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旅です
==―旅― ==


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市バスナビ小田急高速バス(新宿‐箱根)― ―jafnavi― ―首都高
おしぬまバス停時刻表長和町facebook― ―Yahoo!地図― ―参考:無言館(上田市)

―小さい旅2017―
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―小さい旅2016―
d1611_25_27 佐久へ d1611_24_26 静岡から上田へ d1611_01_02 松尾倶楽部上田・坂城へ d1608_29_31 上田へ == 160611 房総へ== 160611 春の花物語 == 160207 三島大吊橋へ ==
―小さい旅―
151117〜18 小諸・上田へ == 150805〜07 志賀高原へ == ueda1506013~15 上田へ == nagano150517~18 長野へ == 141113_14 松尾倶楽部、三島・沼津へ == d14/d141030~1 伊東へ == d141011_12 直江津へ == d14/d140825_6 白樺湖へ == 山陰140701_03 天橋立と竹田城跡 == 佐久d140419 八千穂へ == 研究、 眞田三代歴史ロマン紀行 == 131115 松尾倶楽部・栃木へ― == d131017_18 望会・館山へ― == 131017_18 上田松尾高校同期会・上山田戸倉へ― == 20130901~3 東北へ― == 20130814〜16 佐久・霧ヶ峰・上田へ― == 20130523 本栖湖へ― == 20130430~0501 佐久へ― == 20130415 上田へ― == 20130331 水戸へ― == 20130104_07 クラシックな旅へ― == 20121106_08 再び道志から山伏峠へ― == 20121106_08 石見・山陰へ― == 20121003_04 望み会・水上へ― == 20120728_9 上田鹿教湯温泉へ― == 20120629_0701 福島へ― == 20120511_13 能登へ― == 20120430 小田原へ― == 20120604_5 上田へ― == 20120409 吉野山へ― == 20120406_7 上田へ― == 20111107 道志から山中湖へ― == 20111013~04 ―群馬へ― == 20111008~09 ―上越へ― == 2011002~03 ―城ヶ島へ― == 20110804~06 ―夏の白馬へ― == 20110513~15 ―富山・黒部渓谷・立山雪の大谷、称名滝へ― == 20110406 ―京都・宇治・八幡― == 20110128-30 ―奈良・大阪・京都へ― == 20101210 ―信州・上田へ― == 20101103~04 ―再び裏磐梯へ― == 20101004~05 ―信州・戸倉上山田温泉へ― == 20100917~18 ―信州・田沢温泉へ― == 20100720 ―アクアライントンネル見学へ― == 20100613~14 ―土浦から霞ヶ浦へ― == 20100610~11 ―上田鹿教湯から安曇野へ― == 20100604~06 ―阿武隈高原から磐梯高原へ― == 20100509 ―琵琶湖周遊へ― == 20100509 ―上田へ― == 20100322~3 ―長野から川崎へ― == ―信州・長野へ― == ―大島へ― == 2009_11_13~15九州への旅 == 2009_10_19~20 箱根から山中湖、道志へ == 2009_9_25~27群馬・長野へ == 2009_7_25奥多摩へ。 == 2009_7_18武蔵丘陵から川越への旅。 == 2009_6_19~21みちのくへの旅。 == 20100322~3 2009_6_1~2箱根への旅。 == 2009_5_9箱根を歩く。 == 2009_3_5近郊の武相荘など。 == 2009_2_27Mystery Tour。 == 2009_2_7~8南房総へ。 == 2009_1_15南房総ドライブ旅。 == 2009_1_8東高根から武蔵野陵墓から陣馬山へドライブ旅。 == 2008_12_18~20伊勢・南紀の旅。 == 2008_11_03~04信州・川辺小中同級会の旅。 == 2008_10_26~27望会・伊豆の旅。 == 2008_10_03仙石原のススキ。 == 2008_8_23浅間山麓へ。 == 2008_8_11~14上高地へ。 == 2008_7_20~22佐渡島へ。 == 2008_7_13大観山へドライブ。 == 2008_7_13県立相模原公園グリーンハウスの稲垣写真展へドライブ。 == 2008_6_07〜8信州・佐久への旅。 == 2008_2_01〜3京都・大阪・岐阜への旅。 == 2007_12_01伊豆への旅。 == 2007_12_01 三島溶岩を見るドライブ旅。 == 2007_10_29〜31 信州上田へ、望会の旅。途中、湯ノ丸山、帰途、西湖に立ち寄った。 == 2007_9_4〜6 出羽三山と米沢上杉神社への旅。 == 2007_7_14〜6信州・長和町長門牧場〜白樺湖〜尖石遺跡〜井戸尻遺跡などへ。 == 2007_5_25〜7信州・上田へ。 ==
2006_12_2信州・立科へ。 ==


―小さい旅―2006_11_3〜4諏訪峡・天神平〜八海山・苗場へ
2006_11_3諏訪峡・天神平へ。 == 2006_11_4八海山・苗場〜田代へ。 ==


日高市巾着田へのドライブ旅―
平成18年9月20日(水)日高市巾着田へヒガンバナ/マンジュシャゲを見に行った。


白樺湖から長門牧場へのドライブ旅―
平成18年9月6〜7日(土〜日)恒例・年一の望会、今回は筆者が幹事、信州・白樺湖で実施した。6日の前日は時間調整のため、約40年振りに、尖石縄文考古館を見学した。


北茨城の旅―六浦海岸へのドライブ旅―
平成18年6月6〜7日(火〜水)恒例・年一の兄弟会に参加した。途中、北茨城の花園渓谷、六浦泊、帰途、白亜紀層を見た。


北茨城の旅―六浦海岸へのドライブ旅―
平成18年6月6〜7日(火〜水)恒例・年一の兄弟会に参加した。途中、北茨城の花園渓谷、六浦泊、帰途、白亜紀層を見た。


信州への旅―上田から上高地へ―
平成18年4月29日(土)上田にて高校同級会に参加して翌日上高地パークボランティアの活動に5月2日まで参加した。
一部工事中


ミステリツア―さてどこへ行くのか―
平成18年4月8日(土)―ミステリーツア― 一部工事中


春爛漫の熱海から箱根駒ヶ岳へ―ドライブ旅―
平成18年3月31日(金)〜4月1日(土)―熱海から箱根駒ヶ岳― 一部工事中


早春の三宅島―2000年の噴火の跡を見る―。
 三宅島は2000年に水蒸気爆発や、弱い火砕流が発生し、全島民が避難したことは、記憶に新しいが、その災害から約5年経った昨年5月から、やっと観光が許可された。有毒な火山ガスの放出は現在も続くが、ガスマスクを携帯しての巡検となった。
平成18年3月17日(金)〜19(月)―三宅島巡検― 一部工事中


平成18年3月12日(日)―両神村のセtブンソウとアズマイチゲを見るドライブ旅!


平成18年2月11〜13日(土〜月)ツア旅、―九州島巡り五島福江・平戸・生月・九十九島―。
 平成18年2月11~13日(月)冬緩むこの日、九州島巡り五島福江・平戸・生月・九十九島の旅に出かけた。
九州島巡り五島福江・平戸・生月・九十九島の旅クリックしてね


平成18年1月9日(月・成人の日)小さい旅、―伊豆白浜のアロエと爪木崎のスイエン―。
 平成18年1月9日(月)冬緩むこの日、伊豆の白浜海岸のアロエと爪木崎のスイセンの花々の鑑賞に出かけた。
伊豆白浜のアロエと爪木崎のスイセンを花々を見る旅クリックしてね


平成17年12月20日(火)ドライブ旅、―箱根から富士山を見る―。
 平成17年12月20日(火)冬至前日の冬晴れの日、箱根から富士山を仰ぐ。
箱根から富士山を見るドライブ旅クリックしてね


平成17年12月6〜7日(火〜水)地域の活動、元気会―西伊豆土肥への旅―。
 平成17年12月6〜7日(火〜水)平高山元気会、年一恒例の旅。
元気会土肥への旅クリックしてね


平成17年11月13日〜14日―信州路・甲斐路のドライブの旅!
秋晴れの2005_11_13~14丸子町・立科町に用事があり、甲斐路から尾白川渓谷へ、そして信州丸子へドライブをした。


平成17年9月26日〜27日―日光街道からあかがね街道のドライブの旅!
―望会例会参加のため日光街道からあかがね街道足尾経由草木ダム湖畔へドライブの旅!―


平成17年8月31日〜9月1日―信州上田から長野松代のドライブの旅!
―信州長門町〜上田市へ墓参と長野市松代の史跡見学のドライブの旅!―


平成17年7月3〜6日―愛・万博から知多半島・渥美半島・伊豆半島周りのドライブの旅!

平成17年7月3〜7日(日〜水)梅雨の真っ盛りであるが、恒例の年1のドライブ旅!
愛・万博を見学後、知多半島・渥美半島・伊豆半島をフェリーでの移動! ―マイカードライブの旅!!―


平成17年6月16日―両神村ハナショウブ園へドライブの旅!

平成17年6月21日(火)梅雨の晴れ間を狙って秩父みち、雁坂みち、道志みちをドライブ!
両神村の四阿屋山麓のハナショウブ園へ! ―小さい旅―


平成17年6月13日―箱根湿性花園から大雄山最乗寺へドライブの旅!


平成17年6月6〜8日―長野・菱野温泉から湯の丸高原・池の平の旅!

平成17年6月8〜10日(月〜火) 長野・菱野温泉から湯の丸高原・池の平へ! ―旅―


平成17年5月8〜10日―隠岐ノ島四島の旅!
平成17年5月8〜10日(日〜火) 隠岐ノ島・四島の旅! ―旅―


平成17年4月24〜5日―鎌倉周辺を歩く
平成17年4月24〜5日(日〜月) 新緑と花の鎌倉を歩く ―小さな旅―


平成17年4月19日―埼玉県・秩父羊山公園を歩く
平成17年4月19日(火) 秩父の羊山公園の芝桜を鑑賞 ―小さな旅・ドライブ―


平成16年11月30日(月)―千葉県・養老渓谷を歩く
平成16年11月29日(月)小さな旅・養老渓谷を歩く。
 養老渓谷は養老川が上総層群を刻んだ渓谷だ。初夏は若葉、晩秋は紅葉で千葉県の仙境として有名である。 小春日和、その周辺を散策し、最盛期の紅葉鑑賞と、地層観察をした。
 ここの地層は上総層群・下部のタービダイト(深海の乱泥流堆積物)、深海相の下部の黄和田層中部などを見た。 

栗又の滝を正面から見る。

栗又の滝を上部の激流を右岸から見る。

栗又の滝壷を上部右岸から見る。

養老渓谷の紅葉は最盛期。養老川の左岸遊歩道から上流と下流を見る。

養老渓谷の紅葉は最盛期。養老川の左岸遊歩道から右岸の紅葉を左岸遊歩道から見る。

養老渓谷小沢又の滝(「幻の滝」の異名を持つ)を展望台から覗きこむ。

 養老渓谷、栗又の滝などの地層を観察してみよう。(以下、文はコロナ社地学ガイド新千葉県参照した)
 この付近の地層は、主に泥岩からなり、上総層群下部の黄和田層中部にあたるという。粟又の滝つぼの西側と東側の崖の厚さ約30cmの白色細粒凝灰岩はKd18火砕鍵層であるという。  この場所にどうして滝ができたか。滝斜面の傾斜方向と地層の方向は、ほぼ同じだ。滝斜面より上部の地層は侵食に弱い砂岩をかなり含んでいる。滝つぼの下流には、巾1.5mの破砕帯を持つ断層がある。この地質的条件が滝の形成に寄与しているようだ。  滝斜面の岩盤を観察すると、砂が混入して複雑な模様を描く泥岩の中に砂岩が脈状ないしブロック状に入っている。  滝の上から粟又橋までの河床には泥岩の偽礫(ぎれき)を含む砂岩層が数層ある。砂岩は一般に粗粒で貝殻の細かい破片を含む。浅海の未固結堆積物が海底地すべりを起こし、深海底に再堆積したものだという。(尚、突然の地層観察となったので、いずれの日か再度訪れて再確認したい)

