ほらふきだんしゃくてきぐこーろく

“世界征服” だけは譲れませぬナァ……。

 

2005年02月04日

 

さて、『夢。それは夢、夢』の巻

(指定BGM: The Dwarves / Love Gestapo )

 

 

『アンさんの夢は、何だっか?』

『吾が輩はこちらの映画を拝見しておりませぬゆえ、答えるべきセリフが判りませぬワイ』(注1)

 

――とまぁ、のっけから思いつきのみで始まってしまいましたが、他にレパートリーとしてゴーバンズの 『ざまぁカンカン娘(ガール)』 や、筋肉少女帯の 『暴いておやりよドルバッキー』 の歌詞から引用を考えていたのでございますが、そうなりますと今回の主旨から離れてしまいますので、とりあえずは脱力オチをば。

 

このたび吾が輩が触れますのは、寝ているときに見るあちらの “夢”。不思議であったり、妙にイヤラしかったり、叫んでしまうくらい恐ろしかったり、無闇にエキサイティングだったり、ふつうの日常風景に見えながらも、大なり小なり微妙に一線を画した “非日常” が展開されていく、あの夢でございますワイ。

 

とは申しましても、吾が輩フロイト氏やユング氏の著作には簡単に目を通しました程度ばかりか、心理学そのものをいかがわしい新興宗教の勧誘チラシ並に胡散臭いものと見ておりますゆえ(注2)、そういう賢しらを申して分析などをしますつもりは毛頭ございませなんだ。ですのでかつて 『それいけ!ココロジー』 などでにわか心理学が流行りました折りも、『踊る阿呆に見る阿呆、それを眺める嫌みな貴族』 として、世間のうかれ加減を冷ややかに傍観しておりました次第(注3)

 

人間とて、とどのつまりは毛のないサルでございますゆえ、三大本能でございますところの、“食う”、“寝る”、“縛”……もとい、“まぐわう” のいずれかに心理のみなもと(注4)を見るのは、ごく当たり前と申せば当たり前。それを鬼の首を取ったかのように殊更言い立てますのは、学問としてはいかがなものかと――何より吾が輩が一番嫌っております点は、たとえ分析ができましたからとて、『だからどうなるの?』 で片づけてしまえますコト。こちらを電気GROOVE風に申さば、『クソの役にも立ちゃしねえ』 空虚もいいところの駄学問でございますワイ。

 

 

そんな吾が輩が、“夢” と聞きまして直感的に思い起こしますのは、まずは何より “ねじ式”、“つげ義春”、そして“必殺するめ固め” でございます次第。“ねじ式” は小学館文庫の巻末にもございます通り、下宿先のラーメン屋の屋根で昼寝をしていた際にみた夢というお話でございますが、その他にも新潮文庫 『つげ義春とぼく』 におけます 『夢日記』 を拝見しますれば、同様に“必殺するめ固め” も、氏のご覧になられました夢が元ネタでございましたご様子……さるにてもつげ氏、不条理ながらもマイナスなベクトルにはつじつまの合う展開(注5)が多いは、氏の苦労多き人生を無意識が反映しているのでございましょうか……。

 

そもそも夢には、その人個人が実際に体験した事柄以外は出てこないなどという話を耳にした憶えがございますが、それもさもありなんとは思われますナ。夢をプロデュースするのもアレンジするのも灰白色の脳味噌浦沢直樹氏の 『PLUTO』 ではございませぬが、ある意味夢も記憶の反芻と似た場合が多々ございますのも事実でございますゆえ、その脳の中にストックがないような突飛な夢は見ない、というのはまず頷けますかと。

 

――それでも、中には予知夢のたぐいや、夢で得た恐ろしい体験を本にしてベスト・セラーになったなどというお話も、少なからず聞かれますナ……う〜む、いわゆる “霊感” でございますか。吾が輩否定こそはいたしませぬが、そちらは心理学よりもずっと眉唾でございますナァ。

 

ちなみに吾が輩、どちらかと申しますと熟睡するタチでございますゆえ、夢は見ないか朝まで憶えておりませんのがほとんど。それでもたまに見る夢というのがいくつかございます次第。これらはある条件が必要になりまして……例を挙げますれば伊集院光氏も、疲労がピークに達した際や40度近い高熱を発しました折りに、小学生当時に犯した悪さの罪悪感に呵(さいな)まれる夢をご覧になるのだとか。こちらとほぼ似たようなシチュエーションなのでございますが、吾が輩の場合は伏せったあとの回復期に見るのでございますワイ。

 

