日記

新しい日記はこちらです。

電車・バス遅延 [2005年05月19日(木)]
朝、駅に行ったら、川越・埼京線が遅れていた。約20分遅れて大宮に到着し、埼京線の代わりに京浜東北線に乗って南浦和から武蔵野線に乗り換えた。20分くらいの遅れなら会社に間に合うだろうと思って、遅延証明書はもらわなかった。

しかし、電車を降りて路線バスに乗ったら、交通事故による渋滞があり、さらに遅れてしまった。9時に間に合う見込みがなくなったので、バスの中から会社に電話して遅刻する旨を伝えた。埼京線の遅延証明書をもらわなかったことを後悔した。

駅でわざわざ遅延証明書をもらっていたら電車を1本遅らせてしまうかもしれない。しかし、職場に1秒でも早く到着しようと努力することよりも、遅延証明書をもらいに行くために電車を1本遅らせることの方が優先される。携帯電話の無い時代だったら(今の時代でも携帯電話を持っていなかったら)、遅刻の連絡をするために電車やバスをわざわざ途中で降りて公衆電話から電話をしたりしなければならないだろう。皮肉な話だ。

人身事故 [2005年05月16日(月)]
会社の帰り、僕の乗っていたまさにその武蔵野線が人身事故を起こした。場所は、西国分寺から2区目の新秋津駅。電車がホームへ入る途中で事故が起きたらしく、電車の前方数両がホームにさしかかっていて後方残り数両がホームの外にある状態で停車した。僕は最後部車両に乗っていた。新秋津駅は地下にあるので、僕のいた車両の窓の外は真っ暗だった。しばらくすると、車掌が「救出のためにパンタグラフを下ろします」と言って、車内の明かりが消えて、バッテリーで一部の蛍光灯だけが点灯した状態になった。蒸し暑い中つり革につかまっていて、気分が悪くなりそうだった。またしばらくすると、先頭1両目だけ手動でドアを開けたという放送が入った。西武池袋線に振替えるべきか悩んだが、結局復旧を待つことにした。停車してから約50分後に運転再開した。

最後の研究室 [2005年03月29日(火)]
大学院生としてわが研究室へ通う最後の日だった。研究室のパソコンのデータを一気に消すのは勇気がいる。

家に着くと、内定式の時に会社で抜き打ちで受けさせられたTOEICの成績が届けられていた。結果は、履歴書に書いた最高の点数(大学4年3月受験)よりも20点下回ってしまった。Readingが30点下がり、Listeningが10点上がった。抜き打ちの割にはよい点数なのかもしれない。

映画 [2005年03月28日(月)]
さいたま新都心駅すぐそばに最近できた大型ショッピングモール「コクーン新都心」内にある映画館「Movixさいたま」に初めて行って、「ハウルの動く城」を観た。2年2ヶ月ぶりの映画だ。

入場料金は、一般が1800円、大学生・高校生が1500円である。しかし、「平日の午前中1回目」は割引があり、1200円で映画を見ることができた。学生時代最後の映画鑑賞では、結局学生の特権を利用できなかった。

卒業式 [2005年03月24日(木)]
大学院修士課程の学位授与式だった。開始時刻10分前くらいに安田講堂に行ったら、立ち見になってしまった。修士課程修了者の人数の多さに驚いた。学位授与式の後に、新しくできた小柴ホールと呼ばれる部屋で物理学専攻学位伝達式があったが、物理学会と重なっていたために学位伝達式の参加者は非常に少なかった。各大学院の学位授与式の日程を考慮して物理学会の開催日程を決めてもらいたい。

物理学会は、東京理科大学野田キャンパス(東大柏キャンパスの最寄り駅「江戸川台」から東武野田線で1駅の「運河」が最寄り駅)で行われていた。定期券でタダで行ける。今日は学会で僕の研究内容も発表されたので、学会が卒業式と重なっていなかったら、内緒で参加したかった。

