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シルクロードの旅です
==―シルクロード― ==

元気の旅・古希の旅 遥かなるシルクロード
平成16年10月17〜24日(日〜日)―西安・敦煌・トルファン・ウルムチ・上海 の旅
――
上田高校51期会の5度目海外の旅―一部工事中――

平成16年10月17日(日)〜24日(日)上田高等学校51期会
 上田高等学校51期会の通算5回目の外海旅行は古希を迎える私たちにとって記念すべき旅であった。旅行メモと写真を紹介しよう。(尚、現代中国語は略字が多くWordで変換できない文字がある)

 第1日目平成16年10月17日(日)成田から西安へ

写真左は出発日、小田急線が多摩川鉄橋を通過中、旅出を祝うかのように、ご来光がまぶしかった、当日午前5時39分向丘遊園発。
右写真、新宿から成田行特急成田Express3号0633発に乗車した。

 成田空港E70L搭乗口0945着 1030搭乗 668便 1050出発、時計を北京時間調整1350を現地時間1250にする。
1320北京着。1340西安行508便。1400パスポートチェック登机口へ。入国手続後1340西安行搭乗。
成田から出発した668便。

写真左は出発日快晴の元、成田から出発した668便からは、甲府市上空で富士山や手前の御坂山塊や向うの南アルプスが眺望された。

1440+1:40=1620西安着。外気温15℃とアナウンスあり。1640claim tagして車を待つ。
成田から出発した668便、1440+1:40=1620西安着。左は着陸態勢に入る。中は着陸後。右は同機から乗客が降りる姿。

北京から乗り継いで出発した中国西方航空機。左は離陸直後、右は西安空港に着いた。

1645バス乗車。西安空港h465m。康さん・石さん。50km空港大通右折。西安(長安)は2000年の歴史あり。周の時代から秦始皇帝、漢文400年続く。西に西安。東に洛陽。西安は中国の真ん中にあり、中国の臍と言われている。
 敦煌(遠い)―西安(長安・600年前から)―上海。人口750万人。西安から空港まで高速道路は最近のもの。謂水という河。黄河の支流である。昨日から靄(ガス)がかかっていてぼっーとしか遠望は出来ない。昨日までは天気良かったという。
 西安は霧・煙・埃―が三大名物である。年間雨量600mm。夏40℃、冬△8℃。今日は15℃〜10℃。
1705ゲートパス街路樹ベニスモモが植えられている。漢長安城ゲート通過。右に文景公園がある。
1730北城門へ向かう。鉄道が見える。汽車で来れば北京から3日60時間かかるという。
1735北門着。右回りで行く。1回り14km。城内に入る。朝9時から午後5時まで開門。
 いずれにせよ、埃、霧、煙がひどい。北大街路口から西五路交差を通過して金中楼南城門へ向かう。北から南に向かっている。真正面の小楼は修理したばかり。小楼を右から左折。西側は人多し。
1750右に宿泊の西安皇城賓館着。笋里け方7+部屋、9+008+日本、5+市内。#642泊。
1815集合鐘楼近くの徳発長ホテルで餃子夕食。h390m。〜2045。

西安は10年前第1回目に来たところだ。この鐘楼はきんきらきんに輝いた夜景だ。右写真は鐘楼近くでの徳発長ホテルで餃子夕食。

第2日目平成16年10月18日(月)
0530起床 0600朝食 0800PD 0830出発。天気曇り雨の確率60%風力1~2気温max19~20℃。

出発前、宿泊の西安皇城賓館を写す。中写真と右写真は西安皇城賓館の通り、独特の靄で霞んでいる。

 張ガイド(zhong)、本日の観光は碑林から西安碑林博物館。0845〜0925城壁はh18m~16m、周囲10km。
 碑林にて、文庁を見る65万字。顔氏家菟届碑。終南山産。玄秘塔碑。三蔵経教碑・・・。など。

