<<新しい歴史教科書をつくる会 山形県支部>>

『議員のみなさんへ』を読む

教育委員のみなさんへ

石原東京都知事、教育委員に檄


教育委員のみなさんへ

教科書改善運動の成否の鍵は、教育委員のみなさんの手に握られています。昭和31年「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」によって教育委員会制度が誕生して以来この事が注目されたことはなかったかもしれません。

 どう書こうと迷いながら「教育委員会制度」で検索したらここに行き当たりました。長いので抜粋して掲載させていただくことにします。匿名の教育委員さんありがとうございました。 ../../HeartLand-Himawari/9729/h.htmからの引用です。

<教育委員はただのお飾り> 匿名希望 委員様

アメリカの裁判所には陪審員制度があり素人の観点から罪を裁くという制度がある。 平成七年の文部省教育助成局地方課が出した教育委員会制度の概要によれば、教育委員会は、各行政区に3〜5人の教育委員により構成された合議制の執行機関であり教育行政や学校運営が、教員など教育の専門家だけの判断に偏ることのないようレイマン<専業家ではない人>である委員を通じて、広く社会の常識や住民のニーズを施策に適切に反映させるための制度であるという。

   一般にはなじみのないレイマンコントロールすなわち素人による教育への統制は、陪審員制度が行われているアメリカでは有効に機能しているだろう。しかし官僚による統制になじんでいる日本においては、この制度が本来の目的どおり機能しているだろうか?教育委員達の審議によって教育行政に対する基本的方針が決定されているであろうか?
住民に成り代わってそのニーズを施策に反映させているだろうか?教育委員会の事務局がそのような重要な位置に教育委員の会議があることを認識しているであろうか?もちろん答えはNOである。

 専門的な教育行政に関して、非常勤である教育委員には細かい判断材料は与えられていない。事務局サイドで、あらかた決まっていることの承認だけが求められるわけである。

 今でも初めて教育委員会の会議に出席したときのことが強烈に思い出される。そのころナイフの所持品検査について、世間ではいろいろ取りざたされていた。当然そのような話が議題に上るものと思っていたところ、規約の改正とか、図書館協議会委員の任命の承認とかだけで一言もしゃべらぬうちに、あっという間に終わってしまった。

 一ヶ月に約一度の定例の会議だが、いったい何のために開かれたのだろう?教育委員とはいったい何のためにあるのだろうと考えた。暴力、いじめ、非行、学力低下、学級崩壊…教育荒廃が叫ばれる今日、今までの教育への反省や、今後の提言など話し合われなければならないことは山ほどあるはずである。それなのに、日々の小さな諸連絡や事務的なことばかりで議事の中で肝心のことは話し合うつもりさえない。

 事務局という意味で教育委員会がよく使われるが、正式に教育委員会とはこの教育委員による会議のことであるが、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」第三章23条で教育委員会に与えられている権限はとても大きい。しかし権限はあるがそれは形だけに過ぎない。現在、この形ばかりの教育委員の最大の役割は、学校の諸行事や教育委員会が主催する式典で来賓としての挨拶をすることである。つまり飾りとしての存在、それぞれの自治体の教育における象徴のようなものである。

こういった教育委員会の審議が形骸化し、本来の役割を果たしていないことに文部省もたびたび注意をしている。一般の保護者の声や、常識を教育行政に反映させるようという度重なる提言にもかかわらず、出来ない仕組みが出来上がっている。

たとえば教科書問題ひとつをとっても、先の地行法第三章第23条六において教科書その他の教材の取り扱いについて教育委員会にその権限があることが明記されてはいるが、権限があるはずの教育委員会の会議で教育委員たちには、途中の経過もほとんど報告されず、調査員である教師が上げてきた教科書の最終報告を承認することしかできない仕組みになっている。

