旧(2000年11月〜2001年3月)日記帳のページへようこそ!


このページは、2000年11月〜2001年3月31日の間に、私が日々感じた事を日記風に書き綴ったものです。
読まれた感想などを、掲示版(ジオボード)あるいはゲストブックなどへ
お寄せいただきますと、嬉しいです。(^_^)

里山の春
私が借りている田畑は、春夏秋冬とそれぞれ素晴らしい顔を見せてくれます。
今は、春の顔です。
先日、田に肥料(有機肥料と微量ミネラル)を撒きに行ってきました。

そのときに見たものは、あちこちにハコベや菜の花をはじめとした春の花がいっぱい咲いていました。
そうして、水の少ない田の水路には既に小さなおたまじゃくしがいっぱいいました。
また、ヒキガエルの卵が小さな水たまりをすべて覆うかのように、浮いていました。

そんな春の光景を歌によみました。

 ・どんぐりを 踏みしめ歩く 里山に
    おたまじゃくしは 水埋め尽くす。

 ・連(つら)なりて 小さき溜りに 浮くたまご
    ふ化するときを 待ちわびており。
2001年03月30日 12時18分09秒

風邪?
先週の金曜日(2月23日)の午後あたりから熱っぽく、その日の夜から終に寝込む事となった。
今までの風邪の熱ならば、一夜のうちに汗をかけばそれでほとんど回復してしまっていた。しかし、今回のは、一度汗をかけば一時的に熱は下がっても、すぐに再度熱がでる。そうして、日曜日の夜は寒気がひどく、スキー用ジャケットを着てもまだ寒気がするほどだった。
月曜日(26日)に病院へ行き、薬をだしていただいた。細菌性の感染はないとのこと。まずは一安心。水分補給が少なすぎたようだ。点滴をしていただいて薬を飲んだらかなり楽になった。
今日(27日)もまだ調子はよくない。喉の痛みがある。

 ・久々に 熱いでにける 我が身体
    一夜の汗は 雨打たるごと。

 ・着込みても 着込みてもなお おさまらず
    寒気する身に 温風かける。
    
 
2001年02月27日 10時59分23秒

子どもをダメにする
最も容易に、手っ取り早く「子どもをダメにする方法」は、どういう方法だと思いますか?
それは非常に簡単なことです。
「幼児期に、子どもの言うがままに、要求のままに行って、要求する物を与え続けること」なのです。
現在の日本の多くの(?)家庭で行っている事、行ってきた事ですね。

 人間は、未熟な脳の状態で誕生します。
 誕生後3歳くらいまでに生活に必要な最低限の脳の情報網(シナプス形成)が出来上がり、3歳頃から10歳頃までに社会生活に必要な基本的な脳の情報網は出来上がります。
 この時期にいろんな情報を得て、脳の情報網(シナプス形成)を発達させます。この時期に子どもはいろんな学習をします。事の善悪(やっていい事、悪い事)、我慢する事等。
 脳の構造から考えた場合、人間と他の動物との最も大きな違いは、前頭葉が著しく大きいことです。人間が人間らしく生きるには、脳の前頭葉を発達させる事(使う事)が必要です。脳の前頭葉は、認知機能;反応抑制、柔軟な思考、行動の企画・組織化などに関わっています。
 最近の研究では、前頭葉は、他の全ての大脳皮質の上位に位置して、行動の一般的な制御を行っている、と考えられています。

 このように重要な前頭葉を発達させる最も重要なことは、幼児期に、善悪など種々の判断を行わせる事なのです。この時期に、自分の思うがままに、欲しいものが手に入り、自分の希望が通る生活をすれば、そのような子どもは、我慢することを学習する機会がなくなってしまいます。
 ある物が欲しい場合、子どもは泣いて親におどしをかけます。この「泣き」に親が負ければ、子どもは「泣けばよい」と学習するのです。
 家で行う事をすべて親が成す場合、子どもは「親が何でもしてくれる」と学習します。そこで、子どもに「手伝い」をさせる意義があるのです。
 自分の事は自分ですることを学ぶ必要があるのです。

 母親/父親の中には、本来子どもがなすべきことであるのに、親がすべて行ってしまう親がいます。これは、子どもをダメにする見本になります。
 このように、あらゆることを自分の思うがままに過ごしてきて、ある時期から急に時分の思うようにならないことが生じて行きます。例えば、学校の成績、企業の仕事、育児などです。これまで我慢する事を学習していない人間は、我慢できずに発作行動が現れるのです。これが「キレる」現象で、家庭内暴力、引きこもり・うつ症状、幼児虐待などとなるのです。

 現在の日本は、家庭の問題だけでなく、社会にも問題があるのです。
 社会が子どもが努力をしなくてもいいように子どもの面倒を見てしまう場合があるのです。
 また、国を治める人々(為政者)が率先して悪い事をしています。これでは、判断力のついた子ども達の中で、大人(為政者)を真似る人がでても不思議ではないのです。

 子ども達には、思い通りにならない事、嫌な事を幼い頃に学習させる事が必要なのです。
 
2001年02月20日 08時10分04秒

若者が悩んでいる
 多くの若者たちが悩んでいます。
社会のいろんなストレスの中で、若者たちは自分の身の置き場に苦しんでいます。
その悩み、苦しみは、いろんな形で現れます。
一人でいることの寂しさから、若者たちは、
  ・電話やメールを出しまくり、
  ・買い物をしたり、
  ・食べたり、
  ・ゲームに興じたり、
しています。

 このような若者の中には、精神的に異常のでる場合もあるでしょう。
そうして病院へ行けば、「精神不安定・精神異常」の診断あるいは、ひどく落ち込んでいる場合には「うつ病」の診断も下されるでしょう。
このように診断された若者は、異常でしょうか?

