価格崩壊(6桁以上貰っている人は読まなくても良いじ ょ)      

福岡県は比較的、音楽演奏に対してのギャランティーが高い地域なのですが、最近、お勉強価格が流行りはじめて、首をかしげています。
高い安いは関係ないと言いますね。もちろん無いです。ボランティアでもかまわないんです。或いは、”ぜひ演奏が聴きたいのですが予算が少なくてこれだけしか払えないんです、これでできるだけで良いですからよろしくお願いします”という気持ちが先方から伝われば、気持ちよく引き受けます。何処にも所属せずに、個人で活動している音楽家は得に、自分の演奏に対してどのくらいの価格を設定するのか、どう言う形態での演奏を望むのか(BGMはやらないとか・・・)依頼人ときちんと交渉するべきだと思うのですが。けいじばん
日本全国に、音楽家と依頼人を仲介する音楽事務所が多々有りまが、福岡で一部問題になりつつ有るのは、5千円に満たない価格で”音楽家を育てるため”に場を儲けている的感覚で仕事を斡旋する事務所が目に付きはじめたことです。うちのメンバーはこれで良いですよ、勉強にもなりますから、との考えらしい。勉強なら自宅でやりましょう。お客さまに勉強途中の演奏を、シカもお金を貰って聴かせるのだろうか??だとしたら失礼な話しです。
けれども、悲しいことにこれは、事務所だけが悪いのではないのす。演奏家、依頼する側、事務所、三つどもえになってどんどん価格が下がっているのです。
依頼する側、この場合は付加価値として生演奏を提供しようと考えているホテル・レストラン・その類いのスペースやイベント会場ですが、は、費用がかからない方がよろしいのは良く分かります。多少演奏のレベルが下がっても、安い方をとりたいのならば、まあ良し、としましょう。はっきりとその自覚を持っているならば。サービスがその部分に関しては下がっても仕方がないと。そういう事務所を選んだのですから。
実際に安値で演奏を提供している人たちは、そんなにへたくそな人たちじゃないんです。ないよりまし、とでも思っているのでしょうか。数をこなせばなんとかなる?演奏の場が欲しい?数より質。場は自分で作る。謙虚になるのは大切なことだけれども、お勉強させて下さい、の言葉は自分の中に留めておくべきなのではないでしょうか。確かにどんな場合でも常に勉強しているようなものですが、人前でお金を貰って演奏するということは、自分のために行う行為ではないと思います。刹那的な芸術であるがためにその場、その瞬間に、聴いて下さる人たちの心の中にどれだけ大きなものを残せるか、勉強や日々の訓練はその前にやっておくべき事だと、私は思います。
楽しんでやっているのならば、一々書きませんが、どうもそうではない様子なので・・・結局、なんだかんだ言いながらこの手の仕事だけが増えて行くのは、演奏家自身の責任でも有ると思います。


お嬢様育ちのお母様(&だんなの七光り)


