飛車ちゅうと開成将棋部

飛車ちゅうとは

 飛車ちゅうとは、開成将棋部において毎年文化祭と勧誘会で制作される、駒の形をした着ぐるみの事である。中に人が入って、握手をしたりする事ができる。
 なお、「飛車ちゅう」はあるOBのハンドルネームでもある。この人は初代の「飛車ちゅうチーフ」(飛車ちゅう制作の指揮をとる人物)でもあった。

飛車ちゅうとその仲間達

◇飛車ちゅう
 最初に制作された着ぐるみであり、もっとも知名度の高い(?)キャラクター。文化祭や勧誘会では目立つところに据え置かれ、将棋部のアピールに大きく貢献している。将棋部のマスコットとしてトップページのアクセスカウンターでも活躍。モチーフは飛車。かつては「神」という名前が付いていた事もある。

◇歩ちゅー
 小型の置き物としては最も歴史が古い。モチーフは歩兵。文化祭や勧誘会において将棋部受付の机上で周囲の人々を癒しており、その人気は飛車ちゅうに勝るとも劣らない。

◇銀ガー
 2008年の文化祭で制作された着ぐるみ。モチーフは銀将。その外見からか飛車ちゅうほどの人気を得る事はできなかったが、将棋部のアピールへの貢献という点では飛車ちゅうに全くひけを取らなかった。

◇角ーン
 2008年の文化祭で制作される予定だった小型の置き物。モチーフは角行。制作中の不慮の事故により、ついに日の目を見ずに終わってしまった。

歴史

2000年 春

この年、部活説明会とその後の勧誘会で、初めてある将棋の駒の着ぐるみが導入された。その着ぐるみは「神」と命名されたにもかかわらず、殴りたくなる衝動を抑えきることができなかったという。結局部長のいない間に破壊されたらしいが、文化祭での復活が期待された。

2002年 秋

 その勧誘会からはや2年。その着ぐるみは文化祭にてついに待望の復活を果たした。今度は「飛車ちゅう」という名を与えられたそれは、B会場2階を所狭しと暴れ回ったという。しかしその後、部室に侵入した3人の熱狂的信者の陰謀により「飛車ちゅう」は拉致されてしまったのだった。
 当時の管理人は「飛車ちゅう」について、「2度と復活しないことを心から祈る」と書いている。
 しかし、運命は皮肉なものである。それは再び舞い戻ってきたのだ。

2003年 秋

 前年度の騒動にも関わらず、この年の文化祭で「飛車ちゅう」はよりパワーアップして復活した。そして意外な事に、将棋部よりこの「飛車ちゅう」の方が人気が出るという異常事態が発生してしまったのである。今となっては当時の執行部の思いを推し量る事はできない。
 なお、「その中はサウナ地獄であり入った人を苦しめた」というのは現在と変わっていないようだ。
 この年は破壊を防ぐため某部員が持ち帰る計画であったが、再び後片付けの際に破壊されてしまった。

2004年〜2005年

 その後、2004年度、2005年度も、文化祭にて「飛車ちゅう」は製作された。お客さんにはなかなかの人気であり、既に「飛車ちゅう」は文化祭に欠かせないものとなっていた。
 文化祭や勧誘会の度に「飛車ちゅう」を制作する、「飛車ちゅうチーフ」という役職が認知され始めたのもこの頃と思われる。
 なお、両年度共に「飛車ちゅう」は後片付けの際に破壊されたという。

2006年 秋

 この年の文化祭、「ラスト・飛車ちゅう」の参団名の通り、最後の飛車ちゅうが製作された。子供たちに大人気となり、握手したり、いじられたり、殴られたりしていた。そして文化祭終了後、部員ほぼ全員によって10秒で破壊された。もはや恒例であるとはいっても、いかにも哀れな末路である。
 こうして、「飛車ちゅう」の歴史は終わった
 ……はずであった。
 しかし、その終焉を快く思わない一部の人々によって、既に新しい計画は動き出していたのだった。

