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中島みゆき


バッハ

バッハの曲を聴いていると、目眩のようなものを感じることがある。バッハの曲は複数の単音による旋律が折り重なって構成されているものが多く、それぞれの声部は独立のメロディーを奏でる。それぞれの声部が独立のメロディーを持っていながら、これらの総体が豊かなハーモニーを奏でるとはどういう事か?それも4声とか、6声なんてのもある。更には、カノンなどというパズルの様な曲まで作っている。

この手の能力を持たない私には神の業としか思えない。

 

ゴールドベルク変奏曲

この曲についてはいろいろの所で多くの議論が(、とりわけ、グレン・グールドの演奏にまつわり)なされているようである。私にとってのゴールドベルク・・・は反行カノンである。カノンとは以下のようなもの(だそうで)ある。

1)主題が第一声部で入り、一定の間隔を置いて同じ主題が同一の調で、または調を変えて第二声部に現れる。輪唱のようなもの。

2)第二声部が第一声部より2倍速かったり遅かったりする。

3)第二声部が第一声部を上下に反転させた形で現れる。反行カノン、鏡像カノンと呼ぶ。

4)第二声部が第一声部を後ろから前にそうする形で現れる。

2)〜4)はこんなことをする必要性というか、意図というかが推測できない。このことを知って、どれどれ、ほんまかいな?と楽譜を眺めてみたら、ゴールドベルク・・・の楽譜の中に3)のタイプのカノンがあるではないか!それも曲の一部というわけではなく、最初から最後まで一貫してこの形が取られている。にもかかわらず、それが極めて豊かな音楽なのである。

バッハが何を考えて反行カノンなどと言う曲を作ったのか、是非その意図を聞いてみたいものである。

2)と4)のパターンも楽譜上で確認してみたい。

パッサカリアとフーガBWV582
シャコンヌ
先日、ようやくバイオリン無伴奏のCDを購入。ずっと管弦楽版とかギターで演奏されたやつとかを聴いていて、オリジナルのバイオリン無伴奏は聴いていなかった。一応バッハ好きを自称していて、無伴奏持っていないのはまずいでしょう、ということで購入した。(2001-2-8)

4台のチェンバロのための協奏曲
聞いてて楽しい。
2声と3声のインヴェンション
この内何曲かはその昔練習した。私は何を考えていたのだろう?

フーガの技法
音楽の捧げもの
バッハの曲って、聞いて楽しいものと、構造を知って、楽譜で確認して、現物と照らし合わせて驚嘆しつつ楽しむのがあるように感じる。この2曲(集)は後者の最たるものか?(2005-03-03)
平均律1巻、2巻
1オクターブ、12音をそれぞれ主音とした長調、短調の都合24の調性の前奏曲とフーガ曲集。1巻当たり前奏曲24曲、フーガ24曲で構成される。前述2曲(集)でフーガ、カノン中毒になってしまい、貪るように(フーガを中心に)聴いている。

バッハ以降、フーガ、カノンはほとんど作曲されていないらしく、過去のものを探し出して楽しむしかない訳か?(2005-03-03)

 

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モーツァルト

交響曲25番

映画「アマデウス」の冒頭に出てきて度肝を抜かれた。
交響曲40番
交響曲41番
 

レクイエム

何というか言いしれぬ引力がある。私の葬式にこれを流すと迷わず成仏する。

アダージョとフーガ
4手のためのピアノ作品集(の中のフーガ)
昨日、ふと思い立ち、モーツァルトの「4手のためのピアノ作品集」を聴いた。そしたら聞き覚えのある曲が入っていた。「アダージョとフーガ」のフーガの部分である。リーフレット読んでみたら、こちら(4手のための・・・)の方がオリジナルなのだそうだ。知らなかった。

この曲もすごい。何声なのかは知らないけど、4手ちゅーくらいだから、少なくとも4声以上ではあるのだろう。4本(以上)の糸が絡まりながら、豊かな音楽が構築されていく。モーツァルトも神様だ。

このCDはクラシック(今より更に)ビギナーの時に買って、長らく埃をかぶっていた。当時は「アダージョとフーガ」は知らなかったのだろう。このCDの中のフーガには気づかなかった。(2001-2-8)

 

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ベートーヴェン

物の本#によると「バッハは神のために、ハイドン、モーツァルトは現世の人々のために音楽を書いたのだけど、ベートーヴェンは人類に向かって呼びかけを行った。・・・音楽の中に「意志の力」を持ち込んだのはベートーヴェンです。「理想」と言ってもいい。人間全体、つまり人類の目標、理想を頭に「響き」=「音響感覚」でそれを追求し、表現する」だそうだ。