 私は自分のレッスン室の広告を新聞に出したりするので知らない人からも電話がかかってくる。以前、こんな電話があった。
”実力は抜きにして、うちの娘は今高校生なのですが、実力は抜きにしてですよ、音楽で海外留学する事は出来ますか?”
 1000歩譲って、実力はイマイチだけど将来性がちょこっとあるならば、行っても良かろう。そもそも、なんで見ず知らずの私にこんな電話を掛けて来たのでしょうね。留学の話を思い付くくらいならば、専門の先生にも習っているはずだしそっちに聴けよ、と言いたくなったのを堪えて親切丁寧に教えてあげたけど、今考えると、はっきり、実力ないのに行っても無駄と言えば良かったな、と後悔している。自分の子供が可愛いし、将来を期待したいのは分かるが、大人ならば世の中の厳しい部分をもっと子供に教えるべきだ。大体こんな事を聴いてくる親はお嬢様育ちで腰かけ程度の就職をして良いところにお嫁に行ったか、もしくは、自分がなにもやった事がないから子供には特殊な事をやって欲しいと思っている。はっきりいって、私も、良いところのお嬢さんだ。親戚以外の誰もが父は天才だったと言う。(あえて過去形。最近怪しくなって来た・・・富士通のFMVのPCを”コンピューターなんて基本的な部分は一緒なんだから、ウィンドウズだろうとなんだろうとDOSのコマンドで動くんだ、なんて言いながら結局、電源すら入らない状態にしてしまいました・・・・(爆?・・・)あ、また飛んだ。でも、厳しく育てられたと思う。期待していたのだろうけど”上手だね”なんて誉められた事はない。今でもそうだけど、必ず痛い部分を指摘される。
 そして、非常にいいかげん。何も連絡せずに来なくなるのは100%こういう親。挨拶一つできない親に育てられる子供は、将来関わる事のできる道を狭められていると思う。
 この子は音楽が好きそうだ、絵が上手だ、何でも良いけど、親だったら子供の好きな事くらい把握しているでしょう。少しでも子供に向いている方向に進ませてあげたい。と希望に燃えるのは良いけど、ちょっとおどすとすぐに後込みするんですね。どんな事でも、道を極めるのは大変な事であるという自覚がない。習い事をした事が無いから、とか、その世界に接した事が無いからなんて、理由になりません。40代の親達ですかね、受験間近の子供を抱えた親は。40年以上生きて来て、自分の経験から応用できないのでしょうか。些細な出来事からでも大きな事が学べるはずなんですけどね。
 まだ先は長いですから、取りあえず音楽で短大にでも行って、その後は語学留学させようと思います、などと言う短絡的な方もいました。音楽教室でも教えられるし、語学力もあった方が将来のためになるし、と言われた日には、何から説教して良いのか分かりませんでした。きっと、卒業証書や資格を持っていれば仕事に繋がると思っているのでしょう。これは親だけが悪い事ではないけれど、あまりにも社会をなめていらっしゃる。音楽教室の先生にも、語学が堪能な方にも弾かれる事間違い無し。もう一回人生やり直した方が良いと思います。

 演じる

 結構な数のHPが存在するし、私が知っている人も何人かHPを持っている。問題はHPの内容ではなくて、やっている本人。インターネット依存症でもなく、単なる弱気とやる気のなさと妙な向上心で”私にはこの中にしか希望がない。ここだったらみんなと上手くコミュニケーションがとれる、仕事も辞めてこっちで何かをしよう!”と親友に打ち明けた大馬●ものがいる。J-POPの有名ミュージシャンのHPをやっているのだが、平気で"DISCOGRAPHY,って何?”だとか”CREATIVEって直訳するとどう言う意味?”と、書き込みをしていた(笑)
 辞書でひけよ、辞書で。
 ネットでしか知らないお友達がいても何の問題もないけれど、ここは実社会で挨拶もろくにできない人間が逃げ込んでお友達を作る場所ではないはず。練習するのは良いと思うけど。自分を偽ったり、装ったりすることは結局自分を否定する事だから、自ら居なくても良い人間ですと言っているようなもの。人がいなけりゃ、パソコンだって起動しないぞ。
 誰だって恥ずかしい墓穴の掘り方はしたくないと思う。が、実際に顔をあわせなくても良いのを幸いに、理想の自分像だけを見せて死ぬまで生きるつもりなのだろうか。ここにしか希望がないのなら、全部見せてそれでもお友達でいてくれる人を見つければ良いのに。見つかるかも知れないからインターネットは楽しいんだと思う。実社会でみそっかす&のけもの扱いされているから、ここでは失敗しないように、まさに、良い人で良い管理人を必死で演じていらっしゃる。
 良く、演じると言う事はなり切る、同化する事ではない、と言われますが、そう考えれば演技派管理人としては高得点?
 私は、ふだん恐そうな人と思われているのでできるだけ柔らかい印象にしたいと思っているのですが、三つ子の魂百まで、小さい時友だち(?)を木に縛り付けていた事があったし子供の恐ろしさを垣間見せるような亊もやっていたので、結局柔らかい人間にはなりきれない。生悪説を地でやっている。だからこそ、それが演技でしかないとしても、優しい人間になりたい。
 この世の中で解決できない事柄は多々あるけど、言葉の意味くらい、自分で辞書を引け。わざわざ書き込むな。