確かに、ストレスから来る精神的な不安定さ、気分的な落ち込みなどもあるでしょう。このような症状がでますと、医師が診断するならば、精神疾患の病名がつくのは当たり前なのです。何故なら、ストレスによる精神的な異常は脳症状を起こすからです。しかし、これらの精神的な異常は、病気とするには、問題があるでしょう。 

このような脳症状には、対症療法としての薬による治療は、一時的には効果があらわれるでしょうが、脳症状を起こす原因を取り除かなければ再度症状が起こるのは当然のことですね。その原因を取り除くか、その原因ンとなるストレスに打ち勝つだけの精神的な強さを本人が持たなければ、基本的な解決とはならないのです。
このことは、小中学生、高校生の登校拒否と基本的に同じなのです。
ストレスからくる大人、若者の精神症状・うつ状態は、心に傷を負っているものです。この傷は、薬に頼らなくても「癒し」によって必ず直るものです。

生きる自信が必要なのです。
生きる上で、社会生活する上で、一杯不安があるから、一杯ストレスがかかるから、寂しくなり、一人で過ごせなくなってしまうのです。

 人はどんな人間も他よりも優れた能力を持っていることを強く認識することでしょう。
2001年02月13日 21時18分45秒

歌と語り
2月3日(土)の催し物、歌と語り「母の心・子の心を唱う」が無事終わりました。
準備期間も短く、何名の方が聞きにきてくれるだろうか、と直前まで不安でした。
しかし、2月2日(金)に中日新聞に紹介記事がでて、当日参加者がかなり増えたのではないか、と思います。そのお陰でなんとか格好がつきました。
寒い中、足を運んで下さった方々に御礼申しあげます。

催し物の内容は、親を思う、母を思う、子を思う気持ちを歌った短歌、詩の詩吟、魂を揺さぶるアボリジニの楽器ディジュリドゥの演奏、18年間お父上(義父)の介護をなさった時々の思いを綴った詩の朗読、心に響く中国琵琶の澄んだ音色、ギターによる歌と語り等。
参加者の方々から、企画、内容について中々いい評価をいただき、ひとまずほっとしているところです。

昨日(2/5)の中日新聞には、2月3日(土)の当日の写真入りでサミュエル・ウルマン作「青春」の言葉、「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」を引用した記事に載せていただきました。

中日新聞の取材に来て下さった方、当日の受付け、司会をして下さったかた、チラシやチケットをもって紹介して下さった方々、多くの方々の助けによって無事終える事ができました。
ありがとうございました。
2001年02月06日 10時45分52秒

歌と語り
2月3日(土)の催し物、歌と語り「母の心・子の心を唱う」が無事終わりました。準備期間も短く、何名の方が聞きにきてくれるだろうか、と直前まで不安でした。しかし、2月2日(金)に中日新聞に紹介記事がでて、当日参加者がかなり増えたのではないか、と思います。そのお陰でなんとか格好がつきました。 寒い中、足を運んで下さった方々に御礼申しあげます。 催し物の内容は、親を思う、母を思う、子を思う気持ちを歌った短歌、詩の詩吟、魂を揺さぶるアボリジニの楽器ディジュリドゥの演奏、18年間お父上(義父)の介護をなさった時々の思いを綴った詩の朗読、心に響く中国琵琶の澄んだ音色、ギターによる歌と語り等。 参加者の方々から、企画、内容について中々いい評価をいただき、ひとまずほっとしているところです。 昨日(2/5)の中日新聞には、2月3日(土)の当日の写真入りでサミュエル・ウルマン作「青春」の言葉、「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ」を引用した記事に載せていただきました。 中日新聞の取材に来て下さったかた、当日の受付け、司会をして下さったかた、チラシやチケットをもって紹介して下さった方々、多くの方々の助けによって無事終える事ができました。 ありがとうございました。
2001年02月06日 10時43分45秒

我を我が・・・
我を我が 忘るる間なし 道ゆけば
  ガラス戸ごとに 我が姿見ゆ

この短歌は、「次郎物語」(下村湖人著)の中で次郎が読んだ歌です。
意味は、自分を忘れる(俺が俺がという気持ちを出さないようにする)ことができない。通りをあるいていると、常にガラス戸に自分の姿が見える。(どのようにしたら無我になり、自分を押出す気持ちを抑えることができるのか。)
「次郎物語」は、著者下村湖人氏が儒学を勉強した人(儒学者)であるために、
儒学の考え(教え)が強くでています。

 冒頭に書きました歌も、儒学の「謙虚・謙譲」の心を次郎に言わせているものですよね。しかし、今の世は、儒学の教えと相反することをしないと、認められない社会のようです。
 その社会は、人を蹴落とし、自分の業績を誇り、相手を貶(けな)し、人を騙(だま)し・脅(おど)し・ごまかしてお金を稼ぎ、上司に取り入って地位を得るようになっています。ここには、儒学の神髄である、忠恕(真心と思いやり)、正義、信義(信頼)、礼儀、謙虚さ、素直さ、慎み・穏やかさ・大らかさはありません。最近の政府中枢部の悪事は、これらを物語っています。
このような社会が長続きするとは思えません。

