脈絡のない言葉の集まり。

なぜか下に行くほど新しいです。基本的になんだかよくわからんことが書いてあります。



「暴れカンガルーだー!!」
「右側をふさぐなぁっ!」
「それじゃぁむしろ愛し合ってるよね(笑」
「お誕生日のピアノ演奏は如何致しましょうか。」
「わ、剣でてるよー」
「泣いちゃだめだよ…。」
押し入れの発掘
α+β=M,α+γ=F
彼氏彼女の事情 タイプF
たとえば何か文章を書いていて
ついつい長文書いちゃうけどね
数学って数の学問って書くんだよね
勉強法
言い訳に聞こえるかな
どうして試験があるか
実はよく似た格言が
妄想と自己補完の違いって…
セフィーロとかね
不平等にできてるもので
メール送受信
原論ってあるじゃんか
自分で考えることと他人を受け入れることと
別段変ともおもえんが…
神の存在証明
宇宙が有限である証明と無限である証明
善悪の彼方に飛び立とー
本音と建て前じゃん
要するに思いこみね
要するに嫉妬ね
あなたにとって日常は演技ですか?



れカンガルーだー!!」

卵の殻を破れねば、雛鳥は生まれずに死んでゆく。

我らは雛、卵は世界だ。
世界の殻を破らねば、我らは生まれずに死んでゆく。
世界の殻を破壊せよ。

世界を革命するために。


雫、涙、エンゲージリング
影絵、影絵、影絵
穴の空いた集合写真
踊る竹刀、引き立つ箒
三つの棺
「永遠なんて、あるわけないのにね…」

絶対運命、黙示録。
And Revolution...



廻る薔薇

冬芽ぁぁぁ〜貴様〜<(≧▽≦;> っつーか西園寺ィ〜(/x;) はぁ…こんなに面白かったのか?知らなかった…。 よく借りてきたな、姉(笑 一つ一つの演出がすごい、当時は全然気づかなかった。 ただただ、よく分かんない、でもなんか面白い。 それだけだった。 …いつも…ということはないか…?…思うことなのだが、 そうやってどれくらいのことを見逃しているのだろうか。 そうやってどれくらいのことに気づかずいるのだろうか。 いいねぇいいねぇ〜♪既にぞっこんラヴである(何 今これやってたら確実にはまってたって…。 某ばつおさんがはまっていたのもよく分かる(笑 「カシラカシラ、ごぞんじカシラ?」 気になる気になる。さらにもう一つ分かるようになれば 意味が見えるのだろうか?あはは。


側をふさぐなぁっ!」

動く床 皆を乗せて運んでゆく 動く階段 皆を乗せて運んでゆく 動く心 皆を乗せて運んでゆく…

エスカレーター

東京と大阪とでエレベーターの使い方が逆らしいですね。 急ぐ人のために右側を空けるか左側を空けるか…。 名古屋では右側が急ぎの人用なのですが何故か地下鉄一社駅 においてはこの駅だけ逆の現象が発生……何故だ?!<(≧▽≦;>


「それじゃぁむしろし合ってるよね(笑」

助け合う。 人は助け合って生きているという 助け合うってどういうことだろう きっと、お互いのことが信じられるってことなんだ。

人という字は…

このフレーズで始まる金八先生の言葉は有名であるが、 ある日弟がこんなことを言った。 「これはコウが言ってたんだけどさぁ、 人って言う字あるじゃんか、あれって 助け合ってるって言うより『もたれかかってる』 よね〜(笑)」 ビックリだ。というかその通りかもしれん(笑) パソだと人って言うふうになっちゃうが、 鉛筆で書くときは一画目の人が支えてもらっているばかりだ(笑) 面白いこと言うな、コウ(謎)

「お生日のピアノ演奏は如何致しましょうか。」 「……いらな…」 「おいします。」 「あははーっ、よかったですねーっ」

嘘偽りない、本当の親友。 心から楽しい、と思えた時間。 これからも、ずっと親友でいようね。 誘われた食事会。 誰といくの? 三人だけなんだ? いつもの三人だね。 他のみんなはいいの?ふーん、珍しいね。 たまには、いいかもね。 …せっかくだし、行くよ。都合つける、うん。 値段が気になった食事会。 わ、ここなの? お金大丈夫? でも凄い雰囲気いいお店だね。生演奏!すごいすごい。 料理は何を頼むの? …?お誕生日こーすぅ? そういえば誕生会がどうのって…。 え!君の誕生会だったの!…君って誕生日人に教えないから…。 ……そっか、そういうことかぁ……。 三人だけの、誕生日会。 誕生日、おめでとう。