関西一人旅3 [2005年03月19日(土)]
【京都を観光して、渋谷でクラ科追いコンに参加した】

京都は今までに中学の修学旅行などで2回ほど行ったことがあるが、今回はその2回ともで行ったことのない所を選んで、京都大学、銀閣寺、知恩院、八坂神社、京都タワー、京都駅を観光した。京大も東大と同じく、サークルの新勧の立て看板が所狭しと並べられていた。京都駅は、以前研究室の人から「京都駅の建築は京都の雰囲気を乱している」というようなことを聞いたことがあったが、ずいぶん立派な駅に様変わりしていて驚いた。

1キロや2キロ歩いても大したことはない、と思って電車以外の交通手段をほとんど利用しなかった。しかし、駅から最寄の観光スポットまで片道1、2キロの徒歩を繰り返していると、結局あわせて何キロも歩くことになってしまう。京都観光はバスを使いこなさないと非常に疲れることが判明した。

それと、今回の旅行では、<駅のコインロッカーに荷物を預けて観光して駅に戻ってコインロッカーから荷物を取り出して電車で移動して…>というのを繰り返しながらちょっとずつ移動していたから、、コインロッカー代が馬鹿にならなかった。荷物は一日中同じコインロッカーに預けて観光したほうがよさそうだ。

夜は渋谷でクラ科13追いコンがあるので、初めて品川で新幹線を降りて乗換えた。ちょうど集合時刻ぴったりに到着した。しかし、一人も集まっていなかった。かなり焦った。まさかと思ってメール問合せをしたら、集合時刻が1時間遅くなった、というメールが届いた。荷物が重かったので、集合場所で時間をつぶした。僕は16をほとんど覚えていなかったのだが、なぜか16には覚えられていた。がんばって16を覚えないと…。

帰りの電車の中で今日の追いコンを振り返り、僕の向かいの席にいた16に、断りたくても断れなかっただろう状況で“あーん”をさせてしまったことを激しく後悔した。撮ったデジカメの写真を家で見ていたら、せっかく13と撮った写真が1枚消されていたことに気づいた。

関西一人旅2 [2005年03月18日(金)]
【大阪を観光して、京都に泊まった】

まず、堺市の仁徳天皇陵へ行った。地図で調べたら、最寄り駅の駅名がなんと「百舌鳥(もず)」だった。百舌鳥で降りたら、コインロッカーがなく、荷物を持ったまま仁徳天皇陵の堀の周囲を歩いた。堀が2重になっているので、いくら周囲を歩いても前方後円墳の形は分からず、上から見ない限りまったく把握できないようだ。長い距離を歩いて正面にたどり着くと、説明の看板と鳥居があったが、中には入れなかった。結局、重い荷物を持ったまま1周(3km弱)歩いてしまった。

次に、天王寺駅のコインロッカーに荷物を預けて、四天王寺へ行った。お彼岸だったから、寺や参道がかなりにぎわっていた。塔に上れた。

最後は、大阪城公園駅のコインロッカーに荷物を預けて、昼食をとって、大阪城へ行った。大阪城に上った後、大阪城を見ながら、たこ焼きを食べた。

京阪電鉄で、大阪を出て、京都のホテルへ行った。夕食は、ホテル周辺には適当な店がないと見込んで、ホテル内で京風イタリア料理(?)のフルコース(ワイン代を加えて約4000円)を食べてしまった。一人で高級料理を食べるのは、どうも落ち着かない。

関西一人旅1 [2005年03月17日(木)]
学生のうちに学割を使って旅行しなければとずっと焦っていたのだがなかなか予定が決まらず、結局昨日になってやっと行く場所が決まりホテルを予約して新幹線の切符を購入した。行ったことのない所で、学割が使えて、2泊3日という短い日程(旅行の計画を立てるのが遅かったせいで日程も短くなってしまった)で回れて、さらに交通の便のよさそうな所、という条件を満たす、関西地方を一人旅することにした。