養老渓谷・養老川右岸の崖の地層上部の状況。

養老渓谷・養老川右岸の崖の地層下部の状況。一部崖は崩落し養老川に落ち込んでいた。

粟又の滝の正面からの拡大写真でみる。

写真左は粟又の滝の右岸上部激流の岩肌。写真右は滝つぼ左岸にある白色砂岩の岩肌。

養老川左岸で岩肌を見る。泥岩の偽礫(ぎれき)を含む砂岩層。写真下部半分が偽礫だ。

 この項 了。


平成16年11月7〜8日(日〜月)―信州・上田――
所用があり上田へ行く途中、吾妻渓谷に立ち寄った―一部工事中――

 第1日目平成16年11月7日(日)
秋晴れの小秋日和だ。渓谷の紅葉を楽しんだ。 散策時間9時30分〜12時30分。約往復4km。6000歩。

写真左は吾妻川の滝見橋から国道145号八ツ場橋方面を見る。右写真は紅葉台より10年後に完成するだろう八ツ場ダムサイトの上流側を見る。

写真左は吾妻川の鹿飛橋下流側に見る。中写真は鹿飛橋から上流を見る、ここは凄く狭い峡谷だ。写真右は同じく鹿飛橋より下流側を覗く。

写真は吾妻川左岸の国道145号の遊歩道から紅葉を眺める。

八ツ場ダムサイトに下りてみた。ここは凄い激流だ。

先ず、吾妻川上流を眺望しよう。先に滝見橋の遊歩道橋と、左岸の白い糸は白糸の滝だ。

ダムサイトに堤体高131mの重力式コンクリートダムが出来る。

八ツ場ダムサイトに下りてみた。ここは凄い激流だ。
先ず、上の写真はダムサイトから先ほど登った下流100m位にある絶壁上の見晴台を仰ぐ。
左写真は目の前の吾妻川の激流の向うの左岸の様子を見る。右写真も同じ。

ここ、吾妻渓谷は、今から約700万〜500万年前の陸上に流れ出た溶岩や噴出物から構成される八ツ場層とこれを貫く岩脈から構成される。

 一巡して川原湯温泉駅前から右岸を下り、鹿飛橋折り返し左岸、そしてダムサイトから滝見橋に戻った。

改めて、紅葉と白糸の滝を眺めた。素晴らしい景観だ。

午後1時30分頃、浅間白根火山ルートを通過した。その時、浅間山2568mの山頂から逆光の中に噴煙がもうもうと上がりのが見えた。

 午後1時30分頃、浅間白根火山ルートを通過した。その時、浅間山2568mの山頂から逆光の中に噴煙がもうもうと上がるのが見えた。右はアップ写真。

 途中午後2時頃、周辺の山々のカラマツが黄葉も秋の陽に輝いていた。

1600〜1730久しぶりに上田城跡公園周辺を散策した。この時期紅葉が素晴らしかった。

 夕闇の迫る上田城跡入口大手町1・2丁目当たりと砦櫓の2砦。

 上田城跡周辺の紅葉を見る。左写真はシダレグワ、中写真はモミジ、右写真はイチョウとケヤキ。
尚、今日見た紅葉は、天候不順のせいか、無残に葉が縮んで色が良くないのが多かったが、ここの赤いモミジは見事であった。

第2日目平成16年11月8日(月)
 翌日平成16年11月8日川崎の自宅に帰ったが、途中、午後2時頃、千曲ビュウーライン東御市で噴煙噴出中の浅間山を撮影し、
又、2時45分頃、国道18号手前、三ツ谷付近から噴煙の浅間山を撮影した。しかし、軽井沢から以東はガスってもう見えなくなった。
 翌日平成16年11月8日川崎の自宅に帰ったが、途中、午後2時頃、千曲ビュウーライン東御市から見た浅間山と、
2時45分頃、国道18号手前、三ツ谷付近から撮影した。尚、軽井沢から以東はガスってもう見えなくなった。

この項 了


平成16年8月10〜11日(月〜火)―信州真田町菅平 にて――
上高地パークボランティアの帰途菅平に立ち寄った―一部工事中――

 平成16年8月11日(火)信州真田町菅平牧場にて

写真左は菅平牧場にて根子岳方面を見る。右写真は〃牧場から四阿山方面を望む―拡大写真へ―

写真左・左中はハクサンフーロ。中右はノハラアザミ。右はウツボグサの裂き始め。

写真左からシロバナツリガネニンジン、コオニユリ、ヤマハハコ、マルバダケブキ。

 平成16年8月11日(火)軽井沢バイパス通過中、妙義山が快晴のもと、良く見えたので、国道駐車場で休憩して、妙義山を撮影した。
写真左は妙義山の手前に高速長野自動車道の高架アーチ橋が見える。右写真は妙義山の峻険な峰を東に望む。

 参考:平成16年8月6~11日(金〜火)はマイカーでの旅であり、後日の参考のため記しておく。
 平成16年8月6日(金)上高地に向かう
 出発0730=矢野口0810=渋滞(15)=0810新大栗橋(鎌倉街道)=0835国立府中IC= 0930釈迦堂h430m/100km=1040みどり湖h800m/199km=1100松本ICh570m/217km=1115JRガード潜り中央二丁目左折/228km=1120信州大学理学部着h600m=1140再出発=1150美須々市営駐車場下見/223.2km\200(県立美須々高校正門右)=
 =再出発1150=(1235到着予定=21km+223km=244km安曇村役場まで) =1153美須々左折223.4km=上田52kmとある=アルプス公園通過=こまくさ街道通過=1200大手一丁目226.3km=1200C羆一丁目=〃右折226.7km=1205・158号へ右折・上高地50kmとある=1210高速入口229.5km=1215新村232.8km/上高地44km高山88kmとある=1231安曇村役場245km/h635m=1303沢渡村営駐車場着h960m/263.2km//
 平成16年8月10日(火)上田駅へ
 上高地1207リムジンバス=沢渡1247/=1250(上田駅1520到着予定79km)=1334新村293.5km=1338松本IC/297km=1346渚一丁目299km=1355中央一丁目左折300km=1407六助池右折・矢作右折・三才山トンネル254方面306km=1430セブンイレブン昼食/325km=1450再出発=1500平井寺トンネル左折332km=1503料金所333.7km=1530神畑JOMOガソリン24L=1550上田駅北口着h540m346km// (346km−263km=83km・1550−1250=300―休み20=2:40)
 1600再出発=1607中央北=1611新田左折(前に愛昇殿)=1616住吉351km=18号から144号へ左折=1618住吉北357.1km=下原左折=1627曲尾左折357km=1638七福の湯着367km・h1000m// =再出発=荒井378km=1755菅平コスモス村着396km//M氏別荘泊=謝々。Mさん有難う!!。
 平成16年8月11日(水)ダボス牧場へ
 出発0946=ダボス牧場着h1600m―散策―1222再出発=1145菅平口414km=1153佐助蕎麦423km粥1246443km(小諸懐古園)// =1340ヌ義山撮影h640m477km=1350ヌ義山撮影h530m480km=1418安中市安中498km旧中山道交差点で高速に切り替え=高別当=1443・27号線へ510km=住吉町=高崎警察署=1446末広町511km=1455高崎IC516kmh185m// (516km−443km=73km・1455−1246=209−=2:00) =1530高坂S571km=1615練馬料金所603km// =1630谷原右折608km=1705トンネル抜ける612km=1706今川一丁目612.1km=1730まで渋滞(工事中)=1714三本杉622km=1810家着630.5km。
 
この項 了。


平成16年7月23〜24日(土〜日)―天竜川最下流域と遠州 海岸を見る――
テーマ旅行・伊那谷自然友の会の行事―一部工事中――

 平成16年7月24日〜25日(土〜日)テーマ旅行「天竜川最下流域と遠州海岸を見る」
 先ず、旅行概要は、松島信幸氏(美博客員研究員)美博事務局:村松 武氏で、
 24日は6時美博第3駐車場を出発、佐久間ダム経由、天竜市より見学開始、715年遠江地震あと、古天竜川、天竜川浜松側の河口、五島海岸、中田島砂丘などを見学、サンビーチ浜松泊、浜松方面の有志と意見交換会。
 25日は佐鳴湖、浜松沿いの海岸、浜名湖の今切口、新居浜町から渥美半島の海岸を回って帰る。
以下は筆者がメモを纏めたもの、聞き違いや誤解があったらお許し下さい。何かご指示やご指摘があれば、E-mail:hiroe-horiuchi@nifty.comにメール下さい。
 第1日目平成16年7月24日(土)
 0610美博第3駐・出発=0615東中央通=今日も35℃になるという=83号喬木村=0623再出発=0624東鼎左折=0625永代橋右折=松尾=0626弁天橋(天竜川)=今日は霧に包まれて暑くなるだろう。これは夏と冬の朝霧である。鮎釣り今年は釣れているか。鮎にも今年は異変があるようだ。この辺に鮎釣り専門旅館がある。=0626上村室内方面とある・これから伊那山脈を登って行く・天竜川通過は狭く時間がかかるからである。=中央構造線/赤石構造線沿いに入るのが良い。=0632喬木村冨田で上村方面へ右折=喬木村は飯田市に合併の話があるが喬木村は独立心が旺盛で合併はしないようだ。氏乗で351号に合す。上村・南信濃村へは矢筈トンネルで繋がった。ここは信州でも南端。大鹿村と松川町との合併は住民投票する。多分合併するだろう。=0936小川川の谷が右に出た。=1645この辺集落は点々であるが喬木村の一番奥である。右に上水道水源地が見える。この辺は大部分谷川の水である。今、浜松市民は天竜川の水を飲水に使っているが、高度浄水を心なければならない。今夜、浜松市の30余人と意見交換する。=右に矢筈ダムを見る。=0631喬木IC通過し、伊那山脈の三遠南信自動車道・矢筈トンネル5kmを通過している。=三は三河、遠は遠州、南信は南信州だ。トンネル内路面が濡れている。谷の両側で温度差があり、中央構造線側に吹く風が冷やされて凝結したものだという。
 =0655程野に出て秋葉街道152号に合す。ここは昔、角村と言われた上村である。左に白い杭が見える。これはハンノノキであるが、鹿などに食われてしまうので白いプラスチックの筒で覆ったものである。ここの谷は中央構造線の谷である。佐久間に向かって一直線である。
 =0720梨本橋の停車場に着いた。南信濃村木沢というところである。