記念日。

楽しかったー!ヽ(≧▽≦)ノ こんなに楽しかった日は久しぶりだぞよ(笑) ありがとう、心の友よー(じゃ慰安//爆//笑) しかし翌日がベガの誕生日とは(爆)>happyくん ボクの場合と比較すると笑いがこみ上げてきてしょうがないんだけど(笑) ボクは翌日1/29だもんね〜♪あの人の誕生日だもんね〜♪♪えへへ(笑//のろけか) あーぁ、でもね〜時間気にせずにしゃべってたかったなぁ…。 今度はもっとゆっくりしたいね(笑)

「わ、でてるよー」

それは、心の中の、 それは、心の奥の、 心の、弱み 心の……… 大切な人に逢いたい。 心のすべてを許せる人に、逢いたい。 心のすべてを曝け出せる人に、逢いたい。 大切な人に逢いたい。 心のすべてを許してくれる人に、逢いたい。 心のすべてを曝け出してくれる人に、逢いたい。 大切な人に逢いたくない。 心のすべてを許せる人に、逢いたくない。 心のすべてを曝せ出せる人に、逢いたくない。 それは、恐怖… それは、恐れ… それは、心の寂しさ。 とても臆病な自分。 とても脆い自分。 とても弱い自分。 いつになったら遭えるかな。 いつになったら遭えるかな…。 逢いたい…逢いたくない…逢いたくない…… 別れ…。 『最高の出会いは、同時にもっとも悲しい別れの始まりなんだよ…。』

捨ててしまったペンダント。また、その手に…。

うぅ、すごいなぁ、もう、ウテナは…(ぇ? 絵も綺麗だしな(笑) 基本的にハズレが無いんだよね。 さて、夏休みの終わり頃に見たウテナであったのだがー、 テスト勉強と宿題に追われて返してしまったんだよな、ビデオを。 でぇ、なんで今(10月22日)まで見ていなかったかというと、 ボクが見れる状況でも姉がテスト週間だったり、というように 姉とボクとが交互にテスト週間やら文化祭やら修学旅行が 入っていたためなのだ。で、今日借りよう、ということになったわけですな。 しかしながらいかんなぁ、あ、いや、ウテナでなくて。 駄文のコーナーだからつらつらとどうでもいいことを書き連ねたいページなんだけど 最初にちょっとした詩みたいなの入れちゃったせいで詩も 一緒に書かないといけない、みたいになっちゃったんだよなぁ…。 まぁいいけど。なんとかなるでしょっ、 エレベーターみたいに(ぉ

いちゃだめだよ…。」

遠い昔に結ばれた盟約。 悲しみから生まれた永遠。 風が、別れを告げる。 永遠の、別れ…。 傍らには最愛の人。 ただ、それだけで。 それは、寂しい別れ…。

一陣の風…力無く、揺れる…。

最近どうも涙腺が緩くなってしまった。 昔はこんなに涙もろくなかったのに…。 誰かさんが心の壁を取っ払ってくれたみたいだ。 いろんな事が心をふるわすのだ、 なんだか人間っぽくていいかな、と思う。 とても寂しくて、でも、誰も泣いてくれる人はいなくて…。 そんな人にために、泣こう…。 ボクに出来ることはそれだけだから。