右は碑林入口で記念撮影、筆者は左から3人目。右は文庁の入口。

0930シルク工場へ両安雇源調荘〜1000再出発近くに西北大学があるが靄っていて見えない。
また、西北工業大学(元防衛大学)が右手にある。プラタナスとイチョウ並木は紅葉が始まった。 車は北に向かっている。1025西城内へ。シルクロードの道へ繋がって西へ向かっている。標高370mぐらい。トロリーバスが走っているスズカケの道だ。左にシルクロードのキャラバン隊の彫刻塔がある。1040鉄道をわたる。
1050感陽阿房宮着。h365m。打像(像を作る)とある。阿房宮公園であり、天主閣から靄っているが池が展望される。

感陽阿房宮の全景。

左は感陽阿房宮の天主から靄っている池。中は天守閣で中国唐代の宮城舞踏を披露していた。右は阿房宮遺跡碑。

1140阿房宮遺跡を碑を見て再出発。

乾陵・永泰公主の墓を見学に向かう。
 感陽―山の南。全て河の北。謂水を渡り1200感陽市内に入る。謂水の水は枯れている。h375m。
 国道312号を行く。

国道312号ルートから。

1220発展交通トルゲート通過。312号1424km/1245・1559kmゲート35km/35分=80km/hで走っている。h505m。1250〜1320レストラン乾陵博物館館渉外饗庁で昼食。

柿・葡萄・林檎・鮮桃が売られている。

レストラン横の乾陵博物館を見学。

1325高速有料料金普通門票30元。h920m→h650m。
 

1340〜1350乾陵博物館見学。

国道312号ルートからこれから行く乾陵を遠望する。

乾陵(奥の小山)と参道。

唐永泰公主墓。左に白虎、右青竜。700年代。
 第一天井東使房〜第四天井東使房。則天武皇。1400乾陵文物精華。華表を見学後再出発。

乾陵の櫓と乾陵(奥の小山)前の筆者と参道。

乾陵の櫓の手前意の無字碑。

乾陵の櫓と乾陵(奥の小山)前の筆者と参道から乾陵(奥の小山)。右は、赤いバラが咲いておりほっとした。

1500感陽博物館に向かう。ここ、北京から1556km。ヨウ樹(rong shii)1527西安55kmとある。

国道312号の街路樹。右はピンクの花をつけていた。

 1530 1538km−1556km=18km/ベニスモモ。1544トルゲート1523km。
1600感陽市内。
1605〜1635感陽博物館見学。

感陽博物館で見学。

感陽博物館で見学その2。

h390m。1640再出発。
1700机場賓館饗庁夕食h475m。実際はh400mぐらい。1825再出発。
1835空港着。h490m。
2000西安=(MU7826)=2100蘭州(h1900m)2225=(MU7852)=2355敦煌(1120m。
Autude7800m//groud speed863km/h//temprature32℃//window0//
1220国際交通社の清 康氏ガイド、13km20分、今4℃、明日、晴1℃〜8℃。ここは敦煌の東に当たるゴビ砂漠である。玉門関100km。河倉城などある。
9〜12時。3.1万k屐ポプラ・柳・ニレが生えている。霧2cm。山稜は5900m。井戸水はアルカリ性。杏。干し杏。梨。林檎。メロン。桃。葡萄が特産。農業は小麦、麺類うどん焼きそば。綿畑。
市内は1100km×1400km。莫高窟が有名。今の日没18:45。
 敦煌の特徴は農業1、観光2、工業3である。
1235ホテル着。チェックイン1250。h1150m。

第3日目平成16年10月19日(火)
0700MC 0800BF 0900出発。

敦煌賓館前、出発前の朝。

国道312号と周辺のポプラ並木が目に付く。

0920ゴビ砂漠に入る。h1150m。ゴビ砂漠に建築用のゴミを捨てている。全部埋めるが見つかれば罰金である。国道215号であるが観光道路でもあり、チベットまで1700kmある。3日間かかる。左に40kmのササザが見える。
0924井上靖が敦煌の映画を撮影した基地が見える。約20年前、旅行社の大友氏もここで働いていたと言う。
0925国道から唐代のもの・・・墓・遺跡などが見える。標高がハッキリしないが1225mから1100mに修正した。
0930先に「涅槃が見られる山」と言われる山が見えた。4.2km。車は90km/hで走行している。

