Chapter-6

The otome pass

御殿場から国道138号線の箱根乙女峠に向かう北側の山道脇の林には、 数日前に少し降った雪がヘッドライトに映し出されて暗闇の中でほの白く光っていた。 標高が上がるほどに路面の脇に残る雪がしんしんと凍てつき始めている。 ノーマルのタイヤだけではかなりきついことは判っていたが、待ち合せの場所まではもうそろそろだろうと先を急いだ。時折、カーブを曲がる際に広がる上空の星が一段と輝き始めだした。

「あの女、何で俺を呼ぶのだろう。」
「あの御曹司から逃れたいのか・・・」
「それとも俺とのことが・・・」
「まあ何でもいい。そういえばあいつさっきミラ・ショーンのチーフを枕元に忘れていったな」と思い起した。

たまたま珍しく近づいてきた水銀灯の脇に車を停め、煙草に火をつけながらしまっておいたダッシュボードからチーフを取り出した。すると さっきは気がつかなかったが、白地の部分に何か文字らしきものが口紅の様なもので書いてある。もう一度ルームランプをつけチーフを開いてみた。

<近いうちに・必ず・話を聞いて・私を助けて!>と書いてあった。
そういえば、別れて間もなく、今度は何であの御曹司と一緒に俺の前に出てきたんだろう。しかも御曹司とは距離を置こうとする雰囲気が何度となく感ぜられた。そして、帰り際に急に会って欲しいと懇願するように立ち去ったのは・・何か変な気配がする・・・。

登り坂に止めてあったロメオをハンドブレーキを引きながらクラッチをつなぎタイヤを空回りさせないように再スタートさせた。幾度かの真っ暗な山道のカーブを曲がりながら待ち合せの”ラ・メール”を探した。おかしい。こんな山深い所にレストランなんかない。もうすぐ乙女峠のトンネルだ。行き過ぎたようだ。引き返そう。間もなく差し掛かったカーブの少し広い場所で、凍てついた路面の低ミューを利用してするっとスピンターンした。そしてサードレンジにギアーを 入れブレーキングしながら、ヘッドライトの先に目を凝らして下っていった。4、5kmほど戻ったろうか、右にそれる道があった。道の入り口に”ラ・メール”と手彫りの古びた木製の看板が道路脇に立てられてあった。こんなんじゃ判りっこねえ。まったく不親切で商売っ気がねえ所だな。 とっくの昔につぶれてんじゃねえか?その脇道は 金時山のすそ野をまわる道らしい。車一台がやっとである。3センチ程積もった雪道には、不思議にも数台もの行き来したタイヤの後があり、所々土が顔を出していてグリップが助けられた。ゆっくりとカーブした道を100M程ゆっくりと入ってゆくと、白灯の光がガラス越しにもれてきた。レストランというより、山荘であった。


約束の8時を少し廻っていた。車を降り、入り口の青銅の鐘の下の玄関のドアーを開け、さらに奥のガラスドアを開けると、暖炉のある吹き抜けのロービーが広がってる。中の温かさに窓ガラスが曇っている。カウンター上のベルを鳴らすと、螺旋階段の2階から50過ぎの男がこちらを見下ろしながら、階段を降りてきた。
「待ち合せなんだが・・・。」と言いつつ、女の名前すら知らないことに気づいた。
「お嬢様ですね。お待ちしておりました。」と男は答え、ロビー奥の部屋へ案内した。
ランプが置かれた窓際のテーブルに、外の暗い林でも眺めているのか女は頬杖をついて既に座っていた。 そして、アール・デコ調のほの暗い繊細な照明に写された壁には100号大のマチスの絵が飾られ、ショパンの協奏曲アダージョのピアノが静かに流れていた。
「待たせたな。やっと見つけたよ、この”レストラン”。まさかこんな山荘とは思わなかった。しかも入り口がやたらわからにくいし、全く不親切な所だな。本当は商売でやってるところじゃないな。」と無愛想にいいながらテーブルについた。
「ごめんなさい。でもきっとあなたならここを探し出してくれると思ってた。何かあなたには獲物を執拗に追う嗅覚をもっていると感じていたの。本当に来てくれてありがとう。」と女は答えながらテーブルの上の俺の前のダブリン製らしきシャンペングラスを逆さにした。するとすぐにさっきの男が近づいてきてシャンパンをグラスに注いだ。

女のシャンパングラスに軽く会釈のグラスを当てると響きの良い音が拡った。 食事はポーランド料理らしい。シロンスク風クルスキ(Kluski slaskie)の前菜とバルシチ(Barszcz)の鮮紅色のスープ。牛すね骨を蒸してとった実のはいらないスープは妖しくも美しい(?)紅色で寒い夜を暖かくしてくれるようだ。

「ねえ、お願いがあるの」とゆっくり女は話し始めた。
「何のお願いだ。おまえの置いていったチーフに<助けて>と書いてあったが、俺も暇人じゃねえからな。」
すると女は突然、「私を死なせて。出なければあの人を・・・」と、うつむきながらポツリと言った。
「なに!」と怒気を含んで女の眼を見た。
−−ひょっとすると金蔓になる?−−

女は、それから静かに話し始めた。  




続く...Chapter-7 She`s breeding......