やはり、目覚ましにベートーヴェンは合わない。寝起きに人類の理想云々言われても、頭が痛くなるだけである。

#:丸山真男 音楽の対話/中野雄/文春新書

 

交響曲3番

 

交響曲5番

弊社OBにYさんと言う偉人がおられる。その方がフルトヴェングラー指揮による5番が3曲入ったCDを紹介されていた。私も買って聴いてみたわけであるが、CDからフルトヴェングラーの真の偉大さなどは聴き取れないのであるが、4楽章の終わりのアッチェレ(徐々に速く)の凄まじさだけは素人の私でも分かる。笑っちゃう位に速い。(実際にへらへら笑いながら聴いたのだから)
 

交響曲6番

若かりし頃、ベートーヴェンの曲の中で一番好きだった曲。2楽章では鳥が鳴き、4楽章で嵐が訪れる。そして幾層にも旋律が重なり、むせ返るような第5楽章。初めてのコンサート体験がベルリオーズの幻想とこの曲。2時間弱の演奏中、ずっと全身総毛立っていた。

「私は第2楽章の終わりに出てくる小鳥のさえずりを聴くとき、涙を禁じ得ない。なぜなら、そのとき、ベート−ヴェンにはもはや外界の音は聞こえなかったからだ。彼は心の中の小鳥の歌を音符に書き付けたのである。」(ロマン・ロラン)。私など、なにげにこの子鳥のさえずりを聴いていたが、この話を聞くとまた特別の感銘を受ける。私ごときの陳腐な言葉ではとうてい言い尽くせないが、ベートーヴェンは偉大だ。

スコアの2楽章該当部分には、それぞれの鳥の名前が書いてある。本当に楽器で鳥の鳴き声を表現している。(2001-02-16)


交響曲9番

この曲のコンサートを聴きにいったとき、隣の席のおっさんが(おそらくは感極まって)泣いていた。私も息するの位は忘れていたかもしれない。時代を超え、国を越え、人種を越え人を泣かす。恐るべし。

大フーガ付き
わけが分からんながらも、頭がくらくらする。

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メンデルスゾーン

フィンガルの洞窟

交響曲5番「宗教改革」

メンデルスゾーンの交響曲の中では一般的に不人気とされているらしいが、私のお気に入り。1楽章冒頭にドレスデン・アーメンというフレーズが用いられているが、これは讃美歌集の中に見つけることが出来る。ドレスデン・アーメンは、3小節のフレーズで2回アーメンを唱える。また、4楽章ではルター作曲とされている「神はわがやぐら」が主題として使われていて、これも讃美歌集の中に見つけることが出来る。4楽章冒頭には「神はわがやぐら」がフルコーラス丸々使われている。

「神はわがやぐら」はバッハもこれを主題としてオルガン曲を作っていて、更にはその後の指揮者、作曲者がオケ用にも編曲して、オケ版としても演奏されている。ちらっとCD見てもこれが入っているのを2枚見つけた。けど、「神はわがやぐら」については、「宗教改革」の方がずっといい。

ところで、「神はわがやぐら」は「神は我がやぐら」か?この場合の「やぐら」って何だ?

讃美歌集を見ると、10種類近くのアーメンが載っている。全て4声で書かれている。混声四部合唱で唱えるのでしょう。音楽はヴィバルディ、バッハから突然始まったかの様に錯覚するが、バッハよりずっと昔から(ルターの「神はわがやぐら」の作曲年は1500年代になっていた)キリスト教と共に発達してきた、ということを改めて知らされる。

キリスト教圏以外でこんなにクラシック音楽が普及しているのは日本くらいだとのこと。明治開国以来、闇雲に西洋文化を吸収してきた功罪(?)か?この場合、罪はないか。

アーメン【amen】
〔宗〕(ヘブライ語で「まことに」「たしかに」、後に「かくあれ」の意) キリスト教の祈祷・賛美歌・信条などの終りに唱えることば。
(広辞苑第五版より)

何故か私は讃美歌集を持っている。(2001-03-07)

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ブラームス

交響曲4番

「丸山真男・音楽の対話」によると、この曲の出だしのHはブラームスのため息なのだそうだ。で、この音はこう奏でなければならない、ってのがフルトヴェングラー指揮、ベルリンフィルによる1948年の演奏なのだそうだ。早速私もこのCDを買って聴いてみたが、残念ながら「こう弾かねばならない」の「こう」は聴き取ることができなかった。ベーム/ウィーンフィル、ワルター/コロンビア交響楽団などとの差が分からない。

この曲が私にとってのブラームスNo.1。

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