憶えております限りでは2種類ございまして、まず一つが遊園地風ショッピングモールを訪ねる、もう一つが渋谷の九龍城でございますワイ。

遊園地風ショッピングモールは各建物そのものがアトラクションと化しておりまして、とある建物ではフロアの八方に設けられました各店舗が水平方向に回転し、さらにフロアそのものもゆっくり回転するという造り。速度は回転ドアよりもゆるやかなので出入りに支障はなく、さらには店舗から隣接する建物への移動もできるというスグレ(?)もの。『プロペラの回転数を計算して機関銃を撃つ技術があったからこそ可能になった建物』 という珍妙なリクツでもって、その世界では得心しておりました次第(注6)

吾が輩はそちらにスーツを着用した営業マンとして何度か訪ないまして(注7)、どの建物も上の階へとあがっていくのでございますが、それらは決まって途中から階段だった物がいつの間にか梯子へと変化し、やがてU-ボート並に配管剥き出しの狭い縦坑を抜けますと、そちらは一大アミューズメント施設になっておるのでございますワイ。

だだっ広いながらも薄暗いホール内はネオンとミラー・ボールの光とゴキゲンなジャズ・ナンバーがあふれ、バー・カウンターやビリヤード台、ピンボールはもちろんのこと、パチスロやカラオケボックスまで揃っております次第。まさに 『ボンボン会館(注8)かくや!』 といわんばかりの豪華ケンランさ。そして窓の外を見ますれば、林立する高層ビル群とその間を縫って走るチューブ式未来列車が、郊外型ショッピングモールだったにも関わらず一望できるのでございますワイ――そして書き忘れてなりませぬことには、吾が輩をはじめとします登場人物がすべて植田まさし氏風キャラになっておりますのがミソ。

 

――だいたいそのあたりに差し掛かりますと、夢はおしまいになるのでございますが、こちらは始まりますときちんと以前の出来事を思い出せるのが不思議。そして醒めてしましますと、お約束のようにすっかり忘れてしまいますのも脳生理学上の謎でございますナ。

 

 

して、渋谷の九龍城は場所で申しますとおそらくは円山町あたり。そちら一帯に小さな家屋がせせこましくひしめき合っておりまして、その最深部に “主(ぬし)” の屋敷があるのでございますワイ。そちらにはエンクミが住まいされておりまして、吾が輩は 『今日こそは』 彼女と一線を越えますべく、迷路よろしき九龍城内を歩いてまわる、という夢でございますワイ。

毎回々々 『今日こそは』 で始まりますからには、毎度々々失敗しているのでございますが、特に住人からの妨害があるわけでもなく、エンクミも吾が輩を嫌っているのでもないのでございますワイ。ただ、城内の道や間取りが毎回変化しますので、屋敷に到達するまでがひと苦労なのでございます。これもその状況になりますとちゃんと鮮明に思い出せますから不思議。

城内にはいろんな方々が住まいされておりまして、キャイ〜ンの天野くんやレベッカのNokko、中学生くらいの女子過激派(注8)や原チャばかりのレディース、観光(?)にやって来た大学生たち、親切ですがすっかり耄碌されておりますおばあちゃん等々、ときにアドバイスをいただきましたり、たまに意地悪を教えられたりしながら、ちょっとしたアドベンチャー・ゲーム風に話は進むのでございますワイ。

 

 

――これら二つの夢で共通しておりますのは、『普段すっかり記憶の外にほっぽり出しているにも関わらず、いざ夢が始まるとよみがえる記憶』 でございますナ。北斗神拳ではございませぬが、脳にも未使用の領域が多々ございますとか。なれば上記のような “訳の判らない” データが、勝手に作られました隠し“夢フォルダ” 内にストックされているのやもしれませぬナ。平素脳がアクセスしないようになっておりますのは、あるいはトラウマ系の記憶も一緒に所蔵されているからかも……???

 

して、次回はそんな過去の記憶に類似を見ないような、“ソースうpキボンヌ” 系の独創的すぎます夢をいくつか書き綴ってみましょうかと愚考しております次第。それでは乞うご期待!

 

 

 

 

 

 

注1:吾が輩と押井氏の作品とは、なんとこの頃から相性が悪かったようでございますワイ

注2:所詮は統計学でございますワイ。手相や人相などと同じ

注3:このあたりは学生時代の筒井康隆先生とは真逆。

注4:太郎じゃないヨ

注5:切符のおつりを全部小銭で返されたため、出発した客車の手すりが掴めなくて大いにあせったりする。

注6:そういえば、伊集院氏のUp'sでもこのような投稿コーナーがございましたっけ。

注7:会社名や扱っております商品につきましては一切不明。

注8:爆弾とか作ってましたよナァ……ブルル。

 

 

 

 

 

 

おいおい、そっちじゃないぜ!

 

 

2005.02.04 (C)Mephistopheles von Münchhausen

GeoCities Japan