インド旅行記です


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オーランガバードでは友人が熱を出したので、彼女が回復するのを待って次の目的地へ行くべく移動を開始した。
次に行ったのは、世界遺産になっている石窟があるところ、アジャンターである。
アジャンターに行くには、オーランガバードからバスで行くのだが、途中ファルダプルでバスを乗り換えなければならなかった。

バスを降りると、大勢のインド人が声をかけてくる。
それもそのはず、ファルダプルに着いたのは午後で、夕暮れが近かった。
インド人は、今日泊まるなら、アジャンターでは泊まれないから、ここに泊まれという。
なかでも、日本語が話せる小生意気なガキにはムカついた。
ファルダプルのホテルを案内しながら、ホテルの料金をいちいち日本語に訳してくれるのだ。
『英語の数字ぐらい理解してるわい!』
ツインルームは、タータンチェックのベッドカバーがしてあって、なかなか綺麗だったが、250ルピーほどだったかな?
ドミトリーは男女共同部屋で、まるで軍隊の寄宿舎のようだった。

オーランガバードのユースで出会った日本人A子は、ここのドミトリーに宿泊したそうだが、自分以外の泊まり客はみんなインド人男性だったとか。
壁を向いて日記を書いていた彼女が振りかえると、全てのインドのおっさんのギラギラした瞳が、一斉に彼女を見ていたそうである。

生意気なガキンチョの、親切、かつ、うざったいアドバイスによると、アジャンターの宿は部屋数が無いので、ここで泊まった方がいいよってことだったが、無視をしてアジャンターに行く事にした。

アジャンターにはインド政府がやっているホテルがあるが、やはり、部屋数は少なかった。
ガキンチョは、少なくともうそつきではなかった。
アジャンターには、私達とたまたまその日の朝オーランガバードで出会ったマッチャンと行った。
3人一緒に泊まれるところがあれば割勘に出来ると踏んでの行動であったが、生憎、シングルルームが二つしか空いてなかった。
試しにシングルに3人で泊めてと言ってみたが、却下された。
そこで、シングル二つをとり、私は友人と二人で泊まり、まっちゃんは一人で泊まる事になった。
部屋は建物の3階にある。 二階には、レストランがあり、ツアーのお客が、昼食を食べたりしていた。 一階には、食堂らしきものがあった。
世界遺産になっているアジャンターでは、丁度ゴールデンウィークだったので多くの日本人にも会ったが、不便な所にあるため、みな、ツアーバスでやってきて、石窟をみるとサァーと帰っていった。
したがって、現地、ホテルはあまり賑わっていなかった。
私の泊まった部屋の壁には、日本語でそのホテルの食事がまずい事、外にの食べるところがない事などが書かれていた。

熱が下がっていたはずの友人は、ここで再び発熱し延泊することとなった。
さて、英語の出来ない私は、目茶目茶な英語でこのままシングルルームで泊まれるようにお願いした(因縁をつける様に…ははっ、それはお願いとは言わない)。
が、まっちゃんに窘められた。
そこで、フロントのオヤジさんに、本当のことを伝えると、部屋まで友人の様子を見にきて、快く承諾してくれた。その後、外で売っている高いミネラルウォーターを買いたくなかった私は、飲み水をくれと申しでたら、厨房にあるウォータークーラー(?)を教えてくれたりして、以来、厨房にも遠慮なく入る主と化した。(あははっ)
慣れてくると、皆、愛想がよかった。

そうそう、トイレ、シャワー室は、部屋の外にあったが、女性用のシャワーは「電気びりびり漏電シャワー」であった。ツインに泊まっていた夫婦ものらしい人の奥さんが、男性用のシャワーの方が良いから、そっちを使えと教えてくれた。