押し入れの

   現在を生きる  今から約半年ほど前のことである。僕には ある「ささやかな野望」があった。その野望 とは―  「近くにあるはらっぱで、天気のいい日に 寝ころがってそらをながめていたい。  …というものだった。  「ゆとり」というものをあなたは持ってい るだろうか?しかし、一口に「ゆとり」と言 っても、人それぞれ、違ったものであると思 う。それはお金だったり、寝る時間だったり、 好きなことをしている時間だったり、心のゆ とりであったり…と、さまざまだろう。だが、 「持っている」「ある」と答えたとして、そ れが本当に「ゆとり」なのであろうか。  「本当に、時計はいらんと思うよ。」  ―と、学校の帰り、「豊かさ再考」につい ての話をしていたときに、高木君がそう言っ た。彼曰く、みんなにはゆとりがなさすぎる のだそうだ。  今の世の中は、文明が発達したとはいって も、犯罪が絶えないこともまた事実である。 現代を生きる人々はすさみ、毎日をせかせか と生きているとでもいうのだろうか。  僕の「ささやかな野望」は、実現する前に、 あっけなくついえることとなる。昨年の夏 休みから、前々から目を付けていたはらっぱ に、工事の計画が立ってしまったのだ。  現代の日本には、確かにゆとりがないよう に思える。たとえ心にゆとりを持っていたり、 空や緑が好きであっても、それを壊されて しまったり、それを変えられてしまうのだ。  「豊かさ再考」には、ミレーの晩鐘の世界 について語られている。「現代の日本とくら べて、なんとゆったりとした悠久の時間を持 っているのだろう」と。  そして高木君は作者の考えに大賛成だとい う。前々から、同じ考えを持っていたのだと いうことである。そして彼は、家では時計は いっさい使わないという。  悲しいことは、ときを選ばずやってくる。  「お預かりしていた、ジョン君(家で飼って いた犬の名前)ですが、終わられました。」  分かってはいたが、聞き返すと、  「その…亡くなられました。」  と、言い出しづらそうに、そう言った。そ れは、動物病院からの、一本の電話だった。 気が滅入りそうになるようなことは、いくら でもあるものだ。そんなときに、心の凹みを 感じる。  僕の「ささやかな野望」は、しかし潰えは しない。ある人との会話の中で、それは冗談 としてでてきた。だが、僕にとっては、ひど く魅力的でもあった。新たな野望とは―  「天気のいい日に、堤防の緑の斜面で寝そ べりながらハーモニカを吹くこと」  ある人は、これを聞いて笑うかもしれない。 でも、僕にとってはとても魅力的なことなの である。  僕は、自分がバカだったがために、少し前 まで、色々なことを体験してきた。独りだっ た。おかげで色んなコトを考える時間ができ た。因果律について考えた。死について考え た。自分の生きる理由について考えた。当時 の自分はまだ幼くて、でも、自分なりの結 論を出すことはできた。そして、これからは どんな苦難が待っていようとも、のりこえら れるような気がした。  人は自分を理解してもらえないときに孤独 を感じる。「人は、互いに支え合う」とは、 まさに当を得た言葉だ。そんなことも分かる ようになった。  考えというものは人それぞれ違う。ある人 が好きなことも、もう一人からすれば嫌なこ とかもしれない。「豊かさ再考」の作者や、 高木君たちの考えもまた一つだと思う。でも 僕は違う考えを持っている。それは、「心の ゆとり」とは、「その人その人の心の持ち方 しだいではないだろうか」ということだ。時 間においたてられてせかせかと生きている。 たしかにそうではないか、と思える一面も目 にする。だがその反面で、今の一瞬を大切に 生きている人も多くいる。そして、その違い は、心の持ち方だけではないだろうか。  僕の新たな野望は、近々実行に移す予定で ある。もし堤防を通ったときに、へたくそな ハーモニカが聞こえてきたら、それは、きっ と…。

現代(いま)を生きる

やあれやれ。ようやく打ち込み完了か。 この作文、実は中学三年生の時に書いた作文だったりする。 国語の先生が構想用紙なるものを配り、それにそって作文 全体の流れを考えてから作文を書いた。 当時は色々あって書きたいことがいっぱいあった… というか、むしゃくしゃして、何かに打ち込みたかったんだと思う。 それにしても今見ても結構耐えるできだなぁ、と感心したので 載っけてみた次第である。 でもこれダークルーム行きかなぁ? (ダークルームにはノンフィクションで暗いものを載せてます)

α+β=M,α+γ=F

(自分以外の考え方を認められない)=α (棘のある言い方をしているのに本人は自覚していない)=β (すぐかっとなる)=γ …(α+β)は最悪だな…。 (α+β)と(α+γ)又は(β+γ)が出会ってしまったら…。 でも(α+β)と(α+β)はなんとかやっていけるが… イヤだなぁぁぁ…。

