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人間と社会のしくみ


社会の構造って人間(単細胞生物以外の生物も含む)の構造に似ていませんか?
あるいは似ていると思ったことはありませんか?

ま、ざっと対応させてみると・・・
頭・・・中央官庁&国会・裁判所
体・・・土地            
血管・・・交通網         

ほら、似ていません?
人間一人が細胞一個と考えてみて下さい。
そうすると、エネルギーは通貨ですね。
生産と消費を繰り返しながら、双方ともにシステムを維持しているように見えませんか?

まずは、「人間のしくみ」からです。

人間はものすごい数の細胞が集まって構成されているコミュニティ(集合体)です。
しかもその細胞は、筋肉になり内臓になり、分化して器官を構成し、
その各器官が寸分も違わず機能しています。

どれか一つでもきちんと機能しなければ体のバランスが崩れてしまいます。
また、細胞一つ一つには寿命があり、誕生と死を繰り返し常に新しいものと交代しながら
生体を維持していきます。

つまり、人間は数百〜数千億個の細胞という命の集合体なのです。

では、「社会のしくみ」はどうでしょうか?

人間は生死を繰り返しながら、けれども国という社会を維持していくのに
政府が消滅する事はないし、
担当者が変わっても、ものを作る人、運ぶ人がなくなる事はあり得ませんよね。
そしてどれかが機能しなければ、やはりバランスが崩れてしまいます。

社会は何万〜何億人の人間という命の集合体なのです。

これは、『繰り返し』の項でも述べましたが、
地球の規模、宇宙の規模でも同じです。
細胞も、核や染色体などで構成されていますから、もちろん同じですね。

大も小も突き詰めたらきりがないですけど、
単位というか視点をどこに置いてとらえるか、だけの事だと思うのです。

さらに、社会全体を一つの単位ととらえれば、
『人は決して一人では生きていけない』理由もうなずけると思います。
人間全体の総意として、社会が成立しているからです。

唯一の違いは、
細胞には意志が無く、生体をコントロールするプログラム(遺伝子?)によって、
活動内容が決定されてしまうのに対して、
人間は意志があり、自由に活動を決定出来る能力があることです。

でも、ここで疑問が生じませんか?

「自由」とは名ばかりで、社会のルールや他人の行いに活動の大部分が抑制されていることに・・・。
そこからはみ出さない程度に「自由」なのであれば、それは細胞のそれと大差ないですよね。
ですから、基本的な違いは無いと言って良いと思うのです。

「人間のしくみ」「社会のしくみ」

この考えでいくと、
自分は単独で不変の存在だと思っていたのに、何年か後の自分を構成している細胞はすっかり
入れ替わってしまって、元の自分の体はもうどこにも無いなんてことになります。
細胞全体の総意として自分が存在しているんだ、なんて考えは
あまり気分の良い考えじゃないですよね。

また、
全ての事象は同じように動いている。ただそれだけなのだ、となれば、
あまりに無機的で生きがいも何もあったもんじゃありませんよね。

人間の想像力や可能性は無限であって、夢は大きく果てがないと思いたいですよね。
また、そうでなければまともには生きていけないはずです。
だから、人間は感情を取得したのではないか?
と私は考えますがいかかでしょうか?



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