【神戸を観光して大阪に泊まった】

朝5時半ころ起きて、東京で7時半ころの新幹線「のぞみ」に乗って朝食を食べた。名古屋くらいまでは何ともなかったが、京都あたりで座っているのが苦痛になり、いわゆるエコノミークラス症候群になりそうだった。

新神戸に到着すると、そこは雨だった。折り畳み傘を差しながら、案内表示に従って北野異人館へ向かった。すると、手相占い師風のおばさんに声をかけられた。懐疑的に話を聞いてみると、どうやらそのおばさんは観光案内をしているらしい。親切にも、手荷物を預かってくれて、割引の切符(観光案内の本の記述を考慮すると妥当な値段だった)を売ってくれて、お勧めの回り方を地図で教えてくれた。地図のとおり、うろこの家・うろこ美術館・山手八番館・旧中国領事館・北野外国人倶楽部・英国館・旧パナマ領事館・仏蘭西館・ベンの家・風見鶏の館・萌黄の館(順不同)をめぐった。

昼食は、三ノ宮駅に向かう途中の小さなカレー屋さんで食べた。他に客はいなかった。店員が、味見をしてくれといって、煮物をサービスでくれた。

三ノ宮駅のすぐ近くの生田神社を参拝した。

関東では、エスカレーターは、立ち止まる人が左側に寄り、歩く人が右側を通る。関西では逆だという話は聞いたことがあったが、実際に申し合わせたように逆になっており、非常に違和感があった。しかし、郷に入っては郷に従え、ということで、右側に立ち止まった。

海側の神戸ポートタワーに登った。山と海が同時に見えるのに都会であることが不思議に思った。

大阪のホテルに向かった。大阪環状線は、女性専用車両が導入されていた。環状線で女性専用車両が導入されると、乗車している途中で乗っている車両がいきなり女性専用車両に化ける、という問題が生じてしまいそうだが、どうなっているのだろうか。

理一元クラ飲み [2005年03月12日(土)]
2年ぶりの理一23組の飲み会に参加した。十数人だったが、基本的には前回の飲み会とメンバーがほとんど一緒だったような気がする。2次会は、最近ぜんぜん行っていないカラオケだった。そこで僕が東京大学の歌「ただ一つ」を歌ったのだが、僕以外は誰もこの歌を知らなかったようだ。

研究室歓送会 [2005年03月08日(火)]
研究室の(フォーマルな)歓送会が柏であった。この歓送会でプレゼントが卒業生に贈られるのが毎年恒例になっている。僕が今回いただいたプレゼントは、立派なカード入れだった。研究室最後の飲み会だったが、終電が早すぎるので、2次会には参加できなかった。

インフルエンザ [2005年02月28日(月)]
研究室のインフォーマルな歓送会が今日あるというのに、朝起きてみたら37度の熱があった。昼にまた熱を測ってみたらさらに上がっていたので、仕方なく歓送会を欠席する旨のメールを送った。夜になったら38度台に上がっていて、翌日(3月1日)もほとんど下がらず、その夜には39度になってしまった。その次の朝(2日)に37度台まで下がって安心していたら、また夜になって39.4度を記録してしまった。翌朝(3日)にやっと36度台まで下がった。しかし、熱が下がってもまだ数日間頭がくらくらしていた。結局丸々1週間お休みした。

熱が出ていた間、のどと鼻が痛く、鼻水が止まらなかった。枕元においておいたティッシュを1箱分くらい使い切ってしまう勢いだった。そして布団の中では、左を下にして寝ると詰まっていた右鼻が通って右鼻が痛くて目が覚め、右を下にして寝ると詰まっていた左鼻が通って左鼻が痛くて目が覚めた。

