ピュタゴラスは、神のような人、超人、奇跡を起こす人等に描かれる。特にアポロン神と同一視されたり、その子孫とされたりする。アポロン神の神官とのかかわりは、前のページの資料を参照。(イリアスに関する箇所、アバリスに関する箇所等)

アポロン神とは・・・ゼウスとレト女神の子でアミステルの双子の兄弟。デロス島で生まれ、極北のヒュペルボレオイ人の国に行って、一年間そこにとどまったあとで、デルフォイに来て、大地女神ガイアの神託を守護していた悪竜ピュトンを退治し、神懸かりした巫女ピュティアの口から述べられるこの神託を自分のものにした。美男子で、弓矢と竪琴をたずさえ、預言とともに音楽、牧畜、医術なども司り、また病の矢を放って人や家畜を殺す疫病神としての面ももつ。のちに太陽神と混同された。おそらくギリシア本来の神ではなさそうである。出自はさまざまな説がある。小アジアのリューディア、リュキア地方に起源する神とする説、極北ないし北方地帯にあった国がアポロンの故地であるという説、ギリシアに進入したドーリス人の守護神説などがある。「アポロン賛歌」のピュト(デルフォイの古い名前)には、新来ないし進入してきた神ととらえられている。
注、「ホメロスの諸神賛歌」(ちくま学芸文庫)、エリアーデ「世界宗教史2」(ちくま学芸文庫)、アポロドース「ギリシア神話」(岩波文庫)、「ギリシア神話」(岩波文庫)を参照

ピュタゴラスとアポロンとのかかわりに関する資料

ピュタゴラスがクロトンの少年たちに説教した中に、クロトンとアポロンの関係が次のように語られている「アポロンは植民の指導者に、もしイタリアへ植民するなら、子孫を恵んでやろうと約したのだ。かくして君たちは、おのれの生誕に心をくばってくださったのがアポロン」(VP52)もともとピュタゴラスは、クロトンの創建を後援したアポロンとは関係があったのである。さらにBurkert(p113-114)によれば、南イタリアでは、クロトンとメタポンティウムだけでアポロンを崇拝していた。メタポンティウムにおいては、アポロンを信仰する教団がありクロトンに属していたMacallaという都市も同様に信仰していたという。さらに、クロトンの最古のコイン(BC550年頃)には、アポロンの鼎が使われ、メタポンティウムではBC470頃アポロンのコインが発行された。このように、アポロン、ピュタゴラスはもともとクロトンを介して結びついていた。
参考、現存するピュタゴラスが描かれているコインはアブデラ(小アジア)のものでBC430年前後の物である

ピュタゴラスの出自とアポロン、ピュト(デルフォイの古い名)のアポロン
*イアンブリコスは、、ピュタゴラスがアポロンの子であるという、詩人の話をつたえいる。
資料、VP5
サモス生まれのある詩人が、かの人(ピュタゴラス)はアポロンの子なりとしてかくうたう。
「して、ピュタゴラス、これをゼウス慈しむアポロンがために生んだは、ピュタイス、サモス一の麗容。」

*ポルピュリオス、は「アポロニウス」を典拠にして、アポロンの息子としている。さらにイアンブリコスと同様、詩人を引用している。
資料 VP2
アポロニオスは「ピュタゴラス伝」で、母親のことも書き記し、こらは名はピュタイスでサモスの定礎者の子孫だったまたピュタゴラスはアポロンとピュタイスから生まれたが、名目上では父親はムネサルコスになっている所伝もあるとアポロニウスは述べる。例えばサモスのある詩人は述べる。
「して、ピュタゴラス、これをゼウス慈しむアポロンがために生んだは、ピュタイス、サモス一の麗容。」

*この説は、エピメニデス、エウドクソス、クセノクラテスも述べていたが、イアンブリコスは否定している。
資料 VP7
退けるべきは、エピメニデス、エウドクソス、クセノクラテスらの憶見、つまり、アポロンがこのときパルテニスと交わり、身ごもっていなかったのを妊ませ、巫女に託して予言した説などである。
*イアンブリコスは、ピュト(デルフォイの古い名)のアポロンは、ピュタゴラスの誕生を予言したとし、ピュタゴラスの父であることは否定している。さらに、ピュタゴラスの名前の由来を述べている。
資料 VP5-7
サモス人ムネマルコスが妻をともなって商用でデルフォイに滞在、妻のみごもりの兆しはまだ現れていなっかたとき、夫がシリアの航海につき伺いをたてると、デルフォイの巫女はシリアへの渡航について予言した、この海行はこよなく心にかない、益となろう、妻はすでに懐妊、一子を儲け、子は美貌と知恵の点で未曾有にして、人に生き方の巨細にわたってはかり知れぬ利益を恵もうぞ、と。子の誕生につき伺いをたててもおらぬ自分に、神がこれを託宣したのは、子の美質の選り抜き、かつ、まこと神授なればこそ、とムネマルコスは思い合わせて、すぐさま妻の名前をパルテニス改名してピュタイスとさせたのは、子どもと巫女ピュティアにちなみ、フェニキュアのシドンで妻が出産、生まれた息子をピュタゴラスと名付けたのはピュトなるアポロンから予言を受けたからだった。

*名前に関しては次の資料もある
資料 DL8-21
キュレネの人アリスティポスが「自然学者たちについて」のなかで述べているところによれば、彼がピュタゴラスと名づけられたのは、彼はピュティオス(・アポロン)の神におとらず真理を述べ伝えたからだ、という
ことである。
注、ピュタゴラスは「ピュティオス」と「アウゴレウエイン」(述べる)の合成語つまり、ピュティオス(アポロン)が述べる。ピュティオスはピュトの形容詞でアポロンのアポロンの枕詞。