2007年 春

 この年の勧誘会、なんと飛車ちゅうは再び現れた。当時の飛車ちゅうチーフのS藤君(高一)の頑張りによって、かなりの日数・人手不足にもかかわらず完成したのである。彼の功績は非常に高い。ただ、前記の通りの悪条件によって、やや移動、宣伝に難があった。そのため据え置かれ、将棋を指すことが多かった。
 勧誘会終了後に何が起きたかは、読者のご想像にお任せする。

2007年 秋

 前年度に「ラスト・飛車ちゅう」と名乗ったにも拘らず、その着ぐるみ、いや、もはや巨大な置き物であるが、それはまたもや文化祭に現れ、「飛車ちゅうEx」と名付けられた。今回は宣伝用と文準主催のフットサル用との2体を制作するはずであったが、フットサルの計画が立ち消えとなったため、1体のみの制作となった。そして、この飛車ちゅうは昨年よりもさらに巨大化し、高さ2m70cmというとてつもない大きさになってしまった。そのため釘の使用量は大幅に増えたようだ。設置場所も、例年は将棋部の部屋の前の廊下であったところを、より人目につく中高連絡階段の横へ変更となった。もちろん移動はできない。確かに宣伝効果は高かったかもしれないが……。
 因みに、こんな場所に置く事を文準が快諾してくれたのは特筆すべき事項かと思われる。
 終了後は釘を抜いた後、例年通り部員の手により破壊・解体された。もはや文化祭後の風物詩として定着した感もある。

 なお、「歩ちゅー」については明確な記録がないが、この年の文化祭において既に存在していたのは確かである。基本的に将棋部受付の机上に置かれており、こちらも「飛車ちゅう」同様かなりの人気がある。ただ、一部のお客さんがこちらの方が「飛車ちゅう」であると勘違いしているのは非常に残念だ。
 この年、「歩ちゅー」については特に破壊する必要はないと思われたので、翌年度の勧誘会でも使用するため部室で保管しておくことになった。しかし月日が経つにつれ耳が取れ、角が潰れ、紙の一部が破れと悲惨な状況になってしまったため、「歩ちゅー」はその年の冬には部室から姿を消すことになる。悲しいかな、おそらく捨てられてしまったのであろう。

2008年 春

 もはや勧誘会での「飛車ちゅう」登場は恒例となったようだ。運動会と中間が終わって楽しそうな、安心したような顔をしている中1が飛車ちゅうと将棋をしている風景は、微笑ましいというか、なんというか、場合によっては恐ろしくシュールにも見える。平和だ。
 しかし「飛車ちゅう」は勧誘会終了後スムーズに破壊される。これも何かの宿命だろうか。
 そこ、どうせ部員のストレス発散のためだろうとか言わない。

2008年 秋

 この年の文化祭は大きな節目の年であった。というのも、今までの「飛車ちゅう」の他に、新たに「銀ガー」という着ぐるみを制作する事になったのだ。当然部室内で保管に使うスペースも2倍となり、結果として裏部会の度に部員が部室棟の廊下にはみ出してしまうという事態に陥った。人手不足である上に作業量が2倍というのは大変な難作業であったと推測されるが、やはりS藤君は凄かった。文化祭前日までに2体ともほぼ完成していたのである。
 しかし、問題は文化祭前日、「銀ガー」に装飾用の布を貼っているときに起きた。例年「飛車ちゅう」には黄色の模造紙を貼っていたのであるが、「銀ガー」はその独特の感じを出すために模造紙ではなく薄い布を巻く事になっていた。しかし用意した布が余りに薄かったため、下のダンボールの模様が透けて見えるというトラブルが発生したのだ。ところが、このトラブルは意外にもあっさりと解決された。簡単である。より厚く、濃い色の布を買ってくればよいのだ。こうして2体の着ぐるみはなんとか完成した。
 一方、この年は小さな置き物の方にも「角ーン」という新顔が登場する予定であった。実際、ダンボールを組んで模造紙を貼るところまでは2つ分の置き物が完成していた。しかし、そこに模様を書き入れる段階になって致命的なミスが生じてしまい、2つ作った内の1つが使い物にならなくなってしまったのである。やむを得ず、小さい置き物の方は「歩ちゅー」のみの制作となった。

