環境・農・歴史

 

 これは、以前エントロピー学会機関誌34号(95年8月)に掲載したものです。        
   ー環境と農業から世界史を考えるー  
                         
 人類は歴史の「進歩」と共に「自由」を拡大し、その頂点が現代のヨーロッパ型
高福祉社会であるという考え方がある。日本は明治以来ヨーロッパを目指し、ここ
までやってきた。多くの途上国でも都市を中心に、いつかは日本や欧米のようにな
れると信じて努力が続けられている。以前、私もそれを疑わなかったが、環境問題
に触れ、有機農業者の話に耳を傾け、小さな畑を耕すようになってからはどうもお
かしいと思うようになった。そこで仕事である世界史の授業を、環境、第三世界、
農業などの視点から組み直してみることにした。既に概要を94年8月の倉敷合宿
で報告させていただいたが、これはその授業実践の前提となった、私なりの世界史
のとらえかたである。        
(1) 近代以前
 採集狩猟生活はほとんど蓄えを持たない。それゆえ、富を奪い合う事も少なく環
境にも優しかった。人類はこの採集狩猟生活によって数百万年にわたって持続的な
生活を営んできた。(それでもかなりの生物を絶滅させたが)農業発生直前の1万
年前の人口は僅か4百万人である。        
 農耕牧畜が始まると生活は安定し、人口は紀元前1千年には5千万人に増加する
が、採集狩猟生活を守り続けようとした集団もあり、人類は二つに分かれる。しか
し、採集狩猟民は増加する農耕牧畜民に押され次第に減少する。一方、農耕牧畜民
の側では、農業技術は向上したが人口増加は大きな圧力となってのしかかり、武装
を強化し他の集団を襲い勢力を拡大することで、この問題を解決しようとする者も
あらわれた。農耕の場合、穀物は年に一度しか実らず、一年分を蓄えなければなら
ない。牧畜の場合、家畜は毛や乳を生んでくれる貴重な生産財である。採集狩猟民
から獲物を奪っても、せいぜい数日分の食糧でしかないが、農耕民の一年分の穀物
や牧畜民の家畜は、命懸けで奪い取るだけの価値がある。こうして、農耕牧畜の開
始と共に、激しい闘争が生まれた。
 しかし、戦乱の連続は農耕牧畜にとってはマイナスである。人々は秩序と安定を
求め、それに答えたのが強力な軍事力を持つ古代都市国家であった。その一つがメ
ソポタミアである。そこでは大規模な灌漑用水路の建設が行われ収穫は激増したが、
灌漑は塩分を畑に蓄積させ、都市の木材消費は周囲の森林を破壊した。こうして周
辺は次第に砂漠化し都市は崩壊した。古代ローマ時代は、農産物や森林資源を大型
船によって広範囲から集めることで、より巨大な都市が栄華を極めた。しかし、そ
の結果、地中海全域にわたる被収奪地域は荒廃し、ローマも滅んだ。
 中世ヨーロッパは、イスラム勢力におされ、もはや広域収奪は不可能となる。こ
のため人口は大幅に減少する。一時的に人口が増えた際には、地力の回復を無視し
て農地は酷使され環境は破壊されたが、まもなく飢饉と疫病が人々を襲い人口は減
少し、環境は回復する。ローマ時代の街道は打ち捨てられ、物も人も移動すること
が困難であったこの時代は、限られた小さな空間の中でこの循環を繰り返していた
のである。この恐怖の人口増減の波によって「環境に優しい生活」が強制されてい
たわけである。死が身近なこの時代には人々は神と来世を信じていた。利子や蓄財
は否定され、金は卑しいものとされ、国王も大商人も死ぬときは財産を教会に寄付
した。寄付の多くは数百年がかりの教会建築に使われ、多くの貧しい人々に安定し
た雇用を提供した。        
(2)中世末期−近代
 それでもしかし、人口は増加し環境は次第に悪化した。それは十字軍のような植
民活動を生むが、強力なイスラム技術の前に敗退する。そして教会権威の失われ行
