益荒男日記2002

6月24日 負けは負けだが

 ワールドカップ、日本はトルコに負けた。落胆はしたものの、これもまだ日本には早いからと、サッカーの神様が計らってくれたことなのかもしれない。そう思うと、4年後にまた願いをかける楽しみもある。
 それに、考えてみれば、ワールドカップにうつつを抜かしている場合ではないのだ、この国の現状は。勿論、勝ち進めば景気も高揚するのかもしれないが、その程度では様々な問題の抜本的な解決にはつながらないのではなかろうか。こんなことを思うのも、日本の負けの後で、ムネオ(鈴木と書かないのは、代表の鈴木隆行と区別するためです、念のため)が逮捕されたからかもしれない。
 ナチスの時代のベルリンオリンピックを例に出すまでもなく、スポーツイベントというのは、時の為政者に利用されることが多い。もし、日本がワールドカップでベスト4にでも入ってしまったら、そのどさくさに紛れて、とんでもない利用の仕方をする政治家が出てこないとも限らない。今の日本にとっては、途中で負けてくれたほうがいいような気がする。
 日本がもっと上に進出するのはいつのことかわからないが、その時には少しは今よりましな社会であって欲しい。(勿論、まともな判定のできる大会で勝ち進むということは言うまでもない。)

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6月22日 アダルトチルドレンの誤用

 5月の日記で、舅のことを書いた時、アダルトチルドレンという言葉を使ったが、後で読み直してみると、意味が反対だった。本来は親がアルコール中毒などの問題を抱えた子供のことを言う。子供のような大人ではなく、大人のように振舞わざるを得ない子供のことだった。いけない。いけない。カタカナの言葉は中途半端な意味で使ってしまいがちだし、反対の意味で使った文を目にしてしまう機会が多くなると、自分で語意を確認せずに使ってしまう。反省。
 正確には舅はアダルトチルドレンではない。他の兄弟はまともに育っているので、機能不全の家庭とはいえない。むしろ、E氏やその兄弟のほうがアダルトチルドレンに近い。なにしろ、親の起こした数々のトラブルをまるで我が子が起こしたトラブルであるかのように処理してきたのだから。
 アダルトチルドレンには「安心して過ごせる場所」が必要だと言う。E氏にとってそんな場所が私達の家であれば幸いである。

 
今回の参考にしたサイト 
21世紀家族研究所

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6月20日 アンビリーバブルなのは……

 サッカーの試合もなく、野球も雨でお休みというわけで、本日「アンビリーバブル」を見た。今まで放送された中でも特に怖い話を放送していたのだが、その中に以前私が途中まで見て、後半見ていなかった話が放送されていたので、ついつい最後まで見てしまった。
 結婚の決まった女性が謎の女によって結婚を妨害されるという話なのだが、見終わった後の私の感想は「よかったね。あんな男と結婚せずに済んで。」だった。
 見ていなかった人達もいるかもしれないので、簡単にあらすじを書いておく。
 見合いで結婚が決まった女性。しかし、相手に携帯が通じなかったり、自転車の女が自分のそばを「やめろ」と囁いて通り過ぎたり、妙なことが続く。とうとう、式場の下見の後、ホテルに女性一人で泊まろうとした時、エレベーターが誰もいないのに各階で止まるという事件に遭遇、恐ろしくなって自宅に戻ったものの、また女が夢に登場。後に見合いを紹介してくれた親戚から相手の男性に以前結婚を考えていた女性がいて、彼女が自転車に乗って事故死したことを知らされる。結局、男性の親戚に不幸があって、結婚話は白紙に戻る。しかし、奇妙な出来事は以来なくなった。
 事故死した恋人の霊のために、彼女が結婚できなくなったということなのだが、霊が実際にいるかいないかは別にして、彼女は結婚しなくて正解だったと思う。
 なぜなら、この相手の男性、ホテルの一件の時に、彼女から一連の怪奇現象を聞かされたというのに、彼女を一人でホテルに残し、さっさと帰ってしまうのだ。普通、怪奇現象の有無に関わらず、結婚相手の女性が不安定な精神状態にあったら、一人にしてはおかないはずである。一緒にいられないとしても、ホテルをキャンセルして、彼女を自宅に送り届けるくらいのことはするものではなかろうか。まして、自転車の女の話を聞いたら、もしや昔の恋人ではとピンとくるのではなかろうか。まさか昔の恋人のことを忘れたのか。
 もし一連の怪奇な事件が起こらず、彼女が彼と結婚していたら、遅かれ早かれ、自分の悩みをとりあってくれない夫に妻が不満を持つようになるのではあるまいか。だから、結婚話がなくなったのは、彼女にとってはラッキーだと思うのだ。
 まさかとは思うが、昔の恋人の霊は、そんな彼の性格を知っていて、「やめろ」と囁いてくれたんじゃあないだろうか。
 結局、一番アンビリーバブルなのは、霊よりも、女性の不安を解消できなかった男性ではなかろうか。死人より生きている人間のほうがよほど厄介だ。

