なぜ近代は崩壊するのか

Q、なぜ近代は崩壊するのでしょうか?

A, 生産を中止したからです。

  従来人間は生存に必要なエネルギーを労働投入によって生産していました。手で耕し種を蒔いて米を収穫し、草を刈り馬に与え馬力を得、木々を植え育て、薪を得ていました。このような労働投入によって得られたエネルギーは持続可能です。このような人間によるエネルギー生産過程は、光合成による炭素化合物生成過程であり、同時に二酸化炭素固定過程でした。

 このような生産活動を中止し、採掘される消費されるだけの化石燃料に切り替えたことが近代の本質です。薪炭を石炭や石油に切り替えたが故に生産効率が上昇し、コスト削減が可能になったのです。それは当たり前でしょう。原油や石炭は、太古の太陽光によって二酸化炭素を固定したものであり、ストックです。生産を中止しストックを使えば、ストックが尽きるまではコストは大幅に引き下げることができます。

 アパートに住む貧乏学生でも、「我は豊かだ!」と宣言することは可能です。押入に溜め込んだ缶詰とラーメンを食べておれば、バイトに行く必要はありません。しかし、それを進歩だ、労働を軽減する画期的な改革だと思いこむのは単なるアホでしょう。労働を止め収入を失った彼は、もはや新たなラーメンを買うことはできないからです。

 伝統的自給的な暮らしを捨て、ストックに過ぎない化石資源に依存する近代的暮らしを拡大する人類と、このアホ学生とはどれほどの違いがあるというのでしょう。このようなシステムは原理的に持続性を持ちません。アホ学生が、いくら押入のラーメンが減らないことを願ってもその願いは叶えられないように、いくら人類が願っても近代的な消費生活は早晩崩壊します。

 

Q、前近代的な社会では増大する人口は養えないのでは?

A, 近代農業は間もなく破綻します。都市を解体すれば、伝統的農業でも多くの人口を扶養可能です。

  近代農業は大量の農産物を供給しています。しかし、そこには常時大量の化学肥料とエネルギーが投入されています。近代社会が大量の人口を養えるという主張の中には、これらの肥料やエネルギーが無限に供給可能であるという暗黙の前提が含まれています。当たり前ですが、その前提は有限な地球では成立し得ません。燐酸肥料の原料となる燐鉱石は、初期に開発されたナウルでは既に枯渇しました。最大の埋蔵量を誇るのはモロッコ植民地の西サハラですが、その可採年数は100年を越えることはないでしょう。燐供給が停止すれば、近代農業の全てが停止します。恐らくそれは今世紀末に訪れることでしょう。また、サウジアラビア、アメリカ、オーストラリアの一部など相当の地域では、降水量を超えた水使用を行うことで農業生産が営まれており、これらもまた地下水(化石水)枯渇と共に破綻するでしょう。このような近代農業が高い人口扶養力を誇れるのは精々あと100年程度であり、その後には近代農業を営むという選択肢は存在しなくなると思われます。前近代の農業が多くの人口を養い得なかった最大の理由は、支配者が居住していた都市が、農産物を収奪し、農産物中に含有されていた養分を農地に還流させる仕組みを欠いていたからだと考えられます。それ故、近代崩壊後の次世代社会では、都市の存在を許さず物質的に閉じた自給社会とすべきでしょう。前近代農業の最大の問題点であった収奪による農地疲弊を都市解体によって回避すれば、持続可能で多くの生産を可能とする新たな農業社会構築が可能であると考えます。

 

 

Q、第一次産業革命で蒸気機関を発明した人類は、第二次産業革命では更に効率の高いガソリンエンジン等の内燃機関を発明しました。人類はこのように進歩することで、問題を解決できるのでは?