 いい社会・悪い社会は、その社会に住む人々の考え方次第で変わるものです。
どんな社会であろうとも、主人公は国民だからです。
国民に、忠恕(真心と思いやり)、正義、信義(信頼)、礼儀、謙虚さ、素直さ、慎み・穏やかさ・大らかさをもつ人々が多くなれば、選ばれる人は、その種の人になるはずですよね。
 悪事をした人を責める前に、己(の責任)を反省することも必要ですよね。そうして、その種の人が上に立たないようにすることが必要ですよね。

 国民一人ひとりが、儒学の神髄である、忠恕(真心と思いやり)、正義、信義(信頼)、礼儀、謙虚さ、素直さ、慎み・穏やかさ・大らかさ、を身につけ、実践する(徳を積む)ならば、悪事を働く人は恥ずかしさでその地位にいられなくなるでしょう。国会議員・官僚をはじめとして大人から子どもまで悪事をする人が多いのは、多くの国民がその種のことを望んでいるからとも言えますね。政府中枢部で悪事をすることに腹を立てている国民も、心のどこかに「俺も関わりたい」との思いがあるのではないでしょうか。これでは、悪事をした人々を悪くいうことは出来ないですよね。

 儒学の神髄である、忠恕(真心と思いやり)、正義、信義(信頼)、礼儀、謙虚さ、素直さ、慎み・穏やかさ・大らかさ、を身につけ、実践し(徳を積み)たいものです。 
 
2001年01月26日 09時26分39秒

人を理解する/人をわかる
日常の会話の中で、あるいは親は子に対して、「私はあなたを理解しているよ」とか「あなたをわかっているよ」あるいは「あなたを受け入れているよ」などの言葉を使う。「人のありのままを受け入れる」ことは何と難しい事か。
 「ありのままを受け入れている」つもりでいて、実際は(心の奥底で)、「このようになって欲しいな」との思いが有る。その結果、子のあるいは相手(他人)の愚痴、批判となって言葉がでる。

 人の教育は、人/子どものありのままを受け入れ、その子の良さを認める事から始まるのであろう。
 今の親や教師は、子の良さを認める/見つける前に、自分の型を持っていて、その型にはめようとしている。これでは、その型に入る事を嫌がる子どもにとっては、苦痛で仕方がない。親・教師は、そのことを強く認識する必要がある。
 人には必ず良い点と悪い点があり、人は、良い点が目立つようになれば、悪い点は目立たなくなる。

 子の良さを認める事とその子に社会生活上の嫌な事をする、手伝いをすることとは、異なっている。
 子どもをダメにする最も容易な且つ確実な方法は、「子どもが好きな事/好きなものを与えつづけること」である。現在の多くの親が行っていることである。
 ある時期まで、親の敷いたレールの上を与えられるままに走り、思い通りに過ごしてきた。しかし、ある時期(中学、高校、大学あるいは就職後、さらには出産、子育て時期)から思い通りに行かなくなる。この時期に何かのキッカケで「荒れ」が来る。
 これが現在の十代の子どもの「荒れ」であり、若い親たちの「幼児虐待」である。若い母親は、自分の思うようになる子どもを望み、男の子はワンパクで、言う事を聞かない子が多いので、男の子の虐待が多くなる。
 30代、40代半ばくらいまでが、「レールの上を走らされた子」であることを考えれば、現在の「幼児虐待」の遠因は、十代の「荒れ」と基本的に同じであることがよくわかる。
 「大人が変われば子どもは変わる」のである。

 ・親も子も レールの上を 走り来て
    レールなくなり 荒れる心あり。

 ・十代の 荒れる心の 大本(おおもと)は
    幼児虐する 親と同じか。

 ・赤ちゃんに 触れた事なき 母親は
    わが子に触れて 驚きとまどう。

 ・君受け入れる その言容易に 発すれど
    真の受け入れ 何と難きか。

 ・柔軟に 対応できぬ 人を見て
    省りて(かえりて)見れば 我も同じか。

 ・柔軟に 対応できぬ 我ありて
    こだわる心 如何に捨つべき。

 ★新しい日の出を見て次の歌をつくる。
  ・新たなる 気持ちで見れば 新たなり
    のぼり来る太陽(ひ)は 常変わらねど。
2001年01月19日 16時54分34秒

成人式
昨日(1月8日)は成人式であったが、あちこちの成人式の式典で、新たに成人した若者が会場を歩き回ったり、爆竹を鳴らしたりしていた。
成人とは、儒学では「完成された人」をさす。
昔は、15歳を「元服」といって祝った。この元服は、大人になったことを祝うものである。しかし、今の世は、15歳は、「子ども」として扱い、20歳以上を大人(成人した者)としている。
生物学的に言うならば、子どもを作る事ができる状態になった年齢が「大人の仲間入り」、「独立すること」を考えるならば、15歳元服の方が生物学的に大人の仲間入りに近い。外国では、高校性になれば、経済的にも独立しようとする意識が強いが、日本は20歳を過ぎても、場合によっては30歳を過ぎても親から独立しない者もいる。どうなっているのであろうか?
マスコミ報道によれば、橋本高知県知事は、式典の挨拶中に、あまりに騒がしい若者に対して「一喝した」とのことであるが、橋本知事の行為は当然のこと。
今の若者は、何を考えているのか。
20歳になった今の若者は、昔の5、6歳〜10歳程度の智慧しかないのであろうか? 
成人していない若者を祝う必要があるのだろうか?

