1.作文の枚数制限    子どもの作文コンクールと言った場合、そのほとんどのものに応募の際の枚数制限が条件としてある。より広く作品を応募し、コンクール審査の合理的運営を考えると仕方のない面もあるが、原稿用紙3枚以内とか5枚以内といった物理的制約の中で、どれだけその人の持つ感性や思考を表現できるのだろうか?制約の中で力を発揮することも場合によって必要であるが、一様に制約を持つのは、子どもの可能性を見極める本来の目的にはそぐわないのではないか。

 小学生に作文の課題を出すと「何枚書けばいいんですか?」という質問によく出くわす。その度に「作文は長さじゃないよ。中身だよ。」と説明するのだが、学校における作文指導のマンネリ化、硬直化の弊害として感ぜざるを得ない雰囲気ができあがってしまっているのである。現在では、小学校入学段階から「作文を書かされる」という固定観念を持つ子も多い。

 また、一部進学塾の指導による「いかなる作文も原稿用紙2枚以内でまとめる習慣をつけなさい。」などという話を聞くと、いずれ作文というのは思考・感情表現の道具に過ぎなくなるのではないかと心寒い不安すら感じることがある。
2.全国小・中学校作文
 コンクール(読売新聞社)
   「テーマは自由、枚数制限なし」の原則を、守り通す唯一のコンクールがある。戦後まもなく開催された読売新聞社主催の「全国小中学校つづり方コンクール」がそれで、現在は「作文コンクール」と名称を改め第51回(2001年度)を数えている。
 中央審査のメンバーは、倉澤栄吉(日本国語教育学会会長)、野元菊雄(元・国立国語教育研究所長)、木村治美(エッセイスト)、松谷みよ子(作家)【2001年度現在・敬称略】とジャンルも多彩だ。

 「日本一の作文」として文部大臣奨励賞を受賞した作品の過去5年間の枚数でも、(小学校高学年の部)第46回・11枚、第47回・13枚、第48回・21枚、第49回・16枚、第50回・43枚となっており、都道府県代表作品の中には50枚を越すものも珍しくない。

 枚数だけを問題とするのではない。ここで評価される作文のテーマも環境問題、いじめの問題、働く女性の姿、地方新聞のあり方、地域の人たちの紹介と、まさに大人でもハッとさせられる題材が多い。
3.子どもの内面世界と
  社会的話題性
   作文の評価と言っても人により様々だが、このコンクールの場合、大きく分けて2つの側面があるようだ。
 まず子どもの内面世界をどこまで鮮明に描き出しているか。そして、子どもの作文とはいえ大人の心をも動かす主張を持っているか。言い換えれば、社会における話題性があるか?という点にある。

 もちろん、作文として誰でも最後まで読んでもらえる構成力(説得性)、表現力(描写の正確さ、豊かさ)、文章記述の正しい使用、といった基本が前提となることは言うまでもない。

 前者の典型として印象に残るのは『知らんぷりの目』(第47回・低学年の部)で、このコンクールでは最も少ない部類である8枚の短さの中で、後に教育映画の原作となるほどの鋭い感受性を示した。

 また、後者の例としては『地方新聞から日本を見る』(第48回・高学年の部)がある。多分に新聞社主催のコンクールであることが影響したようだが、「まさか4年生がこんなテーマで書けるはずがないと思っていたが実際に読んでみると、我々、新聞人にとって大いに耳を傾けなければならない主張を持っている」とまで新聞社幹部に言わしめた作品であった。

 個人的にはいくぶん引っかかりを覚えるものの、『ナオミさんはふたり前!?』(第45回・高学年の部)も、働く女性(母親)の立場をホームドラマ風に仕立てており、社会的な話題性が十分に感じられた。

 中学生の部になると、この両者を兼ね備え、キレイ事ではなくまとめることがポイントとなるので、必然的に「いじめ」「進路」「社会」といったテーマが占めることになる。しかし、古典的な私小説とは一線を画するものである。
4.入賞作品の題材
    その動向





  入賞作品題材の比較






  
東京都審査の動向
     (過去5年)
  
東京都審査の動向2
     (低学年の部)
   このコンクールでの入賞作品は、当初、出稼ぎに出た父親についてであるとか、家を守る祖父母といったものが多かった。昭和40年代までの生活つづり方文の伝統でもあり、世相を反映したものでもある。

 世相を表すと言えば、現在では国際理解や交流をテーマとした海外旅行ものも多く、福祉、環境とはるかに多彩なものになっている。中央審査の委員の一人は「日本が物質的に豊かになった表れである」と感想を述べている。それでも全体的な割合からすると家族、自分を題材としたものが多く、これはむしろ代表作品が選ばれる地方審査の意向に伝統として残るものがあるからだろう。

 注目すべきは、激戦区でレベルも高くなる東京都審査会の動向だ。

 第39回低学年の部で入賞した「カレーライス探検隊」(東京代表)は、当時としては異色の作品だった。夏休み中かかって家族総出でカレーライスの研究に取り組み、創作カレーを作る..というものだが、これはつまり、夏休みの自由研究の取り組み自体を作文に綴ったものであった。以来、この自由研究型ともいえる作文は、地域の伝統文化や自分の興味関心について徹底的に調べ、あるいは体験し作文に綴るという流れを作ったように思う。
 この傾向は、低学年における生活科や話題となっている総合の学習と相まって作文の題材となる傾向は益々広がっているのである。

 2001年度(第51回)、低学年の東京都代表はカラスの生態を題材とした創作文に決まった。調べたことを物語にする、という今までにない形であるが、この作品が中央審査でどのように評価されるか大変興味深いところである。
 願わくば、「現実世界と架空世界を行き来する」子どもならではの世界を描く可能性も、ぜひ切り開いて欲しいと思う。
5.ほんものの体験を描く    「体験から感じ、体験から考える」これが小学校高学年における作品評価の軸となっている。さらにテーマ自由、枚数制限なしの原則が子どもの発想力と表現力を存分に発揮させている。

 ただし、その体験そのものに「読む人の心を動かす」価値を子ども自身が見つける必要がある。もちろん良い作文はその子なりの感性が光るものがあればいいわけだが、全国コンクールとして社会に問う目的がある限り、それだけの主張がなければならない。つまり、どんなに美文が続いても、最後まで読ませることができなければコンクールの意味がないのだ。

 しかし、かといって凄い体験、特別な体験をしなければ作文にならないということではない。中央審査員の一人、木村治美さんは「日常性の中にこそ題材がある」と述べているように、要は子ども自身がある体験をどのように受けとめているかにかかっている。

 最近の傾向として海外旅行や福祉体験、環境問題といった題材が増えてきたことは世相を表すものであるが、いわゆる「きれいな結論」「大人びた感想」だけでは社会に対するインパクトは得られない。
 「ほんものの体験」とは、たとえ外見上がありふれていても、大人でも気がつかなかった体験の価値を子ども自身が発見しているか、ということなのだろう。
                         (2001.10)

※題材の傾向は低学年、高学年、中学生でそれぞれ大きく変わってくる。ここでは、発達段階として様々なテーマが混在する高学年の部に絞って論じた。

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