写真は埋没木である。左は埋没木の全体写真。右は根元から見たもの。

 ここで「遠山川の埋没林」を見学した。
南信濃村教育委員会の立看板によれば、下記の通り記されている。
 {この地域は、古来から遠山谷とか遠山郷と呼ばれてきた。地震や豪雨を原因とした山崩れによる土石流災害や水害は何度となく繰り返されて、地域の人々の暮らしは、こうした自然災害との戦いの連続で、厳しいものでありました。
 ここに展示されている枯木はヒノキで河川工事中や洪水によって河床から現れたものです。ここから下流の大島地籍までの約1kmにわたる河床に、針葉樹や広葉樹の埋没林群が確認されました。
 縦、横に切り取った痕が付いているヒノキは、年代測定のために試料を切り取ったもので、形成層や外皮まで残っていたために、最後に出来た年輪年代の測定までを可能にし、遠山川の埋没林の年代を決定した貴重なヒノキです。
 年代の測定は、奈良文化材研究所に依頼し、年輪年代法という方法で、年輪の密度が年毎の気象の影響で、微妙に変化することを応用して測る方法で、その結果、西暦714年まで成長していた木であることが解りました。
 古代の「扶桑略記」という記述によると、和銅7年5月25日(714年7月14日)に今の浜松方面で巨大地震が発生し、天竜川では山崩れが起こり、流れを数十日間も塞き止めていて、これが決壊して下流に大被害が発生したと、記されております。しかし、記述に残る天竜川では、数十日間も流れを塞き止めていたという、場所の伝承もなく、そのそうな巨大崩壊の場所は見つかっておりません。
 「扶桑略記」に記された和銅7年と、埋没林の発生した年代の一致や、池口、池原、大島の地名伝承、池口沢の巨大崩壊痕などを総合的に判断すると、ここの展示されている巨木は、古代の大地震の大切な証拠でありますので、次に何時発生するか解らない大地震に対する心構えを忘れないために、多くの人々に語り伝えるとともに、遠山川の埋没林を村の天然記念物に指定し、大自然の驚異を現地にのこして語り継ぐことにしました。―南信濃村教育委員会―}
 この辺は中央構造線の断層が貫いていて714年に地震が発生した箇所だ。遠山地震と言われる。  一緒に参加した寺岡義治氏はヒノキの切り株から、この埋没林が714年であると確かめた人だ。  右手の上村川が1kmほど下流で遠山川と合流する。遠山川の周辺には今、河床低下が見られ、途中の河川の中に埋木が頭を出したのが見られた。
 =0707上村役場通過。0708南信濃村に入った。この辺、日本鹿が凄い。群れをなしている。農家の野菜など食い尽くしてしまう。鹿の肌にヒルがついてきて、農作業にも影響して農業意欲や山林意欲は減退してきた。植林しても、冬になると、木の皮を食しているので、木が枯れる。
 =0715M元道の駅(梨元橋のたもと)左に遠山川の本流が合流している。
 =発電所の取水口がある。途端に河床低下が見られる。流木の立ち木(714年もの)が立っている。
 =0721小動木橋を渡る。=0723大島通過、この辺、粘土で陶器など作っていたようだ。これは池口川が地震の時、5km堰止められて、湖ができた。そこに溜まった粘土である。この辺も、ヒノキなどの埋木が見られる。=0725池口岳登山口を通過。ここは堆積した土砂の上のところに道路や民家が出来ていて段丘である。
 対岸に押出部落、右に南信濃村の遠山中学校がある。=今、和田通過。=左に地震山が見える。遠山地震に出来たものだ。これらの地震は1000年間隔で起きている。右に山原集落がある。
 =0731・418号遠山川を別れ、左折し、八重河内川・小嵐川沿いの152号線を行き兵越峠に向かう。
 =この辺、遠山銘茶が有名で、茶畑が多い。右手、直ぐ、小嵐川だ。
 =右側は三波川結晶片岩の地すべり地帯である。カシオマイロナイトが出来ていて熊伏山と同じである。熊伏山は国体の遠州大会の登山の山でもある。
 =0740ひょうごえ林道の工事中が多い。この辺の工事は全て地すべり対策事業である。比田に出た。
 =0742柿平に出た。柿はかけたの意。お茶と柿が有名である。お茶はウマイダリーという商品名で1パック\800で売られている。
 =今、傾斜のきつい滑落面に出来た国道152号を行く。カシオマイロナイトの崖で地質をボーリング調査中である。
 =この先、今、草木トンネルが開通しているが、これからの国道152号全通の建設のためには、地質の絡みで、草木トンネルを放棄するかの大問題がある。草木トンネルで相当予算を使ったからだ。
 =地質的に見ると、中央構造線の東側いわゆる外帯側を通過するために地質調査中なのである。「内帯が良いでしょう」と国土交通省に呼ばれたて質問されたとき答えておいた。
 内帯は地質的に複雑で赤石構造帯は2億年前の花崗岩で更に1桁高い花崗岩で第三紀層も出ている。アンモナイトを含む白亜紀外帯で一番若い花崗岩や三波川結晶片岩や酸性岩類、アンモナイト・三角貝など、第三紀中新世の貝を含む。
 =それを貫く花崗岩は断層で出来ている。全て、断層破砕帯であるから、青崩峠の下の方が良いだろうと考えた。
 =0747兵越峠を通過し水窪町に入る。
左側の谷を草木トンネルのズリで埋めた。施工したのは遠州の人であるが、草木川にサンショウウオがいる。サンショウウオが埋まるので反対運動があった。アカイシサンショウウオの新種である。産地が出てこないのはマニアが直ぐ取りに来るので盗掘防止のためである。
 今下っているが、草木トンネル前へ出る。
 水窪町である。合併政策で1〜2年で浜松市になるであろう。
 秋葉街道は信州街道のうちは良かったが、JR飯田線が出来てから水窪に人がいなくなった。佐久間ダムを作るとき、また、水窪が世に出た。飯田線の付け替えたためであった。
 飯田藩は、水引・コウゾで経済が繁栄していた。これについては、久保田勝男氏のレポート2冊がある。
 杉林―愛知県全山杉で、天竜杉は有名である。
 =0809草木トンネルを通過中。これは、中央構造線をぶち抜いている。
 =0810翁川に出た。トンネルの左側に新トンネルが出来るだろう。山崩峠の下に足上神社がある。 地下水がこんこんと出ている。「足神の名水」である。
 この辺も茶畑である。西浦地域通過中。西浦田楽がある。愛知県側では花祭りという。天竜杉そして金原明善が有名である。
 この辺は、亀裂の多い地質で、よって花崗岩ではない。三波川帯結晶片岩である。亀裂の多いとことに天竜杉が育つ。
 Kは天竜杉と地質の関係の本を書いている。
 =水窪町―堤防道路へ出た。翁川は水窪川と合流する。電発の水窪ダムがある。左にJR水窪駅を見て通過。右は杉山―天龍村と繋がっている。「天竜41km・浜松68km」とある。
 =0900佐久間ダムに着くであろう。2001年に来た時はダンプが土砂を運び出しをしていた。当時ダンプの数は凄かった。発電量はトップクラス。佐久間ダムからの水を引くため豊川用水が掘られた。渥美半島まで水を送っている。これは生活に繋がっている。
 天竜川委員会がある。天竜川上流工事事務所2、浜松2、中部地政など・・・。
上流―どんなダムを作ることなど含まれているかな。下流―佐久間ダムの土砂排出孔を作りのが良いかな・・・。
 =0834飯田線を潜る。
 =ダム災害について―佐久間ダムは洪水調節をしていない。佐久間中学校は堤防より上にあるが水が氾濫した。佐久間ダムは当時の土木革命によって作られた。
 =大井トンネルを抜け右に大井橋を渡り473号線を行く。左は天竜川、澄んでいるように見える。バイパストンネルで流している。
 久米銅山があった。三波川帯―銅・金が採掘された―落合バス停付近だ。左下に銅山の家が見える。もうひとつ流れていない。  =0852ダム災害あどうか。H125m。中央構造線の谷を渡る。=0853佐久間駅。対岸は中部(きっぺ)  =0855「あと4km」右折する。天竜川が大きく屈曲している。中央構造線により、左方向にS字型に屈曲しているのだ。且って、天竜川の河床である。段丘である。1000年に1回の断層運動がある。中央構造線から赤石構造線に乗り移るトンネルのところ。東西が南北に中央構造線が変わる。  =0901ダム堰堤の上着。H245m。 ――0910〜0940電力館・ダム管理事務所で説明を聞く。0940〜1000ダム堰堤を見学。――


写真は佐久間ダム堰堤。左は本体左の水すべりを見る。中写真電力館から堰堤を望む。右は堰堤の上流の佐久間湖を見たもの。


写真下は佐久間ダム堰堤中央部から下流の水たたき方面を覗き込む。上写真はその先の下流部を見たもの。

 1005再出発。
1005以下、天竜川魚協の自称・釣り人よりの天竜川案内。
浜松市民会議とのお付き合いがある。天竜川は昔は良い漁場であった。トンネルを抜けると中部天竜で鮎の好漁場である。
 秋葉ダム直下、舟入ダム直下で土砂流出実験をする。
 川の下を潜り西戸でまた発電をする。佐久間ダム126m直上から来る。
 「まめこぼし」という場所。473号を行く。地形がクランクになっている。4年に1回動く。ダムサイト。800年持つ筈がないとの話でびっくり。
 しかし、流域委員会は「既存のダムに依存する」からスタートしている。
 =1021この地域くれ金剛山が左であるが、入口は右側の下である。「落井」というバス停。 ここ「山香」というダムの予定があったところを通過中。ここにダムが出来ていたら悲惨であったろう。「中芹」バス停車がある。
 =1028竜山町に入る。今、秋葉ダムのBack Waterである。電力館で佐久間ダム建設のビデオを見た。衝撃であった。それは当時の天竜川は、水が綺麗であったことだ。
 現在は、発電が止まると綺麗な水である。大瀬川の水が押してくるからである。
 =1031揚砂場、今、休止している。透明度は40cmしか見えない。恒常的な濁りといったら怒られた。西戸の揚砂場の砂を採取して、下流にダンプで運んで、また、川に流している。これを湖内移送と呼んでいる。堆砂率35%を超えたことがあった。
 =佐久間ダム再編事業が始まると、佐久間ダム3億2600万㎥の土砂堆砂能力、浜名湖3億㎥の土砂堆砂能力となり下流の浜松まで運搬する。4ヶ所の揚砂場の採取量は5万㎥/年である。
 今、152号・473号を行く。
 =1041秋葉ダムに到着。左対岸にトロン温泉が見えた。(筆者注、昨年秋葉山・熊伏山登山の帰り立ち寄ったところだ。)迂回して堰堤下へ行く。6㎥/secの維持流量であるとのことだ。写真2枚撮影。
 =1045ここで合流する。1046秋葉トンネル。1050「秋葉神社への道258号」通過。1051秋山トンネル通過。「千種の釜」といわれる難所である。当時、流量200㎥/secであった。
 1052天竜市に入った。秋葉ダム第三発電所を見る。横山川を左折。第一発電所も見た。
 =1100佐久間線の跡が「ゆめのかけ橋」綺麗な橋だピア撤去の変わりに建設された。
 =1101船明ダムは底から水を出すタイプである。
 =1105天竜川魚協着。H=40m。
岩野さん他天竜川魚協の説明を受ける。
 魚協の問題点―釣り人、27000人/年であったが、最近、20000人/年離なれた。これはダムで水が汚れたことによるものだろう。天竜川には5とのダムがあり、支流を含めると27のダムがある。水質や砂利採取のこと。上流の佐久間ダムや堆砂で、天竜川は濁っている。透明度はmax82cmあったが最近透明度計で見ると平均40cmで、30cmのこともあった。鮎の総数が減った。
 洪水には小・中・大とあるが、小・中がなくなった。皆、天竜川は「緑の川だろう」と思うだろうが「昔の川」に戻そう!。
 魚協総武部長の清水明男氏―山持ちの方―魚協金庫番担当―
 〃業務部長(鮎釣りの名人)―国土交通省―土砂協議をしている―落ち鮎業が出来ない。
飯田市関沼氏の質門―天竜川川内水門からの魚の採取量はどの位か。この辺の人は年収の1/3がそうであるが、ウナギ・シラウオをとっているが、チアユ6.4tが今0.5t、max2000万尾20tが今、400万尾になってしまった。
 上流地域との組合との交流は10年間役員をやっておるが、ない。魚業権を放棄する人が9割以上もある。
 伊那側の人、鮎の友釣りについてはどうか。
魚協会長、佐久間ダムに行ったが全然釣れない。絶対量が少ないのではないか。群れている状態が普通ではなかったか。お金を使って放流して鮎釣りのお客を呼んだ方が良いのではないか。
 毎週102000尾をダム放流しているが、これが群れている。しばらくして分かれていく。
 河川環境が悪くなり上ってくる鮎が少なくなった。
松井氏、S10〜12ある実験をやったとのこと。土砂の流れる具合、支流の桁川があるが川床が下がっている。鮎は10/中産卵する。人間の力のよって鮎の住む場所がなくなったことは事実である。
 松島先生挨拶。伊那谷の春は良い。おいで下さい。
 =1220〃出発。362号を行く。天竜市繁華街を通過するが、二股の町は通過しない。
 
加茂方策さんを西鹿島駅で迎えた。加茂方策さん著の「濱名の渡りと鎌倉への道」という本を参加者は貰った。西鹿島駅からは加茂さんの案内となった。(更に明日の浜松地域の案内された)
 279号に出た。これから天竜市の右岸の浜北市を行く。この辺は、昔、網状流を作っていた。洪水毎変化していた。これが完全に市街化した。これから、上島地籍の氾濫箇所を通過する。
 馬込川である。大きくカーブしている。三方ヶ原側の崖が崩れ東に向けた氾濫した。今通過しているところは、三波川結晶片岩類であるが、この上に天竜川の30万年前の礫層が残っている。右岸には岩田層の100万年前の礫層が見える。左に、金原明善の石碑が見える。左は鹿島橋であるが、我々は直進する。
 現在の氾濫原は堤防で防御されていて見えない。
 昔は国鉄二股線の西鹿島駅に着。加茂さん乗車。先ず、加茂さん!初っ端に白い石―海岸線、赤い石―地中から!と説明が始まった。
 彦坂―あらたま川(馬込川)明治23年測量、日本で一番古い地形図で明治以降の堤防を確認。1889年に閉じている。1600年代、馬込川の流れを東側に変えた。×印に流れていた。
 =1241中瀬四塔―葉竹で囲った家が見える―葉竹で流れを防いでいた。
 =1243豊穂左折、今、前方ゴルフガーデン緑地帯―これが「彦助堤」である。


