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はじめに

 

法律によって数学が禁止されていた時代があった。

「数学は完全に禁止される。」

「何人も占い師あるいは数学者と話をしてはいけない。」

と明記されていたのである。6世紀に東ローマ帝国で制定された

「極悪人、数学者とその類似の者たちについて」

という法律の条文だ。ヨーロッパの数学はこれ以後約1000年間に及ぶ暗黒時代に突入することになる。

 

さて現代、数学は黄金時代に見える。禁止令どころか世界中の学校で算数や数学は必修であり、入学試験にもしばしば利用される。エリートたらんとする青少年は否が応でも数学を猛勉強し、かくして人類が築き上げてきた数学文化は着実に次世代へと受け継がれていく。だが本当にそうなのだろうか?

 

現代の数学文化は危機的状況にある、とずっと感じ続けてきた。その問題について私なりに考えて書きためた文章があったので、それに書き足して

「小学生にも楽しめる現代数学の本を作りましょう。」

と編集者の関口氏と相談した。予備知識なしに説明が出来る現代数学の奥義というのが意外にあるのである。書き上がってみるとユークリッド幾何学やラマヌジャンの話など、中学や高校の数学を知らないと難しい部分も入ってしまったが、そういう所を読み飛ばせば最後まで読み通せる小学生もかなりいるのではないだろうか。

 

予備知識がいらないとは言っても、数学のレベルは結構高い。何しろ大学や大学院の数学科の講義からテーマを見つけてきているのだ。すらすらと最後まで読み通して、一発で全部理解できた、なんていう数学の素人はまずいないだろう。原稿のコピーをお渡ししてあったM先生が、ある日私のオフィスにやってきて

「木村さん、ここの所ですが、なぜこうなるんですか。」

と尋ねる。

「それはですね、あれ、ちょっと待って下さいよ。」

黒板を前に色々考えてみたが、どうもらちが開かない。黒板中に図や計算を書き散らし、強引に証明を付けようと悪戦苦闘していると、やがてM先生が

「もうやめましょう。」

とさえぎった。

「これはこのままでいいんですよ。変な説明を付けるのはやめにしましょう。」

確かに私のやり方でむりやり証明をつけるくらいなら、わからないままの方がましだ。私は黙ってチョークを置いた。

 

数学の出来る人は頭の回転が速い、という迷信がある。授業などで先生がちょっと説明しただけで

「あっ、なるほどねえ。」

と一瞬にして理解してしまうのを見るとそう誤解せざるを得ないわけだが、実はこれにはわけがあって、数学が好きな人というのは大抵ずっと昔から似たような問題を考えているものなのである。長い間考えているうちに問題の隅々まで突き詰められているので先生のヒントで一気に突破口が開けて、一瞬に全てを理解したように見えるだけなのだ。授業の後30分復習しただけで理解してしまう他の人より、うんと長い時間をかけているのである。

それにしても数学好きな彼女らや彼らは、最初に問題を考え始めたときに、ちょっと考えてわからなければすぐに問題集の後ろの答を見るなり人に聞くなりしなかったのだろうか。数学の好きな人というのはそんなことを考えないほど頭の回転が遅い、要領の悪い人たちばかりなのである。

 

ついでに言うと、数学の出来る人は計算力がある、というのも迷信だ。某世界的数学者に夕食をおごってもらったことがあったが、支払いを終えてしばらくするとウェイターが戻ってきた。

「お勘定が合わないようですが。」

「いいよ、チップだ。取っておいてくれたまえ。」

「でも、足りないんですけど。」

「えっ?」 

その数学者は20ドル札×3枚=80ドルを支払ったと計算して、15ドル近くもチップを置いたつもりだったのだ。日本の数学者はこういう話が比較的少ないが、大数学者になれたはずの才能を計算力がないからという理由だけで入試で切り捨てているからかもしれない。あるいは数学者としての社会的生命に関わるというので、皆必死でこういう失敗談を隠しているのだろうか。私自身は5人で食事に行って6人分の座席を予約し、

「4より大きな数が数えられない数学者」

と馬鹿にされたことがある。あの時は座敷童子が混じっていたのだ、と今でも信じている。

 

数式があったら、それは正しいか間違っているか、二つに一つである。それはなぜなのか。二つの点があれば、それを直線で結ぶことが出来る。それはなぜなのか。

「なぜって、そんなこと当たり前じゃないか。絶対的な真実だ。」

と言っていたのが19世紀。20世紀に入ると

「これまではそれが約束だったからだ。そうでないと思うなら、新しい約束を作ればよい。」

とするヒルベルトの思想によって数学は近代数学から現代数学へと大変貌を遂げた(これはこの本の重要なテーマの一つだ)。公理を別の公理と置き換えるたびに新しい公理系が生まれ、新しい数学が生まれる。全ての公理はただの約束、あるいは我々の思いこみに過ぎないのである。

 

「数学は理解しなくてはいけない。数学は理解出来ない人にはちっとも面白くない。」

という公理がある。何しろ試験があるのだから、点数が取れなければ愉快でないのは当たり前だ。ではもしも試験なんか無かったら?この公理を別の公理で置き換えてみたらどんな数学が生まれるのだろうか?

 

推理小説の犯人を最初の方のページの余白に書いておく、という悪質なイタズラがある。犯人がわからないからこそ面白いのに、その楽しみを奪われてしまうわけだ。ところで我々は数学について同じくらい悪質な教育を子供達にしていないだろうか。数学の問題をやらせて、すぐに答を教えようとする。ひどい場合には最初に答の出し方を教えておいて、それから「例題」「類題」をやらせる。推理小説の表紙に「犯人はこいつ」と書いてあるようなものだ。数学の好きな人たちはなぜ後ろの答を見たり人に聞いたりしなかったのか。答をすぐに知りたくなかったからだ。答がわからないまま

「なぜこんな数が計算できるのだろう。」

「どうやって証明するのだろう。」

と考えている時が一番面白いのだ。むりやり答を教え込もうなんて人がいたら、

「もうやめましょう。」

と遮ってしまうに違いない。数学はわからないからこそ面白いのである。

 

もちろん、ちんぷんかんぷんで話に全くついていけなければ、面白いはずがない。大体話の筋は追えて、一行一行はそれなりに納得がいくのに、最初と最後を見比べてみるとどうも変である。どこかでだまされたような気がする。話が全体として信じられない。こういう現象を、数学現象と呼ぶ。物理学が物理現象を研究し、天文学が天文現象を研究するように、数学は数学現象を研究するのだ。

「何が起こっているのか、納得がいかない。不思議だ。」

こういうわからなさ、不思議さこそが数学の面白さを支えているのであり、過去の数学者たちを駆り立てて数学を今の高みにまで押し上げさせた原動力なのである。

 

数学の面白さを、我々頭の回転が遅くて要領の悪い人たちだけで独占していてはいけない。この本は、数学がわからない事の面白さを他の人たちにも知ってもらいたいと思って書いたものである。小学生からおとなまで、数学のわからなさが堪能できるはずだ。

多少わからなくても読み流し、つまらないところは読み飛ばして、どんどん読み進めていただきたい。なぜなら、最後まで読み通した読者は数学の神様を見るであろうから。

「数学なんか、わかる必要はない。数学はわからないからこそ面白い。」

この呪文を3回唱えてから読み始めていただくことにしよう。これが私たちの新しい公理である。

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