<Audemars Piguet VZSS>

ムーブメント
Cal.VZSS 5振動ブレゲヒゲ、
ちらねじテンプ、手巻
サイズ
35mm
材質
YG
ダイヤル
バンド
CFクロコ
その他
ハック無し

「Audemars Piguet VZSS」〜絶頂期の雲上手巻き時計

・Introduction
 どんな時計もデザインが良くなければ、それを愛用したいとは思わないものだ。
その点、この時計のデザインは普遍的なものである。バーハンドにバーのアプライドインデックス。このデザインは王道中の王道だが、パテックのカラトラバと 比べるとインデックスがやや細身で若干短く感じられ、ベゼルの薄さ、細長いバトンハンドと高いバランスを保っている。Patek(以下PP)の96は力強いベゼルとインデックス、ドーフィンハンドも非常にバランスが取れているが、APのこれは大分やさしい印象がある。

 さて数年前のシンプリシティ騒ぎに端を発してこの機械の存在がその後クローズアップされ、その少なさからやや神格化されすぎた感もあるが、その実態はValjouxベースのいわばエボーシュである。
そんな心臓部を持つこの時計は所謂金無垢ドレスの手巻き3針であり、まさに腕時計としてはスイス絶頂期の時計そのものであろう。

・Outside
 まずは外装から見ていく。ケースはYG750で、ヘアライン仕上げの箇所は無く、非常にシンプルな造形だが実はスリーピースケースである。ラグもシンプル で形良く下がっている。ベゼルは現在のデザインの時計ではあまり見ない薄さで、ここからプラのドーム風防が立ち上がっているのは40〜50年代の3針時計 の定番である。風防は綺麗過ぎるので後年リプレースされていると思しきものであるが、これは消耗品であるため全く気にしていない。ケースバックはドーム状で、スナップバックであるから夏場は厳しい。仕上げはおそらく製作時のバイト痕がそのまま残るもので、繊細である。50年以上経っているにも係わらずこのケースは全体的に程度は良く、打ち傷は多少あるものの全体的にエッジは良く残っているほうだと思う。

 ダイヤルはシルバーマット仕上げで、象嵌では無いが繊細な文字の印字が際立つ。素晴らしいのはアプライドのインデックスで、繰り返しになるがダイヤルの面積の割に非常にあっさりとして細い。また長さも短めで、かつ過剰なエッジでビカビカしているものではなく、YGの柔らかい光に包まれている。しかしキズミで見ると面がダルなのでは無く、明確に平滑であり、かつエッジも立っている。良く見ると作りは凄いのだが、ぱっと見の印象は非常に柔らかである。なぜこんなことになるのかは非常に説明が難しい。YGという材料の持つ柔らかみや暖かさがそうさせるのか?とにかく見た目の印象は、Grand Seikoなどのバキッとしたインデックスとは対照的である。またこれはバトン形状のハンドと相性が抜群に良く、見た目の上品さ、繊細さは特にインデックスとハンドの組み合 わせから感じる部分であろう。またスモールセコンドサークルがただの十字だけのインデックスであることも、シンプルさ、上品さを助長していると思う。

 ハンドはミニッツ・アワー・セコンドともバトンで、これがまた強烈に繊細な作りだ。袴座からスーッと伸びた立体的な針はこれぞバトンハンドという、お手本のような仕上がりである。先端はあくまで尖っており、袴座は分厚く立体的だ。もちろんミニッツハンドの先端は曲げてある。セコンド針は特に凄い。この細さで、ミニッツ・アワーと変らない立体的な形状を持っている。

 外装をトータルで見るとただの金無垢の3針なのであるが、その全てのパーツのクオリティが高く、高次元のバランスを持っている。このうち一つでも不出来なものがあるととたんに興ざめするものであるが、それが全く無い。故に一点の曇りも無くハイグレードな時計であることを、見れば見るほど主張する。

