出産体験記1(長女編)

1999年4月21日に北京の協和医院で第一子(長女)を出産しました。その時の体験記です。

 予定日の4月9日を過ぎても何の兆候も現れず、4月12日、いつものように一週間ごとの検診に行く。そこで、医者から「今日の午後入院して産みましょう。」とあっさり言われ、主人と2人で準備して病院へ。その日陣痛促進剤を注射するが何の変化もなく、翌日もその翌日も注射を繰り返すが陣痛が始まらず、医者に「じゃ退院しましょう。」と、これまたあっさりと言われ退院した。(これで1600元、当時の日本円で約1万8千円かかった)。

 翌週また病院へ行き超音波検査をしたところ、羊水がかなり少なくなっていたため、翌日入院することに決まる。4月20日午前8時、言われた通り病院に行くと、なんと病室がいっぱいでしばらく廊下の椅子に座って待つ羽目に。その間、ひまし油入りの卵焼き(出産を早める効果があるらしく、北京で出産した日本人に聞くとほとんどの人がこれを食べいる)を食べさせられる。その間に、医者が何とか部屋を手配してくれ、そこに入った。その部屋にはベッドが3つあり、たぶん今まで中国人の患者が何人か入っていたのだろう。中国では外国人は特別扱いで病院では個室が原則、それらの人たちは私たちのためにどこか他の部屋に移されたようだ。

 2時間後、やっと陣痛が始まる。ちょうどその頃、ボリビアの外交官の夫婦がやってきて、相部屋になった。奥さんは27歳で今回が初産。まだ予定日前なのに、急に陣痛が来たため運ばれてきたようだ。着いたときはすでにかなり苦しそうで、その後4時間ほどですんなり出産してしまった。一方、私の方は弱い陣痛が続くだけで、一向に生まれる気配がない。他の個室に移され、夕方には産道を広げるために管を詰められた。そのせいか、陣痛は強まり5分間隔に(出産の本によれば、5分間隔になる頃、分娩室に入る)。しかし、その状態が一晩中続く。翌朝、もっと強い陣痛促進剤の注射を長時間かけて打たれる。その後、陣痛はやっと3分間隔になってくるが、しかしそれから先が変化なし。夕方になり、人口破水してもらい、そして最後には子どもの頭の向きが悪いとのことで、手を入れて胎児の頭の向きを変えられた。その途端激痛が走り、陣痛は1分間隔へ。

 ところが、担当医師は勤務時間が終わり帰宅してしまった。後には当直の医師が一人いるだけ。その頃は、かなり痛みも激しく、そのうちに便が出そうな感覚がし、「もう出るー」と叫ぶ寸前。今にも産まれそうなのに、すでに分娩室に運ばれている中国人の妊婦がいて、医者はその人と私のいる病室を行ったり来たりするだけ。なかなか分娩室に運ぶ準備をしてくれない。そのうちにやっと予備の分娩室に入れてくれたものの、もう一人の生まれそうな妊婦の所へ行ってしまい、一人分娩室に取り残されてしまった。「もう出そうー」という感覚が強くなり、我慢しきれなくなったので、「こうなったら一人でも産んでやるゾ」と思い「ウーン」といきみ始めると、看護婦たちが気づいてくれた。「こっちが早いようですよ」と医者を呼んでくれ、やっと医者が来てくれた。ところが、医者はしきりに「シー!」と言うのだが、何の意味かわからず困ってしまい、医者に夫を呼んできて欲しいと頼んだ。すると、医者自らが夫を呼びに行ってしまい、また私は一人残されてしまった。
 やっと医者が夫を連れてきてくれ、「シー」がいきめという意味であることが分かった。その後は3回いきんだだけで無事出産することができた。3000グラムの女の子で、きれいに体を洗ってもらった後、私のおなかに乗せてくれたのだが、その時は子どもが生まれた喜びと感動を表す力も残っておらずぐったりだった。ちょっとの間同室だったボリビア人の奥さんとは大違いの難産だった。歳の差なのだろうか。やはり、その人その人によって出産は違うようである。

 その後は起き上がって子どもの顔を見ることもできず、ずっと寝ていた。ところが数時間後、看護婦がやってきてトイレに行って尿を出すように言われる。無理して行ったはいいけれどめまいがして立ちあがれなくなり、夫を呼んで助けてもらった。
 それからは特に問題もなく、4日間入院して退院した。ちなみに部屋はトイレ、バス、TV、冷蔵庫付きの個室で(外国人用)まるでホテルのような部屋だった。夫の完全看護でなんとかこの期間を過ごすことができた。入院費用は5,800元(日本円で当時約6万円)。大変な思いをして産んだのだが、生まれてきたわが子を見ると本当にかわいくてまた2、3人欲しいと思ってしまう。