木の桶とプラステックの桶

 

 例えば、桶を作る場合、持続的な社会では山で木を育て、切り出し加工して生産する。その際、切り出した後の山には再び木を植えるであろう。これは持続的に桶を生産しようとするなら当たり前の行為である。植林された木が生育する過程で、木桶が壊れた後に燃やされ排出する二酸化炭素は吸収される。木桶のコストの中には、排出された二酸化炭素を再び木に戻すコストが含まれており、このような社会は温暖化することはない。

 一方、近代工業化社会では原油を採掘してプラスチックを生産し、それを加工してプラスチック桶を作る。この過程では原油は減る一方、桶は増える一方、プラスチック桶が壊れた後に燃やされ排出される二酸化炭素を再び原油に戻す行程は誰も行っていない。当然、プラスチック桶のコストの中にもその費用は含まれてはいない。このような社会は必然的に温暖化し、持続性を持たない。

 持続のためのコストを含まないプラスチック桶が、持続のためのコストを含む木桶にコスト競争で勝つのは当然であろう。馬対自動車、水車対原動機、有機肥料対化学肥料。理不尽な競争が様々な分野で繰り広げられ、ことごとく近代工業側の勝利に終わり、その度に持続性も損なわれていった。人類は、この変化をごく最近まで「進歩」であると誤認していたが、要するに持続性を放棄すれば一時的に高い効率が得られると言うことに過ぎず、遺産を得た放蕩息子が遺産の続く限りに於いて、真面目な人間より豊かに楽に暮らせるということといくらも違わず、少なくとも「進歩」と称して誇れるようなものではなさそうである。

 近代工業生産システムが、持続的な生産システムに比べて価格競争力を持つのは、一つはこのような理由によるものであり、明らかにアンフェアである。世界全体が持続困難な工業化社会になりつつあるのは、このようなアンフェアな競争を自由競争として認めてきたからである。従って、温暖化を阻止し持続性を取り戻すには、市場に於けるこのようなアンフェアな競争を許さず、商品価格にその再生産コストを全て含めることを義務づける必要がある。

 そうすれば、例えば原理的に再生困難な原油の価格は無限大に上昇し、工業化社会は停止し、温暖化は容易に回避できる。

 当然、現実にはそう簡単にはいかない。殆どの国民が消費者となった先進工業国の大衆消費社会では、消費者に不利な決定を民主的政治システム下の為政者が下すことは難しいからである。

 そこで必要になるのは、消費者に対する教育と同時に、国民が求めても、その要求が長い目で見て彼らの利益にならない場合には、彼らの意に反した政策を取りうるような、単純な民主主義を越えた新たな政治システムであるように思われる。

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