写真は「彦助堤」を車中から撮影、写真はぼけてしまった。

 1245~1247浜北ゴルフガーデン入口、新原の東端である。出し―櫛のような堤防であった。  浜松市152右折―続日本紀(797)2行目ツイエ・歿する、715年土砂崩れが起こった。  =1250、61号横断、=1250小林駅前、浜名高校西、右手 桜 広葉樹 「天保堤715年」通過。天竜川はこの辺を流れていた証拠である。  1254=貴布施北右折、この辺、西に行くにつれ、低くなっている。ここ制限扇状地である。  1257=矢引橋北通過、1258平口中、1259平口左折、この辺昔の河原であった。亜砂利公園を作ったと!。1300平口新田、「万葉田」の説明。内野地下道」714年の埋木、礼気元年・和銅8年の記録。=1302馬込川を渡る。=1303内の入口通過。今=152号を行く。ガード東名高速道路が見える。インター当たり、上石田・下石田という。  3枚目、三方台地―谷が一杯ある。東の方に削られて当たり前であるが、南の方に湾のように流れている。水が三方台地に溜まっていた。磐田台地には溝がない。  =1310馬込大橋北右折、今、下欠、江戸時代の姫街道である。  =1313五枚橋左折、10mで左折、また、右折して上島親水公園着。〃駐車場着。


写真は左は旧天竜川である馬込川の右岸の堤防脇を流れる湧水のせせらぎ。
中写真は、湧水を見学中の参加者。右写真―写真の中央奥森に東名高速道路が走っている先は三方原の台地。

 ここの成り立ち―河岸段丘×、地すべり○、―地下水がる。掘割の東名高速道路の下を潜ってきた湧水である。この辺には、この湧水を利用した豆腐や・酒屋があった。浜松環状線が通っている。サナル泥地(粘土)、粘土を客土にして水漏れを防いだ。壁に塩を混ぜて使う。欠下は崖下の意。 布貴郡という。四つ池公園今は住宅地である。ハチカベヤ(粘土)大菩薩山という。
 =1331再出発h0m。1333=五枚橋右折。1335=馬込大橋北右折、261号に別れ152号を行く。  =1337=馬込橋を通過
―上島北―ここから急に坂道で平らになると右に市営球場がある。左は低くなっている。
 =1338このあたりからグーと下がる。右手四つ池公園である。
 =1340右に浜松基地・東名浜松西とある交差点152号を直進。1343=中沢町左折。
 =1346馬込川を渡り船越公園前を右折、ガードを潜り2ツ目の信号を(4枚目のプリント参照)行く。=1350向宿北は×1ツ手前○。名塚町中通過。漂砂のこと。
 =1352頭陀寺川左折。河口は、砂丘は西側にあり東側になかった。「村嶋五」h15m。砂丘は東西に長く伸びている。天竜川から砂が流れてくる。
 =1355豊川を渡る(2番目に出来た)中村。空風とかか天下ではないが、西風で砂が飛ばされる。海岸に直角になる。櫛型砂丘という。東の御前崎まで行って南北になる。
 風で出来た三稜石がある。  長田嶋砂丘は東西でなくて南北である。砂が運ばれてきていないからである。
 河口は左岸で流れが速くなっている。
 =1400河輪で天竜川を渡る。今150号掛塚橋である。冬、オオワシが来る。
 =1403左岸へ右折h5m。遠州大橋TG左に見えた。天竜川河口は2月前と違っている。
 =1410天竜川河口にて、河口が2つになっている。台風がくると変化する。 波の立っているところは浅く、波が立たないところは深いところだ。
「離岸流」がある。水が流れてくる河口はとんがっている。ここは砂が取られてしまっている。削られいると言ったほうか良い。海岸線が後退しているという言い方は良くない。
 =1427遠州大橋を渡る/1430遠州大橋西通過。東西に伸びた嶋湖になって湿地帯になっていく。離岸流によるものである。


写真は天竜大橋から河口方面を遠望。

 =1433海岸に出た。左に離岸堤が見える。コンクリートブロック23個置いてある。


写真は竜洋海岸駒場堤で観察。


写真は離岸堤のコンクリートブロックの様子が見える。

 内側は砂丘が保護される。この辺の松林は撒種されたものである。後背湿地になっているが、人工的なもので本当のものではない。この辺の畑・畝の作り方は南北で東西の風のため畝が砂で埋まるので、畝2つごとに砂除けの網を張っている。
 =1451また海岸に戻る。=1500見学。=1510また先ほど海岸へ戻る。
「次世代に美しい海岸を残そう」明日の表浜を考える仲間達―表浜ネットワーク―が案内。
展望台に「遠州浜生活環境保全林東口」とある。展望台に登って周辺を眺め、写真撮影した。
 =1530再出発。細井神社のこと。1938年御神体が流れ着いた。綱咲彦神。明日、良く見てみよう。馬込川を通過して=1540浜松市駐車場に戻る(凧揚げ場である)  =1544ゴミ流出場着―見学―
 =1600〜1620=遠州灘海岸浜公園まで歩く―海亀孵化地を見学―
 =1640再出発。
 1641海浜公園再出発=国道1号1kmのところ左折=150号=1645サンビーチ浜松着。〃泊。

 夜の交換会にて

 山本先生・猪熊先生・浜北市市会議員など挨拶。
 伊那谷自然友の会長松島さん挨拶。この会は行政とは縁を切っている。ファンは多い。毎年100人退会、100人入会している。会は20年目。天竜川に生まれ育った。昔、欠塚から木を出していた。天竜川は評価されていないと思いますので宜しくお願いします。
 山田氏、天竜川の水をどの位、水道に使っているか。100%水道に使っている。浜松市民からは天竜川は水の命である。大田川の水を貰え×。伏流水を使え。伊那谷の皆さんは下水を流さないから。br>  浜松市の水道は1週間で水が腐る。天竜川上流に汲みに行くと1月は持つ。三方原回水?。  来年4月合併で大浜松市80万都市になる。―山を守る運動をやりたい――  富士山のことが大切―森林税反対―、静岡・浜松の人―山を守って貰いたい―天竜川/山本先生。伊那の北浜あさ子さん―木を使った文化をやりたい。―山作りは国から補助金が出る。―若者の雇用対策事業にならないか。今もあるようだが。  長野、田中知事、針・広=4:6にしたい。人工的森林は根が違う。ヒノキ・カラマツ・アカマツ。  浜名湖ワースト1=N・Pなど。20年計画がある。  猪口会長―浜名湖と太平洋の水位が一緒。海水の変化は30日で変わる。CODが高い。  三方原台地NPKを使わずにやって下さい。機織で地下水を使っている。水位が下がった。見た目は綺麗だが塩水が入っているからだ。  天竜川はお伊勢さん。表浜のこと。神戸のこと。富士山と同じで天竜川からの白砂の表浜。  白子のアサリは天竜川のお陰である。よって天竜川は大切で守らにゃいけない。  長野中村氏、ダムの現状について。松田氏の水力発電の効用について。その他、続出。

 第2日目平成16年7月25日(日)浜名湖周辺から伊良湖岬へ
 =0800サンビーチ浜松出発−今日の加茂豊策氏(浜松の地史と古東海道を学ぶ会・浜松再生ネットワーク)の案内―
木材は欠州から南元村(元は今はない)からの木が来ている。それから、言葉遊びにならぬようお願いしたい。砂鳴湖は漁業をやっている。何故、砂が西へ行くか。
 =0805、1号へ右折。黒潮による沿岸流が西に流されることによる。水が描いたのが地形、名が語ってくれる。畑の様子、必ず、南北に畝がある。畝が2〜3の間隔でナイロン網の砂除けがしてある。
 =317号へ右折、左に松の並木が見える。台場という。安政2年3基の大砲を置いた跡がある。その松並木から先、海だった。500m先に海があった。江戸村・・・バス停、石碑、米津神社、ここまで海岸であった。小塚原で処刑された碑である。
 =0812新橋町直進、ここが2番目の砂州である。317号を行く。天保7年に堆積した。
 =0815石橋工業左折、左手に蓮池、後背湿地である。ここには家が出来ない。右手に広い道路へ右折、上総合センターは沼地である。
 =0818旧東海道である。ここ可美小学校交差点。東海道JRを袴線橋を渡る。
 =0820若林北、北は三方原台地である。砂鳴湖へ行く。
 =0821この辺、堆積谷でもある。左折して62号へ。右折して彦尾通過。また左折ここ三原台地。
 =0825砂鳴湖着(さなるこ)バス下車。竜雲寺近く。


写真は砂鳴湖の景観と「守る会」の案内人の大石さん・守屋さん。

ワースト1である。開析谷である。今、CODが高い。山であったが削られた。花火大会が開催される。クリーン作戦で3000人が集まる。  シジミの宝庫であった。方水路を作って海と池との調和で塩分が高くなり鯛が釣れウナギも取れる魚の共存地帯であるがシジミは全滅した。
 国土交通省で浄化対策をやっている。ここしかないというミカワバイケイソウがある。
「守る会」の大石さん・守屋さんの案内。CODは11から8位。シジミは大和シジミ。貝塚がある。  =0850再出発、当然この辺、海抜0m。
 =0855彦尾交差点通過。猪口会長の言うのは一寸違う。段子川、新川は綺麗だ。SOバンド漁協、ウナギも取っている。この状態の方が、魚は沢山集まる。ウナギは\2000/kgは数がそろわないからである。数が揃えば\3000~\4000/kgで売れる。ここは魚の住むのに丁度良い状態である。
 浜名湖もそうである。砂鳴湖から出た川の橋を渡る。ハクレンという魚は食えない。純淡水系の魚で今はいない。左は天浜名湖で養鰻湖であった。しかし、今、浜松のウナギは台湾ウナギである。
 左にジャスコが開店する。古いジャスコはどうなるか。
 =0903南九領橋左折。=0904とびうお大橋。=0905橋を渡ると浜名湖である。
 浜名湖の実態など勉強。帯ノ湊のこと。高速豊橋左折。
 神田・角ノ日(つのさき)2箇所を見る。
検校谷―検校が落ちて死んだ。1498年のこと。角ノ日・神田を見る。
 今切通過。
 =912浜松バイパストルゲート通過し新浜天神へ出た。
この辺。平安・鎌倉の砂州であった。
 =917庄境石写す。左は浜名湖である。


写真は庄境石、車中から撮影。

 =新浜海浜公園(海釣公園)着。今切浜の横だ。


写真はコアマゴが生えている、新浜海岸。

 =0930新浜町湖岸で、浜名湖のについて、アオサが少し見える。透明度が良いと発生する。綺麗な水である。200m巾で通水を良くした。海水が入ってくる。ここは餌がないからアサリは大きくなれない。鉄橋から2kmしかない。潮の流れの無いところにアサリが育つ。
 松ノ木1680年、海の境であった。漁業権で漁民1人他地域に入り殺された。アマモをとる権利で境界をつけた。
 地形の結論、隆起しているのではなく、段々、堆砂したのである。
コアマゴは「おはらいおとし」とも言う。アマゴの生育条件は「透明度・流れ・下が砂泥であること」である。
 =0945再出発。=0955日ヶ崎海岸着。ここは後背湿地である。


写真は日ヶ崎海岸の堤防と浜名バイパスの見える海岸風景。

 =1010再出発、本の86頁、寿観864年以前に橋があった。松並木―帯ノ湊の水路である。
 =1012諏訪上・下社合併してきている。
 =1013消防署前まで海だった。女屋があった。=1014橋本信号ここは砂州である。小井戸という砂州である。=1015橋本西V字右折。昔の東海道を行く。土橋である。左は田んぼ、ここまで平安・鎌倉時代は海だった。これを「カチ坂」という。「猪鼻坂」と更科日記にある。南側が「帯ノ湊」である。


写真左はカチ坂当たりから国道1号線方面を見る。中写真は国道1号線高師山交差点。写真右は高師山交差点付近からカチ坂方面を見た。

 =1021これが「帯ノ湊」である。H5m。=〃高師山。
 =1022かねはちうなぎや着。ここのうなぎが一番おいしいという。
 =1033再出発。ここで加茂先生と別れた。案内は松島先生に戻る。
 =今、1号線を走っている。右側に浄化センターが見える。
 =1035・1号線バイパスに入る(大倉戸IC入口)。=1036潮見坂に向かう。左側は遠州灘である。良く見える。天白原である。