く中で、ヨーロッパは技術の力に目覚めるのである。それは、ルネサンス・ヒュー
マニズムという名の土木、軍事、運輸を中心とした広域収奪型技術の再発見であっ
た。同時に教会を否定するプロテスタントが生まれる。彼らは献金を否定し、教会
の財産再分配機能は低下する。蓄財も肯定され、形成された資本は後の産業革命の
基盤となる。教会に代わって権力を握ったのは、商業資本と結び付いた国王であっ
た。彼らは「新大陸」で、大規模な収奪を開始する。大型艦船の建造も盛んになり、
ヨーロッパの森林資源は減少したが、その代替は「新大陸」の森林であった。
 経済力を強めた商工業者は、市民革命によって国王を倒し市民国家を樹立する。
その結果、さまざまな権利が確立するが、中心になったのは「神聖な財産権」と「
他人に被害を与えない範囲で全てのことを行う自由権」であった。これらの概念は
「新大陸」が保証した「無限の資源」と、ベーコンやデカルトが保証した「普遍的
な科学」を前提としていた。「無限の資源」を、「普遍的な科学」の支配下に置き、
「自由」な競争にゆだねれば、人間はどこまでも豊かになれると信じたのである。
 初期の中世ヨーロッパでは多くの人が一生村を出なかった。このような閉鎖的空
間の中では、地域の環境と共存して生きるしかない。そこでは環境と共存するため
の様々なルールと知恵が、政治や科学のような範疇に分化する以前のタブーや慣習
の形で、あるいは領主による強制の形で築きあげられていた。近代思想はそれらの
全てを現世代にとっては不合理であるという理由で否定し、「民主的」な政府が定
めた「普遍的な法」、知識の専門家である「科学者」が定めた「普遍的な科学」に
代えてしまう。「普遍的な法」は「民主的」な政治システムによって作られたもの
ではあるが、ここでは次世代の事までは考慮されない。次世代を考慮しないがゆえ
に、通常、次世代まで考慮した決定よりは、現世代にとって有利な結論を導き出す
ことが出来る。「普遍的な科学」はすべての知識がかつて持っていた地域の特殊性
を剥ぎ取られて生まれたため、多くの地域で適用可能となり大きな力を発揮するが、
その適用には当然のことながら地域の持続性は考慮されない。
 「自由」な競争の結果、この「普遍的な法」のシステム、「普遍的な科学」のシ
ステムは世界中に広がり、次世代を考慮する様々なローカルなシステムは破壊され
た。白人侵入前の北米大陸では、採集狩猟を中心とし、小規模な農耕を伴う、自然
の中に融け込んだ生活が営まれていた。土地は神のものと考え、様々なタブーによ
って限られた地域の中で慎ましく生きてきた彼らは、拡張する市民社会に押し潰さ
れていく。市民社会の原点となったルソーの人民主権の考えが、支配者を戴くこと
無く平等で持続的な生活をしていた彼らの姿から発想されたという事実は皮肉なも
のである。近代ヨ−ロッパは、彼らが自然と共存するためにつくりだした厳しいタ
ブーは無視し、心地よい表面だけを取り出して、殺戮の返礼を送ったのである。        
 「自由」な経済活動は、ヨーロッパの森林を根こそぎにし、新エネルギーの開発
を促した。それは低エントロピーの化石資源である石炭と、その採掘手段の工夫か
ら蒸気機関を生み、大量生産、大量輸送の手段を人々に与えた。大量生産は手工業
者の失業を内外に発生させたが、イギリス国内の失業者は「新大陸」が吸収した。
本当に失業に苦しんだのは、失業者を放出できなかったインド等の植民地側である。
この時代、ヨーロッパの生活水準は急速に向上し、死亡率が低下する。6歳で「就
職」し、14時間労働に苦しむ当時の子供達の姿を思い浮かべればこれは信じ難い
が、ロシア農奴が生産した穀物を輸入し、中世には頻発していた飢餓は無くなり人
口は増加し始めるのである。そして、その人口増加もまた「新大陸」が吸収した。        
