資料、イアンブリコス「ピタゴラス伝」
アクゥスマティコイの哲学は、これこれのことをおこなうべしというような、論証や説明を欠いた訓戒(アクゥスマタ)からなる。その他にも
かの人(ピタゴラス)によって語られたことがあるが、これらのことを彼らは神の教えとして遵守するようにつとめ、自分たちの間だけでこ
れらについて語るようなそぶりを見せることもなければ、語られるべきであるとも考えず、むしろもっとも多くこれらの訓戒を修得したもの
たちを自分たちのうちで思慮にかけてもっともすぐれたものであると考えているのである。このように訓戒のすべては、三つの種類に分
けられるそのうちあるものは「何であるか」にかかわり、あるいは「何がもっともそうであるか」にかかわり、あるものは「何をなすべきであ
り、なすべきでははないか」にかかわる。
さて、「何であるか」の例としては、次のようなものがある。すなわち「幸福はなんであるか、テトラクテュスであり、セイレンたちが歌う音
階と同じものである。「何がもっともそうであるか」の例としては、次のものがある。つまり「何がもっとも正しいか、犠牲をささげることで
ある」「何がもっとも知恵あるものか、数であり、二番目に物に名前をつけたものである」「何がもっとも知恵があるか、医術である」
「何がもっとも美しいか、音階である」「何がもっとも善きものであるか、幸福である「何がもっとも真実なことと言われるか、人間たちが
邪悪であることである」それゆえにこそ、ピタゴラスは、次のように歌ったサラミスの詩人ヒッポダマスを賞揚していたと言われている。
神々よ、あなたがたはどこからきたのか、そして、何に由来してそのようなものとなったのか。
人間たちよ、あなたがたはどこからきたのか、そして、何に由来してこのように悪しきものとなったか。
以上のようなもの、あるいはそのような性格のものが、この種類のものの訓戒である。なぜなら、このようなものの各々は「何がもっと
もそうであるか」にかかわるからである。そして、これはいわゆる七賢人の知恵と同じものである。
・・・「何をなすべきであり、なすべきでははないか」にかかわることは「子供をつくらねばならぬ」・・・「右足を先にして靴をはかねばなら
ぬ」「聖水盤に手をひたしてはならない」

ピタゴラス派の掟(シュンボラ、アクゥスマタ)

ポルピュリオスが伝えるものでアリストテレス「断片集」にあるもの
@秤を踏み越えるな(分を超えて多くを持ってはならぬ)
A火を剣で掻き立てるな(脹れて怒っている人を激しい言葉で刺激するな)
B花冠をむしるな(法をやぶるな、花冠は都市の法だから)
C心臓を食べるな(悲しみで自分を苦しませるな)
D一日の糧の上に座ってはならない(働かずに生きてはならぬ)
E旅だって引き返してはならぬ(死してこの生に執着してはならぬ)
F街道を歩いてはならない(多数者の考えに従うことを戒め、少数の教養ある士の考えに従うことを進めている
G燕を家にいれてはならない(おしゃべりで口舌に抑制のない人々と同じ屋根の下に住んではならない)
H荷を負う者に荷を加えるのはよいが、荷を減らすのを助けてはならない(楽をせず、徳のために協力する)
I神々の像を指輪の中にはめて持っていてはならぬ(神々に関しては、思いも言葉も身近かに持ってもならないし
あからさまにしてもならないし、多数者の間へ持ち出してもならない)
J神々への献杯はコップの耳でもって行え(神々を崇拝して音楽を以て讃美すべきことを謎のように語っている。音楽は耳を通して流れ
るからだ)