A,蒸気機関とガソリンエンジンの本質的な違いは燃料の質であり、装置の高度さではありません。

燃焼部分をシリンダー外に持つ外燃機関である蒸気機関は、燃料として燃える物はなんでも使えます。石炭が無ければ薪でも動くでしょう。世界恐慌時、コーヒーが輸出できなくなり、石炭が輸入できなくなったブラジルではコーヒー豆を燃やして汽車が走ったとか。一方、シリンダー内で燃焼を行う内燃機関は、燃料が液状または気体状で、燃焼後シリンダー内に固形の燃えかすが残らないという条件を満たす必要があります。内燃機関の動力機関としてのエネルギー効率の高さは、その仕組みの高度さによるというよりは、燃料の質の高さに依拠していると言えるでしょう。一見人類が進歩しているかのように見える現象の多くは、より高品質な資源の消費に過ぎない場合が大半であるように思われます。

 

Q、デンマークの電力の10%は風力で賄われています。自然エネルギーが問題を解決してくれるのでは?

A, 自然エネルギーは万能ではありません。

 風力発電とは風のエネルギーで電力を得る発電方法です。では、風とは何でしょう?風は空気の流れですが、訳もなく吹いてる訳ではありません。地表を駆ける風は暖かな水蒸気をはらみ上昇します。水蒸気は上昇後冷却されて水滴に戻り水滴が集まって雲となり、雨となって地表に水は戻ります。水蒸気が水滴に戻る際には、地表で気化した際に得た熱を放出します。即ち、風によって運ばれる水循環の過程は、地球全体の水冷システムであると言えるでしょう。風の人為的利用は、それが極めて僅かな場合にのみ持続的に可能なのであって、大規模に行えばこの冷却効果を削ぎ温暖化を助長する可能性があります。もっとも、まだまだそのような段階ではないと思われますが。

 水力発電におけるダムの問題はもっと顕著です。ダムは水だけではなく土砂や養分も堰き止めるため、下流域の土壌と海域では貧栄養化が起こり、農地では化学肥料が必要となり、海域では漁獲が減少します。土砂流量の減少は、流入土砂と海流は波浪によって削られる土砂のバランスを崩し、汀線後退(海岸部平野の消失)を発生させます。多くの海岸が無骨なコンクリ護岸を必要とするのはこのためで、それは海岸部の生態系を破滅的に破壊してしまいます。

 

Q、アラブもアフリカもインドも非近代的社会は、どこも人口過剰が原因で貧困を自ら引き起こしている面があります。先進国と言われる地域はどこも適切な人口密度を保っています。西欧と同じ近代化の方向を目指せば、自然に問題は解消するのではないでしょうか。

A、西欧がとった適切な人口密度実現手法を現在の非西欧諸国が真似することは不可能です。

 どうして欧米だけが適切な人口密度を保っているのか。それは衛生水準が改善し従来の多産多死の状況が多産少死となった際に生じた人口増大を、移民によって解決したからであると言えます。産業革命期の西欧は、その人口の2割以上を「新大陸」に移民させました。その結果、都市では慢性的人手不足が生じ、機械化進展の契機を生み、また機械化に伴う失業が深刻化しせず、人口密度も適切に保つことができ、高学歴化と生活安定による少産化を進めることができたと言えます。

 一方、現在のアフリカやアラブやインドでは、衛生水準向上はあっても、人口の何割もを移民させることのできるような「新大陸」は存在しません。従って機械化はそれを生かすことが出来る者だけを豊かにする一方で、莫大な失業者を生み、貧富の差の拡大に歯止めがかからなくなっていると言えます。

 

Q、いくら資源を用いない地域自給が正しいと主張したところで、多くの人々が豊かな今の暮らしを手放すことは考えられないのでは。

A、その通りです。豊かな国々の全ては民主主義社会であり、民主主義社会の枠組みの中では、国民が望む方向以外へ社会を向けることは不可能です。

 国民が豊かな社会の維持発展を求め続ける限り、豊かな国々は最後の最後まで蕩尽を続けてしまうことになりそうです。その結果は、資源を用いない自給的な社会の再構築が広範囲に不可能となるほどの破壊を招くかもしれません。それゆえ事態は悲しいことですが絶望的だと言わねばなりません。そのような状況を冷静に受け止めれば、個々人としての解は、各自が自給体制を構築することによって生存を計ることではないかと思うのです。誰かが助けてくれるべきだと主張しても誰も助ける余力を持つものはいないでしょうから。