ゴビ砂漠の国道312号走行中「涅槃が見られる山」が前方に見えた。

0938左に敦煌ダムを見て右折。直進はチベット・イヨカンである。
0945ゥ押璽箸撚室屐⊆命浸1董A瓦の砂漠の真ん中だ。6年前に個人の金で出来たという有料道路を行く。

有料道路の料金所にて。左写真は田村夫妻。

この辺の 植物は、 ラクダソウ(棘がある)・行李のベニヤナギ・キュウキュウ(笈笈)というホウキグサ(ピンクの花を付ける)しかないが砂漠の宝石である。
(クリックすると拡大写真へ)

 午後には蜃気楼が見えるが帰りの午後はよく見えるという。砂漠に湖が見える蜃気楼だ。

ゴビ砂漠の 紅柳 を背景に漢代の狼煙台を見る。
(クリックすると拡大写真へ)

1030〜1125 漢長城見学

ゴビ砂漠の壮大な漢長城を見る。

筆者と北村氏。右は長城の構造をアップして見る。

1126〜1145玉門関見学。
ラクダ上で写真撮影。\5。玉門関博物館見学。トイレ\1。
カンゾウという苦い植物が見られる。

左は玉門関前の筆者。中はロバに乗りご機嫌。右はゴビ砂漠の礫。

帰途、ゴビ砂漠に展開する敦煌空港方面を展望。

 改めて砂漠の宝石は ラクダソウ・笈笈・紅柳 の3点であるであることが解った。帰って調べて見よう。
(クリックすると砂漠の宝石・植物が拡大写真で見られます)
1210蜃気楼が良く見える。これは、水の蒸発であり、写真を撮影しても映らないそうだ。
1223蜃気楼を写してみた。さて結果は楽しみである。h1055m当たりにて。
1227来た時のゲート通過。1228{道路Kポスト6}を通過。1233{道路Kポスト0}を通過。
敦煌←国道312号◎→西安で左折。
1313〜敦煌内で昼食〜1400ホテル着。1500再出発。

1515鳴砂山着。標高300mの山。歩いて駱駝に乗車(30元)し観光、月牙泉周遊。1710再出発。

鳴砂山観光。

鳴砂山観光2。

鳴砂山観光3。鳴砂山の山並みが美しい。

h950m。1725バス出発h955m。1830夕食。

第4日目平成16年10月20日(水)
0600MC 0700BF 0800PD 0900出発。

車窓から莫高窟が見えてきた。

枯れ河を渡ると、莫高窟の正面だ。

左、莫高窟参道での筆者。中は莫高窟入口の筆者。
右は21世紀旅行、坊野社長・日本語の上手な莫高窟ガイド・ 莫高窟の馬主任・21世紀、大友通訳兼添乗員の各先生たち。

バスより下車し1000カメラを有料で預けて莫高窟に入場。h1090m。
1000〜#328、1019〜#16~17、1032〜#46、1038〜#55、1045〜#249黄羊(コウヨウ)・虎・駱駝。 阿修羅の絵。目4つ、手も4つ、顔。〜1056。
1059〜#237反対枇杷を弾く像。踊りのシンボルと言われる。〜1105。1107〜#96、695年則天武皇。大仏はここから見られない。初唐1300年を経過。ミロ寺35.5km。何度の書き直されている。北大仏殿は9階建てである。シンボルの建物である。
 唐代地面−西夏地面−元代地面−清代地面−中華民国地面1999年
/ミクロ仏〜1112まで。
1113莫高窟の碑前通過。中国中央電子台が撮影中であった。
1116〜#130盛唐時代の大仏・ミクロ仏721~29年代。H25m価値は高い。指先は柔らか、人間の生身の肌のよう。童顔でやさしい。芸術性は世界一である。右の大仏は・・・。〜1121まで。
1122〜#148盛唐の涅槃像777年。1987年世界遺産となる。釈迦の80才の時の寝ている姿である。
生きているようでもあるし、死んでもいない状態の良い顔をしている。L=14.5m。釈迦は72人弟子がいた。

莫高窟の正面記念撮影。尚、中国中央電子台でロケをやっていた。

標高1100m。〜1132まで。1140外部へ1150カメラ受け取る。
1151坊野・大友・ガイド・先生の写真撮影。(敦煌石窟の珍品2800元。莫高窟栞1000円購入。内容や写真、後日一部紹介しよう。)
 