写真左は国道1号から42号に入る。写真右はこの付近の畑は赤土だ。

 =1040三原台地である。ここは古い地層である。ここから隆起域となる。
 =1042・42号線へ分岐左折。=〃県境・愛知県豊橋市に入る。=湖西市に入る。
 =1043長谷右折42号であるが、「伊良湖岬47km」とある。
この辺、三方原より侵食が進んでいる。下の礫層は天竜川の礫層であるが、表層は新しい。
 =1045西畑/細谷小竜/表浜街道とある/小島/寺沢/東七根東/高塚町広坪/高塚/
 =1058今、傾動しているところを通過中で太平洋側が高く右の浜松側は低くなっている。いわゆる「馬の背地形」である。太平洋側は海食で削らえれている。今、屋根見たいな高いところを走っている。これに並行して豊田用水=佐久間幹線用水(佐久間ダムから引水)が走っている。この辺、水がなく作物が出来なかったが豊田揚水のお陰で立派に作物ができる様になった。  =1100伊良湖西。 =1102東赤沢通過、この赤の意は赤色土壌を表すものであろう。
分水嶺―太平洋側は侵食谷である。
赤色化したのは、最後の間氷期の一つ前の氷河期に出来たものであろう。
 =1106も渥美半島に入っている。1107久美原で左折。加茂さんが道を聞いている。左折し細い道に入る。=1110海食台に出た。


写真は国道42号沿いの久美原付近の海食台の風景。


写真は久美原付近の海食台の赤みかがった風景。

 =1112ここで中食。
三方原は10~20万年前の地層。ここは30~40万年前の地層で間氷期の前である。
 =1220再出発、国道42号を行く。
 =1250一色ノ磯見学ァ秩父帯のチャートの海岸岩を観察。写真撮影。7000万年前のものだという。


写真はチャート100%の岩石と岩礁。


写真左は上記の真ん中の写真を拡大して見た美しい景観。写真右はチャート面を近くで見よう。

 =1255再出発、伊良湖浜へ左折。田島市羽根支所通過。右手にp189mの山がある。これも秩父帯のチャートの岩体だという。暫く行くと大山p327mが見える。30〜40万年前隆起した秩父帯のチャートで出来ている。

 =1305大山直下の部落を通過中。=1307・12kmの標識を見る。この辺は多嶋海であった時代の水路を分けている跡が見える。
 =1315日ノ出岬5km手前の土壌が赤みが強いが、ここは、褐色である。離水し陸地になる時期は若かった。この辺は沿岸流に対して自然堤防となっている。
 =1325日出の石門口 着。写真撮影。


写真は日出ノ石門の素晴らしい景観。


写真は筆者と赤褐色のチャートを近くで見たもの。

 =1328再出発。前方左に恋路ヶ浜が見える。島崎藤村碑がある。柳田国男「椰子の実の海上の路―稲作の伝わり方―島々から来たとの小説」は有名。
 =1330恋路ヶ浜通過「45豊橋→・←伊良湖港0.4km」を確認。
 =伊良湖道の駅クリスタルポイントで記念撮影。鳥羽行フェリーボート。


写真左は伊良湖岬の駐車場での案内中の松島先生。中写真は伊良湖港の風景。 写真右は伊良湖港から出向する鳥羽行フェリー。

 =1400バス出発。42号から259号へ。=1401ここから伊良集落。畑にスプロインクラーが目に付くようになった。佐久間ダムからの取水口はダム上流にあるが、愛知用水末端がここのある。貯水ダムが右手の上の山の上にある。現在も佐久間ダムの恩恵を受けているところである。


写真は佐久間ダムの恩恵を受けている畑に風景。 畑にはスプリンクラーがどこの畑にも装備されていた。

 =1404梅藪で給油。 =西原259号を行く。 =1418豊橋38kmを見る。高田西/古田/山田/右、吉祥山泉福寺を見て直進。=1423高木東右折/左手に石神/泉小学校北/宇津江/1433馬草口/三河湾に別れ/1435野田/1442・259号田原バイパス・豊橋21kmとある/稲塚/苅田西/田原の道の駅/
 =1147「田原めんくいはうす」=1448東赤石交差点/郷中西/郷中/国道1号線17km/1449天白通通過/豊岡/豊岡東/ここ三河湾を埋め立てたところに臨海工業地帯が広がっている/谷熊/天津南/天津/
 1500蒲郡35km・明海埠頭1.3km・豊橋市内10km通過/1501田原街道・松田下車/1503老山ノ神/1504名古屋58km259号線とある/ここまで330km走った/1505大崎インター左折。  =1507蒲郡方面「名古屋64km・蒲郡22km」/1508豊橋市街豊橋港/
 =13豊橋バイパス国道23号一寸渋滞中・右に神野建設がある/1515サノ割/


写真は豊橋バイパス国道23号と周辺の景観。

 =1517豊川橋\200/1520豊川橋北右折/前芝東垣/前芝郵便局前・小坂バイパスとある。/
 =1523前芝町/白色野町/\100小坂井バイパス/新幹線の上通過/飯田線の上通過/東海道線の上通過/
 =1527・247号線をいく。151号線を通り1号線を横断すると飯田146kmと出た。
 =1530岩下で新城・飯田分岐を直進。400号を横断/牛久保町/城下/牛久保駅/
 =1537東名入口(豊川IC入口)飯田・新城とある。/1540上野町/1542飯田138km/1433一宮役場前、右側に豊川の町が見える/
 =1546中央構造線は豊川沿いに延びている。/1547左に飯田線/江島駅/1553川田山田で右折/飯田131km東栄42km鳳来14km/
 =1554野田新山田/左手に山が見える本宮スカイラインである。これは領家花崗岩の代表が出ている。/1455豊栄通過/1447本宮スカイライン入口・杉山北交差点・飯田128kmとある/1458新井/飯田・東栄とある/1459新城警察者前通過/新栄/設楽原資料館/新城東高校右折/〃南/ 1402飯田線を越す/平井左折/飯田125km/茶臼山駅入口/川路光照寺/川路夜灯/1607飯田線の右を行く/1608八束穂左折/257横断(右横は大海駅)/275直進/
 =1610大海(おおみ)で左へ/151号経由止めて153号をいく/根羽へ行く/田口・津具を通過して最短距離を行く/


写真は中央構造線に沿って最短の路を行く、車窓からの風景。天気が良くなく写りが悪い。

 =豊川の橋・鮎のダムを飛び越える魚捕りが有名=網が見えた=鮎を引っ掛けて捕る。ここ「寒狭橋」である。「設楽」とある。
 =昔の田口のこと。1614鳳来町に入る。257号・420号/ =1615長楽交差点右折/中央構造線に沿って真っ直ぐ行く。今、鳳来寺の近い付近を通過中。右手の霧の中の山は鳳来寺山。上総川は蛇行しているので時間がかかる。
 =1618玖老勢(ぐるぜ)、ここは第三紀1500万年前火山島の新しい堆積物で出来ている。玖老勢(ぐるぜ)という名は面白い。県道32号を行く。(伊那街道)。左に変な山彦国体のロッククライミング会場が見える。
 =1525海老の町交差点設楽12km柵山高原8kmかっての田口鉄道の路盤に出来た路である。/ 昔の田口。今トンネルを利用している。稲目トンネルだ。火山岩の硬い地層だ。まもなくトンネルに入る。
 =1626稲目トンネルにはいった。H225m(約2分て通過)
 =1631・257号・473号を行く。清崎トンネルを通過。この辺、清崎は清崎花崗岩の模式地である。豊川本流から上へ上へと上っていく。今1634「清崎」とある。この辺、鮎のおとりと入場券の看板が多い。国土交通省が設楽ダムを建設中である。また水が腐ってどうなるか。
 =1638・257号・473号を行く。H370m。ここは田口の町に入り丘陵地形である。三河高原または三河高地と言っているところである。今設楽警察署前通過。坂を上ると平地になる。断層運動で出来たところだ。 =1640役場前通過。地形的に恵那山まで登っていく。三河高原の一部であるが段々と高くなっていく。
 =1641大田口h445m。〃1641・東栄町への473号を分かれる。ここから河原は侵食を受けているので下っていく。隣の平坦な場所に行くには一旦下りていくこととなる。
 ここから根羽の隣の津具というところを目指す。
 =1643257号を行く。添沢バス停を通過。津具に入った。
 =1645津具高原とある。また、国道を離れて県道10号を行く。稲武町に出る。
 =1651学者の岡本さん(研究者)が遠州灘についての資料配布の以来受けた。森町に住んで植物研究所を作りダムを作って浜松・掛川に水を供給しようと考えた。が、浜松・掛川の人が反対運動をしている。「海岸学会・・・調査」の資料である。
 =1700津具に出た。広い平坦地である。隣が根羽である。ここから飯田まで1時間以上かかるだろう。
 ここからバス乗車の人の感想などの話が始まった。
 先ず、長野の内山さんは松島先生のガイドは大変良かったといっていた。筆者も同感である。 長野の善光寺の裏の地すべりに関心を持ち、今、長野の大滝ダム反対をしているルポライターだ。 尚、奈良県にも同名の大滝ダムがあり、断層の上のダムサイトで危険で、今調査中といっていた。長野の同じと言っていた。長野の中村氏もダム建設に反対していた。また浦というルポラオたーもいた。その他は省略。
 =1715津具高原の道の駅で休憩。


写真は津具高原の道の駅にて雨中撮影。

 =1745県道10号から国道153号に出た。福家通過。
 =1750信玄塚通過。=1755平谷通過。
飯田の寺岡氏は715年の遠州遠海の地震について加茂先生は三方原が滑り落ちたことについて検証されていないようである。資料を勉強してから考えたいと。中央構造線の1000年周期の地震発生について松嶋先生からあった説明について感服していたが、筆者も同感である。
 =1802浪合村h1120m通過。
 =1845美博第3駐車場着解散。
 
この項 了。


平成16年7月19〜20日(日〜月)―小さな旅―浜名湖花博 と伊吹山――
大阪花博以来の14年ぶりの浜名湖花博見学であった。


 平成16年7月19〜20日、浜名湖花博から伊吹山―小さな旅―
 浜名湖の花博覧会には是非行ってみたいと思っていた。「浜名湖花博と高山植物咲く伊吹山  ぶどう狩り」に参加した。
 第1日目・平成16年7月19日(日)
 家0625―平0642=0700高津区役所前0720=0735宮前平0750=新百合ヶ丘0810発=0815日光随道=1816真福寺=0820石橋左折=0821早野左折=0825鉄町=0825市ヶ尾=0831横浜青葉IC・TG通過=0857中井秦野通過、今、薄曇、h115m=0915足柄SAh400m・足柄0930=0945愛宕山、沼津当たり、千本松原が左、田子の浦も左に見える。=0956富士川を渡る。蒲原の御前山の桜が良い。三保の松原も左。=1000写真撮影、この辺に金山があった。大久保彦左衛門奉行。=1003薩多トンネル抜けると国道152号は久遠寺に通じている。しだれ桜が有名である。=1006清水通過=1022焼津通過174kmp=1028牧の原写す=1029大井川を渡ると左に小山城がある。=1037東京から200kmp菊川当たり。=1055天竜川を渡る=1100浜松西IC240km・h65m=1103〃TG=直ぐ雄踏・館山寺方面右折=65号を行く=1115南九領橋=1118小山南=1122弁天島方面へ左折=1125浜名湖T字右折
 =1128大駐車着、h0m。1132Eの中程駐車。――花博見学。――


写真は浜松花博入場門と、ときめきのゲート前の筆者。

 =花博見学――「花みどり未来館」で印象に残った花々を紹介しよう。以下写真や説明は花博で取材した。

写真は太古の植物「ジュラシック・ツリー」を見る。
1994年9月オーストリア、シドニーの北西150kmにあるブルーマウテン山系の奥深い渓谷で、高さ40m近い未知の植物が発見された。極めて原始的植物でおよそ1億5000万年前のジュラ紀に生存していた樹木と判明した。ジュラ紀の化石と比べると「ジュラシック・ツリー」の枝葉と良く似ていることがわかる。