数十年の間にヨーロッパの人口は1億4千万人から2億人に増加するが、同時期の
「新大陸」等への移民は7千万人近くにのぼる。
 大量輸送手段は市場と原料確保の地理的限界を破壊した。かつて豊かであったイ
ンドは、僅かな間にイギリス工業製品の市場、原料供給地にされてしまった。以降
インドはイギリスに綿、茶などの農産物を供給し続ける。インドからそのようにし
て失なわれた有機物はインドに戻ることはなく、農地の疲弊が始まった。貧しい「
南」と豊かな「北」の誕生である。この時代、世界各地で地域の持続的な自給農業
を支えていた農地や森林は破壊され、木材資源は次々に工業国に送られ、裸にされ
た土地はプランテーションとなった。紅茶の流行は大量の砂糖需要を生み、中南米
を中心に、多くの養分を消費するサトウキビ栽培が土地を急速に疲弊させた。現在、
熱帯雨林の破壊が問題になっているが、森林破壊は当時から盛んに行われてきた。
大量輸送手段がもたらした「自由」な貿易は、既にこの時代から世界中で自給経済
の環境的基盤を破壊していたのである。        
(3)現代
 産業革命期、石炭の他にも実用化した低エントロピー化石資源があった。グアノ
等の化石肥料である。ヨーロッパの農家の耕作面積は広いが、それは単収が少なく、
人口扶養能力が小さかった時代の名残りである。貧困の象徴であった広い耕地面積
が豊かな富を生むようになるのは、不足する肥料を植民地から収奪出来るようにな
ってからである。こうして生じた余剰農産物は役畜に投入された。この時代には工
業国でも、いや植民地から肥料を奪い取る力を持った工業国だからこそ大量の牛馬
を使用できたのである。軍馬というと古臭いイメージがあるが、大量に使用された
のは中世や近代ではなく現代の2回の大戦である。また、第一次大戦当時は工業と
は言っても綿織物など、農地の確保を必要とする分野の比率が高く、軍馬と歩兵を
養い工業原料を生産する領土の確保が国家の目標とされた。
 大量の火薬を生産した化学工業は戦後は大量の化学肥料を生産し、農業生産をさ
らに高めたが、石炭より遥かに低エントロピーの石油の実用化によって普及した自
動車、トラクターによって、役畜は減少し始める。その結果、それまで役畜が消費
していた穀物が大量に余ってしまった。アメリカから始まる世界恐慌の原因の一つ
は、こうして生じた余剰による穀物価格急落が招いた農業者の購買力減少である。
世界恐慌はアメリカを中心とした経済秩序を破綻させ、大国は自国の植民地を囲い
込む保護貿易に走った。この際アメリカは国内投資と余剰穀物による牛肉生産の拡
大によって、一応危機を脱したが、それが可能であったのは「西部」という植民地
を自国の中に持っていたからに過ぎない。
 日本は明治以降急速な近代化を行うが、その対価は生糸と銅で賄われた。農村で
は税を払うため、自給のための畑をつぶし桑を植えた。当然食えなくなり、男児は
闇に葬られ、女児は製糸工場へ売られた。銅精錬は健康を奪い環境を破壊した。こ
うして得られた外貨で技術を導入し、日本は近代化に成功する。当時、江戸社会は
明治政府によって徹底的に批判されたが、それは、江戸時代に比べはるかに収奪さ
れ困窮している農民に対し、「昔よりましだからもっと働け」と尻をたたくためで
あった。
 恐慌が招いた厳しい保護貿易の中で、第一次大戦の敗戦により植民地を奪われた
ドイツは東欧へ、不況に突入し増加した都市人口を養えなくなった日本は、朝鮮、
中国への侵略を本格化する。ドイツ国民のための自給圏確立を主張するヒトラーは、
ポーランドのユダヤ人を虐殺し、農地を自国民に分配した。満州を奪った日本は中
国人を虐殺し、農民を移民させ、大量の油粕も肥料として奪い取り、米の増産に成
功する。さらに、朝鮮半島だけでも年数百万人分の米が日本に飢餓移出された。江