さてさて、只宿、只飯のADSを後にして、次の宿泊先はプーネ。
ここには、和尚ラジニーシのアシュラムがあるので、知っておられる方も多いだろう。
昔から王侯貴族の避暑地で、かつ文教都市なのでそうである。
と言うわけで、安宿は少ない。(--;)
私達は、駅より歩いて20分ほどのホテルに泊まった。
ホテルには、素敵な庭があり、入ってすぐのところのホールは、どうやらレストランらしい。
シングル一泊90ルピーの部屋は、窓が無く、良く見ると、もともと廊下だったところにベニヤ板で仕切りをしただけ。
そんなシングルルームが、3っつ並んでいた。
部屋の中にはベッドとうるさい扇風機が備え付けられていた。
過去の泊り客が作った穴で、隣の部屋が覗ける。
おまけに、小さいものなら受け渡しが出来るぐらいの隙間があるのだ。
当然、音は筒抜けである。
幸い私は一番奥の壁際だったが、友人は真中の部屋だった。
ある夜、トイレに行こうと部屋を出た私は、インド人のおじさまが友人の部屋を覗き見してるのを目撃してしまった!
そう、元廊下のこの部屋はトイレ(シャワールーム)の近くであり、そのトイレはレストラン(飲み屋さん?)にお酒を飲みにやってきたおじさんも利用しているのだった。
私の推測だけれども、ホテルのフロントは、「今日、あそこに女の子が泊まってるよ」と教えているのではないかと思う。

次なる私達の目的地は、オーランがバード。プーネからはバスが出ている、プーネを早朝に発ち、お昼には着く事ができた。
ここにはユースホステルがある。ユースの会員ならば割引があるようだけれども、会員でない私でも、40ルピーという格安の宿だった。
ユースは男女の部屋は分かれている。その他、家族用の個室もあった。
女性の部屋は10人ほど泊まれるようにベッドが並んでいた。
部屋の奥には、トイレとシャワー室がある。
昼のシャワーは、自然の温水によって快適であった。(それだけ暑いってことなんだけど…。)
同室の先客は韓国人が3人で、3人とも別々の旅行者らしかった。
同じ日に日本人がもう一人加わり、アジア6人娘は夜のオーランがバードを荒らした。(嘘)
このユースの難点は、バスターミナル、駅が遠いことである。
レストランも近くには少ない。
というわけなのか、朝食(トーストと目玉焼きとチャイ)は、注文(オプション)していれば、宿で食べる事が出来た。
しかし、私達は、ここでヨガのグルジーに出会った。
毎朝6時にヨガに行くと、朝食時間に帰れない。
それに、ヨガの後、1時間は食事をしてはいけないと言われた。
そんな訳で、私達は朝食は食べなかったが、安さと居心地の良さ、そして、友人の発熱により、1週間、この宿に泊まることとなる。
約一年後、友人は再びここを訪れましたが、セイフティボックスに預けたサリーを盗まれたそうです。
インド、こういう辛い事も多いのが現実ですね。


さてさて、インドではどんな宿に泊まっていたかと言うと…。

 私は貧乏旅行に憧れてたので、我慢の出来るぎりぎりの旅がしたかった。
そして、たまたま誘ってくれた友人も、同じぐらいケチ旅行を目指していたので、貧乏旅行を満喫する事となった。

 初日のムンバイでの宿は、インド門の近くの安宿街であった。
ガイドブックを見ながらインド門を目指していると、一人のおにいさんが声をかけて来た。宿を紹介すると言う。しかし、価格はガイドブックの2倍。多分、ふっかけてると思った私達は、彼の申し出を断り、再び、ガイドブックの宿を目指した。
 一軒目は、ダブルなら空いていたが、やはり、ガイドブックの2倍ほど値段(1部屋350ルピー)だった。当然、私達は抗議したが、ホテルのおじさんは、そのガイドブックは古いんだと言った。ここに来る前にオーストラリアの本屋で買った最新版のロンリープラネットが古いと言われて、納得できなかったが、もう日も暮れてきて、野宿の出来る所ではないと判断し私達は受け入れる事にした。
 私達の部屋は、四畳半ほどで(個室)にダブルベッドと椅子と小型のTVがあり、天井には扇風機があった。シャワー室は、外(トイレと共通)にあり、当然だけれど水のシャワーであった。
 次の日の朝、友人は、もっと安い宿を探すべく行動を開始。
歩いてわずかに1、2分の所にあるサルベーションアーミー(救世軍)のやってる宿が空いていることが分かり引越しした。しかし、ここでもガイドブックの2倍の値段(100ルピー)になっていて、ムンバイのホテルの値段が高騰している事を知らされた。
 ここは、イギリスの占領時代を思わせる洋館建である。
部屋はドミトリーで、男の人と女の人の部屋は別れていた。私達の部屋は5つの2段ベッドがある10人部屋で、部屋の奥がシャワールーム(トイレ)であった。
 部屋には、ここの主のごとく居座っている太ったお姉ちゃんがいた。彼氏とインドにやってきた日本人の女の子は、彼と離れ離れで泊まる事を不安に思って、私達の存在を喜んでいた。男友達を平気で部屋に入れる欧米系女性に怒る他の女性。彼女は次の日の早朝、宿を出ていった。私は、自分の意見をハッキリ言える彼女の強さに憧れた。
 ここでは、朝食が付いていた。ダンスホールのようなテラスのあるホールが食堂で、壁には行方不明者の写真が貼ってあった。
 次なる宿泊場所は、ムンバイから内陸に2時間から2時間半ほどのところ、ADSというNGO(NPO)組織の中のゲストルーム。その施設内でボランティアで英語を教えている、私の知り合いのお兄さんを訪ねていったのだ。
インドの過酷な環境にビックリしたのか私は発熱し、ゲストルームに1週間もお世話になった。(只)
コンクリート打ちっぱなしの建物で中に入るとすぐの応接間があり、奥にベッドルーム(シングルベッドが4っつ並んでいた)トイレ、シャワールムが別々にあった。食事も施設内の食堂で頂いた。


