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BUNVの音楽四方山話

「魔笛」が作曲された時代

「魔笛」が作曲された1791年のモーツアルト

「魔笛」は、いつ初演されたのかということからすると、モーツァルト(1756年生まれ)最後のオペラです。
モーツァルトは1791(寛政3年、江戸時代の人だよ!)年12月5日に亡くなっています。
この年のモーツァルトはムチャクチャ忙しいかったのです。
次の年表を見てください。

年表 1791年 モーツアルトの1年

 興行師シカネーダーが「魔笛」の作曲を依頼しました。
 シカネーダーは「魔笛の東屋」を提供(半ば拉致?)して、モーツァルトの作曲の尻をたたしていたようです。
7月15日  オーストリア国王の戴冠式用オペラが「皇帝ティートの慈悲」に決定されました。以後、モーツアルトは「魔笛」を放り出して「皇帝ティートの慈悲」作曲をしはじめました。
8月  モーツアルトがこの「皇帝ティートの慈悲」初演のためプラハへ旅立つ直前、謎の男がレクイエムの作曲を依頼しました。
 でもこれは、ウィーン近郊を領地とするフランツ・フォン・ヴァルゼック・シュトゥパハ伯爵が妻の命日に自分の作品だといって演奏するために、モーツアルトに作曲を依頼したのです。ですから決して映画「アマデウス」のように宮廷作曲家サリエリが依頼したわけではありません。
8月28日 プラハに到着。
9月 6日 歌劇「皇帝ティートの慈悲」初演(プラハ)。
9月中旬 ウィーンに戻る。
9月28日 「魔笛」のスコア(楽譜)がやっと完成しました。
9月30日 歌劇「魔笛」初演(ウィーン)
11月20日 ついに過労がたたったためか、病のため寝込んでしまいます。でもレクイエムはまだできていませんでした。
12月 5日 ついにモーツアルト没。まだ35歳の若さでした。

 そもそも2ヶ月弱でオペラ1曲仕上げるなんてとってもすごいことなのですが、それを別のオペラとレクイエムと並行して作曲するのですから、過労で倒れるのも当然でしょう。
今なら過労死で騒がれるのじゃないかな。
 ちなみにウィーン、ザルツブルク、プラハは正三角形の形に位置にあり、それぞれの都市間の距離は約250キロメートルです。交通事情の悪い頃に何回も大移動ご苦労様です。


魔笛が作曲された時代背景

そもそも1791年とはどのような時代であったのでしょうか。
まず時代背景から考えてみましょう。

まず日本では・・・(詳しくは社会や日本史の教科書を見てください。)
江戸時代後期です。
田沼意次の政治が終わり、将軍は第11代の徳川家斉の時代。明治維新まであと約80年頃のお話です。

一方フランスでは・・・
1789年にはじまったフランス革命でフランス国中はまだ大混乱の真っ最中です。
ちなみにオーストリアの女帝マリア・テレジアの娘でフランス王ルイ16世の妃、マリー・アントワネット(1755年生まれで1793年没)はモーツァルトのひとつ年上でした。
当時はオーストリアであったザルツブルグ(いまはドイツ)で生まれたモーツァルトは当然(?)マリー・アントワネットにも会っています。

そしてオーストリアでは・・・
1790年にオーストリア国王に即位したレオポルト2世が、同時にボヘミア国王も兼ねていたので、ボヘミア国王としての戴冠式を1991年9月6日にプラハで行うことになっていました。
このためお祝いの戴冠式で使うオペラ作曲依頼がモーツァルトにあったというわけです。
「皇帝ティートの慈悲」はこのような目的で作られているため、皇帝万歳の超ゴマスリオペラになっています。

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