  丙鯒も 荒れたる式典 今年また
     昨年以上に ひどく荒れたり。

  房禺圓蓮‖里弔だけ 大きくて
     人の心は 育つ事無し。

  望蘆未函/震面椶併の 区別なく
     若者達は 気ままに動く。

  矛匹い函〇廚い笋蠅覆 若者は
     大人を真似て 育ちしものか。

  夕禺圓 認められずに 生きてきて
     存在価値を 求めて荒れる。

  亮禺圓 式にて荒れる その理由(わけ)は 
     大人社会に 抗する意志か。
2001年01月09日 13時44分18秒

21世紀
ついに、21世紀がやってきました。

子どもの頃は、21世紀なんてはるかかなた、と思っていました。
しかし、今ここに21世紀に生きていると、短かったような、長かったような不思議な感じがします。
多くの人が、21世紀はどんな世紀になるだろうか、と予測しています。
私には予測はできませんが、人が心豊かに過ごせる時代になって欲しいと願っています。
自分なりの夢をもって、その実現に邁進したいと思います。
サミュエル・ウルマンの「青春」の詩にあるように、
いつまでも青春でいたいと思っています。
2001年01月06日 10時36分16秒

クリスマスイブ
今日はクリスマスイブ。
若者たちは、愛する人と時を過ごす人が多いという。
時の流れか。
また、数年前から日本でも家をイルミネーションで飾り付ける人が多くなった、とのこと。
アメリカで生活していた頃、きれいな飾り付けをしている家を見に行ったことを思い出す。主都ワシントンのホワイトハウス前の大きなツリー、各州の小さなツリー、周辺の住宅地のイルミネーションなど、本当にきれいだったことを思い出す。アメリカの家庭では家の中に小さなツリーを飾り、その周辺にクリスマスプレゼント、クリスマスカードなどを置いてあって、訪問した人にそれらを紹介する。
家の中のツリーは、外からもガラス戸ごしに見る事ができる。玄関にはどのうちもクリスマスの飾り付けがしてある。

日本の正月の門松がクリスマスの飾付けの印象を受けた。
日本では正月飾りをしなくなって、クリスマスの飾りが増えてきた。

日本の伝統行事が消える寂しさを感じるのは私だけだろうか?

  ・クリスマス キリスト教と 関係なく
     飾りを楽しむ 今の御時世。

  ・飾付け 家全体が ツリーのごとく
     美を楽しむは 人の心か
2000年12月24日 16時26分29秒

今朝(12/18)、知立市から刈谷周辺は霧が濃く、ライトをつけて走っている車が多かった。
橋の上あるいは田んぼ道は特に霧が濃かった。

日が照ってきて霧が晴れつつあるわずかの時間、遠くの山はきれいに見え、中程にあたる木々の多く有る場所は霧で覆われていて、近くの田んぼや家はまたはっきりと見える、そんな一時がある。その様子は、あたかも墨絵の中にいるような錯覚をおこし、別世界にいる感じがした。
それは、ほんの一瞬であったように感じた。

 ・霧の朝 日のぼり来る 一瞬は
   消え行く霧で 墨絵(すみえ)のごとし。

 ・霧消ゆる その一瞬に 感じたる
   墨絵の中に いる別世界。

 ・深き霧 一寸先が 見えずとも
   日のぼりきて 消えるはかなさ。
2000年12月18日 12時47分43秒

教える難しさ
 ★人を教えることは、難しいもの。
 多くの人は、「私は人を教えていない。」と言うかも知れない。
しかし、子どもを育てることは大事な、最も基本的な教えの一つ。
また、会社などで、年限が経って行くと、必ず若い人が入ってくる。
その若い人を教えるのも次の世代を担う者を育てる大事な教えである。

 若い者、弟子(教わる者)を頭ごなしに叱ったり、貶(けな)したりする人がいる。これでは、教わる者は、萎縮して育つものも育たない。また、自らを自慢し、誇る人も以外と多い。指導すべき立場にいる人は、己を誇らず、教わる者を貶さず、分け隔てなく誠をもって教えることがよい。

