岩村城の石垣

  岩村城は文治元年(1185年)遠山影朝によって創築され、戦国時代、織田方、武田
方の戦の要となった女城主で有名な山城である。標高721mに及ぶこの城は、尾根や谷の
複雑な山容に合わせ石垣を積み上げて築かれている。廻りを森林に囲まれ、石垣だけが残
っている現容は、まるで辺境の遺構にたどり着いたような感じさえ受けた。3月半ば、城への
曲がりくねった山道はかなり急勾配で、北の影になった場所にはまだとけない氷雪が固まっ
て残り、山城がいかに攻め難いものであったか実感させる。城は江戸末期まであったらしい
が、石垣は享保3年(1718年)の7月、大地震によって壊滅的被害を受けたとのことで、
その際大修理が行われており、古い野面積みに対して間知石積みの新技法が出現する。


本稿は石垣についてのみ書いています。
岩村城に関しては面白い謂れがたくさんありますので興味のある方は下記リンクへどうぞ。
又、写真はそれぞれクリックすると大きい画像が見られます。


岩村城の詳しい案内は こちら(岩村町観光課)


Page 1.山城は攻めにくいが、造りにくい
Page 2.新旧の石積みの違い



山城は攻めにくいが、造りにくい


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  山頂の要塞は地震で崩れ、江戸末期に間知石で何段かに分けて積み上げて 補強を施したとある。しかし、それにしてもダイナミック。
 出丸から本丸の南側を西に登り、本丸入口となる埋門 (うずみもん)へと至る。本丸南側の石積みは孕みをもっていてがたがたな様相を 呈する。姫路城などの天正の石垣よりもずっと古い野面積みの石垣である。後世の地震で 揺すられたか?風雨に痛めつけられたか?

 山城というのは、それがいかに石を積んだかを考える時、途方に暮れるのは私だけだろうか。 世界に果てのない努力と人力で造られた石の構築物はたくさんあるが、目の前の石垣にさえ途方 に暮れることがよくある。
  山の上の小さな墓石(と言っても一人じゃかつげないが)でさえどうやって運んだのだろう?
何故こんな場所を選んだのだろう?と。
 この山城も果て無い努力の結晶である。
 石積み擁壁を拵えては、切り崩したり突き固めて平場を作り、又積んでゆく。 下から一体何段の石積みがあるか、森に隠れてわからない。かなりの段数である。 最終頂上に城を建てるという命題の、本当の意味で基礎的に重要な構築である。 ここの石積みはいかにも登りにくそうな勾配で積んであり、何段も積み重ねるのは かなり難しいと思うのだが、敵にあきらめろと言っているような表現にも思えてきませんか?


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