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 彷徨について 

Odysseusというギリシャ神話の主人公は、一言で言って彷徨という言葉に一致するとおもう。

 彷徨=青春でもある。

 いつまでも彷徨し続けることが、青春=人生だと思うのである。

 私が彷徨という言葉を意識したのは、3年ほど前のことである。

 親父が、若い頃からしたためてきたたエッセイのようなものが偶然、目に留まったのがきっかけであった。

当時、既にOdysseusに傾倒していた私だったが、

その時初めて「彷徨」と「Odysseus」の類似を見出すと同時に自分が親父のトレースだとわかったのである。

 だまされただの、損しただの、言ってみても仕方がないことばかりに愚痴をこぼすのが現在の親父である。

 そういう親父の悪いところまでも、トレースしたくない。

 爾来、私にとっての親父は、反面教師となった。

 多かれ少なかれ、人は彷徨する。

 大切なのは、彷徨の後に来るもの(雪辱revenge)ではなく、

彷徨そのものを受け入れて楽しんでこそ人生だということを知ることである。

 叙事詩Odysseusのストーリーをストレートに解釈し

彷徨を単なる通過儀礼(モラトリアム)と理解して

ストイックに耐えた ところに親父(惹いては明治人、立身出世型人間)

の思い過ごしがあったと思う。

彼らの論理では、たぶんモラトリアム人間とは、現在結果が出せない状態の人間、即ち、

次の幕でに結果を出す(雪辱revenge)が期待される人間を指す言葉である。

しかし、考えてみると、そこでのモラトリアム状態は、物語を大きく見せるための振幅に過ぎない、それ自体には何の意味も持たない。

結果との相関でしか語ることの出来ない状態を指す言葉なのである。

努力とか、才能とか、運とか、ある意味空疎な言葉を序列化して、さも意味ありげに語る

のであれば、彷徨そのものは、後日談でしかない。

彷徨に重きを置くのなら、彷徨そのものに意味がなければならない。

だとすれば、老醜を惜しげもなく曝して恥じない明治人(親父)の現在の状態こそ人生そのものである。

即ち、今目の前にいる、老人こそが、人類が希求して止まなかった、

最も実存的な存在である人間といわざるをえない。

老人として生きている人間の存在(親父)の問題を自分の問題としてこそ

彷徨を楽しむことが出来るということを葛藤を通して結論した。

「老人こそ彷徨(人生)の達人である。」   
Icon 氏名/ニックネーム
Odysseus 彷徨(ほうこう) 
Icon 職業/会社名/学校名
Dream High School 
Icon 役職/学年
Over Senior 
Icon 誕生日
1948年7月14日 
Icon 性別
男性 
Icon 出身地/出身校
Five Acres Castle 
Icon 住まい
Dreamers Hill of Japan 
Icon 趣味
Ski 
Icon 特技
Dreaming 
Icon 好きなもの、嫌いなもの
食べ物と瞑想が好きで、お酒と現実が苦手です。 
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