 指導者は教えをうける者にどのように接したらいいか、己の反省をこめて次の歌を作った。

  ・指導者の 成すべきことは ただ一つ
     弟子をけなさず 我(われ)を誇らず。

  ・指導者は 誠をもちて 教うべし
     若きは無限の 力あるかな。

  ・師を超える 弟子が育ちし その時に
     指導の誠 成したる証(あかし)ぞ。

  ・教えるは 怖(おそ)れを持ちて 成すがよし
     死ぬも生きるも 教え一つぞ。

  ・人貶(けな)す その人はまた 貶(けな)されり  
     他人(ひと)を誉(ほ)めれば 我(われ)誉めらるる。

★街中の並木道、公園のそばを通った時に見、感じたもの。

  ・秋の日の 銀杏舞いたる 並木道
     落ちたる後は 葉(は)吹きたまる。

  ・手に一つ 黄色き銀杏 持つ稚児(ちご)の 
     示す手を見る 情(じょう)深き笑み。
2000年12月09日 09時41分22秒

和歌と短歌
最近、31文字の短歌をつくり始めて、和歌と短歌はどう違うのかしらべてみた。
広辞苑(第5版)によれば、次のようになっている。
【和歌・倭歌】
〓漢詩に対して、上代から日本に行われた定型の歌。長歌・短歌・旋頭歌(せどうか)・片歌などの総称。狭義には31音を定型とする短歌。奈良時代には「倭歌」と書き、また「倭詩」といった。うた。やまとうた。みそひともじ。源氏物語玉鬘「―の髄脳いと所せく」
〓和する歌。かえしうた。奈良時代に「和歌」と書くのはすべてこの意。万葉集20「それ諸王卿等(おおきみまえつきみたち)―を賦よみて奏すべしとのりたまひて」
〓詞章が〓と同形式の31音を原則とする、舞の際の謡い物の総称。また、謡曲で舞の前後にかけて謡われる謡の一節。延年の「若」と関係づける説もあるが、未詳。謡、船弁慶「旅の舟路の門出の―、ただ一さしと勧むれば」
〓歌舞伎囃子の一。時代物の大詰めに用いたが、廃絶。

【短歌】
和歌の一体。長歌に対して、五・七・五・七・七の五句体の歌。記紀歌謡末期・万葉集初期の作品に成立、古今を通じ最も広く行われ、和歌といえば短歌を指すに至った。みじかうた。

この広辞苑の解説を読んで了解した。
漢詩に対して倭(和)の歌であること、今では和歌も短歌も同じに使っていいことがわかった。
何となく使い方に引っ掛かるものがあったが、これで気になるものがなくなった。

 ・気になりて 三十一文字(みそひともじ)を 作りしも
    つかえは取れて 今は晴れやか。

 ・倭(和)の歌は 長歌(ちょうか)施頭歌(せどうか) 短歌(みじかうた)   
    三十一文字を 短歌(たんか)と言うらむ。
2000年12月07日 12時05分45秒

初霜?
 すでに初霜はあったのかも知れない。しかし、一面が白くなった今朝の霜が私にとっては初霜に感じた。
 そんな今朝の気持ちを短歌によんだ。

 ・朝起きて 真白き霜を 見ゆるとき
    冬の到来 感じぬるかな。

 ・霜降りて 真白き花を 咲かす日は
    風も吹かずに 穏やかなる日か。

 ・山赤き 里に咲きたる 霜の花
    寒さに負けず 野菜は育ちぬ。

 ・冬野菜 白き霜降り 一面に
    うっすらかぶる 広き緑葉(みどりば)。 
2000年12月05日 09時55分14秒

東京行き
昨日(12月1日)、東京へ出張することとなった。
家から名鉄電車の駅までの車の中、東京へ行く新幹線の中で見た事、感じたことを
短歌に表した。

 ・大鳥(おおとり)は 東の天(そら)に 飛び去りて
    光の中に 吸い込まれ行く。

 ・大鳥(おおとり)は 東の天(そら)に 急ぎ飛ぶ
    向う彼方に 幸やあらむと。

 ・富士の峰 頂きさやかに 見えねども
    新雪深き 極寒地を想う。

 ・富士川を 渡りて憶う 古(いにしえ)の
    羽音に驚き 逃げ去りし武者を。

 ・日の光 絶える事なき 暖かさ
    何故に冷めるか 人の心よ。



 
2000年12月02日 08時58分56秒

時に追われる
 「時に追われる」ことがよくある。
 現代の人は、私だけでなく「時に追われる」ことがよくあるようだ。
昔の人、外国の人は、現在の日本人ほどあくせくしていないのは何故だろうか。

急ぐ必要もないのに、急いでいたり。
1、2分待てばいいのに、待てなかったりする。

確かに、締め切り日に間に合わせる、乗り物の出発時刻に間に合わせるなどは、
時に追われるものである。

日本人は、求めなくてもいいところに100%を求め過ぎていないだろうか?
100%、完璧をもとめなければいけないことは少なからずある。
しかし、80%、90%でいいことが多々あるはずである。
そんなところに100%をもとめれば、それは時間と労力の無駄である。

こういうところで、時間と労力にゆとりがもてたならば、
心にゆとりが持てるであろう。

心にゆとりのある日は、相手の人への対応もゆったりできる。
毎日、そんな風に過ごしたいものだ。
2000年11月30日 08時16分46秒

君子も憎むことあり
君子(人格者、理想的な社会人)もまた人を憎むことがある。
昔孔子は、君子は次のような人を憎むという。
 真佑琉いところを言いたてる人、
 西紊涼楼未凌諭幣綮福砲魄く言う人、
 鼠Δ泙靴い个りで礼儀をわきまえない人、
 惰四のわからない人

さらに、弟子の子貢は、
 紳梢佑旅佑┐鬚すめとってそれを自分の智慧(アイディア)とする人、
 石慢でいてそれを勇気があると考えている人、
 疎梢佑留し事をあばいて、それを真直ぐなことをしたとしている人、
を憎むとしている。

この種の人(前部で7種)は、今の世にも大勢いる。
己(おのれ)の真心を大事にし、相手を思いやる気持ちがあったならば、上に書いたことをする人はいなくなるであろうに。