インド旅行の話します。

1998年の4月5月の事だったんだけど、オーストラリアで出会った助産婦さん(日本人)に誘われて行く事になったの。
前から行きたかったし、一人で行くのは怖かったから、迷わずOKしました!

 ビザを取る為に、マレーシアに2週間ほど滞在し、その間に助産婦さんの持っていた「地球の歩き方」インド編の「私はこうして騙された」ってところを熟読しました。(笑)

 でっ、いざ!インドへ。
私がオーストラリアで買った「ロンリープラネット」には、ボンベイ(現在はムンバイ)はEconomy power of India って書いてあったんだけど、ムンバイの空港は薄暗く、半分工事中みたいだった。
 街まで行くためのシャトルバスは何故か運行してなくて、みんな口を揃えて「タクシーで行きなさい」っていうの。
でも、最初からお金使いたくなかったし、タクシーは最もぼられ易いって思ったから「他の方法は無いのか」と、私より英語の出来る助産婦さんは聞きまわってくれた。
誰かがバス停を指して「あそこから電車の駅に行くバスが出ている」って教えてくれたけど、ミミズのようなヒンディ文字の数字と行き先は読めず・・・。 (T.T)
 すると、ピーナッツ売りのおにいさんが「どうした?」って声かけて来たの。
『親切そうに声かけてきて、実は騙すつもりじゃないの?』と思いきり警戒しながら、事情を説明する助産婦さん。
このやり取りに、近くに居た人も寄ってくる。(これが実にインド的!野次馬大好きインド人)
野次馬の一人のおじさんが突然、止まっているバスを指しながら「これに乗れ」って言ってるみたい、自分も乗り込もうとしながら。
えっ?って思ってると、ピーナッツ屋さんも「あのおじさんについて行け」って言っている。
『これって、ピーナッツ屋とおじさんがグルで、後で大金請求されるんじゃない?』と猜疑心を抱いたまま、バスに乗り込んだ。
 言われるままに、車掌さんにバス代を払い、バスは走り出した。空港から少し行ったところには、あばら家(家と言えるかどうか、テント以下)に住んでる人がワンサカ。
『あ〜、インドに来てしまった』って思いました。
 しばらくするとおじさんが「ここで降りる」って、合図した。
(この人は、英語話せないらしい)そして、おじさんも降りた。
降りたところは、道に屋台の並ぶゴチャゴチャしたところ、電車の駅など見当たらない。
『このゴチャに紛れて、あのおじさんから逃げよう』って相談したけど、おじさんは私達を見ながら「こっちだからおいで」って首で合図してる。
仕方なく付いて行くと、確かに電車の駅は在った。
私達では絶対に探し当てられないところに!!
 おじさんは、指で電車代を教えてくれる。
切符を買った後、振り向くとおじさんはまだそこにいた。
『いよいよ、お金請求されるんだね』って腹括ってたら、おじさんは「プラットホームは何番だから」って、指で合図して「気を付けてね」って、親切に微笑んでくれました。

 これが、インド旅行の最初の体験でした。
 後で、ロンリープラネットを読むと「最も安上がりだけど、わかりにくい街への行きかた」だと書いてありました。


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