ほらふきだんしゃくてきぐこーろく

欧米に通用しない歌手が “アーティスト” なのもどうかと

 

2004年10月05日

 

さて、『アルティスト、アルチザン』の巻

(指定BGM: 坂本龍一 / 禁じられた色彩 (「戦場のメリークリスマス」主題曲)

 

 

さて。押しも押されぬ戦後最大のスターと申しますれば、女性が美空ひばり女史でございますれば、男は文句なしに石原裕次郎の名が挙がるのではございますまいか。その裕次郎氏、人気絶頂期にありながら、ある悩みをその胸中に抱えていらっしゃいました。これなん、「役者なんて、男子一生の仕事ではない」とは、あまりに意外なお悩み。

されど、すでに国民的な人気を博します氏が、そのご意思に沿おうと沿わざろうと、次々に舞い込んでくる仕事をこなさぬわけにはいきません。それらを半ば義務的に消化してゆくそんな弟の姿を見て、

 

『いまのお前はアルティストではない。アルチザンだ』

 

と、厳しく指摘されましたのは、吾が輩が申しますまでもなく現東京都知事。このお言葉はその時すぐに裕次郎氏の悩みを霧消させるには至らなかったのですが、のちの石原プロ独立第一作目の映画、「黒部の太陽」を創り上げます際の、氏の情熱的な尽力の遠因になったとかならないとか……。

 

たしかこの逸話を紹介されていましたのが、まだ押しつけがましさの少なかった頃の「知ってるつもり」であったと記憶しております――して、肝心のキーワードに対して、放送中に解説がなされたのでありますが、

“アルティスト=芸術的芸術家”■■■■“アルチザン=職業的芸術家”

 

という、判るような判らないような表現。こちらをどうにか吾が輩なりに知識として吸収できますよう、なんとか具体的なイメージを思い浮かべてみましたところ、次のような図式ができあがりました次第。

“アルティスト=坂本龍一”■■■■“アルチザン=菊池俊輔”

 

う〜ん、いま考えてもビミョー。マァ選考の基準としましては、坂本氏は吾が輩が申し上げますまでもなく国際レヴェルで活躍されておられますところから。菊池氏はそのお名前よりも、聴けばおおよその人々がそれと思い出さずにはおられませぬ、おなじみの番組テーマソングをあまた手がけられております点からでございますワイ……その意味からは、“浪速のモーツァルト”ことキダタロー氏でも可でございますが、やはりあの尋常ならざる作品数から考えますと、“職業的芸術家”たる称号には菊池氏がもっともふさわしいお方と存じ上げます次第

 

 

されど、最近ふとこちらの言葉を思い出しまして、自分で調べてみましたところ……

“アルティスト=芸術家”■■■■“アルチザン=(伝統技術の)名工、匠(たくみ)

 

とはこれいかに?? いったいどこから“職業的芸術家”なる言葉が出てきたのでございましょうや――と申しますより、現都知事も「お前は芸術家ではない」は十分得心がいきますものの、「伝統工芸の名人だ!」とは、どのような意図が働いているのでございましょう。あるいは要しまするに「真の芸術家たらんことを志せ!」というハッパをかけたのでございましょうかナ。それとも、吾が輩が英和辞典で調べたのが拙(まず)うございましたでしょうか。吾が輩ほかに辞書はドイツ語とスペイン語は所持してございますが、フランス語イタリア語はチト……と申しますか、都知事はいずれの言語を採られてあの叱咤をなされたのでございましょう?やはりフランス語?(注1)

 

 

されど、英語の“アート”そのものは“芸術”という意味合いよりは、“技術”のニュアンスのほうが強いご様子。ですので“忍術”も“アート・オブ・ニンジャ(シノビ)”などと表現されるようでございますワイ。なにも絵画や音楽にかぎった言葉ではないのでございますナ……いわゆる、その道の“技術巧者”のようなものでございますまいか、“アーティスト”なる言葉は。間違っても、正月に開催しました自分のライヴで、座っている観客に起立を強制するような軽薄者では決してございませぬワイ。

 

 

――まぁそちらはともかくも、“音楽”こそジャンルから系統まで多岐にわたり過ぎますので今回は割愛させていただきまして、“絵画”に関しましてシンプルに、つらつら雑感をば申し述べさせていただきますカナ。

 