おしごと

20代の頃は、はっきりいって失敗の連続でした。生徒を教えるには非常に精神力と忍耐力が必要で、年令も様々なので教える方の頭の柔軟性も必要。生活の不安定さや社会での認知度の低さにイライラする事が多かったので、それも反映していたのだと思う。何人かには悪い印象を与えたまま、縁が切れたことでしょう。問題なのは、分かっているクセに、より良くしようと思わない先生方の事です。分かっていないのかも知れませんが。
 大手楽器店の音楽教室は、恐らくどの地域に行っても交通の便がよい中心地に位置しています。人の目にも付きやすいし、ちょっとやってみようかな、と思う人にはとても便利だと思います。入門・初級クラスの人にとって一番身近にある教室としての役割を果たそうと、少しでも考えているのでしょうか。先生と言うか、経営陣の道徳観念の問題かな?同業者だし、同じ門下の先生方もたくさんいるので書こうかどうか迷ったけれど、余りにも教える事をなめている人がいるようなので、敵にまわしてでも書こうじゃないの。もちろん、全員がそうだとは言いませんよ。
 先生だって人間だから、不機嫌な時もアル。だからといって、ちょうど機嫌が悪い時に来た生徒にまでぶつけて良いものだろうか。生徒さんは一般社会と音楽社会の接点に一番近い存在の音楽教室を選んだのであって”この先生!”を選んだのではない。既にプロとして存在している私達が、人格や性癖はさておき(笑)、素晴らしい音楽性の持ち主だから”この先生!”を選ぶのとは全く異なる。今日は機嫌悪いな、レッスン料払い損、くらいのこと、私達にはどうって亊ない。プロなら、理想の音楽がはっきりと描かれているはずだから、レッスンが1回オジャンになっても、やるべき事はある程度分かっている。
 つたない演奏しかできない趣味の人にも、忙しくて練習がたくさんできない人にも平等にある”可能性”。これを摘み取るような教え方をしていないかどうか、自問自答して欲しい。彼等にとってレッスンを受けると言う事は積み重ねの一つなのだ。一つ一つのレッスンが虫食いの積み木でしかなかったら、何年もレッスンを受けているのに、簡単な曲一つ演奏できない状態になってしまう。
 楽しくできればそれで良いかも知れない。楽しく上手に演奏できたらもっと良いはず。レッスンに来たその日に、生徒の能力を最大限に引き出してあげようと思わないのだろうか。一週間まるまる練習してなかったら、下がったレベルを元に戻してあげるし、たとえ何千、何万回だろうが、身に着くまで同じ言葉をくり返す気がないなら、アマチュアを教える事は控えた方が懸命。
 マニュアル通り教えて、進め方もみな一緒で、みんなが楽しめると思っているのかな。世間話して短いレッスン時間の大半を費やしてお金を貰っている詐欺師にも要注意。払ったお金以上に得るものがあって良かったと思って欲しいし、お金には換えられない価値のあるレッスンをする事に教師としてのプライドを見い出して欲しいと思う。
 中途半端な状態で先生を変わったとしても、基本的な事をしっかり教えていたかいなかったかはばれますよ。
 え?自分の事を棚にあげるな(生徒一同)?

