食糧問題

<南北問題と環境問題の視点から食糧問題を考える>

 はじめに
 世界の穀物在庫が急減し、食糧不足が深刻な問題になりつつある。その原因として、一つは単位面積当たりの収量(単収)が伸び悩んでいる事、もう一つは分配が平等に行われていない事が挙げられる。これらについて、環境問題、南北問題の視点から考えてみたい。
 ー1ー 減少しはじめた一人当たりの食糧生産
 世界の一人当たりの耕地面積は1960年頃がピークで、それ以来減少を続けている。しかし、一人当たりの食糧生産量は、1980年代末まで増加し続け、世界の食糧は一応賄われてきた。これは単収が急増してきたからである。単収を増やしてきたのは主として水(灌漑)と化学肥料、そして、それらを活かすための品種改良である。米の場合、この三つの要因で増収効果全体の75%を占める。
 ところが、1980年頃から、単収の増加はゆるやかになり、1990年から93年の一人当たりの食糧生産量は年0.8%の減少に転じている。いったい何が起こっているのだろうか。

 ー1ー 水問題
 農業の近代化は灌漑の普及と共に進んできた。品種改良による多収量品種の開発によって、収穫が急増しているように言われることが多いが、多収量品種は無から有を生み出す魔法の品種ではない。それは耐肥性品種とも呼ばれ、大量の肥料投入に耐え、肥料を有効に生かせる品種の事である。投入された肥料を生かすためには、大量の水を必要とする。このため、多収量品種は大量の水を必要とし、灌漑設備が必須となるのである。
 従来、灌漑面積の拡大は農業の進歩にとって100%正しい事だとされてきた。近年のアジア・モンスーン地域の収穫増加も灌漑普及による面が大きい。灌漑によって多収量品種が導入されると同時に乾季の作付も可能となり、この地域の穀物自給が実現した。しかし、灌漑の拡大は多くの問題を引き起こしている。

(1)塩類化
 メソポタミア文明の崩壊の一因は、灌漑による耕地の塩類化であると言われている。乾燥している地域で灌漑を行うと、そのうちのかなりの量が耕地で蒸発する。此の際、水の中に含まれている塩分は耕地の表面に残ってしまう。また、ある程度耕地に浸透した後、再び上昇して蒸発する場合には、地下の塩分が水に溶けその塩分も地表に蓄積してしまう。塩分の多い状態では植物細胞の内部の水分が浸透圧の関係で引き出されてしまい、生育は困難となる。
 このような塩類化を防ぐには、十分な量の水と排水設備を用意し、排水に溶かす形で塩分を除去しなければならない。古代エジプトのナイル川の洪水を利用した灌漑も、水の供給、養分の供給の面で紹介されることは多いが、それ以上に重要なのが、洪水という大量の水で一年間に蓄積した塩分を押し流す作用が、乾燥地域での灌漑農業を持続可能にしたという事実である。
 世界の灌漑面積はここ数十年で急速に拡大したが、塩分除去による耕地の持続性まで配慮されている場合は少ない。このため、世界の灌漑面積の24%で塩類蓄積による収量低下が見られる。

(2)ダム建設が引き起こす問題
 アスワンハイダムが完成したエジプトでは洪水の直接的被害は皆無になったが、耕地は養分の不足に悩み、新たに化学肥料が必要となった。また、海岸のデルタ地帯では流入土砂の減少のために海岸侵食が進行しつつある。そして、毎年洪水が行っていた塩分除去が行われなくなったため、膨大な面積で塩類化が進行している。
 ダムの完成と同時に、それまで海に流れ込んでいた養分と土砂はダム湖に堆積しはじめる。これはエネルギーを投入しない限り除去出来ない。ダムはいつかは単なる人工の滝になってしまう。この問題を解決するために、世界で最初の堆積土砂の除去装置を装備した黒部川出し平ダムが完成した。しかし、その実験結果は惨憺たるものであった。このダムは堆積した土砂をダムの下部を開いて放出するのだが、放出された土砂の中に大量に含まれる未分解の有機物(これは本来の状態では徐々に分解し下流の生物の養分となるものである。)が急激な分解のために、水中で大量の酸素を消費したため、数時間にわたって下流は無酸素状態となり、多くの生物が死滅したのである。
 人間は水の利用を効率化するためにダムを建設するが、川を流れているのは水だけではない。養分も土砂も流れており、川をせき止めればそれらの流れも止まってしまう。ダムの多くは発電にも使われるが、発電に使う以前の水の位置エネルギーは、土砂や養分を下流に流したり、洪水によって一気に広大な耕地の塩分を除去したりするのに使われていたのである。ダムを完成させた人間は、安定した水資源供給や電力と引き換えに、それらの利便を失った。
 日本では海岸線の人工化が環境保護の観点から問題にされているが、理由なく海岸がコンクリートで固められているわけではない。ダムのために流出土砂が減少した事などが、汀線後退を引き起こし、それによる海岸侵食を防止するために止むを得ず行われてきた面が大きいと言える。