何故このようなことが起きるのであろうか。
己(おのれ)を出す事、認められる事を第一に考えると上に書いたような人になるのではなかろうか。
 つまり、〜蠎蠅魄く言って己(おのれ)をよく見せたい気持ち、
     ⊂綮覆魄く言う事で己の力を誇示し、認められたいと思う気持ち、
     N薺靴倭蠎蠅鮖廚い笋覽せちからでる。
      勇ましくすることで己を認められたいと思う、
     ち蠎蠅慮世事を理解しないで己を通そうとする、我を張る気持ち、
 さらに子貢の言う憎む人は、己が勉強不足であることを棚にあげて、何れも己を認めて欲しい気持ちからでている。
  ・相手の考えをかすめとって自分の力を認めさせたい、
  ・傲慢さと勇気を混同して自分を認めてもらおうとしている、
  ・隠し事を暴く事が正直と勘違いして、いい事をしたと認められたい気持ち、

人に認められたいと思う時、己が他人(相手)をどれだけ知っているか考えたことがあるであろうか?
2000年11月28日 18時36分20秒

福井行
先週(24、25日)、出張で福井市へ行ってきた。福井へ行くまでの車中および福井市内でいろんな風景をみた。それをいくつかの短歌によんだ。

 針鵡圓の 車窓に見える 紅葉葉は  
    色鮮やかに 人を魅了す。

 斥佞詫遒舛董ー造里濟弔擦掘ヽ遡據覆きのき)は
    取る主もなき 村のかなしさ。
 
 措茲觴腓髻‖圓舛匿Г鼎 柿木は
    人は取らずに 動物食す。

 損蛎爾痢’のひたいの 広場には
    老者は楽しむ ゲートボールよ。

 値佞詫遒舛董ヽ楚Г呂┐襦〔擇呂気咾掘
    取る主なきて 独り待つ身ぞ。

 痛未両院[ちて思うは 織田姫の
    強き思いは 徳川に流る。

 屠未両院―犬ぁ覆弔匹ぁ砲景の 顔と顔  
    話ははずむ 思い新たに。

 橡未両院_源娑呂澆董ヾ臣未
    昔日(せきじつ)の日々 昨日のごと。

 波掘覆呂函某羽(すうわ) 落ち葉の中に 餌(え)を求む
    降りくるたびに 落ち葉舞い飛ぶ。

 閥眇А覆んいろ)に 染めたる髪を なびかせて
    足下(あしもと)ゆらり 厚底ブーツ。


 浜鳥辧覆さなご)の 鳩を追いたる ヨチ歩き
      ゆらりゆらりの 奴(やっこ)ダコ。
2000年11月27日 18時26分58秒

歌(短歌)に託す
2、3週間程前から短歌で己の心を表すことを思いついた。
短歌を作る訓練を受けたわけでもないが、思いのままに作っている。
一つつくると、次から次へと歌(短歌)がでてくる。
己の思いを31文字に託す。
◎11月20日(月)作る
 ★山間地をドライブすると道端に幼い杉や檜の木々が眼に入る。少し山の中程へ入ると既に樹木の直径20cm以上になっているものもある。そこは平らになっていて、明らかに田畑であったであろうことがわかる。
 ・山間地 杉の幼木(ようぼく) 多く見ゆ
    杉苗植えし 老農察す。

 ★人の道をうたう。
 世の中には同輩と若年者と自分より年輩者(老年者)だけで、なにもこだわることはないはずなのに、つい己や他人の地位や身分を考えてメンツにこだわる。己の未熟さ、どのようにしたら克服できるのか? 
誠を表すを実行する事は難しいことだ。

 ・世の中は 老いと若きと 同輩ぞ
    住む人他(ほか)に 無きを知るべし。

 ・今日も又(また) 地位とメンツに こだわりて
    更(さら)な気持ちは はるか彼方か。

 ・如何にして こだわりなきを 過ごすべき
    地位とメンツの 重き己(おのれ)ぞ。

 ・世の人は 地位ある人の 言(げん)信ず
    何故(なぜ)に己(おのれ)を 信ぜざりしか。

 ★タバコを吸う女の子が多い。何故タバコを吸うのだろうか。これほど害の多いものを。
 ・タバコ吸う 女子(おなご)が多く なりし今
    その害知れるか 我は問いたし。

 ・ニコチンは 己(おのれ)の意志に 逆らいて
    己(おの)が手は伸ぶ タバコの在り処(ありか)に。

 ・タバコ吸う 乙女(おとめ)は何を 思うらむ
    形で男と 等しき望むか。

 ・世の人は 自信のなさを よく知りぬ
    権威に縋(すが)り 己を守る。

 ★子育て、親子についてうたう。
 ・父親の 権威落ちたる その先は
    母親まかせで 子は荒るる今。

 ・父親の 権威を落とす その因(もと)は
    父親けなす 母の言葉ぞ。

 ・母親は 己(おのれ)の影響 深く知れ
    子と一体に ありし己(おの)が身。

 ・母親は 己(おの)が影響 強く知れ
    育ちし後も 子は母求む。

◎11月21日(火)作る
 ★今朝のCBCラジオで鈴木穂奈美さんが、わが子の「お受験に」力を入れていると話していた。
 ・お受験に 力を入れる 母親は
    子どもの為よと 己(おの)が欲満たす。

 ・お受験に 熱入れ過ぎる 母親は
    子を競うとて 己(おの)が競いか。
 
 ・お受験が 過剰になりし その末は
    母は殺すか 友の子どもを。

 ★若者たちは互いに議論することを嫌う。国際社会では議論する事ばかりであることを知っているのであろうか。議論は意見を戦わすのであって喧嘩ではない。
 ・若き日は 議論すること 必要ぞ
    若者達は 議論を嫌う。

