【フルート歴】

小学4年生からフルートを始めました。当時は北九州に住んでいて、近くの喫茶店にリサイタルのチラシが貼ってあって、リサイタルをするくらいの人だから上手い人に違いないと、調べてもらった記憶があります。小倉のヤ●ハで教えていた石飛先生です。でもすぐにヤマ●ハを辞められ、次に来られた先生が石飛先生みたいに上手じゃないと子供心に感じて、私も辞めました。次に習った瀬尾先生はひじょーに優しいお人柄の先生で、週一度のレッスン日に週一回楽器のケースを開けていた私に優しく教えて下さいました。んが、ある夏休み、友だちの別荘に楽器を持って行ったのは良いけれど、帰りの列車が滑り込んでこようとする富士見駅のホームで、和室においてあった座ぶとんの4枚目と5枚目の間に置いていたのを思い出し・・・手許に戻って来たのは約1年後でした。当然瀬尾先生のレッスンもちょっとの間で終わったのでした。
 その後、福岡に戻ってすぐレッスンを再開。九州交響楽団に在籍していた岩花先生の門を叩きましたが、先生留学の為一回でレッスンはお終い。”うん、君の唇はフルートにぴったりだね”とおっしゃったきり、彼方へ飛んで行ってしまいました。岩花先生の紹介で大倉先生についたけれど御自宅がめちゃくちゃ遠くて3回でリタイア。そして、現在でも有無をいわさず発表会に引っ張りだす前田明子先生に出会ったのが中学生になった頃。”あーた、フルートで受験するの、しないの?”と大きな目で凄まれて、”し、し、します”と答えたのが運命の分かれ道でした。当時、福岡音楽院に時々いらっしゃっていた吉田雅夫先生のレッスンや、吉田先生が遠出をされなくなってからは小出信也先生を御自宅に招かれてのレッスンを受けさせていただいて、申し分のない環境の中で育てていただきました。肝心の受験の年には、御主人のお仕事の関係で私を永田明先生に預けてカナダへ去ってしまったのですが・・・・”君の性格では東京芸大は無理だから京都芸大にしなさい”と永田先生に説得され、小出先生の紹介で伊藤公一先生のレッスンも受けるようになり、なんだかとんとん拍子で京都市立芸術大学の生徒になったわけです。
 京都芸大在学中は伊藤先生と白石先生のレッスンを頂きました。相当な問題児だったとふかーく反省しています。一人暮らしができるようになったのと生来のなまけものの性格が災いして、好きなことしかしていませんでした。当時好きだったたくさんの物と自分自身と自分の音楽が融合し始めたのが3回生の頃。ある日突然練習魔になり講議は最前列で真剣に聴く日々が始まったのです。
 無事卒業した後は、兼ねてから好きだった英国に留学。教則本を出したばっかりだったトレバー・ワイ氏に直接手紙を出し、彼が教えていたROYAL NORTHERN COLLAGE OF MUSICに留学したい旨を伝えると、彼は次の年に辞めることになっていると言う返事が却ってきたんです。公の教育機関に入学するのが希望だったし、ワイ氏が後任のリチャード・デイビス氏に太鼓判を押してくれたのでRNCMにテープを送って、合格。行ってびっくり、英国での1年間は日本の大学の4年分充実していました。
 帰国してからは地元の福岡で、出られるコンサートに全部でまくり、地元の強みで好き放題リサイタルを開き、アンサンブル・ムーセでは東京公演までする始末。福岡にほぼ毎月来ていらっしゃる清水信貴先生のレッスンを受けたり、それどころかアンサンブル・ムーセと共演までしていただきました。
 私自身の出来不出来は別として、こんなに多くの素晴らしい先生方と知り合えた幸運を、私を慕ってくれる生徒さんにも経験してもらえる
ように、私のレッスンルーム、フルート・スタジオでは岩花先生と西田直孝先生のレッスンを開催しています。
 今年で4年目になるギタリストの橋口武史君とのデュオでフォレストヒル・レコードからCD"The wind blow the wire"をリリース。そして、ななななななんと、2000年10月29日フルートフェスティバルin福岡で指揮者までやることになってしまいました。
ぎゃー。

この先は、まあいろいろありましたが、リサイタルだコンサートだ、それなりに活動して参りました。前田先生のお陰だと思うのですが、中学生から色々なフルートの曲を発表会で演奏させて頂いて、いつのまにか身につけておくべきレパートリーはそれなりに身に付いてしまいました。20代から30代にかけてレベル9と言う難易度の高い曲しかさらっていなかったので、だんだん血湧き肉躍るようなかっこいい曲を探すのに疲れていました。ある時、ジャズに出会って、スタンダードと言われる曲を飽きもせずに何度も何度も演奏しているのにびっくり。でも、いつ聴いても違う楽しさがある。常日頃からなんちゃって○○だけはやりたくなかったので、ジャズ喫茶のカウンターに座り続けながら聴きまくること3年。”バックステージの備品”と言われるようになり、石の上にも3年をカウンターの指定席で実践しながら待つ日々を過ごして、やっと次の方向が決まりました。前回のリサイタルが2004年だったかな?それ以前の数年で、私にぴったりの演奏スタイルがほぼ確立されて、いつもなんとなく隠していた自分の本性を出せるようになっていました。出せるけど、レベル9の日々ほどエキサイティングではなく…それがね、当分楽しめそうなジャンルを発見しました。だから、これからまた、変わっていけるかな?

この数年で痛感したことは、やはり私には巨大アンサンブルは向いていない、ってこと。一緒に演奏して、音楽的に感動させてくれたり私の知らない自分を導き出してくれる本当に数人の人達とぼちぼち活動するでしょう。フェスティバルも、2006年はお休みです。どう考えても、フェスティバルが私の音楽の良い味付けになるとは考えられないし。フェスティバルに出演している人達は”フルートが好き””演奏することが楽しい””みんなで一つのことをやり遂げる事が楽しい”と思っているのなら、それはそれで良い。けれど私はそうではない。mixiでも吠えたけれど、私は自分が一番大事。私らしくいるために必要な手段なんです。演奏することが目的なのではなく、私自身を呼び覚まし、聴く人に音楽とはかけ離れた別の物を呼び覚ます事ができなければいけないんです。