(3)井戸掘削が引き起こす問題
 井戸の掘削は水不足に苦しむ地域の特効薬である。途上国に対する援助においても多くの予算が投入されている。しかし、井戸は水を掘り出すだけであり、水を生むわけではない。
 深い井戸を掘って大量の水を手に入れれば、周辺の浅い井戸は涸れる場合があるし、海岸に近い地域であれば下流で地下の淡水の後退と海水の進出が生じることもある。海水が地下で進出してきた地域では井戸水に海水が混じるようになり利用は困難となる。化石水と呼ばれる地下の蓄積水を利用する場合は、蓄積されている量を使い尽くせば無くなってしまい、水資源枯渇の問題が深刻となる。アメリカの灌漑農業地帯では、降水量のうち地下に浸透する水量よりはるかに大量の水を、井戸から汲み上げて利用したため、地下水位が急速に低下している地域もある。
 近代以前は水を汲み上げるのは大変な作業であったため、地下水が大量に消費されることは無かったが、動力ポンプによって容易に地下水が得られるようになった現在、地下水の消費は格段に増加し、その劣化と枯渇は深刻な問題となっている。

(4)工業用水との競合
 現代の工業国はすべて水資源の豊かな地域に立地する。工業は多くの部門で大量の水を必要とするからである。その用途は溶媒、冷却、洗浄等多岐にわたっている。半導体産業は清浄な水を大量に必要とする工業の典型である。半導体の高度な集積度を実現しているのは高度に洗浄された清浄な空気やシリコンである。この洗浄作業には揮発性の薬品も使用されるが(その典型がかつてはフロンであった。)清浄な水も大量に使用される。半導体の高集積は、清浄な水に汚れを除去させることで実現しているのである。
 水資源の乏しい地域では工業発達は困難である。無理に工場を建設すれば、地域の必要最小限の生活用水や農業用水さえも工場が奪ってしまう。タイや中国では急速な工業化のため、多くの農業用水が工業に転用されはじめている。

(5)技術は水を生まない・技術は資源を生まない
 最後の問題は、灌漑は水の移動手段であって生産手段ではないという点である。灌漑用水路を建設した場合、必ず水の供給を受ける地域と奪われる地域が生じる。従来、直接人間の活動に使用されていない水はすべて利用可能であるという考えで、未使用の水を灌漑に利用するのは何の問題もないとされてきた。しかし、人間が未使用であるからといって、その水が無駄に海に流れ込んでいるような場合は極めて少ない。
アム川、シル川流域の灌漑によって「未使用」のままアラル海に注いでいた水を有効に利用し、広大な中央アジアの平原を灌漑したが、その結果はアラル海の水量急減であった。現在、アラル海は塩分濃度が上昇したため殆どの生物が死滅し、死の海と化しつつある。周辺の耕地は旧海面の砂漠から飛散する塩によって壊滅した。
 地球上では海水(塩水)は豊富だが、淡水は極めて貴重である。海水が淡水にできれば、塩類化の問題も水不足の問題も解決する。海水淡水化プラントは既に実用化しているが、産油国や先進工業国の離島等、ごく一部の地域でしか使われていない。あまりに大量のエネルギーを消費するからである。技術の進歩によって消費エネルギーを減少させることが出来るのではないかという考えもあるが、それは不可能である。海水中の塩分の除去には熱力学的に必要なエネルギーが決まっており、いかなる技術をもってしてもこれを乗り越えることは出来ないからである。
 この事実は資源というものの本質を明らかにしてくれる。水は水素と酸素でできているからといって、水から、水素を取り出し、エネルギー資源にすることは出来ない。水を電気分解するのに必要なエネルギーが、取り出した水素から得られるエネルギーを必ず上回るからである。石油は優れたエネルギー資源であるが、オイルサンドはいつまでたっても実用化されないのも同様の理由である。
 資源とは物質の「存在」のことではない。人間にとって、少ないエネルギー投入で利用可能となる物質の「状態」を資源と呼ぶのである。その意味で、技術は資源を利用することは出来るが、作り出すことは出来ない。海水淡水化装置は石油という資源を消費し、淡水という別の資源を得る装置であり、これを動かせば、必ず二酸化炭素が発生し、地球は幾らか温暖化し、有限な石油はその分だけ消えてしまうのである。

