トップ ページ 目次のページ サンプルページ はじめに 足し算をする人々
兎の穴に落っこちたアリスの前に現れたのは、シルクハットにタキシード、蝶ネクタイにカイゼル髭の紳士だった。
「お嬢さん、手品はお好きかな。」
「手品?ねえ、どんなの?どんなの?」
紳士は空中から白いハンカチを取り出すと、アリスの前に広げ、
「さあ、このシルクハット、中はもちろん空っぽですよ。」
と、二、三回振って見せて、ハンカチの上においた。
「はいっ」
とシルクハットをどけると、キャンディーがポロポロと転がり出た。赤や、黄色や、紫のキャンディーに1から10まで番号がふってある。
「ぱちぱちぱち、すごいすごい。ねえ、これ食べていいの?」
「もちろんですとも。お味は、いかがかな。」
アリスは、1と書いてある青いキャンディーを口に放り込んだ。
「おいしい、こんなおいしいキャンディー、生まれて初めて。これなら、いくらでも食べられそうよ。」
「そう、それはよかった。では、もう一度。」
再び、シルクハットからキャンディーが転がり出た。今度は、11から20まで番号がふってある。
「まあ、こんなに沢山、食べきれないじゃないの。いいわ、片っ端から片づけちゃうから。」
アリスは、2と書いてあるオレンジのキャンディーを口に入れた。
「ほらほら、まだいくらでもありますよ。」
今度は21から30までのキャンディーが出てきた。アリスは、3番のキャンディーをほおばった。紳士が31から40までのキャンディーを出してみせると、アリスは4番のキャンディーに手を伸ばした。アリスがキャンディーを番号順に一つ口に入れる毎に、紳士は10個づつキャンディーを出してみせるわけだから、キャンディーはどんどん増えていくわけである。キャンディーが気に入ったアリスは次から次へと食べ続け、その度に紳士はキャンディーを出し続けた。そして二人は無限にそれを続けたのである!
「ああ、おいしかった。こんなおいしいキャンディー、生まれて初めて。」
「はっはっはっ、何しろ無限個のキャンディーを全部食べちゃったんですからな。気に入ってもらえて、光栄ですよ。」
ふと我に返ったアリスは、辺りを見回した。
「あら、沢山残ってたキャンディーはどこへ行っちゃったの?」
「どこへって、お嬢さんが全部食べちゃったんじゃないですか。」
「ええっ、でも私が食べるより沢山のキャンディーがおじさんの帽子から出てきたじゃない。」
「でも、お嬢さんはそれを全部食べてしまったのですよ。何しろ番号順に片っ端でしたからな、10番のキャンディーは10番目に、20番のキャンディーは20番目に、ちゃんとおいしそうに食べておられましたよ。」
「でも、私が10番目のキャンディーを食べたら、おじさんは101番から110番までのキャンディーを出したじゃないの。」
「それも、101番目から110番目までかけて、一つづつ順番に食べておられましたな。」
「でも101番から110番までのキャンディーを食べている間に、おじさんは、ええと、ええと」
「1011番から1110番。」
「そう、そのキャンディーは、どうなっちゃったのよ。」
「それもちゃんと順番通りに食べておられましたよ。」
「納得いかないわ、もっとちゃんと説明してよ。」
ふくれっ面をするアリスに紳士はにこっと笑いかけて、シルクハットを頭にのせた。シルクハットはそのままストンと地面に落ち、紳士はどこかへ消えてしまった。アリスはシルクハットをそっと持ち上げてみたが、もうキャンディーは出てこなかった。
消えてしまったキャンディーについて、紳士はどこでどうアリスをごまかしたとお思いであろうか。実は紳士は何もごまかしてはいない。アリスは本当にキャンディーを全部食べてしまったのである。無限の世界ではこんな不思議なこともある、というお話である。