・Inside
 機械は、往年の名機Valjoux13(90)VZがベースで、APがクロノ機構を取り払って大改造したものである。よってクロノ機構を展開するブリッジが香箱ともども覆いつくす大きなものとなっており、私は感覚的に昔の英国懐中ムーブメントを思い起こさせる。グラスヒュッテ系に近いものを感じる方もいるであろうし、あるいは昔のアガシなんかもこんなブリッジの懐中がある。いずれにせよ極めて質実剛健なイメージだ。
 この機械を採用した頃のAPはかなりジリ貧な状態であることがわかっており、JLCとのリレーション前につきまだJLCエボーシュを手に入れられないでいたようである。そんな中APという高級時計メーカーが、ドレス時計を作るときにベースとしたのが13リーニュのValjoux78(90)系であった。

 この系譜は多岐にわたっており、ここに よると、天文台コンクール用のクロノメータームーブメントとして、PPとAPはこの機械をベースに選定する。PPはクロノメーター本にも載っている、9時位置にスモセコがあるレピーヌのVZを採用。これと同じ輪列を持つAP版の機械がVZASといわれるもの。さらにサヴォネットの機械もあり、これが VZSSであった。上記文章では3レター目のSはサヴォネットを示しているのでは無いか?と言うが、だったらレピーヌはVZLSになってしまうとか、信憑性は定かでは無い。そしてさらに、VZSScと言われる、サヴォネット型の機械をベースにしたセンターセコンドの機械もあるという話である。レピーヌのセンセコ(VZASc?)は存在しないのか?とか、そんな疑問もわき上がる(Val90ベースの機械はクロードメイランなどにも確認される)、なかなか奥が 深いムーブメントの系譜である。機械の写真を見るに緩急針にムチ型の押さえがあるものと無いものがある。スワンネック形状のモノは確認されていない。石数は17〜19である。またハック機能の有無のバリエーションもある。
 いずれにせよAPとPPはこの機械をベースに、オブザバトリームーブメントを製作した。そして、その素性の良さを認識するデュフォー氏も、この機械を範としてシンプリシティを製作した。これが事実である。機械式時計史的に見ても、重要な機械であることは疑いない。

 ここを見ると、ここで載せている写真は前述のクロノメーター本をスキャンしたものであるが、VZAS,VZSSとも3番、4番の受けを独立させた加工が施されて いる。パテックのコンクール用もそうだ。しかし一般的なVZは、本機のように3番、4番が一体となったものである。独立受けを持つ機械は製造番号が4番台 であり、40年代初期はこのような仕様になっていたのでは無いか?というのはあくまで推測である。しかし5,6,7番台の機械は一体型となっていることが 確認できる。

 この機械の生産数は定かでは無いが、センセコ、スモセコとも400未満だった様で、かなり少ないようだ。この機械は40年代から50年代まで細々と生産さ れたが、そののちJLCとの関係の中でAPはAP・VC専用ムーブメントの2001系(VC1001系)を入手。2002,2003まで進化する。これは 9リーニュの超薄型機械であり、まさに高級ドレス時計にふさわしい機械であった。

・Summary
 時代は流れ2008年の今、このVZ系を再評価するような動きが数年前から見られる(といってもごくごく一部の人の間だけであるが)。薄く小さい時計こそ が高級時計であった昔とは違い、機械式時計ブームが復活してデカアツ化、ガジェット化が進行。そんな中、旧来の手巻き時計を好む層に対して昔のドレス時計 は決定的に小さすぎるものであった。機械式時計における原理主義的な思想からも、手巻き時計の機械はケースに比べて極力大きなモノが用意されているのが美しく、かつクロノメーター検定の機械サイズすなわち13リーニュ近傍というのは、最も尊ぶべきものというような印象がある。

 そう、このVZSSは原理主義的に見ても極めて正統な機械であり、それを包みこむガワも、APが作った渾身の作りであることは精通した人が見ればすぐに分かるものである。結局、これはそういうものであったわけだ。この時計の魅力はいつの時代も普遍である。

27.Dec.2008