イアンブリコスが伝えるのも「哲学の勧め」
1.神殿のほうに出かけていくときには、まずこれを崇めなさい。そして、その途中で日常にかかわるほかのどんなことも語ってはい
けないし、してもいけない
2.寄り道をして、神殿に入ったり、これを崇めたりすることはけっしてしてはならない。たまたま門前のところに立ち寄ることがあって
も同じことである。
3.犠牲をささげたり、崇めたりするときは、裸足でなければならない。
4.大道をさけて、小道を歩かねばならない
5.メラヌゥスを食べるのをひかえねばならない。それは地下の神々のものであるから。
6.神々にしたがい、ほかのだれにもまして自分の舌を支配しなさい
7.風が吹くときには、エーコー(木霊)を崇めなさい
8.火を短剣でかきまぜるな
9.酢のはいった容器はすべておまえ自身から遠ざけなさい
10.人が荷をあげるのを手伝うべきであるが、荷をおろすのを手伝ってはならない
11.靴は右足をさきにはかなければならないが、足洗の水には左足を先にいれなければならない
12.ピタゴラス派に関することを明かりのないところで話してはならない
13.秤竿を踏みこえてははならない
14.自分の国から外にでるときは振り返ってはならない。エリニュス(復讐の女神)たちがあとを追いかけてくるからである
15.太陽に向かって小便をしてはならない
16.松明をもって椅子を吹いてはならない
17.雄鶏を育てても、犠牲にささげてはならない。雄鶏は月や太陽の神にささげられたものであるからである
18.一日の糧の上に座ってはならない
19.鉤形に曲がった爪をもつ鳥をそばで飼ってはならない
20.道からそれてあるいてはならない
22、つばめを家にいれてはならない
23、指輪に神の姿をきざんではならない
24、灯火のそばで鏡に自分の姿をうつしてはならない
25、神々についても神の信仰について途方もないことを信じてはならない
26、抑えのきかない笑いにとらわれてはならない
27、犠牲のとき爪を切ってはならない
28、だれにでもたやすく右手をさしだしてはならぬ
29、夜具から起きたときには、それを丸めてその場所を平らにしておかなければならない
30、心臓を食べてはならない
31、脳みそをたべてはならない
32、あなたの刈りとった髪の毛や切った爪につばを吐いてはならない
33、紅魚を食べてはならない
34、灰に土鍋の跡を残してはならない
35、子供をつくる目的で、裕福な女性に近づいてはならない
36、1図形と1歩の進歩を「1図形と3オボロス」よりも尊重せよ
37、そらまめを食べるのをひかえよ
38、ゼニアオイを育ててもよいが、食べてはならない
39、生きものを食べるのをひかえよ

ディオゲネス・ラエルティオスのものでアリストテレス「断片集」あるもの
・ピタゴラスは、「べにうお」「メラヌース」を食べることを禁じた。心臓や豆も断つことになっていた。子宮や「あかぼら」も時には断った。
・尊崇は、神々に対するのと、半神達に対するのと等しいしきたりであってはならない。神々には常時、言葉を慎み、白衣を着用し、身
を清めてする。半神どもには正午以後にする。清めは斎戒と沐浴と灌注とにより、また、埋葬や結婚の、すべての穢れかも清めること
により、また死獣の肉や、「あかぼら」や「メラヌース」や、卵や、卵生動物や、豆類や、その他、神域で神秘の祀りを行う者どもが禁ず
るものを断つことによる。
注、アリストテレスは豆を断つ理由を述べている。他の資料では空豆がよく出てくる。
@恥部に似ているから
Aハデスの扉に似ているから
B豆類のみは節を持たない
C有害だから
D宇宙本性に似ているから
E寡頭制的であるから(それで抽籤をした)
次に、生活に関して、アリストテレスは理由を述べているものもある(  )内がアリストテレスの解釈
@卓子から落ちたものは取り上げない(放縦に食べない習慣をつける、あるいは、人の死のしるしになるから)
A白い鶏には触れない(月に神の聖物であり、時を告げるからである・・・)
B魚類の中の聖物には触れない(神と人間に同じものを供されてはいけない)
Cパンをちぎらない(彼らを一つに結んだパンだから)
アリストテレス「断片集」にないもの
@刃物で火をかき立てぬこと
A心臓は食べてはいけない
B荷物は、背負うのを手伝うのではなくて、降ろすのを手伝うこと
C秤竿を飛び越えぬこと
D一コイニクスの量の穀物の上に坐してはならぬ
E寝具はつねにたたんでおくこと
F指輪に神の像を刻んではならない
G灰の中に土鍋の痕を残さぬこと
H松の小枝でお尻を拭いてはならぬ
I太陽に向かって小便をしてはならぬ
J大道理から逸れて歩かぬこと
K気軽に握手握手しないこと
L軒下に燕を来させないようにすること
M鉤爪をもつ鳥は飼わぬこと
N切り取った爪や刈り取った髪の毛の上に、放尿したり、その上に立ったりしないこと
O鋭利な刃物は切った先の向きを変えること
P国外へ出かけようとしているときは国境で振り向かぬこと