 1225右手に敦煌空港が見える。

右手に敦煌空港が見える。

莫高窟の正面記念撮影。尚、中国中央電子台でロケをやっていた。

 ここから東へ3300kmで上海へ、北へ600kmでモンゴルへ、西へ1000kmでウルムチへ行く。
 南東にキレン山脈、1300km先は四川省がある。
1235左折して国道313号110kmとある。1247敦煌国際大酒店着。昼食。〜1340まで。標高1200m。 ナツメほか購入。
 玉粋グラス工場見学。

玉粋グラスの製法の見学と製品を見る。

1425〜1530敦煌博物館、シルクロードと呼ばれるようになったのは、100年前からである。
 妙法蓮花経。古蔵文写経(ラマ経・チベット文字)。宋西夏花紋専。〜1530まで。

敦煌博物館を見学、内部は撮影禁止。

1530〜1600バザール見学。

敦煌バザールを見て買い物を楽しむ。

1610敦煌ホテルで休憩。1800〜2030夕食。標高1210m。

 CZ9206便2235+1:20=2355ウルムチ烏魯木斉着。
シルクロード本・絵葉書70元。

2030ホテル 出発2050 2230アナウンス 2240離陸=0033着陸。 

0040うるムチ空港着。標高630m。0100トランク受け取りバス乗車、グリガイドに王運転手。標高690m。

 0140ウルムチ海徳大酒店ホテル着。標高920m。向かいに日本人地下街経営の「タツノ」ビルがある。0300就床。標高990m。#1810室ここは1010mの標高。

第5日目平成16年10月21日(木)

ウルムチ海徳大酒店ホテル18階の部屋からウルムチ市内中心部を展望、この日は天気も良くビル群は朝日に輝いていた。

ウルムチ海徳大酒店ホテル前で。約200km西安寄りにのトルファンに向かう早朝、記念撮影。

起床0620 0700MC 0650〜0740BF 0810〜0910仮眠 0930PD 1000出発。

 気温最低2℃〜最高8℃の予想。ガイドのグリさん「古麗」と書く。ウイグル人。ウイグル語ではここに書けない右書きだ。ここの標高は920m〜680mだとグリさんが言う。後日、調べてみよう。日本語の「おはよう」はウイグル語で「アスラム・ワライマン」という。今日は+2℃〜8℃。ウイグルは200km先まで165万k屬△襦2000万人が住む。13民族が住む。地方に800万人が住む。グリさんもその1人。中国で一番西で、中国の西部と言われる。北にアルタイ山脈がある。金・水晶が産出する。南は崑崙山脈がある。

トルファン〜ウルムチの有料道路、右は料金所。

 北のアルタイ山脈の南はジュンガル盆地、38万k屐F遒琳態道殻の手前はタムリ盆地で53万k屐新疆の「疆」の字の右は山・盆地・山・盆地・山の意がある。高速道路は3年前に開通したが通行料金は20・30・40元の3種がある。
 1050タムリ油田を左手に見てバスは走行する。並行して鉄道がある。貨物列車が通過して行く。
殆ど原油を運んでいるのだと言う。今、鉄道の上、高架橋を通過した。

前方に山稜が見えてきた。右の写真は、年中強風だと言う砂漠に風力発電風車が群立している。22日の帰りここで写真撮影に休憩をすることとなった。

左天山山脈の雄大な万年雪を抱く山稜が素晴らしい。

右写真は、山肌は荒々しい砂漠の山稜だ。左は、その山稜と左手、河に挟まれた高速道路を行く。

1145〜1155高速公路脇の小草湖PAで休憩。標高675m。周辺には塩湖がある。又、岩塩の山もあるそうだ。それらを元に製塩工場があると言う。

高速公路脇の小草湖PAで休憩。周辺は右写真の通り砂漠だ。尚、高速道路に並行して旧国道と鉄道がある。列車の写真を狙ったがチャンスなし。

1212路側に4020kmの標柱がある。上海人民広場から4020kmの意味だ。国道312号である。  国道312号は新疆ゆりまで5000kmある。
1228標柱3996kmのところ標高280m、3995kmのところ標高280mを通過した。
1233トルファン料金所通過。トルファン(吐魯番)に入った。