 ・若者は 相手に合わせて 議論せず
    演技の中に 己を隠す。

 ・外国へ 行きし若者 言(げん)はなく
    何もできずに 部屋にこもれり。

 ・外国で 思い通すは 心なれど
    言語と信じて 誤解を増すか。
 
 ★心の歌
 ・今の世は 他人(ひと)をけなして 身を守る
    何と寂しき 人の心(こころ)ぞ。

 ・徳なきは 他人(ひと)を落として 喜(よろこ)べり
    終(つい)には己が 落ちるを知らずに。

◎11月22日(水)作る
 ★今朝、通勤途上ススキが朝日を受けてゆれ動いているのがきれいに見えた。 
 ・新しき 光を受けて ゆれ動く
    ススキの穂波 舞うがごとくに。

 ・ススキ咲く 荒れ地の原を 遠く見て
    稲穂波打つ 昔偲ばる。


 ★加藤グループの政治行動に情けなさを感じた人は多くいた。しかし、自民党政治にノーと言える人はまだ多くない。民はこれだけ痛めつけられても、まだ選挙になると依然として自民党に投票する。
 ・政治家は 民の心を 知らざりし
     真(まこと)通さず 己(おの)が身守る。

 ・民人は その日その日を 楽しみて
     政治動かす 力を知らず。

 ・政(まつりごと) 成す人(ひと)民(たみ)を 知らざるか
     真(まこと)通すを 民は望めり。   
2000年11月22日 20時11分14秒

心の歌:短歌(その2)
 時間に追われている日は、自分の心にゆとりの無さを感じる。そんな時に会話をしたり、電話で話した友には済まないと思う。
いつも心豊かな気持ちでいたいものだ。

  ・我が心 多忙の時は ゆとりなく 
     友の話に 心無き答え。

  ・ゆとりなき その日の友への 応対に
     素っ気無くする 情けなき我(われ)。 

  ・如何(いか)な時も 豊かな気持ちで 過ごす人
     どんな気持ちで 日々を過ごすか。

  ・ゆとりなき 日々を過ごせし その時に
     古人(いにしえびと)の 偉大さを知る。 
 
 ★奥三河地方の山道を通る度に、太陽の光の通らない薄暗い山肌に杉やヒノキの茶色の針葉樹がわずかに落ちているだけで、草も生えていない山が眼に入る。そんな山では水を蓄える事はできない。雨が降れば戸板に水を流したように山肌をながれて川は増水する。その上、山の土も剥ぎ取って行く。

  ・山肌の 見える山には 針(はり)落葉
     草も育たぬ 土となりしか。

  ・広葉樹 山を染めにし その後は
     落ちて土壌の 肥やしとなりぬ。

  ・赤黄(あかきい)と 燃えたる山は 生き物の
     多く住みたる 宝の山ぞ。

  ・紅葉葉(もみじば)が 落ちて朽ちたる 腐植土は
     水土(すいど)蓄(たくわ)え 川も暴れず。 
2000年11月17日 18時30分59秒

心のうた(短歌)
 子ども達に関わる「事件」が起きています。子ども達の暴走は、大人社会の反映であることは確かな事。では、大人は今何をなすべきなのか?
 子どもらのことを思い、私の気持ちを幾つかの短歌に詠んでみました。

  ・今の世は 弱きを挫(くじ)く 政(まつりごと)
     そを見習い 子らも真似るか。

  ・子どもらは ルール無視して 走りたる
     ただ感情の ままに動くか。

  ・子どもらの 暴走聴きて 心泣く  
     大人を真似て 育ちし歪(ゆが)みか。

  ・行く末を 案じる者は 幾人ぞ 
     大人成すべき 道が見えぬ日。

  ・子どもらの 心を見んと 思えども
     闇の中にて 定かに見えず。

  ・子どもらが 助け求めて 叫びしも 
     大人の耳に 届くことなし。

  ・嫌(いや)な事 成して心は 育つもの
     成さざる子らの キレやすきを知れ。

  ・他人(ひと)が皆 我より偉く 見える時
     人の心は 成す気力なし。

  ・昼も夜も 誉めらるる事なく 過ごす日々
     子らは大人に 反撃時探す。

  ・人は皆 等しきことを 知らざるか
     人の上下を 計りて喜ぶ。

  ・どの子らも 他人(ひと)より優れし 能力(ちから)持つ
     それを引き出す 師無き悲しき。

  ・戯(たわむ)れて 遊ぶ日もなし 子どもらは
     遊びと称して 弱きを虐(いじ)める。

  ・子を産みて 智慧なきままに 親となり
     自由にならぬ 子を虐(ぎゃく)す父母(ふぼ)。
2000年11月16日 09時21分36秒

再構築
今朝、「日々の記録のページ」を再構築しましたので、
古い記録が消える事になりますので、今までの古い記録を
書かせていただきます。


◎詩吟発表会
私は趣味として詩吟を続けていますが、私が所属する会は、監本詩吟学院岳風会を上部の組織としています。
昨日(11/12)、私どもの会と友好関係にある会の発表会(大会)がありました。県の内外から
総勢500名近い方が出席して吟を詠じていました。
私も一吟発表させていただきました。