2、肥料問題

 近代の急激な食糧増産を支えてきたもう一つの技術は化学肥料である。化学肥料の投入をやめれば、世界の穀物生産量は30%減少すると言われる程である。
化学肥料は空中の窒素をエネルギーを使って固定したり、地下の化石資源の一つである燐鉱石を加工したりして作られる。ヨーロッパは大量の化学肥料が利用されている現在でこそ、輸出まで行う豊かな農業地帯であるが、かつてはあまりに土地が痩せているため長い休耕を必要とした貧しい地域であった。現在のヨーロッパの農家一戸当たりの耕作面積が広いのは、人口扶養力が少なかった時代の名残である。
 化学肥料は有機肥料に比べて重量が極めて軽く、施肥に必要な労力も少ない。そして何よりも有機肥料はその入手に膨大な労力を必要とし、その量は有限であった。現在の日本の有機農業は高い単収を上げているが、これは、大量の輸入農産物のおかげで好きなだけ有機肥料を入手できるからである。江戸時代には、冬中かかって落ち葉を集めたり雑木林の下草を刈ったりしていた。それも、集める量には村の掟による厳しい制限があった。化学肥料はそれらの労力の全てを不要にし、しかも、幾らでも入手できるのである。それは農業の助けの神であった。どこも肥料不足状態であった世界の農地は、化学肥料の普及とともに急激にその生産力を増加させていったのである。
 しかし、水の場合もそうであったが、一方的に良い事など農の世界にはあり得ない。肥料不足を解消し、有機物集めと堆肥作りの重労働から人々を解放してくれた化学肥料は、今、重大な問題を引き起こしている。

(1)養分移動の問題
 作物はそれが自給的なものであるならば、化学肥料を投入しなくとも栽培可能である。もちろん、その場合は耕作者の排泄物、残飯の全てを耕地に還元してやる必要がある。それは糞尿から体の垢を含んだ風呂の残り水まで、文字通り全てである。こうしてやれば、養分は循環し、持続的な生存が可能になる。しかし、この状態で、大量の収穫を外部に運び去れば、作物に含まれる養分は土に帰ることなく、耕地の肥沃さは急激に低下する。
 古代ローマに穀物を供出させられた北アフリカ諸国も、イギリスに茶、綿、アヘンを供出させられたインドも、こうして土地の持つ肥沃さを収奪された。日本でも、江戸社会では糞尿を軸に有機物のリサイクルシステムが成立していたといわれるが、そのシステムの中におかれていたのは一部の都市近郊の農村に過ぎない。多くの地方は年貢として大量の米を供出させられ、一方的な収奪を受けるだけであった。そのようにして集められた米を食べた江戸の支配者階級の糞尿は、近郊の農家には運ばれるが、地方には戻らないのである。それでもなんとか米を作り続けることができたのは、周辺の雑木林から流れ出てくる水の中の養分、直接林から刈りだしてくる刈り敷き等を肥料にしていたからである。日本の食卓から国産松茸が消えて久しい。松茸は赤松に、赤松は痩せ地に生える。かつての松茸が得られた松林は、農民が汗水たらして山から里へ有機物を持ち去っていたために山が痩せた結果である。最近そんな苦労をする人はいない。山には豊かに下草が茂り、土は肥えている。これではよい松は育たず、松茸も生えない。大都市江戸は農村を収奪し、農村は山を収奪することで生活を成り立たせていたのである。江戸社会が持続性を保てたのは、人々の質素な生活と、飛び抜けて豊かな自然のおかげである。
 近代以前の都市文明は、農地を収奪し森を収奪し、収奪し尽くすと共に崩壊していたのである。有機物のリサイクルシステムを持たない現代の都市文明が崩壊しないのは、収奪した農地の養分を化学肥料で補っているからである。
 しかし、化学肥料は、作物の生育に必要な主要成分を補うだけであって、全てを賄う訳ではない。初めのうちは主要成分の不足が生育を妨げているため、それを補う化学肥料の投入は大きな効果をもたらすが、増産の結果、生育に必要な微量成分は消耗し、不足し始める。これを化学肥料で補うのは困難であり、化学肥料をやっても生産が伸びない、さらには次第に減少するという問題を引き起こしてしまう。 
 
