文金高島田への道
file.11 最終打ち合わせ・リハーサル
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 E氏の仕事の多忙な時期も終わり、私も無事、退職し、やっと二人そろって式場に打ち合わせに行けることになった。それまでの2、3ヶ月は日曜日に一人で行って、後でE氏に報告、相談という形だったので、なんだか不安だった。
 それでもある程度のことは二人で決めていた。
 式は神前式。二人とも仏教だから当然である。それに、子どもの頃、カトリックの比較的多い地方で育ったので、カトリックでもないのに、教会で式を挙げるのは、真面目な信者に申し訳ないという気持ちがする。本物のカトリックは子どもの頃から日曜日に教会に行き、悪いことをしたらちゃんと懺悔をし、十字架をアクセサリーにはしないものなのだ。  
 媒酌人は無し。媒酌人を頼もうとしたE氏の上司は単身赴任で奥さんが反対したこともあるが、面倒だというのが本当のところ。
 結婚指輪も無し。式では婚約指輪を贈呈という形になる。婚約指輪は結納だけでなく、式でも活躍するのだった。
 披露宴は和食を基本にし、一品は洋食を入れる。ケーキは生。一度、式場に見に行った時、作り物のウエディングケーキを見てしまい、それがちゃちなので嫌だというE氏の希望である。私もケーキが食べたかった。
 お持ち帰りのタイや蒲鉾はなし。お菓子はクッキーの詰め合わせ。
 花は各テーブルに置く。高砂の花は普通のタイプ。キャンドルサービスはあり。BGMは式場にお任せ。とても編集してる暇はない。
 受付はお互いの独身の同僚と親戚からそれぞれ一人ずつ、四人ということになる。
 そんなことを二人で事前に決めていたので、私一人で打ち合わせに行ってもあまり問題はなかったのである。でもやはり二人で行けたらそれに越したことはないと思う。
 打ち合わせは、宿泊するそれぞれの親戚が泊る部屋の手配と、スピーチと余興が中心となった。特に私の方は母の兄弟たちが九州に初めて来るというので、実家の両親とも打ち合わせが必要だった。幸い、父が式披露宴の後の観光用のマイクロバスを手配してくれたので、非常に助かった。
 それでも、到着する飛行機の時間が直前までわからなかったので、空港までの送迎バスの時間がぎりぎりになってやっと決まった。
 また余興は、カラオケ好きの親戚や友人が多かったので、歌に決定した。同僚の中には奥さんが芸術系の学校を出たので、披露宴がまるでクラシックの音楽会のようになった人がいたが、さしずめ私の場合はカラオケ大会というところかもしれない。
 子ども達の花束贈呈は私の姪と甥に決定した。E氏の親戚には適当な年代の子どもがいなかったのだ。式の3日前には、子ども達に渡すプレゼントを買いにショッピングセンターに行った。好みは大体聞いていたが、いざ選ぶとなると難しいものである。子ども達といえば、うちの両親は甥と姪が来るというので、服をプレゼントしたのだが、なんとそれに合う靴がないというので、式の前日到着した弟一家と急遽靴を買いに行くということになってしまった。服は考えていても靴のことは意外と念頭にないものらしい。E氏は靴まで買ってもらおうなんて図々しいと怒っていた。

 席表も出来上がり、細かい打ち合わせも終わった。前日には心配していたE氏の高齢の両親も式場のホテルに着いた。夕方、式場に行くと、遠方の親戚やうちの両親、兄弟が来ていた。私は母に当日司会者や受付に渡す心づけを預けておいた。私達はリハーサルに行った。といっても式場で簡単な順番を説明してもらい、指輪と司会者に読んでもらうプロフィール(二人でワープロで打った。ちなみにE氏は一太郎、私はWORD)を預けたぐらいである。
 打ち合わせの後、ロビーに出た。私達が披露宴をする広間では宴会が終わったらしい。ふと見ると、その集まりは私の前の職場とは同じ業界でライバルに当たる企業の宴席だった。実は予定の日の前日の土曜日を最初は式披露宴に予定していたのだが、そうしなくてよかった。ライバル企業の社員同士が危うく顔を付き合わせるところだった。もしかして、Qさんはそれを知っていて、土曜日の予定はいっぱいだと言ったのかもしれないと思った。
 その夜はE氏は両親、親戚と、私は家族、遠方の親戚とそれぞれ夕食をとった。久しぶりに会えた伯父さん、伯母さんと結構私は楽しくやったのだが、後でE氏が言うには、E氏の一行は散々だったらしい。すでに酒の入った父上は駄々をこね、食事をほとんど摂らなかったらしい。同席した叔母さん達も困った様子だった。
 当日、ご祝儀を預かる金庫の鍵を両家の分、私の母に渡してもらうように決めていてよかった。本当はそれぞれ両家の家の母親が渡されるらしいのだが、E氏のご両親の状態ではとても任せられない。

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