教科用図書無償措置法ができ、採択地区内でひとつの教科書を採択しなければならなくなってから特に、単教育委員会の決定ができないということで余計におかしなシステムが出来上がってしまったのだ。 今機能している教科書採択のシステムの中では、教育委員には異論を挟む余地も、審議する時間も、全く保証されていない。権限などどこにもありはしない。今まで教育委員は名誉職として、お飾りとしての立場に満足し、これだけ権限を骨抜きにされてきても、誰も文句を言わなかったのだろうか? それとも日本では、素人による統制はやはりなじまないのだろうか? 現在の状況を法律で定めるならば、教育委員会会議は、専門家であり教育委員会事務局の長である教育長の諮問機関である とされなければならない。合議制といわれながら絶対的専制君主である教育長に一教育委員は全く歯がたたない。 この名ばかりの教育委員になり、法律と現実の大きな乖離をしみじみと感じるとき、日本国憲法がやっとタブーを排して、そのあり方を審議しようと言う時期にきているのと同じように、教育基本法を一から議論しなおさなければならない時にきているのではないかと思う。
他国から押し付けられた憲法を、平和憲法と大事におしい抱いてきた我慢の国日本。戦前の価値観をすべてひっくり返されたところからはじまった日本の教育。何が失敗し、何が成功したか、何が形骸化し、何が機能したか、何を生かし、何を修正しなければならないか…だらだらとその場しのぎでやっていくのではなく根本から見なおさなければならない。
 それにしても 教育の方針そのものであり最重要案件である教科書問題について、今現在教育委員がまったく審議する場を与えられていない
ということに私は怒りを通り越してあきれ果てている今日この頃である。

【資料A】

文部省の指示・指導(口頭指導)

都道府県・指定都市教育委員会教育委員長・教育長会議
                           

平成12年9月13日

――教科書採択について――
各都道府県や市町村における採択事務については、文部省は、平成2年に3月20日付(資料B)で各都道府県の教育委員会教育長あてに「教科書採択の在り方の改善について」ということで通知を出しているが、十年経って、その推進情況は必ずしも進んでいない。

そこでお願いしたいのは、一つは、専門的な教科書研究である。
教科書研究を十分やって、その内容でしっかりと選定委員会にかけて、最終的には教育委員会が、責任をもって採択する体制をつくってほしい。

第二に、適正公正な採釈を推進してほしい。
まだ一部の地域には、学校から堆薦された数を集めただけで、結果的に採択されているというとこ ろがあるが、このような責任の所在がどこにあるか分からなくなるようなあり方はぜひ改めていただ きたい。

 第三に、開かれた採択の推進という観点である。
採択の結果、なぜいくつかある教科書の中からこの教科書を選んだかということを、きちっと、地 域の住民の方々や保護者に説明できるようにしてほしい。採択理由はぜひ企表していただきたい。
都道府県の選定審議会や市町村の採択地区の協議会等に保護者の代表の方をぜひ入れるように心がけていただきたい。また、採択が終わったら委員の氏名を公明正大に公表し、情報公開とい行政の一つの責任を果たし、携わった人が自分の責任でやりました」ということを事後的にしつかりと明らかにしていく必要がある。

こういった三つの点をお願いしているが、最初に述べたように、その取り組みは必ずしも十分では ない。
 都道府県においては、新学習指導要領の実施にあたっての新しい教科書の採択で、もう一度、市町 村のご指導をお願いしたい。

文部省初等中等局担当審議官  玉井日出夫
    〃    教科書課長  大槻 達

【資料B】

平成2年の「教科書採択の在り方の改善について」の初等中等教育局長通知について

1.平成2年通知(3月20日付 各都道府県教育委員会教育長あて)

 下記2の、「教科書採択の在り方に関する調査研究協力者会議」の報告書を受け、提言された教科書採択に関する各事項等について、都道府県・市町村の教育委員会に対し、検討・改善を図るよう、またその指導に努めるよう依頼(同報告書添付)。

2.報告書の概要(平成2年3月6日)

(1)基本的な考え方
 採択は、教育委員会のなすべき仕事のうちで最も大切なことの一つ。
 採択制度はおおむね定着してきているが、次の3つの観点から更にその改善を図ってゆく必要がある。

ア.専門的な教科書研究の充実
イ.適正かつ公正な採択の確保
ウ.開かれた採択の推進
(2)具件的な改善方策 (主な事項)
1.教科用図書選定審議会
ア. 都道府県教育委員会は、採択基準、選定資料等が採択権者においてより参考になるものとなるよう、その作成について更に工夫、充実していく必要がある。
イ. 選定審議会には、保護者の代表を委員に加えていくことが望ましい。

2.教科用図書採択地区と採択手続

ア. 採択地区においては、各地域の実情に応じて各教科ごとに適切な数の調査員を配置するなど調査研究俸制の充実を図ることが望ましい。
イ. 教科書発行者の過当な宣伝行為等の外部からの影響に採択結果が左右されることのないよう、採択における公正確保の徹底を図ることが必要。また、教職員の投票によって採択教科書が決定される等、採択権者の責任が不明確になることのないよう、採択手続の適正化を図ることも重要。

