ぼくは何か絵を描くとかものを作るということになると、よく龍を
描いたり作ったりします。お手本はカードゲームや本で見た絵
などです。本物の龍ではないけれど、ほとんどの龍はかっこい
いです。
本物の龍はいたのかな?
空想にすぎないのかな?





龍(竜)やドラゴンについて調べてみよう

調べるのはインターネットでやりました。
まず “goo(グー)”や“yahoo japan(ヤフージャパン)”といった情報ネットワーク会社に入り、次にキーワードを入力して検索をします。キーワードで「竜」を入れると「13123件一致しました。」となりますが、「龍」だと「18073件一致しました」と出てきてびっくりです。ちらっとのぞいてみると「坂本竜馬」とか「龍谷大学」など、龍の字が人名や地名に使われていれば件数に入っています。さらにキーワードの「しぼりこみ」といってもう一つのキーワードを追加します。ぼくは「伝説」を追加しました。すると情報は576件と調べやすくなりました。しかしカードゲームの情報やスポーツ(ボクシング)、あいかわらず民話などの他にも出てきます。これからは一件づつ細かく見ていきます。
ぼくは幼稚園の時から恐竜が大好きで、竜といわれると映画や漫画を見て来ました。空手を始めるきっかけも「燃えよ ドラゴン」で李 小龍(ブルース リー)を見てきょうみを持ったからです。ジャッキー チェンは成龍と書きます(芸名)。




中国の龍

一番歴史の古い龍は中国の龍で、今から6400年前までさかのぼり、
全長 4mほどで、人がその上にまたがっている図が遺跡から見つか
っています。古代中国では、王は龍を飼育し、その肉を食べ、狩りのえ
ものにしていたという図や記述があるので「龍」といういきものが実在し
ていたことになります。漢字の原型から「揚子江鰐(ようすこうわに)」が
龍であるという学説が有力です。
漢の時代より後になると、揚子江ワニはあまり見られない幻のワニとなって、治水を重んじる中国では神格化されたワニと水を結びつけて皇帝のシンボルや紋様に取り入れられたと思います。
今では揚子江ワニは小型になり数も絶滅があやぶまれていますが上海の河口附近には生息しているそうです。



西洋のドラゴン

ヨーロッパの龍はドラゴンと呼ばれ、これはヨーロッパで最初の動物学の本を著した老プリニウスがインドにいる大蛇を「ドラコ(draco)」と呼んでいます。このラテン語(当時ローマで使われていた言語)がドラゴン(dragon)のもとになったといわれています。ブリトンの大君主、ヴォ―ティーガ―ンは魔術師マーリンに戦いの不運をみてもらった。マーリンはその原因が地底で戦う赤い竜と白い竜のためだと言いました。そしてその赤い竜がブリトン人で白い竜がサクソン人、赤い竜は白い竜にのっとられると予言しました。
これが赤い竜を旗に掲げるウェールズ人の祖先ブリトン人と竜とのつながりを示す伝説です。
あの有名な「アーサー王伝説」では王の正当性を示す「星の竜」は彗星のことでアーサー王の父ウーサーペントラゴン(ブリテン語で「竜の頭」の意味)がサクソン人を破るときに空に現れました。アーサー王のキャメロットの城や旗にはもちろんいたるところに竜がデザインされていました。ヨーロッパのドラゴンは中国の龍と違い、羽がついていてコウモリとヘビをあわせたような姿に描かれています。


日本の龍

日本はアジアの一部ですから、日本の龍はやはり中国から伝わっているようです。水神・海神、稲作に必要な雨の神として民間信仰の神として龍神がまつられてきました。おもしろいことに、中国のようにワニというより古代の神話の蛇(ヤマタノオロチ)に似て、あがめられていながら人を喰うと恐れられ退治される伝説も多いのです。蛇が語源のヨーロッパと重なります。龍神信仰の雨乞いでは人々に恵みをもたらしたり、死者の魂を運んでくれたり、悪霊や悪いはやり病から村を守ってくれたり、良い神さまぶりをはっきしてくれます。
日本の民話では龍蛇が人間の母になったり、身近な存在で人にだまされて殺されてしまうかわいそうな話もあります。いずれにしてもヨーロッパなどでは特殊能力の化身として扱われている「ドラゴン」も日本や中国では人々と結びついた生活に根ざした存在であると思われます。



龍の伝説や民話

「竜」や「龍」が地名についている主な日本の市町村や民話・伝説に
せまり、目撃話などないか調べてみました。
 竜の子太郎
岩魚(イワナ)を食べて龍にされてしまったお母さんと再会し、
村を救うためにお母さん龍に乗り,湖をこわし田畑に水を引く
手助けをする太郎。「日本昔ばなし」のオープニング
 

