70年代フォークも語りたいと標榜している以上、少しは70年代フォークも語らねばならない。先日、お台場で南こうせつを見た。あのビッグな、有名な、NHKでも引っ張りだこの南こうせつではない。あのころ、僕が中野の丸井の7階へ毎週見に行っていた、あのフォークシンガーの南こうせつがそこにいた。坂崎幸之助などがとても小物に思えるほど、あのお台場のこうせつは偉大だった。
 けれど、やはり競演した(主役の)高田渡が一番、偉大なのは言うまでもない。そして、加川良は、やはりシャイでメジャーになりきれないまま、そう、30年前と全く変わらない姿でそこにいた。
 いろいろなことを考えさせられた。たとえば、人にとって職業とは何かとか、稼ぐこととはどういう意味があるのかとか。
 フォーク歌手に限らない。60年代のロカビリーの歌手や70年代のGSの人々も細々と、しかし、めげることなく歌手を続けているケースが多い。芸能人は3日やったらやめられないと揶揄するのは、かんたんだが、実はサラリーマンだって似たり寄ったりだ。カルロス・ゴーンだっているし、その他大勢もいる。吉田拓郎もいるし、加川良もいる。それだけのことだ。
 でも、どうして「教訓1」にもっと注目しないのか。南こうせつのパフォーマーとしての強さとともに、印象に残ったのはそのことだった。
2003年09月04日 01時52分15秒

復帰宣言などと書いてまた途切れてしまって、本当に怠け者だと反省しても、後の祭りだが、今度こそ、今度こそ、と呪文のように唱え、性懲りもなく、書き始める。
 大菩薩峠は思ったよりもよかったか悪かったか、ということを考えたい。避難小屋が思ったよりもきれいだったこと、そして山頂付近を歩いていた地元の人が、地下足袋だったことがよかったこと。悪かったのは、まず天気。雨にぬれた草でズボンが泥んこになってしまったこと、それから、やはり、人気の山で人が多く、人が休んでいる後ろで、しゃべりまくっている中年夫婦がいたこと、それから、かねてから偏見を持っている山梨県の商人への偏見、具体的に言うと山小屋の人の慇懃無礼な態度、あるいはお金を使う人だけを大切にする態度を再度、確認したような気がしたこと、などなど。
 でも、結論的には行ってよかった。やはり有名な山には行くべきだ。なぜなら、そこに山があるから。
 ごめん、今度こそ、次こそ、ちゃんとした山行記書くからね。
2003年09月03日 03時59分48秒

えらそうにスタートしてすぐ挫折。この繰り返しを何度も経験しているのに、なんとも懲りないやつだ。5月にスタートしたこの日記。その後、大菩薩や乾徳山に行ったのに、日記のことなどすっかり忘れてしまい、ネットオークションですっかり遊び呆けていた。
 そもそも、山日記と気取っていたのが行けなったのだ。これからは身辺雑記をかねて、もう少し気楽にザラつきを抑えて、書いていこう。と復帰の弁。
2003年08月26日 01時57分06秒

登山のことだけを書いていこうと思ったが、なにせネタがなく(経験不足)、そしてこの週末はその不足を補うべくどこかへ行こうと思っていたが、天候に恵まれず、いろいろと困っている。
 45歳からはじめる山男としては、もう少しペースをあげていかなければと思うのだが、なにせパソコンも初心者だし、晴れていて、しかもすいている山しか行きたくないというわがまま者では、なかなか前へ進まない。しかし、そんなごたくをならべているとなおさら進まなくなってしまうので、ここで夢はでっかく、でも小さな現実も見据えつつ今後の予定を立てていこう。
 5月中に1回、日帰り登山。場所は大菩薩か乾徳山。6月に1泊で八ヶ岳。7月に1泊で甲斐駒ケ岳か北岳。
 秋から冬に雪の舞う奥多摩か金時山。
以上が2003年の予定。 
 ついでに5年後までには、すなわち50歳までには槍ヶ岳、白馬、穂高には行っておきたい。そしてその後5年間の間に、ロングの縦走ができるぐらいにがんばりたい。ついでに初歩の沢登りもね。
 う〜ん、そんなに大変ではないような、すごく大変なような。どちらにしても、早くどこかに行かねば。
2003年05月19日 00時21分59秒

 深田久弥までさかのぼらなくとも、つい最近までの登山は大変だったんだなぁと思わないだろうか。まずザック。アタックザックが主流になったのもそんなに古くないような気がする。それまではあの横長の布製のザックだった。カニ族なんという言葉もあった。そして500mlのペットボトル。つまりは24時間営業のコンビにの存在。
 登山に限らないが、ほんの10数年前までは1人で何かをするというのは至難の業だったのある。まず弁当を用意しなければならない。もし、1人暮らしならこれだけで大変だ。交通機関もタクシーで登山口までということはまず考えられない。経済的な側面からもそうだが、山男的側面、つまり車なんてとんでもないというアナクロ的な側面からもタクシー利用は許されない。
 だから、単独登山は常識の範囲外だったのも無理はない。登山、とくに高山への登山はエキスパートのものなのである。だって、食事の支度だって大変なのだから。
 学生時代にいくつかの山に登ったけれど、そのときにどんな弁当を持っていって、山小屋や下山後、どんな食事をしたか全く思い出せない。
 おそらくそれは記憶に残らない、まずくもおいしくもない食事だったのだろう。今の山小屋がおいしい食事を売り物しているのがうそのようだ。山もまたラーメン屋のブームをなぞっている。
2003年05月13日 01時05分52秒

山登りのガイドブックにはまず、決して1人では登ってはいけない、と書いてある。なぜ、1人ではいけないのかという理由も書いてあって、そのいちいちがもっともである。怪我したらどうする、道に迷ったらどうする、etc. 
 でも1人がいけないのであれば、どうやって複数人を集めるのだろうか。学生時代から、バリバリの山男で、毎週末は家族を顧みず山へこもる「ハマちゃん」生活を送っているのならともかく、たまの休日、それも平日の代休に気分転換に山でもというときに、じゃ俺も、俺もと仲間が集まってくるような環境にある中年男はそんなには多くない、というよりまずいないと思うのだが。
 山へ1人でいってはいけない、というルールの背景には山岳部の存在があると思う。それはすなわち日本の運動部すべてがもっている閉鎖的な体育会体質があるのではないだろうか。仲間を大事にし、外部の人間は徹底的に排除するこの体質には、たびたび困らされているけれど、この問題を掘り下げるのはかなりディープなので、ここではここまでにしておく。
 登山道具のハイテク的発達というハードの面、交通機関の問題、そしてインターネットを通じての情報交換。こういったツールの発達が、山岳部から個人へと山登りを開放した。1人ぼっちの山登りは21世紀の情報革命の成果の一つなのである。と大げさな結びでこの日記帳はスタートした。
2003年05月12日 11時02分03秒

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