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6月18日 あと何回(現実的な夢と夢のような現実)

 日本のワールドカップは終わった。トルコはしたたかだった。悔しいけれど、これが現実。夢ではない。
 代表は再び四年後に向けて歩き出すだろう。
 私はあと何回ワールドカップを見ることができるのだろうか。

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6月14日 夢のフィールド

 私の趣味はサッカー観戦ということは別のページに書いてあるので、これまでワールドカップのことに触れなかったことをいぶかしく思った人もいたかもしれない。
 実は、こわかった。四年前のように予選リーグの一戦一戦に一喜一憂して、結局トーナメントに上がれなかったらどうしようと、少しばかり臆病になっていたのだ。しかし本日のチュニジア戦の後半、森島選手が1点取ってくれて、やっと代表の試合のことが書けるようになった。
 なんだか夢のようである。フランスの時は1点しか取れなかったのに、今回は5点も取って、その上2勝1分だなんて、もうこれは嘘に思えてしまう。でも現実だ。まだワールドカップは終わっていないと監督は言ったけれど、これ以上勝ち進んでしまっていいんだろうかという不安すら覚える。
 けれど、これは夢なんかではない。現実だ。覚めない夢。

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6月13日 さよなら、N嬢

 今回の題名のN嬢とは誰か、もうおわかりだろう。昨日の訃報がまだ信じられないけれど、ネットのニュースだけでなく、テレビのワイドショーにも出ていたので、やはり本当なのだ。ショックだ。一日たって衝撃が薄れたとはいえ。
 彼女は私と同年代、しかも体型も似ている。私はたまたま結婚したけれど、もしE氏と出会っていなければ、今も一人だっただろう。彼女の死は他人事には思えない。無論、生前も、内心では私はあそこまで太ってはいないから大丈夫(何が大丈夫なんだ?)と変な優越感を持ちながらも、雑誌に載ってた消しゴム版画とエッセイに共感を覚えた。ちょっときついなと思うこともたまにあったけれど。でも、嫌いにはなれない雰囲気があった。
 違うクラスにいて、決して同じ授業を取ることのなかった同級生が死んでしまったような、そんな感じがする。
 39歳、若過ぎる死とは思うけれども、反面、彼女の仕事の量を思えば、一生分の仕事をした上での死だったのかもしれない。
 私など、まだまだやり残していることが多過ぎて、死ぬことはできない。
 さよなら、N嬢。そして、お疲れ様。あなたの仕事の代わりになるものを探すことのできないほどの仕事をこの世に残してくれて、ありがとう。