トルファン市内にて。

トルファン市内2にて。
左は街路樹のニセアカシアは実が一杯なっていた。右は、楡の街路樹だがきちんと剪定されて美観が良い。

1245〜花園大飯店昼食〜1315。標高150m。 1340宿泊先近くのホテル着標高100m。グリさんの話では標高32mだと言う。
1350今日の宿泊地オアシスホテルに着。標高110m。#3002で休憩。
 1500再出発。これから見学に向かう。ここから57km50分で「高昌古城」に向かう。トルファンはウルムチより暖かい。最高47℃〜48℃にもなるという。ウルムチは38℃〜であるが、湿度が高いようだ。暑いので会社は真夏特別2週間も休みとなったことがある。
 トルファンの特徴として、―襪、乾燥もし、蒸発量も3000mm/年と高く又、風が強い。
 4月は砂嵐の季節である。地面に降る降水量は16〜22mm/年で全く降らないと同じだ。年を通して11月が暖かい。1〜2月は寒い。
1513葡萄拘収費通過した。左に火焔山の禿山を見る。ここで石英を採取している。
 この辺には油田が何箇所もあると言う。
1600~1640柏孜克里克千仏洞見学。古代ウイグル人の文化を伝えるベゼクリク千仏洞だ。

途中ウルムチ空港の見える砂漠を行く。砂漠の土砂の高盛はお墓だと言う。
お金があるかないかにより、大変違いがあると言う。

鳴砂山の裏当たりを通行中だ。

柏孜克里克千仏洞近づいてきた。

柏孜克里克千仏洞へのゲート通過。

漸く柏孜克里克千仏に着いた。右写真は 簡介とある看板。

柏孜克里克千仏洞は素晴らしいオアシスであった。

柏孜克里克千仏窟前からの広場からの風景と右は記念撮影した筆者。
左手の写真の窟前に展示の写真が見える。

#17・#20・(#26)・#27の大写真が外に掲示されていた。写真撮影。
柏孜克里克千仏窟前からの広場には、外国人に剥されて外国の博物館に展示されていると言う。
この写真は外国の博物館で撮影されたものの写真が露天にあった。
それぞれ#17・#20・#27窟には剥された痕が無残であった。

柏孜克里克千仏窟前からの広場から東を見ればエジブトのスフィンクス見たいな守り神があった。その前で記念撮影した筆者(左)。

柏孜克里克千仏窟前入口からの記念撮影の筆者。

柏孜克里克千仏窟から帰る帰途、下流の谷河の左岸の砂礫山の山肌は地層の堆積状況が良く見えた。何億年前の堆積であろうか?

1640〜1700まで。古墳群へ向かう。墓葬簡介など見学。
墓葬簡介の広場。最近整備されたようだ。

左写真は筆者。中は墓葬簡介の説明碑。砂漠の3大宝石・棘のあるラクダソウがこんなところにも咲いていた。

1710、5km先の高昌古城着。高昌古城は東西1600m×1500mでり、高さ11〜12の城壁で囲まれていた。内城・西城・宮城とある。3万人が住んでいた。玄装三蔵法師も40日滞在したところだ。

高昌古城の古い城壁は日干し煉瓦で出来ており風化で崩壊が激しい。

高昌古城の中心部で記念撮影。

高昌古城の中心部で周辺を見学。モスクの中に入って見ると、モスクの日干し煉瓦が一部修復されていた。
天井は青天井で快晴の下すがすがしっかった。

1733まで。 1743バス乗車。標高55m。46km50分かかる。

1820火焔山を撮影のため途中下車。標高95m。グリさん採取の赤い石英粒を佐藤さん経由、貰う。

真っ赤な火焔山。

真っ赤な火焔山と私たち。

1835オアシスホテルに戻る。(#3002室)
 ホテルの名は良いが水まわり、電気周りが悪い。ルーム灯火など直して貰った。
 今夜の夕食は、郷土料理の「羊の丸焼き」という。オプションで100元である。