(2)有機物不足の問題
 有機肥料はミミズ、昆虫、微生物等による分解を受けることで、初めて肥料として作物に吸収できる状態となる。有機肥料の中には肥料の成分と結合した形で、これらの生物が消費するエサ(有機物)が大量に含まれているのである。従って、ゆっくりとしか効かず、また重量は極めて重くなる。
化学肥料は作物に直接吸収される。従って、即効性が高く、また重量も軽くてすむ。しかし、化学肥料はミミズ、昆虫、微生物のエサにはならない。このため、化学肥料の投入を続けていると、耕地内でのこれらの生物は減少する。
 耕地の中でこれらの生物は様々な仕事をする。ミミズは口から有機物と土を一緒に飲み込み、土をダンゴにして肛門から出す。これが繰り返されることで、土は柔らかくなり、同時に通気性と保水力を持ち、水捌けも良くなる。有機物をエサとする昆虫は、それを食べる昆虫を増やし、有機物をエサとする微生物も増加し生態系の階層は増え複雑化する。このような世界では、特定の害虫や病原菌が極端に増殖することは困難である。
 一方、化学肥料を使用すると、これらの仕事は行われなくなり、生態系は単純化し、特定の害虫が大発生したり、病原菌の繁殖で作物が病気になったりする。それを防ぐにはどうしても農薬が必要になる。農薬は特に益虫に有害である。農薬のかかった害虫を捕食することで、体内に農薬が濃縮され、先にやられてしまう。有益な多様な微生物も減少する。こうして、さらに生態系は貧弱なものとなり、害虫も病原菌も繁殖しやすくなり、より大量の、より強力な農薬が必要となる。また、害虫や病原菌の免疫能力の進化もそれに拍車をかける。現在、日本では年間1千人以上の人々が農薬で中毒死しているが、農業従事者が少ない現在では、これは極めて高い比率である。
 化学肥料を大量に使用する近代農業では、農薬使用は不可欠であるが、そのような農業は確実に環境を破壊し、農地の肥沃さを蝕んでいく。

3、次世代テクノロジーに期待できるのか
 人間は産業革命以来、様々な高度な技術を身につけてきた。現代の工業や情報産業の発展を見ると、農業技術の改良も容易であると思えてしまう。しかし、食糧の生産に近道はない。いくら技術が発達しても、人間は土を耕し、太陽の光で作物が光合成をして、実りをもたらすのを待つしかない。
 無数のトマトを一本の苗に水耕栽培で実らすことは出来る。しかし、それは必要な苗の数を減らすだけで、単収を増やして人々を救ってくれるわけではない。室内での野菜工場というのもある。これは狭い面積で大量の野菜を生産出来る。太陽の光も必要ない。しかし、膨大な化石燃料を必要とする。当然、生産されるエネルギーより投入されるエネルギーの方がはるかに多い。
 工業技術とは、資源を投入して労働生産性を上げる技術体系であって、資源消費を伴わなければ、全く無力である。近代農業は、工業が生産する化学肥料や動力ポンプや耕運機によって労働生産性を上げてきたが、投入エネルギーに対する効率は逆に低下している。地球温暖化の問題を考えると、今までのような無造作なエネルギー投入は許されなくなる。温暖化防止の完全な合意が成立すれば、農業は近代以前の状態に戻るしかないのではないか。

