国指定史跡
玉川上水 たまがわじょうすい
National historical spot Tamagawa-jousui Brook
最終更新 04.4.24

余りにも有名な玉川上水。1653年*1に玉川庄右衛門・清右衛門兄弟によって作られ、長きに渡って江戸に水を供給した上水路である。「江戸開府400年」として盛り上がった03年は玉川上水開削350年に当たる。当サイトでは細かな歴史についてはこれ以上触れない。既に数多くの玉川上水に関するサイトが存在するようなので、当方ではごく簡単な紹介に留める。しかしそれでも写真は60点にも及ぶ。全長約43kmは武蔵野台地のどの中小河川よりも長い。だが取水口の羽村と終点の新宿の落差はわずか100mしかない。コンピュータはもちろんのこと計測器や建機類もない時代に、荒川水系と多摩川水系の分水嶺をきちんと見極めて敷かれていたのである。
取扱区間:全区間 掲載順:上流→下流
※写真はクリックすれば拡大。

*1 1654年とする資料もある



地点、羽村の取水堰。奥多摩湖 (小河内ダム:東京都水道局の所有) から多摩川を介して流れてきた水が取り込まれる。余り知られていないと思うが、羽村から小平監視所までは今も都民の生活を支える上水路として生きているのだ。
(右) 余った水は隣の排水口から捨てられる。前方に見える堰は、多摩川が増水した場合、自動的に開いて濁流が上水へ流入するのを防ぐようになっている。(03.11.2)

取水堰の前には玉川兄弟の銅像がある。取水堰の方を指している。(03.11.2)


地点、第3水門と呼ばれる水門から多摩湖と狭山湖へ水を供給する水路が分かれる。地形図には東京水道と書かれている。歴史の古そうな名称だ。全区間暗渠で横田基地の真下を流れ、武蔵村山市内では自転車道となっておりトンネルもあったりする。多摩湖・狭山湖からはそれぞれ北川 (後川)、柳瀬川となって荒川方面へと流れる。(03.11.2)

※北川はこちら
※柳瀬川はこちら

地点、奥多摩街道から上流側。斜面を流れており、左岸は水面より高い位置に地面あるが、右岸は水面より低いところにある。(03.11.2)


地点、清巌院橋から上流側。この辺りは都市河川のような雰囲気だ。(03.11.2)


地点、五日市街道の牛浜橋から上流側。(03.11.2)


地点、拝島駅前の日光橋から上流側。川幅が狭まり河床も浅くなるが、水量は多く流れも速い。(03.11.2)


地点、二見橋から上流側。(03.11.2)


地点、西武立川駅前。暗渠化されている部分もある。余談だが同駅は周囲に何もない畑の中にポツンと建っており地方のローカル線に来たような感じだ。(03.11.2)


地点、天王橋から上流側。五日市街道と二度目の交差。(03.11.2)


地点、狭山丘陵西端から流れる残堀川とクロスする。玉川上水が下を潜っている。かなりの勢いの水が突然消えてしまい、残堀川を越えたところで再び姿を現すのは印象的だ。
(右) 残堀川は枯れていた。狭山丘陵から流れる唯一の多摩川水系の川である。(03.11.2)

※残堀川はこちら
地点、見影橋から上流側。右岸に分水路 (源五右衛門分水) の取り入れ口が見える。このような分水の取り入れ口は今も結構残っている。(03.11.2)


地点、金比羅橋から下流側。(03.11.2)



1/3 次ページ 戻る