思った事が有るんだけど

今回は自分の事を反省する内容です。たまにはね。
先日、フルートフェスティバルが終わって、正確にはコンサートが終わってメインの指揮者、武田先生が袖に帰って来た瞬間に感じた事が有ります。”集中力と精神力が違う”
隣の芝生は青く見えるというし、指揮に関して私は初心者だったけれど、それにしても、自分が今までに身に付けて来た音楽全般の知識を活かし切れていたのだろうか。私の好みははっきり言って片寄っているが、好みとは別に、音楽家としての奥の深さは持っていなければいけないはず。
前回までは、指揮者の前でフルートを吹く側だった。普段はなんだかんだと文句を言いつつも、演奏するのは私の本分だから、指揮者の意を汲み取りながら、単に音が羅列されている楽譜を生き返らせる事に没頭していた。特に前回からは指揮者と百数十名の奏者の意識が一つになって来た感じが強くなって、今回はそれ以上に一体感が生まれていたように思う。
武田先生は、まさにそれを満喫して放心状態で袖に帰って来たんです。(そう見えた)
演奏している時はよくどこかに飛んで行っているけれど、今回はそこに行き着く前に全部終わってしまって、肉体的な疲れはあったけれども一体感なんて、個人的には感じられなかった。奏者の誰かと目があった時には意志の伝達がそれなりにできたのだけれど、指揮者である私が後ろから付いて行くような感覚に、いつも、捕われていたと言うのが本当の所でしょうか。全員の意志の塊は確実に私の方に届いていたのだけれど、受け止める技量が足りなかったと思います。
経験が足りないとか、やった事がないからとは言いたくないかな。演奏する側と指揮をする側とでは立場が正反対のようだけど、どちらも音楽に関わる人間で、産み落とすものは同じであるはず。(実はまだ良くわかってないのだけど)
指揮をしてみて初めて分かったのは、百人の奏者が出すパワーって、特に本番は強力。それを受けつつ自分の音楽を操るには相応の精神力が必要で、しっかりした裏付けと音楽に対する真摯さ
が根底にないと、砂場の城にしかならない。
きちんと指導ができる人、というのがフェスティバルの指揮者の条件だけれど、結局はそれ以上のものがないとできない仕事。なかなかチャンスは回ってこないと思うので、良い経験になったと心底思います。
自分に足りない別のものがまた出て来て、参った。
でも取り敢えずは、自分の、今までのバックボーンを整理しようと思います。もともと、このホームページを立ち上げた理由は、”身辺整理”をして、なぜ大してお金にもならない音楽を続けているのか、私の音楽の拠り所を明らかにしたかったからです。
それはそうと、みなさん口をそろえて”かっこいい”とか”りりしい”とかおっしゃってくれたのですが、可愛いとかのほうがいいかな・・・こわいとか恐ろしいよりはまし?

HPをリニューアルするにあたって、以前の記事をどうしようかちょっぴり悩みました。ええ、ほんのちょっぴりねw取り巻く環境や置かれている立場みたいなのが変わると考え方は変わってくる。ええそりゃぁ多少は変わりましたとも。ここんとこしばらく世の中不況でみんなキリキリ言っていました。それもすこぉし改善されたかな?お金も欲しいけど、と言うか無いと困るけど、やはり私は、同じ値段でもどれだけ内容が違うかと言うことを、音楽を知らない人に分かって欲しい。もう、お金の駆け引きをするのはめんどくさくなってきた。いくらですか?100万以下です。と言って適当に逃げたい今日この頃。完全にぼけたじーさんばーさんが、懐かしい曲を聴くと歌詞を思い出して歌い始めるのを目の当たりにすると、音楽の持っている得体の知れないパワーを感じる。そんな物に、はいっこれはいくらです、と割り切って値段を付けるのもなんだかなー。へんな人は、まだいますね。毎年必ず遭遇します。今年もいました。すぐうまくなりますか?人それぞれですね。うまくなる保証はないんですね?ないですね。保証のない物にお金はかけられません!…そうですか(人生一からやりなおせ、ばばぁ!←心の声)あー、やっぱりむかつくことがまだまだありますね。