 岩になった僧侶
    大分県、・・・昔、仏道修行のために行脚(あんぎゃ)をしていた僧が金麟(キリン)湖に住みついた ある満月の夜、「静(しず)」と名乗る美しい娘が妻にしてほしいとあらわれた。僧が外から帰ってくる時に は大声で「静!」と言ってほしいと言いました。一年ほど二人は幸せに暮らしましたが、あるひ「静」と言う のを忘れて家に入ったために、静の正体である白い龍を見てしまったのです。「見られた以上、湖に帰りますがご恩返しをしますからあとを追わないで下さい。」と天に昇ろうとしました。僧はそれでも後を追ったため、龍に赤い炎をふきかけられ巨大な岩になったそうです。



 ホームページ(     )では以下のように出ています。

昔々、九頭竜川には九つの頭の龍がいた。その龍は一年に人間を九人食べていたそうだ。
ある日ひとりの男が、龍をたおすと、龍の頭が川になった。
そして、九頭竜川のあたりで青い手が出てきて、人が九人つかまえられ、川にひきずりこまれてしまった
 ということだ。
 今でもそこへいくと、のろいがうつるといわれている。


今の秋田県西木村にたいへん美しい辰子という名の娘がいました。年をとるのがいやで観音様にお百度参り(百回お祈りすれば願いがかなうといわれている行)を行いました。満願の日の夢枕に観音様が立ち、北の山を越えたところの湧き水を飲めば願いがかなうと告げました。翌日辰子は花つみに行こうと友達をさそって山に行き、一人はなれて言われたとおりに見つけた泉から水を飲んだのです。すると辰子は龍に変わってしまったのです。おどろいて嵐の雨をためて田沢湖を作りそこに住むことになった辰子を母親が探しに来ました。龍となった辰子は母に「一緒に住めなくなったかわりにこの湖を魚でいっぱいにします」と約束し悲しみにくれる母の投げたたいまつがクニマスとなり辰子は湖の主になり母は魚を売ってくらしていきました。



@昔、龍穏寺のあたりは大きな沼で悪龍が住んでいました。秩父に向かう旅人は無事にこの沼を通れるよう、竜神をまつっておりました。ある日そのことを聞いた太田道灌(どうかん)さんが高僧に沼の前の愛宕山でお祈りをしてもらったところ、悪龍がその霊験により善龍になり竜巻になって天に昇ったということです。その時の巻きあげられた水が越辺川になったそうです。
A龍ヶ谷の龍は他の土地に住む雌の龍に会うために高山不動の上を飛んでいた。その不浄を不動様が怒り、斬りかかると尾が切れて今の龍台寺に落ち、その龍は天竜寺の方へ飛んでいったということです。


明治時代といえばわりと最近です。今年亡くなったぼくのひいおばあちゃんは明治43年生まれでした。
JR川西駅といえば近くでの出来事です。



地図をたよりに川西文化財資料館へ行きました。
  「『達龍』ねー。あまり資料ないよ。」と資料館の人が言います。
じつは、この川西市の南花屋敷というところは弥生時代の遺跡が発掘され、この資料館もその発掘あとに建てられています。館内には弥生時代のジオラマ、土器のかけら・勾玉・銅たくがたくさんかざられています。図書のたなには川西市の歴史の本がぶ厚くて何冊もあるのですが達龍のことはのっていません。「わかりにくいから」と資料館の人が案内してくれました。たしかにわかりにくい!昔の竹やぶは今はあれ地です。ほこらは道に背をむけてしかも奥にありました。お供えもなく、このままわすれさられてしまうのでは? でも川西市のウェブサイトがある限り、こうして訪ねて来る人があるかもしれません。

 

神戸市 
小学4年2組
          
  こうじ

直線上に配置
直線上に配置


「龍」は全くの想像上の生き物・・・とは限らないと思いました。他にこれほど世界中で親しまれている想像上の生きものがいるでしょうか?おもいつきですが恐竜の生き残りが突然変異で龍になり、時々は目撃されて伝説になったのではないかと思います。


あとがき
この「龍の研究」は私の長男、こうじが平成13年(2001年)の夏休みの自由研究として、調べたものです。そのまま処分・消え去るのは残念ですので、私の《自由課題》として、ホームページに残すことを試みました。
できるだけ、こうじが作った原作(画用紙10枚の両面)に忠実につくりました。
こうじが引用してきた資料の元のホームページが判った件は以下にリストアップします。どこから(一部または全部を)引用したのかわからない部分に関しましては、原著者および本文を引用されるであろう方々におわび申し上げます。
                                        平成13年10月 こうじの父
 
龍の研究