Miyashita's talk@"AHAHA"
talk 4:「笑いに終わりがあるならば」

 近頃ショックを受けた、二つの出来事。
 槇原敬之の逮捕と、松宮一彦の自殺。
 どちらも、単純にファンだとかいう意識がなかったので、何だかひねくれたショックの受け方なのだが。

 槇原敬之、逮捕。確かにショックだった。でも、自分の中では何か違う気がしていた。
 正確に言うと「ショックを受けている自分に驚いた」という状態。確かにCDは持っているしコンサートも見に行くが、それほど濃いファンだという認識はいまだにない故。
 何かを作り出すという生業。音楽でも笑いでも文章でも。完璧を理想とする人は、その作品を自分のイメージするものに限りなく近付けようとする。自分が好きでやっている事ならなおさら。もしかしたら誰かに任せてしまえる工程まで、自分で目を通さねば済まなくなってしまう。時間やクオリティを考えると、任せてしまった方が良い結果になる場合もあるのだが、それでは納得が出来なくなってしまう。
 結果、全てを背負込む羽目になる。自分のキャパシティを超える作業量になってしまっても。あまつさえ作業がこなしきれないのは、自分の才能や能力が至らないせいだと考えてしまう。
 その状況で「やっぱり無理みたい。もう少し余裕をちょうだい」と言えたら、こんな事にはならなかったはずなのだが。言えるはずはない。全て自分の責任と思い込んでいるのだから。自分を逃がす為、ハードな日々をこなす為。彼が選んだ手段は社会的に許されざる事だった。
 彼の最後のメッセージに「コンサートツアーを前にして、このような事になってしまい申し訳ない」というような言葉があった。こんな状況に置かれても、考えているのは自分がこなすべきだった事なのかと思うと、ちょっと痛々しい。

 松宮一彦、自殺。彼には、槇原敬之以上に思い入れはなかったと言える。
 10年ほど前に彼が持っていたラジオ番組をよく聞いていたというだけ。一時期週刊誌で騒がれていたような話題も、名前が出ているな、という事以上は知らなかったし、ある年齢より上の人なら必ずと言っていい程記憶にあるはずの“ザ・ベストテンの追っかけマン”という肩書きも、「あーそう言えばそうだったなぁ」という程度の認識。
 今回の件で急激に入って来た様々な情報。そこから勝手に推測したに過ぎない、彼が自殺という手段をとるまでの心情を思うと、彼の死というシンプルな事実を知った時以上に、気持ちが重苦しくなった。
 前述のラジオ番組は、1時間に10曲かけるという生粋の音楽番組だった。単純にたくさんの曲が聞けるのがありがたくて聞いていたのだが、その選曲やら曲順を全て彼が決定していたとは今まで知らなかった。そこから、“好きな事には手を抜かない、完璧を良しとする”という、過去に彼に対して持っていなかったイメージがまず生まれた。
 そして、今回の件に至る原因とされている、やや不運だったかもしれない事故とその後の経緯。もっとうまく、ある意味いい加減に立ち回る手段はあったと思う。そうしなかった、否、そう出来なかったのは、例えば彼が不器用だったとかそんな理由だとは思えない。
 完璧主義者のプライドが許さなかったのではないか。そんな風に思う。彼の最期の決断の理由もきっと同じなのではないか。そう思うと、あの話し声からは想像も付かない、彼の抱えていたであろう闇に、気が重くなった。

 愛すべき何かを造り出すという、幸せで困難な仕事を持っていた、二人の不遇な完璧主義者。そして、残念としか言いようのない出来事。その事実より、その背景にある物にショックを受けた自分。
 身を持って反面教師を演じた彼等に、今は少しだけ感謝してもいいのかもしれない。

from"AHAHA"Vol.14 99/10/11


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