写真は青いバラを見る。「清龍」である。育種家名・小林森治とある。


写真は青いバラを見る。「ブルーヘブン」である。育種家名・河本順子とある。


写真は青いケシの花。14年前、大阪花博で始めた青いケシの花を見てびっくりした事を思い出した。


写真はハイビシカスの花。色とりどりで美しい。

 =1523再出発=1528・319号を行く。=1530ここから館山寺有料道路=1532館山寺TG=1533館山寺街道右折h20m48号を行く。=1540すじかい橋右折=1542和地向左折=1543谷上h50m左折、364号から65号へ=1545東名浜松西IC左折241kmp=1547左手、右側に晴れていると富士山が見える。=猪鼻湖=がある。猪鼻湖と浜名湖の合流点は吊橋(瀬戸橋)である。=三ヶ日トンネル通過252kmp通過。三ヶ日を抜けると摩可耶寺=1557新城市に入る、長篠城がある。=1603豊橋本線料金所=ここから伊良湖岬に行ける。=1604右側に鉄塔の山が見える鳳来寺山である。=1619渋滞始まる296.1kmp(岡崎出口手前あたり)=1622(―292.4kmp)+25分=1647頃着か=今名古屋IC着、75km/hで通行中。=1628矢作川を渡ると豊田市、奥に香嵐渓がある。=1634「名古屋まで10分」とある。=311.7kmp、また渋滞。名古屋ICから高速へ。=1645名神高速出口=1646東名阪道入口\7400=都心環状Ring名古屋高速△悄1650高針JCT・高針TG¥=1651東山トンネル―今池―鶴舞公園―=1657都心環状Ringへ右側栄町=左に多多半島道路がある。野間の大砲がある。右にテレビ塔ここが栄町である。右に名古屋別院名古屋ドーム、名古屋ドームが見える。左には鈴鹿山脈や伊吹山も見える。=1702右に名古屋城が見える。=1703咳匹箸△觸亳==1705伏見通1柵に出た。国道19号である。=1710丸の内東急イン着泊

 第2日・平成16年7月20日(月・祭)
 0750バス乗車=0854桜通大津左折=丸の内三=右側名古屋市役所=国立名古屋病院=61万石名古屋城・加藤清正・福島正則築城。=0758名城公園となっている。人口200万中京という。大津通りを行く。城見通二左折=0805名岐バイパスこれから出る。=知多半島・宇津木・唐人熾お吉の出生地=一宮から名神へ=西康西通り右折。=22号線=一宮16km/岐阜31kmとある。=今西区を通過中。左手濃尾平野、多度山がある。=0808庄内川を渡る=西木比堰島町に入る=北区は高速道路反対しているところ。=養老山脈が見えてきた=多度山がある。=今22号を行く。=長良川・矢作川の花火が有名=22号春日町で名神高速と繋ぐ=今工事中=0820西春町=0832一宮TGから名神高速へ、右側に一宮の町が見える。左側は養老山脈。=0835北陸道との分岐通過=0839木曽川を渡る=0842長良川を渡る=0839木曾川を渡る=0842=長良川を渡る=0844揖斐川を渡る=0846杭瀬川を渡る=0846伊吹20kmとある=0848養老山脈を写す=養老SA当たり夾竹桃が綺麗な紅白が咲き誇っている=0835伊吹スカイラインが右手に見えてきた(昭和37年開通した)=0855関が原IC―TGh70m・21号線を行く9号線と交差、敦賀に出られる。=0900、21号を別れ伊吹山9.3kmとある。365号を行く。0903ウオーランドがある。=0903伊吹山口h140m右折=0904ゲート通過h170m。=伊吹山は特定公園である。=0927、17kmのうち今12kmh975m洞門通過、右は濃尾平野が一望。=0930千本松原が見え、伊勢湾が見える。=0931霧の中となるh990m=0931山頂駐車場着。

 ガスっているのと霧雨。0937ガスの中、山頂に向かう。――伊吹山頂着0955――写真を撮りながら下山。強風とガスでの花々の撮影のなったが記録のため、入力する。ご笑覧ください。


写真はガスっている山頂の様子と、高山植物、左から、頂上付近に咲き誇るイブキジャコウソウ。カワラマツバ・クルマバナ。


写真は左からベンケイソウ・クルマユリ・シモツケとトラノオ・シシウドの花・シシウドの蕾。


写真は左からメタカラコウ・ムラサキモメンズル・カワラマツバ・ヤマアジサイ・シロバナホタルブクロ


写真は左からギボシ・クルマユリとシモツケとギボシとアザミ・〃・山頂あと400mの標識・シシウド。


写真は左からミヤマニワトコの赤実・トラノオ。

――1030バス出発=
 =1103TG通過=1110ウオーランド着―土産店―1136再出発=ぶどう30分食い放題に出発=365号を行く四日市56kmとある=1142関が原IC=関が原弁当受けとり=1156木曾川を渡る=1205右手に小牧山h86mが見える。桜の名所。

写真左車窓からウオーランドを見る。右写真は同じく雄大河川の長良川の上流を見る。

写真は右手に小牧山とお城を遠望。

=1211小牧分岐東京340kmとある=1235豊田東IC=1236〃出口=渡刈町=1239248号岡崎市h15m=1245東名を潜る=岩津天神とある=248号線である=1245西蔵前川=1247〃2丁目左折=東蔵前=1250又、東名を潜る=〃真福寺通過=1251花園工業団地・センター通過=1253、339号を行く=1256駒立ぶどう園とあるh90m1300小型バスに乗り換えh140m=1305ハウスぶどう園着――ぶどう狩りh145m――1330再出発=


写真は駒立ぶどう園でハウス葡萄を賞味する。

 1335バス出発=真福寺は竹膳料理が有名=1348東名を潜り=1351東蔵前=1352岩津郵便局/西蔵前2丁目左折248号を行く=1355家康の駆け込み寺を右に見た=市ノ井=大樹寺の山門が見えた=1401国道1号へ左折=1405岡崎城見えた==1433えびせん共和国――試食と買い物――
 1505再出発=1507音羽蒲郡IC=280kmp=1517豊橋料金所265kmp=1720日本平手前160km=1723中井秦野PA54.21km――1745再出発=東京は今日39.5℃と観測史上初めて記録した=1808青葉ICから246号からわかれ柿生に向かう=1812早野交差点右折し王禅寺へ=1820石橋左折=1821東柿生小前=1824大谷直進=1826真福寺小=1828山口台公園東=1830新百合ヶ丘駅前=1840向ヶ丘遊園駅=タクシー=1900帰着。

この項 了


平成16年7月4日(日)―小さな旅―秩父路を走る―― 秩父路から雁坂みち(秩父往還)を走る

平成16年7月4日(日)秩父路〜雁坂みちをドライブ
 国道140号線の雁坂トンネルが開通して、秩父市〜甲府市が1時間30分短縮されたとのことで、以前から国道140号線を通って見たいと思っていた。塩尻市に午後からの用事があって、今日の良い天気予報を見込んで早朝出発した。
 行程、0550出発=0608大丸9.4km=0617寿町3丁目国道20号12.3km=府中=立川=国道29号新奥多摩街道=0630小荷田27.2km=0654小作35km=0656河辺36.5km=0700青梅市38.1km=成木街道=小木曽街道=0706成木8丁目左折43.0km=0712松ノ木トンネル46.8km=0717県道53号名栗バイパス・名栗渓谷51.3kmH230m=0727県道395号・57.1km=0730伊豆ヶ岳登山口H500m通過59.6km=天目指峠=0740南川で国道299号63.8km=0745正丸トンネル通過点68.9km・H420m=0755上野町左折・(甲府市まで88km)・299号→140号=0804浦山ダム入口83.1km=0815ダム堰堤H400m85.7km=


写真は浦山ダムを堰堤の下方から見る。6月25日に若御子山のp606mまで登ったが堰堤の右の山がそれである。


写真は浦山ダム堰堤からダム湖の秩父さくら湖を見る。右の山は若御子山のp606mから先日下山した尾根。

 再出発0825=0831国道140号88.1km=0855大滝村落合橋105.2km=滝沢ダム建設中の大滝大橋ループ橋通過108km付近=0915雁坂トンネル122km・H1165m=0920同トンネル内避難場所で記録127.4km=0923雁坂トンネル料金所H1140m・130.3km=0930再出発=


写真は雁坂トンネル中間点の料金所の駐車場で一休み。左写真は通過した料金所。
中写真はこれから通過する広瀬トンネル。右写真は北西に望める鶏冠山2115m

09350945道の駅・みとみ132km・H1050m=


広瀬トンネルを2km下って「みとみの道の駅」でまた休み。写真は北西に望める鶏冠山2115mの山並みは近くに見えた。

1003窪平149km=新隼橋北=万力信玄公園=フルーツ公園入口H345m=1037甲府駅前近く=瑞泉寺近く左折=1059国母立体交差を右折国道20号171.7km=1103昭和IC172.9km・H285m=1145諏訪湖SA・H285m=1206国道20号へ右折249.5k=岡谷IC=1224地球の宝石箱着256.8km・H885m
1330〜1500 「隕石について下田先生のお話を聞こう」 を聴講。
1320帰途につく256.8km=1525国道20号左折=1532岡谷IC・TG/264.2km=1657Kp57.7から渋滞(1620Khzの交通情報を聞く:交通集中による渋滞、小仏トンネルKp44を先頭に18kmここを通過するのに120分かかると)=(1719・Kp54.4付近にて1620Khzの交情を聞く:399.5km・H300m/Kp50.8、11km渋滞通過に70分かかると)。1803相模湖出口409.4km=1805国道20号・410.5km=1823相模湖駅413.2km=2004帰着463.6km

この項 了


平成16年6月6〜8日(日〜火)―小さな旅―群馬・みかぼ林道を走る―― 西みかぼ山に一寸登る

平成16年6月6〜8日(日〜火)―小さな旅―みかぼ林道から臼田・白樺湖へドライブ―
一部工事中
 兄弟会・平成16年6月6〜8日(日〜火)上州路〜みかぼスーパー林道〜下仁田臼田線〜信州路。
 恒例の信州上田にての兄弟会に参加した。川崎から直接行くのは勿体ないと思い、兼ねてから関心のあった群馬県のみかぼスーパー林道を通って見たいこと。日本列島の地質的成り立ちから見て、中央構造線の南側には御荷鉾構造線があり中央構造線に並行に日本列島を金太郎飴的に伸びている。
 この中央構造線と中央構造線の間の地質は三波川変成岩類で構成されている。
 三波川とは、群馬県多野郡鬼石町の神流川の支流の三波川のことであり、地質好きの素人にも関心事であった。
 そして、昭文社の県別マップル道路地図・群馬県を見ても面白く、南側に国道299号と北に国道254・462号とに挟まれた山塊の尾根付近を通るみかぼスーパー林道とその周辺の山名の西御荷鉾山・東御荷鉾山など関心があった。そこで西御荷鉾山に登って時間を調整した。  下山してから「梅雨入り」を知り、梅雨前線に追われるように、みかぼスーパー林道を急いだ。 午前11時過、降雨となった。

 行程、
第1日、平成16年6月6日(日)
0600平出発=0460練馬24km=0728本庄児玉98km=0747浄法寺111km=0750諏訪113km=桜山公園×=0754三波石峡4kmとある=0807本坂原バス停125km(雨降山の真南の下坂原・公衆T/食事所かんな・=0827つり橋127km写真・門ヶ谷トンネル抜けたところ


写真左は、奥多野花街道とある神流ダム湖左岸にて。写真中は神流ダム湖を琴平橋からダム堰堤方面を展望。
写真右は〃ダム湖左岸を通過している国道462号脇にて休憩した。

266km-10km=256km、1610−0600=登山(1032−0912/1:20)―昼粥1:00=2:40
                 =1010―2:40=7:30

=0840分岐点右折137km右折h325m=0852ゴルフ場入口141km・h715m=0858みかぼ高原自然村143kmh870m=0906 みかぼ林道 着144km。


写真はみかぼスーパー林道と西御鉾山登山口。

 西御鉾山登山口1050m0912出発――0915尾根――0951・100米h1260.2m(南からの登山口と合わす)―0946 西御荷鉾山 1286m――下命浸1禿――下山1002――1018クサタチバナの白花撮影1180m――1022標識地点h1150mヒトリシズカなど撮影――1032車に戻るh1055m、今、 薄日─宗


写真はみかぼスーパー林道のあずさ沢地区環境整備地区にて。左中写真の天辺はオドケ山。 しばらく走って南方の秩父山塊を眺めた。
右写真は赤久縄山登山口にて。ここまで来たら雨が強くなった。(みかぼ森林公園の一部だ)

1040再出発144km=1045146kmオドケ山(あずさ地区)1080m写=1052ケ沢峠・神流分岐を左に見てみかぼ林道を行く=1100分岐左折(みかぼ森林公園とある方面へ)151km= 1115ケ強くなる(赤久縄山登山口=450m頂上とある)153kmこの辺舗装ところどころ