性格を定量的に扱う

よんだまんまなり。

彼氏彼女の事情 タイプF

「自己中」がパワーup うちの父は最近自分が何か間違えても認められなくなっている。 明らかに違うことを言ったりしたときに間違いを指摘して本人も間違いに気づいても 黙ったままだったり、あるいは間違えていたことを忘れているように振る舞ったり、 さらには「そういった」と言いきったりする。 これはもしかして、世間で言うところの、いわゆる『老化現象』という奴では…。

彼氏彼女の事情 タイプM

「ストレスが溜まると手近な人に皮肉を言う(溜まりすぎるといきなり切れる)」がパワーup うちの母は最近皮肉の棘が鋭くなっている。 明らかに相手の気分を害する物言いをして平気な顔をしているので 一度問いつめてみたら、全くそんなことはないと言い さらには「何も言ってないのに怒り出す」と言い切ったりする。 どうやら本当は自覚があることが分かったが、それとは無関係に『老化現象』と見ていい気がする。

たとえば何か章を書いていて

インスピレーション。直感。 それは閃きであるわけだが、果たしてそれはものをどう見て閃くのだろうか。

左脳と右脳

…たまに文字を書いていて、ふと「こんな字あったかな」と思うことがある。 どうも左脳から右脳的見方に切り替わっているような感じがする。 このときは文字の「感じ」を見ている気がするのだがどうか。

ついつい文書いちゃうけどね

「手紙が長くなってごめんなさい」 そんな優しいヒトコト。

真の意味と文字通りの意味と

つまり、彼(彼女)にとっては 「文章の構成を考え、下書きをし、推敲する」 事が当たり前なのだ。 これがおろそかになってしまいごめんなさい、と。そういう意味なのだ。 なんとも素敵な人ではないか。

学って数の学問って書くんだよね

つながり。それは形を持ったものにとどまらず…

将棋倒し

初めて「数学的帰納法」の意味が分かった瞬間って 駆け抜けるような感動を覚えたものだよね。

「数学は暗記」という考え方がある。 が、これはあくまで「高校数学は暗記」の間違いであろう。 中学校の数学は「あんなものは算数(byT山先生)」であると思う。 この先に何があるのか、俺はまだ知らない。

learnかstudyか。

数学では幾通りかある「解法」をすべて覚えてしまえばそれでいい。 いかにもれなくそれらを「暗記」するかにかかっている。 …それが前者の主張。

言いに聞こえるかな

「断言」を避けて書く理由は絶対である保証がないから。 常に自分を疑うこと。それが自己向上への不断の努力。

断定と婉曲

いつでも自分を疑っていなければいつか間違えることになる。 だが、いつでも自分を疑っていると前へは進めない。 どこかで折り合いをつけないといけない。 そこで自分が社会の中で生きていることに目を付ける。 社会が「そう」と断言することは疑っていてもあえて断定する。 社会に判別がつかなく、自分が「そう」と思うときは婉曲で表す。 これが自分流の折り合い。

どうして験があるか

歴史の年号を覚えること 文法の呼び名を覚えること 公式を暗記すること これらは本質の切れっ端でしかない。 だが、名前を知らないとそれを呼ぶことすら出来ない。

名前

生徒全員が意欲的で先生全員が本質を語る授業をする状態を理想状態と呼ぼう。 最初は理想状態だったと仮定する。 しかるにこの状態は異常であり、どこか普通ではないはずだ。 どう普通ではないのか? 全員が理想的だと言うことはたとえば生徒、先生全員の人数が 極端に少なければ成り立つ場合もあるだろう。 ここで彼らは確実に優秀であり、世の中で認められる 存在になっていくだろう事は疑いがない。 そこでこのシステムは拡大して行くはずである。 すると確実に質は低下して行かざるをえず 次第に意欲的でない生徒と本質を知らない教師が現れる。 更に規模が拡大すれば 教え方を考える側とそれに従って実際に教える側と教わる側 というシステムに移行しても不思議はない。 すると確実に摩擦が生じる。 たとえば教育を国の義務とするならノルマをこなしているかどうかを 試験というもので判断したとしてもおかしくない。 試験をパスするには本質を知っていなくても試験用の対策が出来れば パスできてしまうという状況が発生するのは不思議ではない。 だから、現状は必然的なものなのかなぁ、などと。ね。 そうなりゃ我々に出来るのは自分で本質を学ぶことだけだ。