予防注射をしたのに、インフルエンザにかかってしまったのだろうか。

最終アルバイト [2005年02月22日(火)]
個別指導のアルバイトが今日で終わってしまった。2年間も続けていたので、アルバイトが終わってしまうのがちょっと寂しかった。

この2年間、基本的には高校数学を教えていたのだが、教えていていくつか悩みがあった。そのひとつを書こうと思う。僕自身が高校や予備校で先生から教わって非常に納得した、という経験を生かして個別指導の生徒に同じように教えても生徒は理解してくれない。あるいは、高校や予備校で僕が友達に教えて納得してくれた、という経験を生かして個別指導の生徒に同じように教えても生徒は理解してくれない。このことは非常に衝撃的だった。僕は数学が得意だから数学を教えていたが、一方生徒は数学が苦手だから数学を教わっていた。僕が数学が得意であったがゆえに、生徒がなぜそこでつまずくかを理解してあげられない。生徒は想像を絶する箇所でつまずく。だから、生徒にどういう課題を与えれば最も効率的に学力が伸びるか想像がつかないし、課題の与え方が果たして適切だったかどうかに自信が持てない。文章が思うようにまとまらないが、要するに、高校や予備校での経験は(数学の知識や考え方自体を除き)個別指導アルバイトに意外に生かされない気がした。

2時間通学克服法 [2005年02月19日(土)]
25歳になってしまった。

ところで、われわれの研究室が去年の3月3日に柏に移転してから僕の通学時間が片道2時間になってしまったことはこの日記に何度も書いていることだが、僕がこの2時間通学をいかにして克服したかをここにつづろうと思う。以下は僕の標準的な一日である。院生らしからぬ、非常に規則的な生活をしていた。


朝6時半のラジオ体操に間に合うように起きる。7時42分に家を出て歩いて指扇駅へ向かう。この時間は地元の小学生の通学時間と重なる。最近の小学生はみな首から黄緑色のペンダントを下げているがあれは防犯ベルだろうか、などと思いながら歩く。20分歩いて駅に到着し、8時2分発の川越線に乗る。川越線内で、家から持ってきた新聞の1面(の一部)を読む。10分で大宮駅に到着して、東武野田線に乗り換える。

東武野田線は下りで空いているから、たいてい座れる。そして、この時間はちょうど女子高生たちの通学時間帯の最後である。別にわざわざこの時間帯を狙って通学しているのではなく、川越線と東武野田線との最適な組み合わせがたまたまこの時間帯だっただけである。東武野田線の乗車時間は約1時間なので、CDが1枚分聴けてしまう。そこで、東武野田線に乗ったらすぐにポータブルMDプレーヤー(研究室移転直後に購入)を出して音楽を聴く。そして、音楽を聴きながら新聞の続きを読む。春日部を過ぎたあたりで新聞を読み終え、読書に切り替える。読書といっても、音楽を聴きながらでも読める、比較的内容の軽い本(小説以外)を読む。

9時20分に江戸川台駅に到着してから、30分歩く。バスもあるが、1時間に1本しかなく、電車との接続も悪いので、基本的に朝は歩くことにしている。この歩いている30分の時間を有効に活用したい、ということで、MDで英語のリスニングをすることにした。歩きながら読書をするわけにはいかないから、逆に言えば、英語リスニング以外に有効活用する方法がない。その英語の教材は、日曜日の11時から12時半までNHKラジオ第2放送で再放送される「ビジネス英会話」(15分×3回)と「英語リスニング入門」(15分×3回)である。それを日曜日にMDに予約録音しておき、火曜日・水曜日・木曜日にそれぞれ2回分ずつ聴きながら歩く。月曜日は研究室セミナーが朝早くあるのでもっと早い時間帯に来てバスに乗り、金曜日はその週に祝日があったときのための予備日である。9時50分に研究室に到着する。行きの通学時間は2時間8分。


