滝が泣いています


滝・・・

「三条の滝」 や 「称名滝」 ・ 「苗名滝」 のように、豪快に落下
する滝もあれば、「羽衣の滝」 や 「白糸の滝」 ・ 「真名井の滝」 
のように優しく落下する滝もあります。

また無名ながらも優雅に、あるいは豪快に落下し続ける滝・・・

人知れず様々な落下を営々と続ける滝達・・・

日本には、ニ万とも三万とも言われるほど多くの滝が存在します。
(5m以上の滝ということに限定しても、その想像を遥かに超える
滝があると考えられます)

それらの滝に逢いに行ったとき、滝は私達の心や肉体に様々な
安らぎや恵みを与えてくれます。

季節毎に、時間毎に、天候毎に、或いはそれらに逢いに行った人の
心毎に・・・

何千年も何万年も前からその場所で落下し続ける滝・・・

少しずつ形態は変わっているとしても、それは自然のままにうつろっています。

人が容易には近づけないような場所にある滝でも、観光地化された
滝でも、自然によって創られた 「滝」 に違いはありません。
(大変残念なことに、「日光の華厳の滝」 は 「自然のままの滝」 
とは言えません)

アメリカの先住民がこんなことを言ったそうです。

「この自然は、我々が子孫から借りたものです。したがってその
まま、子孫へ手つかずのまま返すのが我々の役目です」




ある日、「日本の滝百選」 なるものが選定されました。

日本中から応募された 「オラが町の滝」、その数わずか500有余
の中から選ばれたといいます。
「わずか500有余の中から」 です。

この選定方法の是非は別としても 「日本の百名山」 や 「名水
百選」 等々、様々な 「百選」 が公表されている中で、滝好きな
人が 「百選の滝」 を決めたとしても、それは自然の成り行き
でしょう。

そしてそれを、世間に公表したい気持ちに駆られるのも仕方のない
ことかとも思います。

「素晴らしい日本の滝百選・・・」

しかし大変残念なことに、その百選を決めたことによって様々な弊害
が生じることになってしまいました。

「滝」 並びに 「滝周辺」 の 「環境破壊」 です。

主な原因としては 「心ない観光客」 によるものです。

しかし、「百選」 になったことを 「これ幸い」 とばかりに、過剰整備
をして観光客を誘致しようとした自治体が少なからずあったのも事実
です。

自治体そのものが自然破壊を誘引している、という情けない実情
です。

そこに少なからず 「心ない観光客」 が押しかけ、日々環境を破壊
し続けています。
近い将来、どのような姿になるのかは想像に難くありません。

今の私達が 「環境を守ろう」、「自然を大切にしよう」 という意識を
持たない限り、私達の孫の代 ・ 曾孫の代 ・ 玄孫の代に、滝は
清々しい飛沫をあげることもなく、人々に安らぎを与えることすら
なし得ず、ヘドロの流れるような無残な姿になっているのではないで
しょうか?

私はこう考えます。

「百選の滝」 に選ばれたということは、 「近い将来に見るも無残な
姿にされることを約束された悲しい滝」 
である、と。

そして、幸いにも百選に選ばれずともそれに類似した運命をたどる
であろう滝が少なくないと・・・
(観光客誘致のために過剰整備をしてまで人寄せを企てている
自治体が少なくない現実です)

しかし、ある人が言いました。

「百選の滝が犠牲になることで、無名の滝が守られる」 と・・・

前述のように、無名であっても日本には 「百選の滝」 を遥かに凌ぐ
素晴らしい滝が数多くあります。

「百選の滝」 は、それら 「無名の滝」 の犠牲になってくれている
のだから・・・



なんとも情けない現状ではないでしょうか?

如何でしょう・・・?

人の心に安らぎを与えてくれるはずの滝が、心ない人や自然を守り
続ける意識を持たない人 (土建屋との癒着によって利害を優先する
役人や政治屋) によって汚され、傷つけられています。



滝は、泣いているのです・・・