「テリー、もう少しスピードを落としてくれないか。何だか目が回りそうなんだ。」

'81年製のピックアップトラックの3人掛けベンチシートの右端にすわっていた僕は、ハンドルを握っているヒゲ面の男に向かって言った。

「オーケイ、ヒロ。実は僕もそう思っていたところなんだ。山から下りてくるといつも、しばらくこうだ。エンジンのついた乗り物のスピードについていけないんだよな。まあ、いくら頑張ってもこいつは90キロ以上出ないんだけどな。リサは大丈夫かい?」

「一週間、POWDERの中で暮らすとこうなるのよ。歩くのと滑るの、それ以上のスピードとは縁がなかったからね。」

始まりはカナダのとある街の小さなアウトドアショップだった。

カナダでしばらく暮らすことに決め、家族3人で持てるだけ目一杯の荷物を抱えてその街の空港に降り立ってから3日目の夕方だった。

「こんにちわ。日本から越してきたばかりなんだ。テレマークスキーをやっているんだけど、誰かこの街でやっている人知っていれば紹介してもらえないだろうか。ツアーにも行きたいんだ。」

「そりゃあいいや。だったらこの二人に会うといいよ。どちらもスキーキチガイさ。」

こうして出会ったリサとテリーというカップルが、今、僕のすぐ前を、POWDERを豪快に巻き上げながら滑り落ちていく。今日何度目のPOWDERランだろうか。木がちょうどいいくらいの密度で生えたこの北斜面を見つけた僕たちは、途中行動食をほおばりながら、上っては滑り、上っては滑りを繰り返している。その度に木を縫っていく新たなラインを見つけだしながら。

「ハーイ、テリー。信じられないような日ってやっぱりあるんだね。このPOWDERいつまで続くんだろう。」

「POWDERは限りがない。だけど僕たちのPOWERには限りがある。」

「そろそろサウナが恋しくなってきたよ。だけどこのPOWDER。さあ、もう一本行こう!」

「オキドキ!今度は、タンブリングヒロ、最初にどう?」

「さあ行こう!ヒロ!」

「オーケイ!」

”タンブリング(コロコロ)ヒロ”。POWDERの中を頭から数回転前転した醜態を見せてから、こんなあだ名をつけられてしまった。

奇声をあげながらPOWDERの世界へと身を投げ出していく…。

1日目一杯POWDERの中で遊んだ後、疲れはてて小屋へと戻る。途中振り返ると夕陽が山の端を照らし、息をのむような世界が広がっていた。

僕たちがこの1週間の POWDER SKI のベースにしているのは、ヘリコプターでアクセスする山小屋だ。麓の国道沿いにある砂利敷きのパーキングロットから飛び立った6人乗りのヘリコプターは、森林限界ぎりぎりぐらいに位置するこの小屋のすぐそばの雪原に、1週間分の食料とともに僕たちを残し、派手な雪煙を巻き上げながら飛び去った。1週間後にまた迎えに来てくれることになっている。

小屋は2階建て。2階は部屋がいくつかあり、それぞれに簡単な二段ベッドが備え付けてある。

1階の玄関を入ったところが広い風除室兼乾燥室。もう一枚ドアを開けると薪ストーブが置いてあるリビング兼食堂。その横に台所がある。電気や水道はない。プロパンガスがあるので、炊事はそれで行う。照明もプロパンのランタンとガソリンランタンだ。水は近くの湖までスキーを履いて汲みに行く。シールをつけてだ。空のバケツを2つ抱え、湖までは下り、スイスイだ。湖といってももちろん凍っている。一カ所水を汲む場所を決めてあり、氷に穴を空けてあるのだが、油断をするとすぐその穴も凍ってしまい、雪が積もってしまえば場所もわからなくなってしまう。穴がうまく見つかっても、欲張って水をバケツになみなみと汲むと、帰りにえらいめにあう。カヌーのヨークを使った天秤棒の両端に、水の入ったバケツを吊り下げ、小屋まで約200メートルの登り。一度、途中でスキーからシールがはがれて転び、頭から水をかぶってしまった。Bullshit!欲張るとホントいいことがない。

小屋の中にはトイレがない。50メートル程離れたところにアウトハウス、一戸建ての個室がある。吹雪いた夜には少なからぬ勇気とふんぎりが必要だ。

小屋の隣にはサウナ小屋。5人もはいれば満杯となってしまう小さなものだが、一度この味を覚えると病みつきになってしまう。そのために薪割りをせねばならないことなどなんでもなくなる。

「今日は合計****フィート上下運動をしたよ。信じられない1日だったね。」

豪華な夕食が終わり、皿洗いも終わった後、ホイップクリームを入れた特製のホットチョコを飲んでいると、テリーが自慢の高度計付き腕時計を見ながら言った。

「ホント素晴らしい日だったわ。あのヒロのタンブリング、グレイトだったね。」

またその話だ。僕は、薪ストーブの焚付けになりかけている数年前のスキー雑誌をぺらぺらとめくっていった。

"Earn your turns!"...

"Powder Hound"...

"Gravity Junkie"...

"Survivors of Avalanche"....

小さなクッションを胸に抱き、眠そうな顔をしてペーパーバックを読んでいるリサに向かって話しかけた。

「ねえ、リサ、 明日はどこ滑ろうか」

僕たちのPOWDERは始まったばかりだった。

 

Hiro Yoshinaka

atsuhiro_yoshinaka@eanet.go.jp