凄い郷土料理の「羊の丸焼き」

郷土料理「羊の丸焼き」とウルムチ料理。

1930夕食2200就床。

第6日目平成16年10月22日(金)
0630起床MC 0830BF 0830PD 0930出発。
 時計は標高130mを示しているが35mに調整した。今日は2km先のイスラムモスクや2000年前のカレーズ地下水施設や干し葡萄の産地、そしてバザールを見学する。
 イスラムモスクについて、トルファンのソコウトウ・スーライワン・イーミン王83才で死亡。彼は地域の安全のために力を出した。モスクは高さ37m、直径10m。15種の模様で飾られている。又、細長い煉瓦作りが特徴だ。
0935着〜1005まで見学。そのモスクの見学から今日は始まった。

イスラムモスクのある風景。

プラタナスとロバ車の風景。

葡萄畑のある風景。

次は交河古城へ行く。16kmで20分かかる。
 「ワハハ」というミネラルウオータを貰う。
1010トルファンの中心部バザールがある町である。1020回民族の白い丸い帽子が特徴的だ。モスクは300はあると言う。ヤルホーン(干し葡萄が有名) 交河古城はBC2〜BC14のものである。高さは30mはある。
1025交河古城着。〜1115まで見学。標高25m。

交河古城入り口あたり、ここは2本の河が合流しているオアシスだ。

交河古城の展望台より望む。

交河古城入り口あたり、ここは2本の河が合流しているオアシスだ。

交河古城の展望台よりガイドのグリさんと。

交河古城にもラクダソウがある。

交河古城の砂礫層の断面とそこから採取される綺麗な石ころ。右は交河の合流点。

1145〜1200カレーズ見学。長さ3km。長いのは10kmはある。これは苦しい労働の足跡である。天山山脈の雪解けの水である。天然のミネラルウオーターと言われる。 (この辺の街路樹はポプラ・桑・ニレ・柳。)

カレーズの上はブドウ畑、そこには井戸掘りの道具など集めた公園となっている。

カレーズの中に入ってみた。綺麗な清流がとうとうと流れていた。
左写真はカレーズの中から昔の垂直通路を仰ぐ。右は標高79mとあるカレーズ。

1200〜ぶどう園着。

葡萄作りの農家で名産の干し葡萄の赤・黄・白を購入した。
葡萄作りの昔の井戸と葡萄農家のお嫁さんと息子は可愛らしい。

1230〜再出発〜1253ウルムチ177kmとある。葡萄赤白黄の3種購入3kg\1000円。
1253バザール着。お茶、トルファンパンを売る人(アブラマン)。1330〜1400自由食事。

羊追いとバザールの様子。

1405再出発。 1600風力発電所 で車から下車して撮影。

快晴のもと、天山山脈が良く見えた。

風力発電の風車の前で。右は「ゴミを捨ててはいけません」の看板。

風力発電の風車のPAで高速公路を見る。
烏魯木斉とある道路標識があるここからウルムチだ。

 

しばらくして山手を見るとセメント工場が見えた。

 ウルムチ河を渡り2時間30分でウルムチに戻って来た。左に紅山(赤い山の意)を見る。妖魔山(化け物の山)ともいう。天地峰。あとに牧場が出来た。ウルムチ河がある200年の歴史がある紅山だ。1645〜1705紅山見学と散策。頂上からの展望は大変良い。

 

漸くウルムチ市に戻って来た。写真は紅山公園がある「紅山」が見えて来た。

「紅山公園」からウルムチ市街を眺める。

写真左は筆者とガイドのグリさん。中は紅山公園の碑。右写真は先ほど通過した国道を展望する。

紅山頂上付近の景観。

紅山頂上付近の地質・岩石を見る。堆積岩で層状節理が良く解る。

1720海徳ホテル着。1900ロビー集合。夕食会場へ。体調悪く欠席。標高930m。36-1017グループ。#1803室泊。

第7日目平成16年10月23日(土)