最近は、詩吟人口も若干減少していますが、小中学生で詩吟を始める子が徐々に増えて
いるとのことです。

詩吟は、奥が深い日本の伝統的な文化です。漢詩や和歌(短歌、俳句)あるいは新体詩
を詠い、作者の喜びや悲しみ、感動した心を声によって詩情を表現するものです。
詩吟を詠う事は、腹から声をだしますのでストレス解消になり、腹式呼吸をしますの
で、健康維持、老化予防にもなります。また、有名な漢詩や和歌、新体詩に接しますの
で、文学や歴史の素養が身につきます。

高齢の方では、80歳を越した方も元気に、若々しい声で吟じていました。
詩吟は、長年続けることで、詩吟の声のだし方なども徐々にわかってきます。
3歳くらいから詩吟を始めたり、70歳ころから詩吟を始める方もいます。
吟を続けている方は、一般に若々しく見えます。
2000年11月13日 12時54分29秒



見ザル、聴かザル、言わザル
この言葉(見ザル、聴かザル、言わザル)は、あまりにも有名ですから、ほとんどの人
が知っていると思います。
しかし、その内容は本来の意味とは異なっているのではないでしょうか?
日光の東照宮に、自分の手で眼、耳、口を押えた猿の彫刻があります。
この、「見ザル、聴かザル 、言わザル」は何を、どう言ったものを「見ない、聴かな
い、言わない」というのでしょうか?

多くの人は、自分に都合の悪いもの、あるいは自分に都合の悪い事が起きる危険性のあ
ることを、「見ない、聴かない、言わない」と感じていることでしょう。
しかし、徳川幕府三代将軍家光の思いは、そのようなものではありません。
祖父家康(東照大権現)は、儒教(儒学)を学び、家光自身も乳母(春日の局および他
の教授者)から儒学を学んでいます。
家光は、儒学の「見ない、聴かない、言わない」を後生に伝えたかったのだと推察され
ます。

儒学の本来の内容は、「礼に非(アラ)ざれば見ること勿れ、礼に非(アラ)ざれば聴
くこと勿れ、礼に非(アラ)ざれば言うこと勿れ、礼に非(アラ)ざれば動くこと勿
れ。」(訳;礼にはずれたことは見ない、礼にはずれたことは聴かない、礼にはずれた
ことは言わない、礼にはずれたことはしない。)

このように考えますと、彫刻作品「見ザル、聴かザル、言わザル」の奥深さを感じま
す。
俗に流れている内容では、家光の思いがどこかへ飛んで行ってしまいます。
儒学で言う本当の意味の 「見ザル、聴かザル、言わザル、行わザル」を実行したいもの
だ。
それには、自身の真心と他人への思いやり、
 そうしてその発露としての「正義」を貫くことが必要だ。
2000年11月11日 09時32分34秒



秋茄子
朝夕めっきり寒い日が多くなりました。
五月に苗を植えた茄子とピーマンが11月の半ばとなっても沢山の実をつけています。
我が家の食卓は、サラリーマンの私がつくる無農薬野菜が一杯です。
今年5月頃に野菜つくりを始めた頃は、田も畑も1年以上の休耕田であったために、土
は堅く、有機質の少ない土壌でした。約半年有機肥料を施して土をつくりましたとこ
ろ、夏の後半頃から柔らかい土と成り、美味しい秋茄子が沢山とれるようになりまし
た。また、ピーマンも、緑のままのもの、赤くなったものなどが沢山とれています。

大豆も黒大豆、白大豆が夫々2畝だけですが、沢山とれました。
大豆の根には根粒菌が沢山ついていました。
来週19日(日)の里芋などの収穫が楽しみです。

そう言えば、畑の横にある山のどんぐりが、道や畑の中に沢山実を落としています。ど
んぐりの苗を作ろうかと考えています。


◎五月より 育てし茄子は 美味保ち
    夜長の今も 食卓賑わす
2000年11月10日 18時34分15秒



◎偉いと思う心

人は誰もが他の人から認められたいと思っている。
人が接する一番小さな社会は、家族。
その家族の中で、父、母、子は夫々存在感を求めている。
その存在感を感じる第一歩は、家族の団らん。
その次の社会の中での存在感は、隣人・地域、職場、学校。

人は、社会の中で認められて、人の上に立つ地位につくと、
 態度が横柄になったり、傲慢になったりする。
社会における地位は、人間が人と人との交わりをスムースに進むように作ったたで
なのに、その地位を自分の人間的な力と錯覚する。
その結果、横柄な態度をとったり、傲慢になったりする。
人は、個人としては皆平等であるはずなのに、
それを忘れて「偉くなった」と錯覚する。
人を指示・指図する地位についたということは、
他の人々が自分をさらに磨く為に地位を与えてくれたもの、のはずであるの
に・・・。

人は、どんな人も優れた才能を持っている。
その才能を十分に発揮できていないだけなのだ。
「自分は偉い」と強く思う人は、
「傲慢な心」を強く持ち、逆に劣等感(自分はダメな人間と思う心)も、強く持
つ。

世の中には「年上の人、同年代の人、そして年下の人」がいるだけなのだ。
「年上の人(年輩者)には安心されるように、同輩には信頼されるように、年少者
には慕われるよう」な人間、になりたいものだと思う。
2000年11月08日 11時12分17秒
2000年11月14日 08時45分28秒

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