実はよくた格言が

大事なのは「そうではない」ことではなく、「そうではない理由」である。

論争

「『なぜ』はその答えより100倍重要だ(アインシュタイン)」 光栄である。似たようなことを有名な科学者が言っていたとは…。 たとえばここのページに書いてある事に関して 「これはおかしいと思う」というメールが来たとする。 それ自体は非常に歓迎する事なのだが、 もしそれにしっかりとした「理由」が伴っていないとすれば それははっきり言って中身がなにもない。 理由を突き詰めていけば主張の違いもはっきりする。 最終的には本人同士の価値観の違いから全く同じものから 全く逆の結論を得ている場合もあるだろう。 そういう場合はなるべく出会わないようにして、 なんとか共存するほかに道はないと自分は考えている。 今日もどこかで平行論争が続いているのかな…。

妄想と自己完の違いって…

妄想…1あれこれと想像したことを事実であるかのごとくに固く信じてしまう心的傾向。(新明解国語辞典より) 歌は妄想すればこそ面白い。

妄想

この場合の歌はもちろんいわゆる歌を含めて短歌、狂歌、俳句、川柳も含みます。 短い文字と文字に込められた「思い」を勝手気ままに想像して 「あぁ、きっとこんな風に思ってよんだんだなぁー♪」 ってこりゃ妄想だろ?ってそれだけの話です。

セフィーロと

意志の強さは力である

ある世界の話

これは何も漫画の中だけじゃない。 「もし現実世界でもそうならな…」と思ったものだが、 それは実は実際の場合でも通用することだったのだ。 当時の自分は単に意志が弱かっただけだったのだ。 今ならそう思える。

等にできてるもので

悪人が悪いことをしても大きく取り上げられることはない 善人がいいことをしても大きく取り上げられることはない 悪人がよいことをすると大きく取り上げられる 善人が悪いことをすると大きく取り上げられる 人の世とはそういうものである。

善悪

それがいいことか悪いことかはまわりが決める。 本人にとっては常にいいこと(又は悪くないこと)だとしても 判断するのはまわりなのである。 ところが同じことをしたところで評価が違う事はよくある。 これは別に先にしたか後にしたかと言うことを抜きにしても、である。 我々はそれをふまえたうえで生きていくべきなのだとは思うが、 なんとも納得しがたいものである。

メール受信

彼は今日思ったことを。 彼女は今日あったことを。 そして今日も、かたり合う…。

歪み

あなたはどっちがいいですか?(何が? まぁ、少しずつ、一歩ずつでいいけどね。

論ってあるじゃんか

この世界の知を昔へ持ってゆくと、 今ではどのような知に発展しているのだろうか。 原論はそれだったりして。と。

未来人という発想

今ある何千年分もの英知をその紀元まで持っていければ その何千年かあと、つまり今にはどのくらいの発展を見せているのだろうか。 それが知りたかったのかな、とふと思った。

自分でえることと他人を受け入れることと

自分の考えを構築することと他人の考えを理解することは、 逆の能力であるがゆえ、片方がおろそかにされやすい。

考えるということ

どうも世の中には現国の問題は解けるが、 しかし自分の意見を主張しろといわれると 何もいえなくなるような人が増えているらしいということ。 その一方で現国の問題を解くときに自分の意見に一致した 選択肢を選んじゃう人も結構いるってこと。 その両方を伸ばすようにがんばろうっ。

別段ともおもえんが…

PCのディスプレイを見ながら笑うのが不気味というなら 何故テレビを見て笑うのがおかしくないというのか。

不慣れ

慣れていないだけでは? といって自己を正当化するのはダメですか?