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6月3日 遅すぎた男

 ある日、親戚の老人と世間話をしていたら、ついでにこんな頼みごとをされた。
 ある男性が花嫁を探していて、いい人がいたら紹介してくれと言うのだ。
 手助けができるかどうかわからないが、好奇心もあり、その男性の境遇を聞いてみた。
 その男性の名をMさんとしておこう。Mさんは両親と3人暮らし。一人っ子である。年齢は50歳余り、結婚したことはない。仕事は第一次産業で、財産(不動産)もあり、収入は普通(田舎の普通)よりもいい。庭付きの自宅も勿論ある。結婚相手の条件は40歳から50歳まで。健康で素直ならいいと言う。
 私はお断りした。私の周囲には紹介できる人はいない。
 Mさんの境遇が非常に厳しいということは、どれをとっても明らかである。一人っ子で親(たぶん高齢)の面倒を見なければならない。仕事の手伝いもしないわけにはいくまい。収入は田舎の普通を基準にしていいという話であって、恐らく同年代の都市部に住むサラリーマンとは比較にならないくらい低いだろう。しかも健康で素直な女性というのは、田舎ではみんな結婚している。私の知り合いや同級生でも、そういう女性はいち早く結婚している。子どもに恵まれ、離婚も少ない。財産も邪魔だ。固定資産税ばかり取られて、新しい富をそこから産むことは不景気低金利の時代には難しい。何よりネックは年齢である。50歳ということは結婚生活は20年余りしかないということだ。
 遅すぎた。彼はもっと早くに結婚相手を探すべきだった。血眼になって。青年団に入っている間に、素早く花嫁を捕まえるべきだった。現に彼と同じ地域に住んでいた同年代の貧しい若者でも、青年団で相手を見つけて、すでに孫もいるという人は珍しくはない。
 田舎では、多くの若者が都市部に出て行く。残った若者たちが結婚相手を見つけるには、青年団などの活動に参加するのが一番手っ取り早いし、実際効率もいい。同年代の男女が活動を通して、お互いのいい点に気付くことができるし、何より青年団に入っているということ自体真面目な若者の証拠のようなものだ。現在ではかなり廃れているが、E氏の世代もそれで結婚した人が少なくない。M氏の若い頃にもあったはずなのだが。
 Mさんが戦前の日本の人ならまだよかったかもしれない。第一次産業でも財産のある家の一人息子なら結婚相手を紹介してくれる人がたくさんいただろうし、女性達もその親達も歓迎してくれたかもしれない。だが、Mさんは生まれる時代も遅すぎた。現代の日本では不動産はむしろ邪魔になる。その土地から出ることができない、田舎に縛り付けられるようなものなのだ。
 いくら相手に年齢は50まで、健康で素直でという緩い条件を提示したとしても、結婚したらその土地からまず出られない、結婚してすぐ親の介護が待っているような生活を望む女性も今時いないだろう。もしいるとしたら、Mさん自身の魅力を知って愛してくれる女性だけだろう。
 だが、今のMさんの財産や家柄や家族構成を示したとしたら見合いなどまずできないだろう。もし彼の条件だけで見合いを決める女性がいたとしたら、それは何も考えずにただ田舎に住みたいと思う女性か、何かを腹の底に隠している女性ではなかろうか。
 結局Mさんがどうしても結婚したいのなら、財産や家柄の誇りを捨てて、自分自身の魅力を高めるしかないのではあるまいか。
 実は、老人の話の後、たまたまMさんと顔を合わせる機会があった。その場には私だけでなく老人の親戚の女性達(Mさんと同年代、年下)がいたのだが、Mさんは用件だけ言って、さっさと帰ってしまった。Mさんはどうも女性が苦手らしい。別に冗談を言わなくてもいいのだが、せめてその場にいた人達に挨拶くらいしてもいいのだが。顔は仕事で日焼けしているから働き者なのだろうけれど、その辺りの男性にしては、なんだか気の小さい感じがした。こういう言い方は良くないかもしれないが、毒にも薬にもならないという感じだ。