写真は赤久縄山登山口=450m頂上とある。

=156km付近=日向山1447.5mを回りこむ162km付近=T字左折(右は下仁田通過神津牧場42km妙義山30kmとある、尚ここは下仁田臼田線全部舗装)=矢倉峠着、左分岐を分け直進、右に日影山1406.6mを南に巻く162km、右雨後か落石多し注意進行=桧沢峠=塩之沢峠手前の50mT字に着、右折=塩之沢トンネルを抜け= 1157臼田町役場にセット169km付近、塩沢あたりにおて=桧沢・塩之沢●上野村との分岐点=1202上野村との分岐=

1214山の写真撮影178km=1220〃1213〃(こぶ様の山)180km付近=1229左折桧沢大橋45号から93号へ(右下仁田方面)=


写真は桧沢あたりから南牧村方面を展望。右の写真は兜岩山1368.4mか後日確認しよう。

1332南牧村六車185km(下仁田―臼田線)h410m、公衆T「ほたるの里」潅訖=再出発1352 =1305砥沢着・写真撮影108号を左に見て93号へ右折191km(南牧村観光図あり)=


写真は南牧村役場手前の「カタクリの里」昼食。今来た道を振り返る。 写真中と右は南牧村砥沢地区大看板前で国道93号は右折している。

1317狭岩峡195km=


写真は狭岩峡にて。妙義荒船渓谷国定公園とある。谷沿いにコアジサイが咲き出してほっとする。

1353三分通過=1355、国道141号右折(臼田駅前)=1357城山北右折141号218km=1412佐々木家着h710m(1:00)1512再出発=1535望月トンネルを抜けて望月信号339kmへ右折152号へ=1552立科町合流154km=1610白樺湖着泊266kmh1450m。

第2日、平成16年6月7日(月)
 0430NHKのニュース梅雨入り宣言を聞く。「6月6日梅雨入り」。
出発0838・h1450m=0845池の平ホテル=


写真は車山高原にて、満開のレンゲツツジなどを鑑賞する。こういう満開は初めてみた。 最右はナルコユリ。

0900車山高原駐車場6.1km=0925長野県霧ヶ峰自然保護センターh1680m今霧と小雨―見学―(霧ヶ峰自然保護センターのMさん有難う。―
―(47分))― 以下写真の出所は長野県霧ヶ峰自然保護センターより。


写真左・中は周辺の湿原の成り立ち図と周辺地図。 右の長写真は7月中旬に満開となるというここのニッコウキスゲを見たいものだ。

―1012出発=6和田峠32km経由=1046大和橋42km=1052(48分)大門墓参44km――1140再出発=1048長門町商工会館前道の駅着h630m―1:32―昼食と買い物―1230再出発=1300須川湖着h720m68km=1311諏訪形h475km71km=1320上田駅着h465m・74km―(上田情報ライブラリー等見学)― 1420上田出発(佐藤家2名乗車)=1500あずまや高原ホテル着h1450m。99km。

第3日、平成16年6月8日(火)
急がず、ゆっくり、行こう。梅雨のためどこもガスっている。

1428上田駅123km・1447信州ビューラインなど通過再出発=1526耳取北141号確認= 1532佐久IC入口通過163km1543ガソリン補給164km=1551佐々木前通過168km〒=直ぐ下仁田方面左折168km=1555中込h700m中込橋場171km=1636石神207km= 1724上大塚西238km=1753野中右折255km=1800玉淀大橋北261km=1812角山上270km= 1837上野本254号から407号へ286km=1849高坂橋291km絵辺川74号へ=1914四本木右折306km(池袋52km)=上鹿山=1923・299号へ309km=1935・16号へ315km=2002小荷田左折330km=2051ガスト着=2145夕食ガスト=1000家着360km。
360km-123km=237km、2200―1450=7:10

この項 了、尚一部工事中


平成16年5月15〜16日(土〜日)―小さな旅―信州をドライブ― 飯田がら茶臼山高原へ

平成16年5月15〜16日(土〜日)―小さな旅―南信州をドライブ―
平成16年5月15日(土)〜16日(日)南信州路をドライブ。
文・写真1部工事中
 茶臼山高原両生類研究所(長野県下伊那郡根羽村茶臼山)のタゴガエルの夜の観察会とビデオ撮影会があるというので急遽参加した。タゴガエルは夜になるとキャンキャン元気良く鳴くという。
第1日目平成16年5月15日(土)快晴。  0600出発=0730中央高速釈迦堂PAで休憩=0832諏訪南93km=0903杖突峠から展望・H1175m・北アルプスや八ヶ岳連峰がよく見えた。


写真は、杖突峠から展望から見た景観。写真左、左手に北アルプスから美ヶ原。
写真中左と中右は美ヶ原から蓼科山、右写真は蓼科山から八ヶ岳連峰を改めて展望した。


写真は、杖突峠から展望から見た北アルプスを拡大して見た。奥穂高連峰や蝶ヶ岳や常念岳が見えた。

=0935高遠左折=0950伊那市中央区216km=伊那市入船左折217km=1000天竜川を写す222km=1017本町左折し駒ヶ根市中央=10207南幼稚園入口を左折し中央アルプスを撮影。


写真左は、南駒ケ岳。写真右は宝剣岳と千畳敷カールがはっきり見える。

=1030馬見塚234km=1055上荒井252km=1058山吹下(高森町)255km=北条右折=1113警察署入口左折265km =1123飯田市美博第二駐車場266.5km着〜昼食〜1230――1215〜岩石撮影〜1245


写真左は、飯田美博の室内展示の赤石山地を造る地層の褶曲構造のレプリカ。静岡県中川根町産・砂岩泥岩互層・中生代白亜紀のもの。
写真右は美博の庭に展示のマイロナイトの本物である。長野県南信濃村小嵐産。斜長石など回転した様子が肉眼で見える。

(飯田美博まで1250-1123=1:27休み+0:40休み計2:07)

/1250再出発=256号を行く=1443根羽村左折313km「←設楽28km・58km豊田→」とある。46号売木方面へ=1405「←6号新野18km・茶臼山→」h1150m324.3km=1415カエル館着(35)h1255m。カエル館見学。

写真をクリックすると、タゴガエルの拡大写真と鳴き声を聞くことが出来ます。
但し、鳴き声はWindows media fileをお持ちの方に限ります。

写真左は、有名なキャンキャンと鳴くタゴガエルは水槽に飼われていた。
夜7時から8時30分まで再度カエル館を訪れたら小さい鳴き声であったがキャンキャンと鳴いた。
尚、カエル館の裏は直ぐ山でせせらぎがあり、その周りの巣穴中で夜キャンキャンと鳴いていた。


写真左と中は、秋山宇宙飛行士のより宇宙酔いの実験に使われたアフリカツメガエル。
写真右はホンアカガエル。

=1450茶臼山駐車場着h1245m――1500茶臼山頂に向かう――1215山頂着p1425mァ  天気の良かったので山頂に向かった。ここは冬はスキー場、周辺は夏は牧場であろう。山頂周辺は素晴らしい新緑に包まれていた。


写真左は、愛知県で一番高いという茶臼山山頂1425mでの筆者。
写真中左の三角点。写真中右と右は山頂から南アルプス方面を遠望。


写真左は、茶臼山登山道に見らた見事なブナと林床に咲くササユリ。

 茶臼山は、天竜奥三河国定公園第1種特別地域で、愛知県の最高峰である茶臼山(山頂1415m)は高等植物でも700種以上が存在する自然の宝庫である。山頂の尾根付近には、愛知県として最も寒冷地性のウラジロモミ群落が残っており尾根から山麓にかけては、ブナを含む温帯性の樹林が広がっている。またコケ植物についても珍しい種がいくつか知られている。
 こうした豊かな自然に囲まれて、哺乳類ではムササビ、ヤマネなど、鳥類ではホトトイス、アカゲラなど、貴重な動物が生息している。
 地質の面では、この一帯の基盤岩は、花崗岩と領家変成岩からなっていて、その上に凝灰岩・砂岩などの堆積岩類が重なり、更にその上に火山活動で噴出して固まった安山岩、玄武岩が重なっている。現在では安山岩等の硬い部分だけ侵食に耐えて残り、これが山頂部を形成している。(茶臼山の現地解説版による)
―1608駐車場に戻るh1245m。
1608-1450=1:18/3:25=1615天竜奥三河国定公園休暇村茶臼山高原着
「標高1237m」とある、時計は標高1235mとありOK。ここまで329.4km。
//1615-0600=1015―休み等3:25=6:50

 1015カエル館着333.6kmh1270m〜2035まで=2048休暇村に戻る337.8km。

第2日目平成16年5月16日(日)前夜半から雨。
 0830出発=0837南信州公域公園線とある46号線を行く(悪路)=0912/151号(巾川バス停)25km=0942左に飯田IC入口を見て通過50km=0957北条59km通過=1107入船右折95km(天竜川を渡り361号)=1120高遠市左折452km=1150安国寺西141km=1153中河原142km=1205富士見交差点(左は諏訪南IC)150km=1231白州道の駅114km171km/1250再出発=
 1335甲府昭和ICで高速へ200km=1415藤野PAで休憩270km=八王子TG/+28kmあと=1500下石原311km=1530家着320km。
//1500-0830=0650休み0:30=6:20///


==この項 了==



平成16年5月9〜10日(日〜月)―小さな旅―諏訪の御柱を見る―

平成16年5月9〜10日(日〜月)―小さな旅―諏訪御柱を見る―
 毎年1回の恒例の望会(上田松尾高校51期の仲間) である。天気は生憎、低気圧や前線が日本付近を通過中で東北から東海は雨であったが風が無く静かにドライブ出来た。5月10日の当日の御柱祭見学は傘をさしての見学で大変であったが、更なる懇親を深めた会であった。Mご夫妻、有難う!。
 雨中の御柱祭りのスナップを少々紹介しよう。


写真は諏訪大社秋宮の大鳥居を境内から見る。観衆は午前10時を過ぎるとどんどん増えた。
秋宮前は雨中にも拘らず、観衆で一杯である。


写真は諏訪大社秋宮の四の柱を曳行の風景と観衆。


写真は諏訪大社秋宮の四の柱を曳行の風景と観衆。平成16年5月10日大社通りの 奏鳴館前辺りで11時半休憩となった。


写真は、休憩中、「木やり日本一」のたすきがけをして美声を披露する親子。


写真は、休憩中に、秋宮三の御柱は30度位まで挙がった来ていたが、超観衆で傍には 行けなかった。カメラを上げて撮影した。


写真は、望会の全員集合で撮影後、 再開を約束して解散、雨中ご苦労さんでした。

参考交通情報
往0755出発=0825一ノ宮16km=0836川崎街道入口21km(大月56m・甲府97kmとある)=0905高尾山駅通過35km=0922相模湖駅前48km=1008大月駅前78kmh385m=1130(25)甲府市竜王町38-2h350m信州そば蔵129km=1255再出発
=1230(1:00)白州道の駅h645m タニウツキキ゛(赤・白)・ヤフ゛テ゛マリ・サワフタキ゛・ハ゛イカウツキ゛・ニセアカシア(赤) など展示場で見る=1330再出発=1416上諏訪駅189km=1425湖泉荘着191kmh810m。
(1425-0755=6:30-1:25休=5:05)(191km/5.08h=38km/h)

復1410湖泉荘出発=1502白州道の駅228km=1519韮崎ハ゜チンコ前=1609一ノ宮高速IC通過270km=1643大月IC通過300km=1713款絅慮319kmHugaスーパー=1733再出発=1815高尾山駅通過346km=1932家381km。(381km-191km=190km)
(1932-1410=5:22-0:31=4:51)(190km/4.85h=39km/h)


==この項 了==


平成15年12月28日(日)―小さな旅―清水港から焼津市へ―

平成15年12月28日(日)焼津買物ツア参加

 YC蔵敷愛読者謝恩企画の焼津買物大作戦として案内を戴いたので参加した。
当日は天気は快晴の小春日和ような快適な旅となった。偶然にも、バス乗車席が前列右側が当たり往復バス車窓から快適な風景を楽しみながらの買物ツアを楽しむことが出来た。
先ずコースを紹介しよう。
 蔵敷7:30出発―<東名高速>―清水港(昼食)―静岡観光茶業―山葵店―焼津さかなセンター―<東名高速>―蔵敷18:15着
注、主催YC蔵敷、(株)読売旅行川営業所、車両は東都観光バス#306、川島D、バスガイドMiss福島希、添乗員YC越本氏。
 さて、車窓から見た風景を紹介しよう。東名高速道路は産業道路であるととともに、観光道路だ。
天気が良かった関係で山々のオンパレードで特に白冠の秀峰富士山は各所から見えて圧巻であった。