帰りは、18時9分に研究室を出てバス停に向かい、18時14分発の江戸川台駅東口行きのバスに乗る。江戸川台駅で18時30分発の大宮行きの東武野田線に乗る。帰りの東武野田線はやや混んでいるが、1区乗ればたいてい座れる。帰りはMDを聴かず、1時間ずっと読書に専念する。このときに読む本は、行きに読む本とは別の本で、音楽を聴きながらでは読みにくい、比較的内容の重い評論または小説である。目と首が非常に疲れる。途中何度も首の骨を鳴らす。

東武野田線が大宮に到着するや否や、猛ダッシュで19時32分発の川越線に乗り換える。大宮駅の東端から西端まで3分で移動しなければならない。目的の川越線を逃すと20分も待たなければならないからだ。無事に乗れると、息を切らしながら、川越線内で10分弱、先ほどの本の続きを読む。19時40分に指扇駅に到着し、20分歩いて、20時ちょうどに家に着く。帰りの通学時間は1時間51分。

入社前研修 [2005年02月16日(水)]
朝4時46分頃にやや大きい地震があり、目が覚めてしまった。今日は、内定した会社で、健康診断・写真撮影・銀行口座開設・入社前研修(学生と社会人との違いについてブレーンストーミングと発表)・入社後の説明会があった。

建国記念日 [2005年02月11日(金)]
渋谷で飲みがあった。せっかく東京に行くのだからと思い、渋谷に行く前に東京を観光した。今年初めての東京だ。銀座線と半蔵門線を使って、浅草寺、湯島天神、三越本店、靖国神社へ寄った。実は、いずれも初めて訪れる場所だ。

建国記念日に靖国神社に行くのはやや不安だった。実際行ってみると、近くに停車していた黒い自動車から小さめの「君が代行進曲」が流れていて、拝殿の前では「祝・紀元節」「教育勅語を復活させよ」などと書かれた旗を持った30人ほどの団体が何かを斉唱していたために僕を含む一般の参拝客がしばらく待たされてしまった。

修論再提出 [2005年02月07日(月)]
事実上最終版となる修論を副査の先生方に再提出しに行った。片方の副査の先生から、「もう少しここの部分を詳しく書いてくれてもよかったんだけどなあ」みたいなことを言われてしまい、やや後悔を残して提出することになった。しかし、何はともあれ、今日で完全に修論の書き直しから解放されることとなった。

免許更新 [2005年01月26日(水)]
個別指導のアルバイト終了後、警察署に行って運転免許証を更新しに行った。せっかくスーツを着て行ったのに、免許証の写真にはネクタイの結び目が写らなかった。

免許更新の際、講習を受ける。昨日が自分の修論発表だったこともあり、「この講習がもし修論発表で、僕が審査員だったら・・・」などとくだらないことを考えながら講習を受けていた。
●「埼玉県の交通事故死者数がワースト1位だというお話がありましたけれども、都道府県別の交通事故死者数を、人口や自動車台数などで割ってから都道府県別順位を定めるような統計は存在しますか?」
●「30年前に比べて現在は交通事故件数が減少しているとおっしゃいましたけれども、その原因は何であるとお考えですか?」
●「今年の交通事故が例年より多いか少ないかを議論する場合、ただ単に平均値と比較するだけではなくて分散(統計誤差)も考慮に入れるべきだと思いますが、事故件数の分散はどれくらいですか?」
などと質問して困らせることができたら快感だろうな。

修論発表 [2005年01月25日(火)]
午後3時半から柏で修論発表があった。かなり迷った挙句、スーツで行くことにした。やはり当日になると結構緊張した。昼食は、喉を通りやすく、おなかに負担がかからなさそうなそばを食べた。

副査のKs先生は、出張先のヨーロッパからの帰国が(ヨーロッパでの)大雪で1日遅れてしまい、今日成田に到着し、成田から直接柏にいらっしゃったらしい。発表開始時刻には無事間に合った。