 そうして辿り着いた文化祭初日。将棋部の部屋はB会場4階にあり、同じ階に「銀ガー」が、B会場2階には「飛車ちゅう」が配置された。しかし、将棋部に来るお客さんの多くが「銀ガー」にしか会えないという事態が発生。翌日(即ち最終日)は「飛車ちゅう」と「銀ガー」の配置を入れ替えた。
 今年度もどうにか文準の許可はとる事が出来た。これは本来なら特筆を通り越して、感謝してもしきれない程の事である。しかし文準は一枚岩ではない。中にはあからさまに嫌な顔をしている人もいた。来年以降はおそらく文準との折衝というのが「飛車ちゅうチーフ」の大きな仕事になるだろう。
 そうそう、もう書かなくても分かるとは思うが、着ぐるみ2体は文化祭の後片付けの際に破壊された。今年の記録は8秒である。
 「歩ちゅー」は昨年同様部室に保管された。今後この置き物がどのような運命を辿るのか、それは部員一人一人の心がけにかかっているのかもしれない。

2009年 春

 毎年恒例の部活勧誘会。そこに飛車ちゅうの姿はなかったが、去年の文化祭で作られた歩ちゅーがいた。
 飛車ちゅう消滅の危機も囁かれ始めていたなかでこれは明るい話題だった。歩ちゅーはあの雑多で混沌とした部室で半年もの間生き延びたのだ。
 勧誘会終了後、歩ちゅーはまたも部室へと戻された。その運命は知る由もない。

2009年 秋

 この年の飛車ちゅう作業は開始が大幅に遅れた。というのも作業に必要な角材がなかなか手に入らなかったのだ。結局文化祭1か月前からの始動となったが、木工の苦手な3代目CのI葉君(高2)をK野君(高2)と次期CのK藤君(高1)がよく助け、どうにか2日前には段ボールを貼りつけるところまで終わらせることができた。
 この年はもう一ついい報せがあった。またも歩ちゅーがあの乱雑でどうしようもない部室で半年もの間生き延びたのだ。これはそれ自体でも嬉しいことであるし、飛車ちゅう作業にかかる時間の軽減にもつながった。
 そうして訪れた文化祭当日。今年は参団名が「飛車ちゅうダイバー」ということで、飛車ちゅうもダイビングができるようにということでオプションとしてスキンダイビング用の潜水具も制作された。だがこれが初日の朝に外れてしまうというトラブルが発生。結局その朝の内には修復できず、装着は2日目のみとなってしまった。
 今年もその愛くるしい表情で多くの人々を魅了した飛車ちゅうであったが、今年もやはり文化祭終了後に破壊。一瞬のうちに模造紙と段ボール、それに角材と釘の集合体となってしまった。実は文準も認知している文化祭の片付けの一環であり、ここまでくればもはやお約束である。
 また、めでたく1歳になった歩ちゅーは今年も破壊されることなく部室へと戻っていった。果たしてもう1年生き延びることはできるのだろうか……。

2014年

 2014年になると飛車ちゅうはさらに人気を集めていった。さらに、この年は飛車ちゅうCのN澤氏の努力によって、なんとこれまで途絶えていた歩ちゅーと角ーンが復活したのである!
 角ーンは飛車ちゅうの隣に、「合カクーン」という看板と共に置かれた。まさか将棋部で「合格」という言葉が現れるとは……。やや違和感はあったが、角ーンの静かな瞳は案外道行く人の心を動かしたようで「飛車ちゅうより似てる」と言われることもあった。
 一方の歩ちゅーは、受付でトロフィーなどと一緒に並んでいた。横に10cmくらいの長さでなかなか愛嬌がある。復活した角ーンと歩ちゅーはこれからも文化祭から姿を消すことはないだろう。


(謝辞)
 この「歴史」の項の内2007年以前のものは、改版前の用語集の「着ぐるみ」の項を大幅に参考にして執筆しました。「飛車ちゅう」の記録を残して下さった歴代管理人の皆様方に、この場を借りて心より感謝の意を申し上げたいと思います。


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