の存在証明

【証明1】 (1)神は「それより大なるものが考えられ得ないもの」と定義される  (神は最大、完全、絶対なるものであると言うこと)。 (2)もし「それより大なるものが考えられ得ないもの」が  頭の中にだけ存在するならば、 「それより大なるものが  考えられ得ないもの」より大きなものが、外にも存在することになる。 (3)すると、「それより大なるものが考えられ得ないもの」は  「それより大なるものが考えられ得るもの」になってしまう。  これは最初の定義からして矛盾である。 (4)従って「それより大なるものが考えられ得ないもの」は  理解のうち(頭の中)だけに存在するものではない。  すなわち、神は存在する。 【証明2】 (1)存在するものの方が存在しないと考えられるものより大きい。 (2)もし、神が存在しないとすると、「それより大なるものが  考えられ得ないもの」がそれより大なるものが考えられ得ないもの」  ではないことになってしまう。なぜなら、「存在するものの方が、  存在しないと考えられるものより大きい」に矛盾するから。 (3)従って、「それより大なるものが考えられ得ないもの」、  つまり神は存在する。

人性論的証明

【証明1】は(2)がなんか怪しいが筆者は明らかだと思ったから はしょったんだろうねぇ…。 【証明2】は(1)の根拠が不明だ。 複素数だって大小関係はないんだし…。 そもそも神の定義も怪しいが。

宇宙が有限である明と無限である証明

★宇宙は有限である(果てがある)ことの証明  ○○ちゃん。もし宇宙に限界がないとしようか。空間が無限なんだよ。 でも、広がる空間を考えるには、部分を一つ一つ繰り返し付け加えて いくことによるしかないよね。だって、何キロ先、そのまた何キロ先というふうに カウントするしかないじゃないか(ここで彼女の指をつかんでカウントさせる)。  ところが無限の宇宙という全体をとらえるには、直感で一気に全体をつかむか (ここでてをしっかりと握る)、部分のカウントを終えるかどっち化しなければ 全部をとらえたことにはならないよね。でもそれはどっちもできないことだよね。  そんなわけで宇宙は有限でなければならないんだ。 僕らも有限な空間にいるんだよ(ここ出方に手を回す) ★宇宙は無限である(果てがない)ことの証明  ○○ちゃん。もし、宇宙が風船みたいに閉じられた世界だとしようか。 だとすると、有限な風船の外側にも限界を持たないような空虚な空間が あることになるよね。(ここで彼女にグーを作らせる)。  風船の外側があるように、世界の壁の向こうはどうなっているのだろう (ここで握っているてを裏返す)。  世界に壁を作っても無意味なんだよ。壁があれば必ずその向こう側があるんだ。 だから、世界は、空間的にまったく限界を持たない。無限なんだよ。 僕の愛も無限なんだ(ここで肩に手を回す)。 『純粋理性批判』「先験的理念の第一の自己矛盾」におけるテーゼ(正命題)の空間に関する部分。空想哲学読本より引用

二律背反

>これらをとくと語れば、完全にふられることは請け合いである。 >この二つの証明は、どちらも肩に手を回すという面で共通するが、 >証明の結論と無いようなまったく異なる。 だそうだ。 これは理性は誰にとっても客観的な真実を与えてくれるけれども 特殊な質問、特に極限的な状況に関するものについては 正しい真実にたどり着けないのだそうだ。カントくんによると。 数学との絡みでちょっとわくわくしますな。

の彼方に飛び立とー

「道徳的な現象などというものは全然存在しない。 あるのは諸現象の道徳的解釈だけに過ぎない。」 (ニーチェ『善悪の彼方』)

善悪の彼方

前に書いたことを偉い人の言葉に代えただけともいう。

と建て前じゃん

真理を求めることから何故真理を求めようとするのか、へ。

人間的な、あまりに人間的な…

「どうすれば真理に到達することが出来るのだろうか?」 から 「なぜ真理に到達しようとするのだろうか?」 へ求めるものを変えるべきだ、ということらしい。 その理由はそもそも人間は心理に到達する事など出来ないから。 そして導き出された真理とは実際は自分が望んだ結論でしかない。 というのだ…。 具体例によるとこういうことらしい。 Q地球連邦政府とジオン公国のどちらが正しいと思いますか? ・なぜ、自分は地球連邦政府が正しいと思ったのか? [客観的・理性的判断の例] 「ジオン公国のような侵略行為は許せないから」 「地球が指導者的立場にあるのは当然のことだから」 「コロニーの独立よりも、地球とコロニーを一体化させることを優先すべきだから」 など [ニーチェ的判断の例] 「ガンダムが戦ってるから」 「連邦のカラーが白だから」 「コロニーよりも地球の方が安定してる感じがするから」 「ミライやセイラやフラウ・ボウがいるから」 「子供が戦っているから」 など おいらは読んだとき爆笑したーよ。 ともあれこれによってこれまで築いてきた哲学史は全て否定されてしまった。 理性的に導かれたことは実は不合理な感情が作りだしたものだって言うんだから。 なんてことをしてくれたんだニーチェ。