ウ. 採択に保護者等の意見を取り入れていくことについては、採択地区協議会の委員に保護者代表として入っている教育委員を充実させることが望ましい。また、採択地区協議会や  その下部組織に、新たに保護者代表等を加えていくことも考えられる。

3.高等学校用教科書の採択
○ 都道府県教育委員会は、高等学杖用教科書のための調査・研究組識を設けるなどして日常的に教科書の調査研究を行っていくことが望まれる。

4.採択理由など周知・公表
ア. 採択事務の円滑な遂行に支障を来さない範囲内で、各地域の実情に応じて採択結果や理由などについて公表していくことが望まれる。
イ. 選定審議会の委員名及び採択地区挽議会等の委員名については、各地域の実情に応じて、 できるだけ公表していくことが望ましい。


石原東京都知事、教育委員に檄

●ビデオでみることができます。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/ETC/CHIJITOP/KATARU.HTM

●上記発言について、朝日新聞記者が質問して一蹴されました。
http://www.metro.tokyo.jp/INET/ETC/LIVE/CHIJIVOD.HTM
5月18日発言の7分ぐらいからです。

●石原都知事の教育論が聴けます。
http://www.kyoiku.metro.tokyo.jp/BUKA/soumu/hatugen.htm

石原慎太郎東京都知事が、去る4月12日に開催された「平成13年度教育施策連絡会」において、教科書採択の改善に関する講話を行いました。この講話は、教科書採択の改善を進める全国の道府県にも共通する内容ですので、その主要部分を採録いたします。

惨憺たる教育の現況

 今日の日本の教育の現祝たるものは誠に惨憺たるものがあります。もうこれは一々例をとって皆さんに申し上げませんが、皆さんそれぞれの立場で社会の先輩として、子供の親として、認識しておられると思います。
 日本の教育がこのようになった、その責任が誰にあるかといったら、みんなにある。あなた方にある。私にもある。日教組が悪かったなんて、そんなこと戯言でありましてね、私達全員がですね、今日の日本の教育の荒廃というものに対して責任を感じなければ、国家は救われませんよ。そういう自覚を皆さんぞれぞれの市町村で教育委員を勤めていらっしやるわけですね。しっかり自覚を持って頂きたい。

教科書採択の最終責任は教育委員

 今年は特に「新字習指導要領」とういうものが決められまして、それに則って教科書を検定し採択しようという大事な時期でありますが、あえて申しますけれども、皆さんが就かれている教育委員は、それそれ社会的に評価はある。しかし、これは決して名誉職ではない。かなりがんばってもらわないと役職は果たせない。その責任が果たすのが面倒くさいのであれば、やめて頂きたい。あえて申し上げる。  その最たる仕事はですね、もともときちっと規定されております。子供の教育に不可欠の教科書を誰が選ぶかということは、これは先生ではないのです。皆さん教育委員が選ぶ。教育委員が教育委員会の責任で検定の通った教科書をさらに相対的に評価して採択をする。これははっきりと規律として決められているわけです。
 子供の教科書はたくさんありますし、今問題になっている歴史の教科書も全部あるわけです。これを皆さんが全部検討されるということは大変なことであります。私もいくつか文学賞の選考委員をしてますけど、例えば一番注目を集める芥川賞。これは事前に読む人がいましてね、何百冊という中、10冊近く選びまして、その後、選考委員が審査するわけです。
 皆さんが教育委員であるから全部教科書を一々読んでくるようにとは申しませんが、しかし最終的にどれにするかという責任だけはですね、教育委員が有名無実のまま、一方的な絞込みであるとか、専門家と称する学校の先生にその評価・採択を依頼してそれを追認することだけでは困る。これは困る。  皆さん一人一人がはっきり自分の責任で教科書というものを最終的に目を通して選んで頂きたい。あなた方は子供が使う教科書を読んだことはありますか。小学校一年生の教科書なんかは、大人だったら5分で読める。では、教育委員の方々で小学校一年生の国語の教科書を読んだ人はいますか。いないでしょう。それでは困るのですよ。