 恐らく彼は、たとえ青年団にいたとしても、心に思う女性がいたとしても、はっきり口に出せないまま、他の元気のいい若者が次から次へと結婚していくのを横目に見ながら年をとってしまったのだろう。両親思いの彼は恐らく両親の面倒を見てくれる優しいかわいいお嫁さんを夢に見ているうちに、年を重ねてしまったのかもしれない。真面目に働きさえしていれば、お嫁さんが向こうから来てくれるに違いないと思っていたのかもしれない。
 だが、お嫁さんは黙っていても来てくれない。それに優しいかわいいだけの女性なんてどこにもいない。女性はそんな単純なものではない。男性が単純ではないように。彼と同じ年ごろの女性達は、真面目ではないかもしれないが魅力のある男性達を選んだのだ。彼女達は人形ではないのだ。自分と同じように生きて、笑い、怒り、泣く仲間として伴侶を選んでいるのだ。財産や家柄と結婚したわけではないのだ。そのことに、Mさんは気付いているのだろうか。たぶん本人自身が気付かなければ、Mさんはそのままだろう。気付いたところで、財産や家柄を捨てるわけにはいかないし、今更魅力と言われても、化粧で変身できる女性ならともかく、仕事だけが取り得で生きてきているのだから、単純に変われるはずもない。彼がもっと若ければ、変われたかもしれないのだが。
 かわいそうだが、Mさんは遅すぎた。
 田舎にはこんな人が少なくない。本人は真面目でいい人。近所の評判もいい。道を踏み外したことはない。でも、いつまでも一人。
 一体、この人たちがこのまま、結婚せず、両親を看取り、一人だけになって、やがて死んでいったとしたら、どうなるのだろうか。
 親戚がいれば、すぐには無縁仏にはなるまいが、親戚がみんな都会にいては、早晩無縁仏になることは間違いない。
 問題は、彼らが残した財産だ。ここからは私の独断と想像を交えて書きたい。残った親戚たちで財産を分ければいいかもしれないが、都会にいたら、今更田舎の土地の固定資産税なんか払うのも面倒だ。田舎に帰るつもりもないのだから。売ったところで、今時、辺鄙な田舎の土地を買う人はいない。結局相続税を土地という形で払うので、誰も相続しない土地は国のものになるだろう。
 つまり田舎の土地が国有財産としてどんどん増えていくのだ。しかし、田舎の土地など持っていても、国には何の利益もない。そこを管理する費用などを考えると、むしろ不良債権化する恐れがある。都会の土地なら払い下げなどで高値で買う人はいるかもしれないが、田舎では、今更リゾート開発など誰がするだろう。バブルの時のリゾート開発の結果を見れば、田舎の広大な土地においそれとは手を出せまい。
 役人が発想を転換して、ドイツのように休暇は田舎でのんびり過ごせるようにするという政策を推し進めれば、田舎の土地も生きてくるかもしれないが、休暇時期以外の維持管理の問題等を考えると、やはり金がかかりそうだ。無論、人手も必要だが、田舎にはもともと働き盛りの人が少ない。結局、土地は放置される。
 広大な誰も手を入れない土地、というと聞こえはいいかもしれないが、人の手の入らない森林や畑は荒れるばかりで、防災上危険がある。
 こうして、相続者のいない土地は荒れ、田舎に住む人々の命さえ危うくする。国は管理のために、税金をつぎ込まざるを得ない。何もしなければ、裁判で訴えられた時に多額の賠償を請求されるのだ。もし相続者がいて、山や畑を管理する人間がいれば、必要のなかったであろう負担を国が強いられることになるのだ。 
 真面目ないい子、親も社会もそれを望んでいたはずなのに、結果として、そんな子は子孫も残せないどころか、国を危うくする恐れすらあるのではなかろうか。
 えらく大袈裟な話と思われるかもしれないが、実際、田舎の実情(Mさんや他の壮年の独身男性)を見ていると、そんな危惧を抱かざるを得ないのだ。
 「馬鹿も休み休み言え」と言うけれど、「真面目も休み休み」の方が人間はいいのかもしれない。

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