日本と中国の歴史

南京大虐殺について

時と共に全体像は見えてくるものである。現地では事件後綿密な掘り起こし作業が行われている。また、戦後の中国における戦犯の裁判によっても日本兵からの証言が得られている。これらすべてを総合して今の時点で354,780人以上の犠牲者が確認されているのである。

Photos of the killing fields

These figures account only for reports of specific mass killings or burials.They do not include the random killings of individuals or small groups, as for instance the murders of rape victims.

(上)武装解除した安全区の中 国人警備隊を日本兵が漢中門に 連行し大量処刑する。

(下)漢中門で虐殺された市民と 捕虜を含む二千人以上の中国人の 記念碑。

survivor's testimony

陳徳貴

陳徳貴は1917年に生まれた。1937年12月、日本の組織的大量虐殺から逃げ 延びたわずかな生き残りである。九死に一生を得た陳さんは過去を振り返って語る。 「私は日本兵によって難民区から選び出された2800人の中の一人です。12月15 日の朝早く、「労働があるから10人のグループに分かれて整列せよ」と言われました。 やがて、そのグループが外に出されると銃声が聞こえました。私は3番目のグループに いました。私たちが揚子江の岸に到着すると30人以上の日本兵が銃を手にしていたの で、私の運命がどうなるか予感がしました。射撃が始まった時、私は川に飛び込み、壊 れた車両にたどり着き、そこから一生忘れられない悪夢のような虐殺を目撃しました。 殺人者が去ったあと、山となった死体によじ登りそこで一晩明かしました。翌朝通りが かりの数人の日本兵が震える私を見て発砲しました。弾はふくらはぎを貫通し左の薬指 に命中しました。私は3日目にボランティアの埋葬班によって助けられました。