ウルムチ海徳大酒店18階の部屋から街角を見れば、太極拳で楽しむ市民が見えた。 右写真は道路を挟み南側のビルは朝日に輝いていた。

0630起床 0700MC 0830BF 0830PD 0930出発。

 中澤氏セイローガン有難う。北村氏セイローガン有難う。佐藤さん百草薬有難う。

 今日は少し暖かい。グリさんの話。子は都市部2人まで、他は3人まで。罰金は都市部1万元。農村部は3000〜1000元。「挨拶は子供は何人ですか」しかし、子供が多いのは「幸せ」と皆、思っている。結婚年齢女18才男20才。グリさんは16人兄弟10人健在。女5男5。3女。父は農林省の幹部。グリさんはこのガイドの仕事をしたく北京語・日本語を勉強した努力家だ。
0955〜1025友誼商店(百石縁)で各自買い物。仏像や絨毯の素晴らしいものが展示されていた。

左は友誼商店前にて。右は商品の仏様、手前の箱入りは日本円で100万円位。

左は壁画模様の絨毯を見る。右は絨毯を織る女性。1日に1cm位しか織り進まないと言う。
これも百数十万と言っていた。ペルシャものとして輸出されていると言う。

1050〜1130ウルムチ新疆博物館見学。

左は新疆博物館の碑文字。中は玉石の展示物。右は、その玉石の解説板をアップしてみた。

左は新疆博物館の見学記念、中澤夫妻と中澤兄弟そして田村夫妻の各氏。
中は新疆博物館の周辺にはポプラ並木があり、右手に新新疆博物館が建設中であった。
右はポプラの前に混じって植栽されていたが、何の木だろう?。

 学芸員解説より。ウルムチは116万k崙本の4.4倍の新疆自治区である。アルタイ・天山・崑崙山脈に囲まれている。ローラン遺跡が有名である。尼雅(ミヤ)遺跡、(サンスクリット)、柏孜克里克千仏洞の3つが有名である。
 ウルムチとはモンゴル語で美しい牧場の意がある。100年前、英国のスタインが尼雅(ミヤ)遺跡を探検した。ローランミーラは美人である。長安(西安)から漢時代はローマ帝国に通じていた。茶・シルク・玉石・・・貿易の目的でシルクロードは役立った。オアシスコース(北)と南コースがある。ローラン美人は1980年〜1992年発掘された。ちなみにエジブトは人工的ミイラである。ローラン美人は4000年前40才前後で亡くなった。スカートは皮製品、靴は鹿皮である。
 3800年前の子ミイラもある。難産の母子ミイラもある。赤ちゃんミイラの哺乳器には小麦のミルクが入っていて3000年前のものだ。ポプラ製のハーブがある。且末女戸は3000年前のもの。且末男戸は身長190cmもあり、前者とは夫婦である。イスラム教のミイラ夫婦だ。男32才・女80才。夫が若死にの後、婦は人生を全うして夫の墓に葬られたという。
 ここの兵馬俑は小さいが金持ちが作ったものだと言う。当時、女性は紙の長いスカートをはいていた。  張雄将軍古戸/公元583-663年高昌王朝時期任左衛大将とある。  鉛で作った昔のサングラスがある。昔の月餅もある。新香襄。ジュータン(昔の地図)もある。骨董品180万円で売っている。
1130再出発。1155バザールと昼食1240まで。標高910m。ハミ(合蜜)産の紅壁玉を購入。30元。

市内移動中、高架下の交差点で、市内景観を撮影。

市内のバザールを見学。

バザールを見学。左写真は珪化木やミルの石英質の石を売っている。
中写真は露天で独特のパンを焼いて売っている。右は車道脇で林檎などを売っている荷車風景。

 雅山隧道を通過して西山公園を行く。 標高915m。  「ハイルフォン」さようなら(ウイグル語)。
1315ウルムチ空港(烏魯木斉空港着)