4、困難な食糧増産
 ダム、井戸、灌漑用水路の新たな建設によって、あるいは新品種や化学肥料、あるいは新しい技術によってこれ以上収穫を増やすのは環境に大きな負担をかけることになる。アメリカでは持続性を重視し、過剰な灌漑や化学肥料の投入を押さえ、減産している地域もある。もはや、増産によって食糧問題を解決するのは困難であると言える。


 ー2ー 拡大し続ける貧富の格差(分配の問題) 
 現在の世界の穀物生産量は19億トン(1993年)であり、これは90億人を養える量である。しかし、現実には生産も消費も、豊かな「北」が独占し、多くの途上国は飢餓や栄養失調に苦しんでいる。もう少し分配が平等になれば、とりあえず食糧危機は解決するが、それは可能だろうか。

1、「新大陸」を手に入れて豊かになった「北」
 「北」と呼ばれる国は、日本を除けば、すべてヨーロッパから「新大陸」への移民によって利益を得た国々である。近代ヨーロッパは、農業の合理化と工業の機械化によって生じた失業者、生活水準の向上が生んだ人口増加による過剰人口を「新大陸」へ大量に移民させた。その結果、ヨーロッパにおいては、現在の途上国のように増大する人口によって圧しつぶされる事なく適正な人口を保つことができ、オーストラリア、北アメリカにおいては、「野蛮人」から奪い取った広大な土地を農地とし、大量の資源も手に入れた。その資源は鉱物資源だけではなく、現在の「新大陸」の大規模農業を支えている地下水も含まれていた。
二回の大戦はこのようにして富を手に入れて豊かな市民生活を実現した国々に対して、広大な植民地を持たないドイツや日本が襲い掛かった戦いでもあった。現在の途上国も「新大陸」に相当するような農地と資源を手に入れることができれば貧困に苦しむ必要はない。しかし、「新大陸」はもうどこにもないのである。
 
2、アジアNIEsのような発展は他の地域で可能か
 日本やアジアNIEsは「新大陸」を手に入れてはいない。地下資源に恵まれている訳でもない。しかし、工業製品の大量輸出によって得られる外貨でいくらでも食糧は輸入でき、飢餓とは無縁である。
 このため、多くの途上国が日本やNIEsを手本に経済成長を目指しているが、成功している国は殆どない。これは、清浄な水という、持っている本人は意識していないが、はたから見れば極めて貴重な資源を、日本やアジアNIEsが持っていたためである。
 産油国はいくらエネルギーと資金に恵まれていても工業国にはなれなかった。生存に必要な最小限の水にも事欠く途上国に、アジアNIEsのような未来は存在しない。

3、途上国から絞り出されてくる富
 例えば途上国の村に援助によって道路が建設されたとする。これによって町の病院を利用することも、地域の産物を売って都市がもたらす便利で快適な物やサービスを買うこともできるようになる。しかし、村での自給経済は破綻する。道路は輸送コストを低下させ、村の産物はいくらでも売れるようになるが、地域資源の枯渇の問題は軽視されるからである。
伝統的な地域社会の自然は、地域の人々が消費する範囲での物は持続的に供給できるが、無限の消費者が待つ市場にいつまでも供給できるわけではない。道路がなければ持続的に利用出来ていた地域資源が、道路ができることで短期間に枯渇してしまうわけである。もちろん、これによって、村は一時的には豊かになり、また、そのようにして、現代の世界市場には膨大な産物が絞り出されてくる訳であるが、それはいつまでも続くわけではない。
 アジアの海岸沿いの村では、日本向けのエビが大量に養殖されているが、それは一定地域で生産されてきた訳ではない。マングローブを潰して作られた初期の養殖池は、薬物や過剰なエサの投入で汚染されて荒れ地となり、最近では水田に海水を運び入れ、新たな養殖池としている。当然塩分が蓄積し、それが放棄された時には水田には戻せない。エビ養殖は米の50倍の利益が得られるため、数年で使い捨ても元が取れるのである。このような環境丸ごとの使い捨てを連続して行う事によって、安価なエビの生産が成り立っているのである。
 貿易における比較優位の原理は、自然が無限に存在すると仮定することで成り立っている。交易拡大による向上を目指している途上国は多いが、自然が有限な現実の社会では、破局を速めるだけではないだろうか。