要するにいこみね

人は何かを判断した際に、それは理性的に正しいと考えている。 実はそれが自分のこころの奥底からわき上がってくる不合理な力によって 突き動かされた解釈であるとは微塵も考えない。 既に真実は決まっていて、それを自分は正しくとらえているし、 相手は誤っていると信じて疑わない。 ここに人間の愚かしい争いが発生するのである。 だから戦争もなくならないのだろう。 (ニーチェ)

相対性

これも以前に書いたことに偉い人の言葉で裏付けをとっただけとも言う。

要するに妬ね

道徳とは、弱者が強者に対して怨みを抱いた結果、 弱者が強者を引きずりおろそうとして価値を逆転したもの。 道徳的であれば弱くても強い立場にいられる。 (ニーチェ)

虚無主義

最初は支配者にとって都合のいいことが良いことで 都合の悪いことが良くないことだった。 ところが虐げられる側の人間がそれを怨み、 「人を虐げるのは悪いこと」 という価値を作り上げ、従来の価値を逆転させてしまった。 つまり弱者が正しく、強者が間違っているというのだ。 ニーチェによるとそれがキリスト教道徳なんだってさ。 具体例によると ●道徳→「人間は外見ではない。内面を大切にしようではないか」 ●道徳→「金なんかいらない!こころが全てさ!」 ●道徳→「学歴社会は良くない、もっと人間性を大切にすべきだ!」 ■怨み→「くっそー!オレもキムタクみてえになりてえよぉ!カッコイイヤツが憎い…」 ■怨み→「ああ、もっと金が欲しい、でも貧乏だ、金持ちが憎いよ〜ん!」 ■怨み→「この前の全国模試で、偏差値がさがっちまったよぉ。     あ〜あ、受験なんか無ければなぁ!受験社会をうらむぞ!」 だってさ。なるほど…。 人間って嫉妬深い生き物なのね…。

あなたにとって日常は技ですか?

