夥しい数になる。 このように見てくると、日本語の造語力を支えているものは、今後も主として漢語であり、漢語的な動詞・形容動詞・名詞が増加しつつあることが容易に了解される。
 しかしながら、そのような言葉を日本語らしいとは認め難い。
 一方、方言の大半が和語であることや古い地名の多くが和語であることは、学問的にも実生活の上においても重要な事実である。
 このような意味において、方言や古い地名も日本語らしい言葉であると言えよう。
 特に、最近は方言の用いられることが全国的に減少しているが、我々は方言で話すときは安心して本音で話すことが多く、逆に、方言で話されている言葉を聞くとそれが本音で話されているように感じることが多い。
 これは、「日本語らしい言葉」の特質として確認すべきことであろう。

[市民の言葉]
 これまでに述べてきたことからも分かる通り、「和語」は日本人にとっては、いくつかの点で特別な言葉である。
 第一に、和語は日本の固有の風土の中で日本人が作り上げ伝えてきた言葉である。
 従って、日本人にとって和語は、「精神のふるさと」とも言うべき言葉であり、日本人のものの考え方や感じ方を最もよく表している言葉であると言えよう。
 このような事情は、何時の時代であっても、日本人がものごとの本質を深く考えたり、豊かな心の内容を表したりする場合は、和語が最も重要な役割を果たすことを意味する。
第二に、和語は漢語や外来語と比べると比較にならぬ程長い歴史を持った言葉である。
 大まかに見て、和語の歴史は五千年以上、漢語の歴史は千数百年、英語・仏語・独語等の外来語の歴史はたかだか百年程度である。
 このような歴史の大きな違いは、それぞれの言葉の持つ意味空間の検証期間に大きな差があることを意味する。
 また、和語は多くの同音語に意味的な繋がりがあるため、本質的な意味空間が大多数の日本人の深層意識に担保されていると考えられる。
 従って、日本人にとって和語は、最も抵抗なく「安定した確かな意味」を提供してくれる言葉であり、多くの日本人がお互いに共通のイメージや共感を持ち易い言葉である。
第三に、和語は日本人が何千年もの間「話し言葉」として用いてきた言葉である。
 特に、知識の伝達や経験の伝承が和語によってのみなされた期間が長いという事実は極めて重要である。
 何故ならば、非常に長い間、一部の特別な立場にある日本人は別として、一般的な日本人の生活や経験に属する膨大な智恵の大半が「話し言葉」によって検証され蓄積されてきたことを意味するからである。
 従って、日本人にとって和語は、最も多くの人間に親しまれ支持されてきた「市民の言葉」であると言えよう。
これらの3つの点は、何れも日本人が自らの文化を見詰めかつ創り上げていく際に思い起こすべきものばかりであるが、特に、和語が「市民の言葉」であるということは、市民憲章やまちづくりに目を向ける場合の重要な視点である。
 何故ならば、かつて漢語が貴族や僧侶といった少数の特権的な知識層の言葉であり、現代においても時として外来語が一部の官僚や学者の言葉であったりするのに対し、何時の時代も和語は圧倒的多数を占める大衆の言葉であり続けてきたからである。
 和語は、誠実に生活し社会を支え続けている市民の言葉である。

[和語のはたらき]
 国語学者・玉村文郎は『日本語教育指導参考書』の中で「和語は日本語の語彙の基層を成す重要な語種である。日本人にとっては、古くから受け継いできた基本的な語彙であって、生まれ落ちてから絶えず使いつづける生活・生存のための語彙の大半が和語である。教養・訓練の深浅に関わりなく、すべての日本人が耳で聞いてすぐわかり、肌で意味の感じ取れる語種である。日本語を母語とするすべての人の汗・垢・感情がもっとも色濃く付いているのも和語である。和語は、日常もっとも広範囲にわたって回数多く使われる語種である。」と述べている。
また、柳田国男や谷川健一の優れた研究でよく知られているように、和語は歴史的に遠く遡り得る学術情報としてもかけがいのない価値があり、古い地名に注目した歴史地理学的研究や方言を媒介とした文化圏の歴史的研究がなされている。
これらのことからも容易に分かるように、和語は日本人にとって最も重要な語種であるが、従来そのことの指摘されることが非常に少なかったと思われるので、ここで和語の重要な「はたらき」を2つ確認しておきたい。
 一つは、和語は日本人に豊かでしかも安定した概念やイメージを喚起させるということである。
 すなわち、和語には、イメージを喚起する力がある。
 何故ならば、和語は、何千年にもわたる日本の社会においても個々人の人生においても長い歴史を持ち、その間に膨大な意味内容が逐次蓄積されるため、一つ一つの和語が詳細な吟味に耐える「それぞれの鮮やかな物語」を持っているからである。
この「和語の持つイメージ喚起力」は、文芸や文学に限らず、音楽や美術などの分野においても、日本人独自の芸術性と和語は深い関係にあることを意味する。
 また、我々は和語から「和語で説明される情景」を連鎖的に思い浮かべることが多く、そのようなイメージの流れの中に漢語や外来語が入り込むことは非常に少ない。
 例えば、我々が「ふるさと」という言葉から思い浮かべる情景は「兎追いしかの山」といったイメージなのであり、断じて「the mountain where we used to chase a rabbit」などではない。
 今一つは、和語はものごとを深く考える場合や心を表したり伝えたりする場合の重要な基盤になるということである。
 すなわち、和語には、日本人の心を開く力がある。
 従って、日本人の心を調査したり分析したりする際の手掛かりとなるものはやはり和語であるが、それ以外に、和語には、例えば「心を落ち着け安らかにする力」・「他人と打ち解けさせる力」・「心に訴えかける力」・「集中して何かをしようとする力」といった様々な力があることを忘れてはならない。
 しかし、残念なことにこのような和語の優れた特質は、これまで驚くほど低く評価されてきた。
 日本人がその真の姿を取り戻す第一歩は、和語の優れた特質を正しく評価することである。
 そして、恐らくは、その最も身近で適切な教材が日本の市民憲章である。


(あとがき)
 言語学的あるいは国語学的に見た場合の日本語の系統的起源については、従来から音韻・語彙・文法・構造などの面から多様な研究が進められ、例えばモンゴル語起源説・タミール語起源説・レプチャ語起源説等の諸説について活発な議論が交わされてきた。
 また、現在の日本語の原型をなすという意味における語源的起源としては、縄文語・アイヌ語・琉球語・古代朝鮮語などに共通の祖語があったと見られており、五千年を上回る歴史を持つ日本語がアイヌ語や琉球語と密接な関係を持つという仮説も出されている。
 但し、ここで敢えて、このような関心の対象になっている日本語は例外なく「和語」であるという自明な事実を指摘しておかねばならない。
 何故ならば、第二次世界大戦後の日本においては、所謂「皇国史観」に対する反動やアメリカ文化への迎合的接近などのためか、初等教育や中等教育の場で日本の古代史や古代の日本語に対する話題が意識的に抑えられてきた観があり、その結果として、和語の重要性が不当に低く評価されてきたように思われるからである。
 実際、若い世代はもとより社会全般において、真の母国語たる「和語」に関する認識や基礎知識が極めてお粗末なものになってきているように感じられる。
 例えば、近年、日本語に関する数多くの本が出版され「第二次日本語ブーム」とも言われる活況を呈していることは誠に喜ばしいことではあるが、これらの本で日本語の語種(和語・漢語・外来語)の起源・歴史・特質等を峻別して論じているものは皆無に等しい。
 市民憲章の言葉が多くの若者に親しまれることによって、このような嘆かわしい状況が少しでも改善されればと願っている。

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