4、困難な分配の平等化(肉食の問題)
 農産物は、次々と欲求が刺激される工業製品とは異なり、その一人当たりの消費量は本来限定的なものである。(満腹になればそれ以上消費できない。)量さえ十分にあればその分配は容易に平等化できるはずである。
 ところが、実際に飢餓が発生してしまうのは、肉(穀物肥育による畜産物)の生産のために穀物の40%もの量が家畜に与えられ、「北」が大量の穀物を消費するからである。1キロカロリーを生産するために、飼料として5ー10倍の穀物を必要とする肉食は、穀物の大変な浪費である。1960年代、世界の最富裕層20%所得は、最貧層20%の30倍であったが、90年には64倍に達している。所得格差が拡大を続けているため、穀物が不足しても購買力を持たない貧困層の飢餓が深刻化するだけで、富裕層の肉食は抑制されてこなかったのである。豊かな「北」ではいつでも自由に肉を消費することができ、それに制限を加えようという動きはほとんど存在しない。

 おわりに
 現在、急速な工業化が進むアジアNIEsや中国では畜産物の消費は急増している。先進工業国の消費も減少してはいない。しかし、世界の一人当たり穀物生産量は減少しはじめているのである。その割りにパニックが起こらないのは、途上国が購買力を持たない上に、西ヨーロッパが食糧輸出地域に転じた84年以来の、大量の余剰穀物の備蓄があったからである。
 しかし、備蓄は消費すれば減少する。この秋には、アメリカのトウモロコシ在庫はほぼ無くなる。価格はようやく高騰をはじめ、「北」の中でも貧しい層は肉の量を減らさねばならないと思われる。今まで、食糧危機は途上国の飢餓、栄養失調という形で「南」に封じ込められていたが、これからは「北」にとっても無視できない問題になる筈である。しかし、増産による解決策は、環境が有限である以上困難であり、分配による解決策も、「北」が豊かな生活を手放さない限り不可能である。
 本当に希望の見いだせない現状ではあるが、私自身は機械化の波に取り残された谷津田に通い、自給を目標に有機農法を試みている。毎年のように異常な日照や寒波に見舞われ、決して順調ではないが、それゆえ、農業で生計を立てている生産者の苦労を僅かながらも感じる事ができる。世界の状況はデスクで学んだものであるが、根源的なものは畑から学んできた気がする。これからも、耕しながら考える姿勢で、農の問題にこだわった地理・歴史の授業に取り組んでいきたい。

主要参考文献
(1)荏開津典生      『「飢餓」と「飽食」』 講談社     1994年
(2)『世界国勢図絵95/96』          国勢社     1995年
(3)レスター・R・ブラウン『地球白書90−91』 ダイヤモンド社 1990年
(4)ジェレミー・リフキン 『脱牛肉文明への挑戦』 ダイヤモンド社 1993年
(5)クライブ・ポンティング『緑の世界史 上・下』 朝日新聞社   1994年
(6)レスター・R・ブラウン『だれが中国を養うのか』ダイヤモンド社 1995年
(7)レスター・R・ブラウン『飢餓の世紀』     ダイヤモンド社 1995年
(8)フレッド・ピアス   『ダムはムダ』 共同通信社 1995年
(9)田坂敏雄    『熱帯林破壊と貧困化の経済学』御茶の水書房  1991年
(10)『週刊ダイヤモンド:世界中を買い漁る日本企業/食材の秘密』ダイヤモンド社
1996年3月9日
(11)河宮信朗        『必然の選択』      海鳴社 1995年