http://www.enneagram.gr.jp/enneagram/test.html タイプ4 1.自分は個性的で、他の人とは違う特別な人間だと思う。                           2.苦しみを持つ人に深く共感する。                                     3.失われたもの、死、苦しみを思うとき、つい深い思いに沈んでしまう。                    4.他の人は、人生の本当の美しさと深さを味わっていないと思う。                       5.人間関係がうまくいかないことに、他人よりも困惑する。                          6.小説を読んだり、映画を見ると、主人公の気分になりきってしまうことがよくある。              7.感情の起伏が激しく、気分が高揚したり沈んだりするが、どっちつかずだとかえって生き生きした感じがしない。 8.自分の過去をよく思い出し、感慨にふける。                                9.いつも自然にありのままに振る舞いたいが、それは難しい。                         10.深遠なものや象徴的なものに心がひかれる。                               11.すばらしい人を見ると妬ましいような気持ちがする。                           12.私がどのように感じているか、他の人にはとうていわかってもらえない。                  13.いつもマナーのよさと品位を保ち続けたい。                               14.自分にとって周囲の雰囲気は大切だ。                                  15.自分は舞台で演じているような気持ちになることがある。                         16.深い感動こそ、私の生きている原動力だと感じる。                            17.自分の感情をありきたりの形で表現したのでは、十分でないと思う。                    18.自分自身を悲劇の主人公のように感じることがある。                           19.なんとなくお高くいると、人から思われることがある。                          20.芸術や美的表現は、私の感情を表す方法として、とても魅かれる。                     (エニアグラムの設問より引用) 9 言語 会話はドラマだ(1) (1)(誰かと)話をしているとき、人はある程度、俳優のように(役 を)演じている。いつも、意識的にせよ無意識にせよ、人生という劇 の中で常に役を演じているのである。先生に向かって何かを話すとき は、あなたは礼儀正しくて賢い生徒の役を演じる。愛する人と会うと きには、その状況に合わせて即座に役を変えてしまうだろう。 (2)(これは、)私たちが役を変える必要があると考えるからである。 そうでなければ、私たちは得たいと思うものを、上のいずれの関係か らも得ることはないだろう。プロの俳優は、さまざまな役柄を作り上 げるための法則を学ぶものだが、私たちは状況の変化に応じて、自然 にすっとキャラクターを変えるのである。ある俳優などは、役を深く 追求しすぎたために、映画製作が終わってからも本当の自分がどんな 人間だったのかを思い出せなかったという。それぞれの状況に適応す ることは必要だが、本来の自分というものを忘れてはいけない。   10 言語 会話はドラマだ(2) (1)多くの映画スターが、映画の中で役を演じるほうが、現実の生活 の中(で役を演じる)よりも簡単だと思っている。現実の生活はしば しば、(映画より)もっと微妙で難しいものだからだ。映画の中で英 雄を演じることは、実はむしろ取るに足らないことである、(実生活 の中で)優秀な生徒であったり頭の良い青少年であることに比べれば。 さらに、映画の中の会話は、(台本に)書かれたものであり、映画製 作に入る前に何度も何度も書き直されている。しかし、現実の生活で は、あなたは台本なしで、多くの異なる状況に対処することを求め られる。そしておそらく、普通はそれらを上手くやりこなすものだ。 (2)しかし、多くの若者は恐れている、困った状況に陥るのではない だろうかと。すなわち、何を言えばいいのか分からなかったり、どう 振る舞えばいいのか分からないような状況を。仮に10年間、大学の講 義を受けたとしても、人生の多くの状況に対する解答をすべて得るこ とは出来ないだろう。(そのような若者に対する)私のアドバイスは 次のようなものである。もし状況がなじみのないものであるとか難し いと思える場合には、とにかく自分らしくふるまうことだけを考えな さい。そうすれば、万事うまくいくものだ。            (速読英単語(1)必修編より引用)

自分らしく

まず始めに、上記にあげた種類の思想はボクはまったく理解できない。 どうしてそうは思わないのかというと、その思想の根底に 「普段の自分は本当の自分ではない」 という思想があるからだ。何を言っているのやら…。 まず手始めに聞きたいのは「なら本当の自分とはなんだ?」ということだ。 格式張っていないラフな場での自分のことかと解釈したくなるが、 「愛する人と会うとき」までも演じているというのならちょっと違うだろう。 (まぁこの人は愛する人に会うときでさえ「本当の自分」 を見せるべきでないと思っているのかもしれないが。) そうなると「本当の自分」の解釈は困難を極める。 たぶん本人にもよく分かっていないのだろう。 だから本文に「本当の自分」という言葉が何度も出てくるにもかかわらず 「本当の自分」についての説明が一切ないのだと思われる。 おそらくこの人にとってはそれの追求が人生の課題なのだろう。 何しろ「日常は演技」という思想を持ちながら 「自分らしくふるまうこと」が人生において重要だと言っているのだから。 さて、ここからはさらにだいぶボク独自の解釈になってくる。 たぶんこの人はうまくいかないことがあると 「こんなの本当の私じゃない!」 といって切れるタイプだろう。 つまり、「ダメな自分」を拒否するわけだ。 そして「理想的な自分」を「本当の自分」と呼んでそれに近づこうとする。 その上で「自分らしく振る舞え」という意味を考えれば、 それはつまり「よく生きよ」だろ?(笑) 結局この考え方に行き着くというのは妙に笑える話かな、と。 個人的にはそういう人達には「倫理を学べ」と言いたい(笑) 「人生の多くの状況」に対処出来る答えが得られるよん(笑) さて、「普段の自分は本当の自分ではない」という思想。 これが何故ボクには認められないかというと、 「普段の自分こそ本当の自分」だと思っているからだ。全く逆。 どういう事か? 成功もするし失敗もする。楽しいこともあるし悲しいこともある。 今までいろいろやってきたしこれからもいろいろなことがあるだろう。 それらをすべてひっくるめて自分だと、そう認めているからだ。 「失敗する自分」「ダメな自分」は本当の自分ではないとして否定する。 美しいものだけ見ようとする。そんな考え方は許せない。それは逃げだ。


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