平成15年12月18日(日)の朝8時ごろ東都観光バス前列右席から前方を見てデジカメFinePix2800Zで撮影以下同じ。これは相模川橋あたりから撮影。


これは秦野中井付近から秀峰富士を撮影。


これは 大井松田 IC付近から秀峰富士を撮影。


これは東名高速道路都夫良野第1トンネルを抜けると酒匂川と国道246号線の上にかかる
酒匂川橋を通過する、その寸前で撮影した赤いトラス桁道路橋と秀峰富士を撮影。

この付近には思い出が一杯ある。
筆者が若かかりしころ、昭和40年ごろ東名高速道路の最後の難工事と言われた松田から小山町の県境までの舗装工事の主任技術者として従事した。
当時の総理大臣佐藤栄作氏が現場に激励にこられた。私はここを通過するたび、思い出す懐かしい現場である。ちなみに、この橋面はグースアスファルト舗装というすべりやねじれに強い特殊舗装であったことを思い出した。



小山町を過ぎると愛鷹山連峰が見えてくる。筆者は3年前の5月アシタカツツジの淡い赤紫の花が咲いている時期に
連峰の1の越前岳(写真、右の峰)に登ったことを思い出した。この山も富士山が良く見えた。



三島市あたりからの富士山。



清水港のイベント広場からの富士山と愛鷹山。



同じく清水港のイベント広場からの富士山と愛鷹山を拡大して見てみよう。



写真左は清水港波止場から遠望の富士山と帆船クルージング遊覧船OceanPrinsessの雄姿、山も良し船も良し。
写真右はイベント広場から見た秀麗富士山、富士山はどこから見ても流石絵になる。



同じくイベント広場から見た秀麗富士山、二本のタワーは記念のモニュメントか。



同じく富士山の写真を拡大して見ると・・・。



帰途、富士市/沼津市あたりから見た薄暮の富士山、方向によっては、素晴らしい赤富士が見られよう。



帰途、同じく富士市/沼津市あたりから見た薄暮の愛鷹連峰。

いずれにせよ、今日一日は丹沢の山々・愛鷹連峰・富士山に振り回された思い出深い日となった。


そうそう忘れていました。今日は魚を仕入れに来たのでした。
年末年始の「焼津さかなセンター」の年末の混雑ぶりを紹介しましょう。
左右の写真をご笑覧下さい。では又。


年末年始で一部工事中断します!!!。

(詳細)平0650―0702平バス停0702=0705蔵敷バス停0730=0825足柄SA0845=0930東名清水IC0930=清水港着0940―清水マリーンパーク内のイベント広場や波止場・人工なぎさ、そしてエスパレスドリームプラザなど見学と散策―1100シーサイドレストランベルージュ35(ヒバリヤグループ)バイキング寿司昼食1200再出発=1335静岡観光茶業――〃1355(南阿部町)=1305田丸屋本店わさび屋1335=1400焼津さかなセンター―買物―〃1550=沼津IC通過1635=1720海老名SA着1735=1745事故渋滞26.5kp付近=1815蔵敷着解散―菅生小入口=平バス停―平1930。
 
==この項 了==





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平成15年12月20〜21日(土〜日)―小さな旅―初冬の伊豆へ―

平成15年12月20〜21日(土〜日)―小さな旅―伊豆へ―
第1日平成15年12月20日(土)快晴・強風
 伊豆ぐらんばる公園に孫たちと遊んだ。
天気は良いものの、小雪がちらほら、そして強風で寒い日であった。


ぐらんばる公園から東方に広がる相模湾は真下でその先に房総半島が見える。


ぐらんばる公園のアスレティックで遊ぶ孫と、
右はアスレティックの高台から西方を見れば大室山580mがまじかに見える。

ここ、ぐらんばる公園のある城ヶ崎海岸一帯は数年万年前の大室山580m・小室山321mをはじめとする多数の小火山が噴出したスコリア・火山灰・橄欖石安山岩(玄武岩質安山岩)の溶岩から出来れている台地の上にある。それらの荒々しい溶岩があちこちに見られる場所である。(地学ガイド静岡県1999.5.10オーム社版参照)

行程*家0840=海老名SA0910ァ畍木IC0910/32km=小田原0950=1000石橋68km=吉沢橋80km=1047藤哲99kmァ1130伊豆ぐらんばる公園着121km
――(3:20遊ぶ)――
1450再出発=1520K社伊東保養所到着h70m

第2日平成15年12月21日(日)快晴・小春日和
 孫たちと伊豆ガラスと工芸美術館とアンモナイト博物館の見学、そして土肥金山の見学と相成った。


21日の朝7時半ごろ、伊東市の標高70mぐらいにある宿から東方に広がる町並みと相模湾を見る。
ここから、北北東に真鶴岬、その先に丹沢山塊の大山(1252m)などが、
北東に相模湾に浮かぶ初島、写真の中央に三浦半島、右には房総半島が見え、
最右翼に富山350mが見えた。今日は素晴らしい日本晴れだ。


21日の朝11時半ごろ、中伊豆町の伊豆スカイラインで快晴日本晴れのもと、
五合目当たりまで冠雪した富士山は見事でカメラに収めた。
今日はとにかく素晴らしい日本晴れだ。こんな日はめったにない。


前項と同じ場所からの秀麗富士山の写真であるが、シャターを3度押し、望遠で一寸アップしてみた。
尚、左の写真の上の方は南アルプス、右の富士山からのスロープの高まりは箱根山塊であろう。

行程*K社伊東保養所出発0940=1010大室高原理想郷着148km―伊豆ガラスと工芸美術館着h270m〜アンモナイト博物館h300m―見学(1:00)―
〃出発1110=1117蝋人形美術館前通過151km−111号へ=1138伊豆スカイライン途中で富士山撮影162km=1157修善寺通過(136号方面へ)177km=1210日出右折184km=1237土肥観光案内所・昼食(48)/松の家・204km1325/h5m= 1330土肥金山着205km―〃見学・砂金採取(1420~1450)=1520漁協206km=1520帰途につく
=1555日出左折227km(136号・414号)=1608越路トンネル232km=1634も島市内=1642南二日町IC・国道1号に入る=1657八幡地区・岡一色通過252km=1728足柄SA281km=1800秦野中井付近から渋滞319km(44kp)〜1855大和トンネル340km渋滞解除=川IC経由1915家着361km。

==この項 了==





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平成15年12月8日(月)―小さな旅―初冬の鎌倉稲村ヶ崎から長谷路を歩く。

平成15年12月8日(月)―小さな旅―、初冬の鎌倉稲村ヶ崎から長谷路を歩く。
年1回の恒例の集まり懐かしい顔ぶれと更なる懇親を深めた(恒例の望会)―小さな旅―であった。天気も、小春日和となり素敵な鎌倉散策であった。
第1日目平成15年12月7日(日)
おし沼1305=武蔵溝口=新川崎1405=鎌倉1435―(お成り通り)―鎌倉由比ヶ浜・わかみや1510着・泊
第2日目平成15年12月8日(月)
わかみや0930―由比ヶ浜0940=(江の電)=稲村ヶ崎0950―0955稲村ヶ崎海岸―1050長谷観音―1130長谷大仏―1200わかみや1305―(お成り通り)―鎌倉1342=新川崎=武蔵溝口=1540おし沼
散策の様子を写真で見てみよう。
稲村ヶ崎0950―0955稲村ヶ崎海岸―1050長谷観音―1130長谷大仏の散策である。(約5km・8000歩)


初冬の稲村ヶ崎海岸海水浴場から、左手写真は稲村ヶ崎の鎌倉海浜公園を見る。
写真右は七里ヶ浜から小動岬の奥に藤沢市江ノ島を遠望できた。
尚、国道134号直ぐ下は稲村ヶ崎海岸海水浴場と案内地図に記されているが、
風力と潮流の影響か、海水浴場の砂浜の砂が少ないようでその下の基盤が露出していて心配になった。


江ノ電に沿って長谷寺に向かう。
写真は途中、極楽寺に立ち寄る。寺院内は撮影禁止とある。入山前に山門だけ写す。
写真右は長谷寺に着いた。同じく長谷寺の山門を写す。


長谷寺の山門を入るとお寺の庭園が美しい。山道は紅葉真っ盛りであった。


漸く長谷大仏に着いた。長野の友人は中学時代の修学旅行以来の50年振りと懐かしがっていた。
筆者も30年振りで大変懐かしかった。右写真は大仏さまの拡大写真。

平成15年12月8日(月)午後1時過、望み会の―小さな旅―は、わかみやで昼食後、再開を期して解散となった。
==この項 了==





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平成15年11月21〜22日旅―晩秋の信州立科へドライブ―

平成15年11月21日〜22日(金〜土)晩秋の信州立科町へ
第1日目平成15年11月21日(金) 小用があり急遽、晩秋の立科町へドライブ、天気が心配されたが、思いのほか移動性高気圧が日本のど真ん中に張り、快晴となった。そうなると、途中の山々の写真など写したくなるものだ。

コース
平0600=0750上里SA102km=0830富岡IC126km=富岡IC付近の高台=1025立科町津金寺205km=(小用)=千曲ビューライン=1210奈良尾山見晴台1400=立科経由=1530白樺湖280kmパイプのけむり泊


写真左は富岡周辺の里山から妙義山を見る。写真右は同じく荒船山、所謂、軍艦山を見る。


立科町にある名刹津金寺、裏山は初夏は山草花々が美しいかったが、今は紅葉が真っ盛りであった。


写真上は津金寺から浅間山を見るが2000m上は雲の中。


写真は見事な立科林檎。


第2日目平成15年11月22日(土)
白樺湖パイプのけむり0850出発280km=1030初狩PA1045=11052都留IC412km=道坂トンネル・同志みち24号1100=1158梶野457km=64号=1208宮ヶ瀬湖463km・ 宮ヶ瀬BC(&Lunch)=1300鳥井原ふれあいの館1310=1317清正光入口412号471km=串川橋=1505平512km

==この項 了==





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ueda20031109

平成15年11月9〜10日旅―ふるさと信州上田へ―

平成15年11月9〜10日旅―ふるさと信州上田に帰省―
上田松尾高等学校第51期生卒業50周年を祝う会に参加、更なる友情を確かめ合った最良の日であった。皆のこれからの人生に幸多かれ!と祈念しあった。
下記は上田高校正門の写真である。思えば青春時代3年間潜った門で懐かしかった。祝う会に参加時立ち寄り撮影した。

この正門等は上田市指定文化財であり、上田市教育委員会の看板があり、右横にある。それには以下のように記されている。
種別 史跡・建造物、所在地・上田市大手1―4−33、所有者・長野県、指定年月日・上田市文化財指定昭和44年5月9日。上田藩主居館表門及び土塀・濠・土塁。
 上田藩主の居館は、真田氏・千石氏・松平氏の各時代を通して、現在の長野県上田高等学校の敷地となっている場所にあり、「御屋形(おやかた)」と呼ばれていた。
居館の遺構である表門は、藩主松平忠済(ただまさ)時代の寛政二年(1970)にその前年消失した居館とともに再建されたもの。前面には、4本の太い角柱が並び、中央欄には大板扉を釣り、左右には潜りの扉がつけられ、後部の控柱は16面に削った通し梁で繋がっている。創建当時の様式が良く保たれており、長野県下最大規模の蘭医門として貴重な存在である。
土塀は江戸時代の末期の構築、濠と土塁は真田氏時代の面影を残し、全体として江戸時代の大名屋敷の外廻りを知る良い例である。但し、土塁の下部と濠の周囲の石積みは、崩落防止のため最近施工されたものであり、濠の幅も道路の拡張により狭められている。とある。


写真左は卒業50周年を祝う会の会場となった信州戸倉上山田温泉のホテル清風園(504号室)から、東北東を展望すると、真下に千曲川や長野新幹線・上信越自動車道が五里ヶ峰トンネルで通過している山並・五里ヶ峰などの峰々はガスの中であった。
右写真は懐かしい上田交通別所線・城下駅にて13時30分頃電車を写す。私は通学にこの電車に7年間お世話になった。


この項 了





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