30分程度で発表が終わるように準備しておいたのに、いろいろ先生方に突っ込まれて、二部構成の発表の前半が終わった時点で1時間が経過してしまった。後半を急いで終わらせた。発表が終わるまでに、結局1時間半くらいかかった。

修論審査発表は、公開部分と非公開部分とからなる。公開部分が終了し非公開部分に入ると、発表者および主査・副査の先生方以外は部屋の外に出される。非公開部分に入っていきなり、副査の先生にかなり厳しいことを言われてしまった(一応、非公開なので、言われた内容もここでは非公開にしておく)。しかしその後は雑談的なもので終わった。

緊張していた上にエアコンの暖房が直接顔に当たっていたせいで、ものすごい喉が乾いてしまい、発表終了後、500mlのペットボトルのお茶をほとんど一気に飲み干してしまった。

センター数学IIB [2005年01月21日(金)]
先日、電車の中で、S新聞に掲載されたセンター数学IIBを解いていたら、第2問の途中で「以下略」と書かれていて問題が途切れていることに気づいた。中途半端に問題を載せないでもらいたい。そこで今日は、数学IIBが全問掲載されているM新聞と、解きかけのS新聞と両方を持って学校へ行き、帰りの電車内で続きを解いた。結果は、所要時間73分で91点。高校数学を教えている人間の取る成績ではない? まあ、第2問の途中で日にちを跨いでしまったし、新聞の字は小さいし、余白は少ないし、解いた場所は電車の中だし、仕方がないということで。

修論提出@柏&つくば [2005年01月17日(月)]
今日の予定:
・朝、指導教官のMz先生と修論の最終チェック
・午後、修論を副査(修論審査員)のKz先生(@柏)とKs先生(@つくば)に直接提出

黙祷の時刻よりも早い朝5時半に起床した。喉や鼻の調子が悪く、風邪をひいてしまったようだ。電車内で修論をペンで修正しながら、8時半に柏キャンパスに到着した。Mz先生到着後、修論を印刷して、先生の添削を1枚ずつその場で受け取りながら逐次修正した。9時半に修論チェックを一時中断して研究室セミナーに参加した。セミナー終了後、Mz先生から修論のグラフの形式の大幅修正を命じられ、先生の許可を得て10時半からの輪読をサボり、修論の修正を続けた。輪読終了後、再び先生の添削を逐次受け取りながら、13時過ぎに修論を書き終えた。TEX→DVI→PS→PDFとファイルを変換して印刷したら、印刷された修論に大きな間違いを一瞬で見つけてしまい、再び最初からファイル変換して(PSファイル作成にやたらと時間がかかる)、該当部分を印刷し直して、とりあえず修論が完成した。研究室の人たちに、Ks先生のいるつくばの高エネルギー加速器研究機構(KEK)の放射光実験施設(Photon Factory, PF)までの行き方(最短経路)を調べてもらいつつ、まずは柏キャンパスにいるKz先生に修論を提出しに行った。その後、PFへの行き方をしっかり確認し、2時15分頃に、生協でおにぎりとサンドイッチと野菜ジュースを買って、柏キャンパスを出てつくばのPFに向かった。完全にてんてこ舞いだった。

そもそもなぜつくばまで持っていかなければならなくなったかというと、本来の提出日の前日(5日)に「提出が遅れ、17日までには研究室まで直接持っていく」旨を副査の先生方にメールした後、14日に「17日午後に直接持っていくつもりですが、都合が悪ければ連絡下さい」というようなメールを両先生に送信したところ、Ks先生から「17日はつくばにいます。よろしくおねがいします」という返信が来てしまったのだ。

柏キャンパスからKEKまでの経路と時間を下図に示す。


東大前(柏キャンパス)【14時15分発】
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 |バス(約30分、280円)
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 柏【14時45分着、15時発】
 ‖
 ‖常磐線(約30分、480円)
 ‖
ひたち野うしく【15時30分着、15時45分発】
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 |バス(約30分、500円)
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つくばセンター【16時15分着、16時45分発】
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 |バス(約30分、430円)
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高エネルギー加速器研究機構(KEK)【17時15分着】