ピタゴラス派の戒律、アクゥスマタはイアンブリコス以後の言葉、それ以前は、シュンボラという言葉が使われていた。アリストテレス
は聴聞と呼んでいる。ピタゴラス派の間で古くから口頭に聴聞により伝承された掟。多くが原始的な禁忌であり、謎めいたものもあ
る。主に、アリストテレスの「ピタゴラスの徒」という著作に収められている(断片集)。断片集には、ディオゲネス・ラエルティオス、
ポルピュリオス等の著作からのものである。これらは、禁忌や生活する上での規則、マナーであり、また、祭儀に関する規定もある。
おそらく、プラトンが「ピタゴラス的生活」と呼んだ生活様式のマニュアルであったと思われる。これにより、外部の人々と関係を絶ち、
内部では「兄弟である」という、集団の結束を守るためのものであった。例えば、「互いの交友録、覚え書き、ノート論書そのものと論文を
・・・俗耳になじなせず、反対に互い同士の対話あるいは論書の意味を密語(シュンポラ)を使って隠してい。また、次の資料により、確
実にBC5世紀末にさかのぼれるが、さらに、ピタゴラス本人の時代や、それ以前にさかのぼれると思われる。イアンブリコスは「こらら
(何が最もそうであるか)は七賢人の知恵とまさに同じ」(VP83)。と述べていることからもわかる。シュンポラという言葉は、後に「印」
という意味にも使われたようである。例えば、イアンブリコスによると、ピタゴラスの人が旅の途中で病で亡くなったとき、その人は事前
にある印(デーイルズはペンタグラムではないかとしている)板につけ、宿の前に吊しておいた、後に、あるピタゴラス派の人が宿の代金
を支払った。(VP237〜)

アイアノリス「ギリシア奇談集」が伝えるもの
@銭葵の葉は最も神聖なもの
A最賢いものは数である。その次は、事物に名を与えた者
B地震の原因は死者たちの会合
C虹は太陽の光芒
D何度も耳に入ってくる音は神霊の声
E心臓や白い雄鶏、それより何よりも屍肉を食べることを慎む
F風呂を使うな
G大通りを歩くな

TOPへ

ヒエロニュムスが伝えるものでアリストテレス「断片集」にあるもの
@秤を踏み越えるな(公正を踏み越えてはいけない)
A火を剣で掻き立てるな(怒って脹れている心を悪口で刺激してはならない
B花冠を決してむしってはならない(都市の法はまもらなけらばならない)
Cしっbぞうをたべてはならない(悲嘆を心から放逐せねばならない)
D出立してしまったら引き返してはならぬ(死後は生を求めてはならぬ)
E街道を歩いてはならぬ(多数者の誤りの後を追ってはならぬ)
F荷を負う者には荷を加えるべきで、荷を減らすのを手伝ってはならない(徳に向かって進むものは励まし、怠惰に身を委ねる者どもは見捨てるべじであるとの教え)

イアンブリコスは、その内容を次のように3つに分類している。

宗教的、儀礼的、祭儀のような禁忌は、ピタゴラス派は、後のものを取り入れた可能性もあるが、ピタゴラス派以前に広まっていた、
密議やその他民間に伝承されてきた禁忌を取り入れたようである
例えば
・エレウシス教の入門者は、断食し、入浴をさけ、豆、鶏、ザクロ、羊を禁忌した。
・ハローアの祀りでは、ザクロ、羊、鶏、アカボラを禁忌した
・トロポーニオスでは、あったかい風呂、アカボラケ、キジバトをさけた
・デロス島のキュンティオス山に礼拝する者たちは、はだしで白い着物を着て、その前には性向と肉食をさけた。そして、鉄の指輪、
鍵、ベルト
財布、または武器を身に付けてはならない
・リュシスの神聖な法は、生贄のとき、はだしで、白い着物を着て、指輪や金の飾りをしてはならぬと命じている
・アクレビオスの神殿では、床に落ちたものを拾い上げたはならぬ。そしてペルガモンにおいては死者に指輪、ベルト、金の装飾を
してはならぬ