戸時代3千万人であった人口は当時6千万人にも増加していたが、その食糧はこう
して賄われたのである。
 第二次大戦後発足したガットは、戦争の原因の一つが保護貿易主義であったとし、
徹底した自由貿易を主張した。自由貿易によれば軍事力を行使する事なく、必要な
ものを平和的に交換できるというわけである。しかし、その「交換」に大きな問題
があった。同じ効用を得るには、農産物より工業製品の方が労働力投下は少なくて
すむ。同じ繊維を作るのに、石油が原料なら機械に流し込めば量産可能だが、綿の
場合は育てるところから始めなければならない。綿の場合は原料生産と均質化(低
エントロピー化)の過程を人間の労働力投下、太陽エネルギー、時間の経過によっ
て行うのに対し、石油の場合は既に低エントロピー状態であり、工業はその価値を
用途に応じて具体化するだけである。
 市場では低エントロピー資源を独占して生産された工業製品と、人間の労働と自
然によって生産された農産物が競争させられ、投入労働力、土地の割りには使用価
値の大きな工業製品は高く、農産物は安く取引される不等価交換が一般化した。そ
して、この交換は有機物を工業国に一方的に移動させることで途上国の農地を疲弊
させ、また、工業生産の際に化石資源を消費することで、環境を破壊する。工業国
でもアメリカ、オーストラリア等の、「新大陸」地域は大量の穀物を輸出している
が、その生産には大量の低エントロピー資源が投入されている上、土壌と水の維持
は軽視されており、これもまた環境収奪的である。
 ガットの主張する自由貿易は、工業国によるこのような収奪の「自由」を保証す
るシステムであると言える。工業化を進める援助も与えており、現にNIEsはそ
の結果成功しているという主張もあるが、NIEsを含む全ての工業国は豊かな水
という極めて重要な低エントロピー資源を独占しており、生活用水さえ不十分な他
の途上国が追従できる可能性はほとんどない。こうして先進工業国では戦争を伴わ
なくとも、安定した収奪が可能になり、かつて横行していた露骨な領土争奪は影を
ひそめ、「平和で豊かな社会」が実現したのである。
        
(4)まとめ
  現代のヨーロッパの高度福祉国家は、余剰人口を「新大陸」に放出した上、植民
地支配時代から現代まで収奪を蓄積してきた結果であり、決して他国には真似でき
ない。これは古代ローマのような広域収奪型社会の巨大化したものに過ぎず、その
未来に存在するのは廃墟でしかない。しかし、低エントロピーの化石資源によって
担われている現在の人口は、伝統的な持続的社会システムでは到底維持できない程
巨大化してしまった。陸上哺乳類の平均的な生息数から算出した体重60kgのヒ
トの1平方キロ当たりの妥当な密度は、僅か1.4人である。この数なら生態系の
一部として持続的な生存が確実であろう。しかし、現在の密度は39人(先進国は
21人、途上国は52人)を越える。
 継続的な収奪で疲弊した途上国がヨーロッパのように豊かになることも、これだ
けの数の人間が自然と暖かく調和することも「夢」でしかない。だが、「夢」のよ
うな進歩史を否定した教育は、持続的なシステムの再構築への何らかの糸口になる
のではないだろうか。        
参考文献
  安田善憲「文明は緑を食べる」  読売新聞社 1989年
   湯浅赳男「環境と文明」     新評論   1989年
   遅塚忠躬 ヨーロッパの革命」  講談社   1985年
   クライブ・ポンティング「緑の世界史(上、下)」
                  朝日新聞社1994年
   本川達雄「 ゾウの時間ネズミの時間」中公新書 1992年

																								
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