普段使っているバス共通カード(東京・神奈川・千葉・埼玉)が使えない。つくばセンターでバスを乗り継がなければならない。その乗り継ぎに30分も待たされた。バス代だけで片道930円もかかる。さらにKEKの門からKs先生のいる場所(PF)までがまた遠い。歩いているうちに日が暮れてきた。ものすごい孤独感に襲われた。辛うじて日の入り前までにKEK敷地内から筑波山を拝むことができたが、Ks先生に会えた時はすでに空が真っ暗になってしまった。結局片道3時間以上かかった。柏からつくばは、近そうに思えるが、決して近くない。

帰りは、柏キャンパスには寄らずに、東武野田線経由で直接家へ帰った。結局、今回つくばまで修論を提出するのにかかった費用は、
280 + (480 + 500 + 430)*2 + 190 - 180 = 3,110円
だった。出張費はもらえない。

蛇足だが、無性に“違う脳みそ”を使いたくなり、帰りの東武野田線の電車内で、新聞に掲載された「センター数学IA」を解いた。制限時間60分で乗車時間も60分だからちょうどいい。結果は、所要時間49分で97点だった。くだらない計算ミスで3点落としてしまった。

提出期限延期 [2005年01月06日(木)]
修論の本来の提出日は1月6日だったのだが、4日に先生と話し合って修論提出を延期させてもらった。6日が本当に期限だったら絶対に終わらなかっただろう。このように、直前になって期限が延期になるのは非常にありがたい。“火事場の馬鹿力”が持続するから。でも、本当は提出日ぎりぎりになって焦るのは大嫌いなのに、ぎりぎりにならないと本気が出ない、そんな自分が嫌だ。

9日までに先生にとりあえず全ての修論原稿を渡し、先生の添削を待った。しかし、結局15日まで先生からの添削が全く返ってこなくて、それまで微妙に暇になってしまった。そこで、まだ修論が完成していないのに、発表の準備をちょっとしたり、11月から中断していた電車内読書を再開したりした。

修論原稿受け取り [2005年01月03日(月)]
今日、添削された修論を先生から受け取ることになっていた。しかし、受け取る時間までは特に決めていなかった。そこで、あまり早く研究室に行っても待つだけになってしまうと思い、朝、研究室に行く途中、大宮の(武蔵一ノ宮)氷川神社に寄って初詣をした。

午前11時半頃、研究室に到着した。まもなく研究室に内線で電話がかかってきた。守衛からだった。守衛が先生から書類を預かっているから取りに来てくれ、という話だった。守衛によると、先生は、なぜかカードキーが使えず、やむを得ず守衛に預けたらしい。しかも、僕またはT君(同研究室修士2年)のどちらかが午前中に来て修論原稿を守衛から受け取ることになっていたらしい。そんな話は先生から全く聞いていない。守衛も正午に帰るらしく、ちゃんと先生と連絡を取り合ってくれと、正月早々、守衛に注意されてしまった。

世界物理年 [2005年01月01日(土)]
正月早々、朝5時くらい(?)に弱い地震があり、鏡餅の上にただ乗せただけのプラスチック製の橙(だいだい)が落下した。万有引力による目覚めで、今年は始まった。

ところで、今年は世界物理年である。20世紀の物理学(量子力学、相対性理論)の発展に大きく貢献した、アインシュタインの3つの論文: 光量子仮説(光が粒子の性質をも示す話)、ブラウン運動(その観察で分子の実在を証明した話)、特殊相対性理論(光速付近で時空が伸縮する話)、が1905年に発表されて今年でちょうど100年になることに由来する。物理学とあまり関わりのない一般の人々は、今年が世界物理年であることを果たして知っているのだろうか。

2004年(度)の日記