漸くウルムチ空港に着いた。

1355搭乗・標高660m。=1405離陸=1428山岳上空を飛行中写真撮影。

写真左、ウルムチ空港から搭乗した中国南方航空MU5902便。

写真左、ウルムチ空港から搭乗した中国南方航空MU5902便、上海虹橋空港へ。写真は離陸直前。右写真は離陸後直後。

写真左、離陸したところ。中写真は高速道路のインターチェンジが見える。右写真は離陸後直後右側下に砂漠の中の整然とした町並みが見えた。

写真左、砂漠の上空を飛行中、砂漠の中に雪を被った山脈が見えた。中写真は崑崙山脈かキレン山脈が見える。右写真は砂漠に展開する高速道路。

1430南東へ1413南東へ120°飛行中。1530昼食。1600雲の上となる。

(参考:井出氏が藤堂明野保著、西域紀行、日本経済新聞社を読んでいた。20数年前の本とのことだが現代シルクロードの旅にも適応するとのことだ。筆者はシルクロードの歴史と旅。700元で購入した。)

1720南東へ140°で飛行中。1740夕焼け写す。1750日没。1820着陸。1900上海西橋空港着。

写真左、雪を被った山脈が美しい。中写真は雪を被った山脈上空に差し掛かった。
右写真は山脈からの扇状地が良く見える。ここは地理の勉強にもなりそうだ。

写真左、山脈の陰影が美しい。写真右、氷河起源のカールもどきも見えた。

写真説明は上記に同じ。

写真左は機内の様子。中写真は現地時間夕刻6時45分の夕焼けは又格別美しい。右写真、漸く午後8時過、上海虹橋空港に着陸した。

 上海のガイド、楊剣氏。運転登安氏。明日1220上海国際空港MU5201搭乗予定。
 楊剣氏の案内解説。ここ西橋は15万元/屐3LDKで1201800万元。登小平の生誕100年に当たる。上海は彼のお陰て発展した。今、中国で「一年小変動・三年大変動」と言われている。上海の夜は素晴らしい景観が、今、楽しめる。ライトアップが素晴らしい。

久しぶりに上海の夜景を見た。

々發360mのテレビタワー長江沿いのバンド地区新しい模様と古い模様の夜景が見られる。ナイトクルーズも良い。8羆颪猟躅爐領匹ぁ
◎右手にグランドハイアットホテルが見える。高さ420m88階は素晴らしい。 ◎人民広場◎上海タスキ。◎コピー商品も。◎最近渋滞が激しい。◎上海人口1700万人内500万人は外来人。
1935~夕食・図安にて~2035まで。2056上海機場賓館WesternHotel泊。2300就床。  この時Newsで、新潟地震を知った。びっくり!。

第8日目平成16年10月24日(日)
0630起床 0700MC 自由時間0630からBF 0900PD 0915出発。
(錦江商旅という旅行社バス)。
600.8ガル〜1500ガルと報じていた。直下型で30km×15kmで垂直に1.2m落ちた。 気象庁地震津波監視課山本博課長、NHK中村淳社会部が報道していた。

上海国際エアポートに行く途中、新ビル群や空港近くでは高層住宅建設の現場が目についた。

0950リニアモーターカーの高架橋を写真撮影。走行中のリニアモーターカーを見たがあっと言う間に走行して行った。写真は取れなかった。時速420km/hでアジア一だと言う。

上海国際エアポートへの高速道路と並行してリニアモーターカーが通じている。写真はその高架軌道。

 上海国際空港にて。

左写真は成田に向かう中国東方航空のMU521便と右写真No.27登机口。

1055 Please get your passport,deperture,card and wait behind the yellow line Passport Holders通過。
1130 浦東机場歓迎称通過し1220 #27A gate#27
1240離陸、上海成田間1975km2:20で飛行予定+2:20+時差1:00=1600着陸予定。
 ヨーロッパ製エアバスA300-600型機−中国東方航空ChainaEastern承伝人MU521。
1435びったり東に向かっている。1525トイレ 1605成田空港の予想。左手に富士山が雲上に見える。成田気温16℃と報じた。1610成田着陸。1610リムジンバス乗車。

写真は成田に向かう途中、大島上空あたりで冨士山が雲の上に半分見えた。

1630Baggage claim手荷物受け取り場 5B MU521。Baggageトランクを宅急便依頼。1717空港第2ターミナル−NaritaExspress34号・1841新宿着\3110。

1717発を示す空港第2ターミナル−の電光板。

新宿発1850―1910向丘遊園駅−家着1920。
 
この項 了。




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