今までは生ぬるかった

それそれものの考え方・価値観・歴史観は違うでしようけども、一人の常識人として、一人の国民として、幼い子供たちに開かれた自由な立場でものを見させる。歴史に限らず、開かれた形で、自由に広範な知識を習得し、片寄った価値観というものに追い込まれない形で、それにふさわしい教科書を選ぶということは、元々は教育委員です。一番大事な責任である皆さんのお仕事なのです。大きな声で言いますが、私は今まで区市町村の教育委員会の教科書に関する姿勢というものは非常に生ぬるかったと思うし、皆さんの責任において履行したとはとても思えない。断っておきますけど、区市町村によって成績の違うことはあるでしよう。しかし、教科書採釈はみなさんの大事な責務です。

日本は開かれた言論社会

 新しい「学習指導要領」が今年施行されます。歴史教科書の問題で外国からいろいろな注文がきて、私は内政干渉だと思いますが、しかし、日本はやはり開かれた言論の社会ですから、隣の韓国や中国のように国定教科書でやっているわけではない。もし仮に日本の政府が中国の国定教科書の中に「田中上奏文」(国際派日本人養成講座 No.0075)というものがあります。これはまったく間違った事実無根のこと史実として登録されて、東京裁判でも問題になって、まったくこれはインチキで偽物であるということで、資料として採択されなかったのですが、それがそのまま日本を批判する素材として登録されている。これに対して、日本の政府が困ると言つたら中国の政府は何と言いますか。それに比べたら、私達は検定という国家の責任において、いろいろな立場の人に議論をして項き、いろいろな立場の教科書を審査する。
 さらに、今度は国民・市民の代表である皆さんの良識の目を通して項いて、採択に導いて頂きたいと思います。そういう手続きを取っているわけですから、どうかひとつ今日の教育の荒廃に皆さんが国民の一人として、社会の先だった一人として、子供たちの将来を思いながら、その責任を今こそ履行して頂きたい。教育委員として一番大事な仕事は自分の目で見届けて、自分の頭で考えて、自分の良識で教科書というものを人に選ばせずに採択するということ、これは非常に大事な大事な作業であります。これだけはひとつ皆さんの責任で徹底して行って頂きたいと思います。それでなければ、この国は滅びますぞ。

優れた民族性を子々孫々へ伝える責務

 たがが緩みきっていて大事なものを全部日本人はなくしてきたと私は思う。この間書きましたけれども、ルーズベルトが日本を追い込んで戦争を仕掛ける。日本人は有色人種でたった一人近代国家をつくって、アメリカにとって非常に厄介な存在で、この民族はどうもわからんとうことで、ルース・ベネディクトという女性の社会学者にたくさん予算をつけて日本人についての研究を依頼した。ベネディクトは日本に来たことはありませんが、豊富な資料を駆使して、有名な日本人論である「菊と刀」という本を書きました。今日これに勝る日本人論はないと思います。ただ、ベネディクトが対象としたのは戦争に破れるまでの日本人でありまして、それからの日本人はだいぶ変貌しました。ベネディクトは「菊 と刀」の中で、日本人の精神性を花に例えるなら、桜ではなく、秋に香りの高い萄の花だ。それから、なぜ刀を取り上げるのか。日本刀という美術品に近い刀を日本人はつくる。しかもその刀で彼らは自らを刺して死ぬ。死ぬゆえんは恥をかくことをおそれ、嫌うことにある。だから、日本の文化は恥の文化だ。ということをベネディクトは言っております。
 どうも私達眺めていますと恥をおそれて死ぬ日本人は滅多にいなくなったし、そこまでいかなくても、ベネデイクトは日本の非常に高貴な精神性のひとつであるとして、他の民族にもあるけれとも、特に日本人に強く感じるのは、他人のために自分を犠牲にして顧みないことであり、日本人はそういう自己犠牲、それを活用するための真の美しさを大切にする民族だと言っている。
 私達、時代が変わり、社会の風俗が変わっても一種の垂直の倫理として、年代世代を超えて日本人の民族性が優れたDNAとして残していかなくてはいけないものをここらへんで考え直して、それを確保するための努力というものをしなかったら、これは本当に10年、20年たった日本の子孫たちに顔向けできないと思う。皆さんそれぞれ選ばれた教育委員の仕事をされてる方々ですから、どうか一人一人国民として、日本人として、もし国への思いがあるならば、その責任を自分の責任で他人にまかせず、自分の自で見届けて、自分の頭で考えた、教育委員一人一人の責任において、きちっとした教科書の採択をして預きたい.それを本当に心からお願い致したい。よろしくお願い致します。


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