吾が輩はどちらかと申しますと写実的な絵画を好むタチでして、前衛系は正直きらいなクチでございます。そも“前衛芸術”とはこれいかに……ありきたりな手法を厭(きら)い、既成概念にとらわれず、あらたな表現の平野を開拓する鍬(くわ)でございましょうか。それとも、複雑かつ不安定な近代の真実の姿を映す、深層心理の幻灯機でございましょうか。あるいは、あるがままの自然と光の織りなす色彩豊かな眺望のなかに居たたまれないあまりに逃げだしたものの、そこを逆手にとって自閉的な表現法を展開していくことで“アート”と開き直った連中でございましょうか……。

 

マァ連中の言い分はどうあれ、ギャラリーが作品と題名とを拝見した時点でイメージを結べず、頭の上に「?」と浮かんでしまったらもう連中の負け。そちらはもはやアートでも何でもなくただの妄想のかたまりでございますワイ。わざわざ入場料を払ってまで足を運び、有り難がる必要はかけらもありませぬ――とは申しましても、吾が輩とてすべての近代芸術を嫌っておりますワケではございませんで、サルバドール・ダリ氏(注1)確固たるデッサン力に裏打ちされた写実性のなかでの不条理との共存や、エドヴァルド・ムンク氏におけます生や命の像(かたち)にならない儚(はかな)さや脆さ(注2)の表現、ならびにルネ・マグリット氏の洗練された異世界の構築や、M.C.エッシャー氏の整然とした構図からひろがる異次元などはことのほか好きでございますワイ。

 

されどお話がポップアートまで至りますれば、吾が輩が認めますのは開祖のアンディ・ウォーホール氏まででございますナ。さすがにウォーホール氏の作品は、その着想から表現の手法など、逐一が唸らせられますことしきりでございますが、その後に金魚の排泄物のごとく連なり続きやがられます連中はただのヘタウマ・イラストーレーター。結局は作品と言い張る絵がプリントされましたコップやTシャツが売れてナンボ、な存在でございますワイ……でしたら“珍遊記“にて最初から最後までご自身では主人公を描かず、アシスタントにまかせておられました漫・画太郎氏の感覚のほうが、ずっとアヴァンギャルドでゲージツ的でございますナ。

 

さらに“キャラクター・グッズ”的な点から申しますれば、その幅広い年代層へのアピール力の強いキャラクターの開発や、実用的な商品の企画力で、その筋の一大企業として成り立っておりますサンリオさんのほうがずっとクレイバー。さすがに吾が輩は最近の新キャラまでは存じ上げませぬが、キティー……もとい(注3)、キティちゃんは東南アジアやアメリカでも認知度を高めつつあるとか――彼女のほかにも、お客様がたも2、3は同社の人気者のお名前を挙げることが叶うのではございますまいか。左様でございますなぁ……たとえば“かっぱのカッピー”(注4)とか。

 

……マァ芸術も、いにしえの時代のようにパトロンを探すのも容易でない世の中となり、自活していく術を身につけないといけなくなりましたということでございましょうか。確かに、公園や駅前のロータリーに飾られますブロンズのオブジェなどは、区や市が依頼してお金を支払うのでございましょうが、普段の生活はいったいどのようなお仕事で生計を立てていらっしゃるのかチト不思議。やはり美術学校で教鞭を執られますか、ないしは個人教室をひらいてお月謝で食べていらっしゃるのでしょうかなぁ……。

 

さるにても、かつてメディチ家がルネッサンス期を代表しますあまたの芸術家たちをかかえた大パトロンとしてもその名を馳せましたが、現代の資産家連中はいかがなものでございましょう。天下のMS社やS●NYさんらは、“お抱えの芸術家”はいらっしゃらないのでございましょうか。マァそういった事業に投資や支援はなさっておられるのでございましょうが……されど、やはり肩書きに“○△社専属”のネームが入るアーティストってどことなくチープ。それよりはご自分らでプロダクションなどを設立されたりするのでしょうかナ。

 

 

 

 

注1:氏に関しましては人物的にも敬意を抱いております次第。氏の突飛な行いは狂気のように見えて、氏なりの理屈がキチンとございますのがミソ。

注2:氏の作品でしたら「叫び」もイイですが、吾が輩は「思春期」が一番好きでございますワイ。廉価なリトグラフとかございませんかナァ。

注3:のばすな危険。

注4:おそらくアルシンド氏が元ネタと思われますサッカーをするカッパ。普通のお店より展示場などで開催される移動100円ショップなどで発見可能。
公式サイトにも、ちゃんと載っておりましたゾ(笑)。

 

 

 

 

おいおい、そっちじゃないぜ!

 

 

2004.10.04 (C)Mephistopheles von Münchhausen

GeoCities Japan