 

Q、先進国と途上国の関係をどう考えますか。

A、なんとかして持続的生活スタイルを忘れてしまった先進国をそれらの技術を未だ保持し続けている途上国が援助していくのが正しい道だと思います。

先進国は途上国の近代化のために援助や指導を拡大する必要があるという考えが一般的です。しかし、これは逆ではないでしょうか。もし、先進国が優れているならそういう考えも成り立つかもしれませんが、先進国は多くの分野で途上国に比べて遅れています。まず、先進国の教育水準は極端に低く、ほとんどの人々が自分で食糧や布や籠等生活必需品を作る技能を身につけていません。次に先進国では産業も大変遅れており、あらゆる生産活動における消費資源量は依然大量です。輸送部門も生産部門も排出二酸化炭素当たりの生産性は途上国より劣っています。これからは遅れている国が優れている国を援助、指導する等というような貴重な労働力や資源を弄ぶようなジョークは止めにする必要があるでしょう。そして、まず途上国を先進国、先進国を途上国と呼称を実状を反映したものに変更した上で、先進的な南の国々が、遅れた北の国々を指導する体制を構築する必要があると思われます。

 

Q、日本は戦時中貧しく、平和になってから豊かになりました。戦争を無くせば、世界は皆豊かになるのではないでしょうか。

A、いいえ、逆です。日本が戦時中貧しかったのは、「戦時中」が太平洋戦争末期の敗北期を指しているからであって、日清、日露戦争など日本が戦いに勝利して植民地を拡大できていた頃は、戦争に勝つごとに豊かになっていきました。戦争に勝てば豊かになり、負ければ貧しくなります。我々が豊かなのは、対植民地戦争の勝者側につくことで、植民地(今は途上国と言い換えられている)から多くの資源(原油、木材など)や農産物(ゴム、カカオ、綿花、魚介など)を安価に輸入出来ていること。そして、戦争という抵抗手段を取り得ない次世代に正に不戦勝することで、彼らから資源を無制限に奪い環境を破壊することに成功しているからであると言えるでしょう。我々の豊かさとは、これらの戦いにおける勝利の果実であると言えます。そして、当然の事ながら、一方的勝利の裏には一方的敗北があり、ここでの敗者は同時代の植民地(途上国)と次世代世界です。

 

Q、リサイクルを徹底的に推進すれば持続的社会の構築は可能なのではないでしょうか。

A、いいえ、リサイクルは効率的ではありません。

 一旦社会に散逸した物は、それがどんなものであれ、回収にはエネルギーを要します。また、それがどんなものであれ、使用後には劣化や不純物の混入が避けられません。散逸する範囲が広ければ広いほど、またその量が少なければ少ないほど効率は低下し、通常一つの市町村レベルの単位では輸送、分別、不純物除去などリサイクルのために要する資源やエネルギーがリサイクルによって節約できる資源やエネルギーを上回り、収支はマイナスになってしまいます。この問題は人間の努力や技術によって解決できる性格のものではない原理的な問題であると言えます。

 特に顕著なのがペットボトルリサイクルです。ペットボトルの原料は石油であり、単位重量当たりの燃焼エネルギーは大きな違いがありません。従って、ペットボトルリサイクルの目的は、石油をペッボトルに加工するエネルギーを再利用によって節約することだと思われます。ところが、石油からペットボトルを生産するのに要するエネルギーはペットボトル一本が持っている石油製品としてのエネルギー量の10%程度であるのに対し、ペットボトルリサイクルに必要なエネルギーはペットボトル2−3本分を要します。まったく収支が合っていないのです。ペットボトルなどは、ゴミと一緒に発電装置付きのゴミ焼却施設で燃やしてしまうのが正しい処理方法だと思われます。

 

 

            どうもありがとうございます。とりあえず今はここまでです。

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