②極北のアポロンとの同一視
資料 VP30
後世はピュタゴラスを・・・誰か神霊として神に数えたほどで、ある者はピュトなるアポロンが、ある者は極北人のもとからのアポロンが、ある者は治療神アポロンが、あるものは月に住まう神霊の一柱が、また別の者らは、オリュンポスの別の神が幸福と愛知の営みという救いの火種を死すべき性の人間に恵むため、人の生き方を益し、善道すべく、人の姿に化生して当時の人々に現れたのであり、これよりも大いなる善は、神々から(このピュタゴラスを通して)贈られてかつて来臨せず、これからも来臨せぬだろう。と言って噂を広めた。

資料 VP140
口伝の一則もこれ「汝は誰ぞ、ピュタゴラスよ」答えは、極北のアポロンなり。
資料 VP135
かの人(ピュタゴラス)が、アポロンに仕える神官アバリスの、自分を極北人のアポロンと推し量ったのにたいし、大腿部の紫金であるのを極北人アバリスに開帳して、この神官が正しく知見し、邪見しておらぬと確証した話は・・・

資料 VP91
(アポロンの神官の)アバリスが・・・ピュタゴラスの姿を眼にし、おのが神官として仕える神と切に引き比べ、身に備わった威厳といい、神官として見抜いた片鱗といい、あれは他でもない、神に似た人間ところか、まさにアポロンそのものと帰依して、ピュタゴラスに矢を献上した。

資料 VP141
自分(ピュタゴラス)をアポロンに引き比べたのは的はずれにあらずと確信させたうえで、おのが腿の紫金であるのを見せアバリスが誤解しておらぬことの証左とした。
資料 DL8-11
彼(ピュタゴラス)の弟子たちは、彼を極北の民のところからやって来たアポロンであるというふうに考えていたのである。・・・彼の腿は黄金でできているのが見られたという話もある

③生命の生みの親アポロンとの関係
資料 DL8-13
ピュタゴラスが(魂をもつ)生きものを食べることを禁じた本当の理由は、生命を維持することだけで満足するように人々を訓練して、そのことに慣れさせ、その結果、人々は最も容易に手に入るものを食料とし、食卓には火を使わない料理を並べ、純粋な水だけを飲んですます、というふうにすることにあったのである。というのは、そうすることで、身体の健康も精神の鋭敏さももたらされるのだからというわけであった。だからまた、彼が礼拝していた祭壇は、生命の生みの親である神、デロス島のアポロンの祭壇だけである。その祭壇は「角の祭壇」の後方にあったのであるが、その祭壇の上には、火を用いないままの、小麦や大麦や供物の菓子だけが置かれ、犠牲獣はひとつも捧げられていなかった。
資料 VP25
かの人は「無血の」親アポロンの祭壇にいき、これを礼拝、デロス島周辺で賛嘆を受けたという。
資料 VP35
無血の犠牲を捧げられる親アポロンの祭壇のみ祈りを捧げ、島民のあいだで賛嘆された。

☆超人、奇跡を起こす人と描かれるピュタゴラスに関する資料(主な出典はアリストテレス)・・・ギリシアではアポロンは予言する神と考えられていた、従ってアポロンとの関係でピュタゴラスのさまざまな予言が語られているかもしれないが、断定するだけの資料はない。時代が下がる伴って拡大解釈されいるように思われる

資料 アポロニウス「奇談集」アリストテレス「断片集」、DK14-7、
ムネサルコスの息子、ピュタゴラスは、これらの人々に続いて起こって、最初は、数学や数に関して研究したが、後には、ペレキュデスの不思議な業をも避けることをしなかった。すなわちメタポンティオンへ荷を積んだ船が入ってきたとき、居合わせた人々が、その荷のために安全に入港することを祈っている際、ピュタゴラスはそばに立って言った。「あなたがたはこの船が死体を運んでくるのを見るでしょう」また、アリストテレスの言うところによれば、カウロニアで白熊が現れるのを予言した。アリストテレスは他にも多くのことを彼に関して記しているが、テュルレアで毒蛇が咬んだとき、ピュタゴラスは自ら、それを咬んで殺したと言っている。また、ピュタゴラスの徒に反乱が起こる事を予言した。それだから、誰にも見られずにメタポンティオンに去った。コサス河を渡った時に、他の人々と一緒に超人的な大声を聞いた。「ピュタゴラスさんご機嫌よう」居合わせた人々は非常に恐れたかつて、同じ日、同じ時刻に彼はクロトンとメタポンティオンとに現れた。かつて、劇場に彼は座していて、立ち上がって自身の腿が黄金であるのを、座している人々に示したとアリストテレスは言っている。

資料 アイアノリス「ギリシア奇談集」アリストテレス「断片集」DK14-7、
ピュタゴラスはクロトン人びとにより極北のアポロンと呼ばれていたと、アリストテレスは言っている。アリストテレスは付け加えて言っている。彼はかつて、同じ日の同じ時刻に、多くの人々により、メタポンティオンでもクロトンでも見られた。また、オリンピアで、競技の際、ピュタゴラスは劇場で立ち上がって、腿の一方が黄金であるのを見せた。また、アリストテレスは言っている、コサス河を渡る際、彼はその挨拶を受けたまた多くの人々が、この挨拶の声を聴いたと言っている。

資料 アイアノリス「ギリシア奇談集」アリストテレス「断片集」、DK14-7、
ピュタゴラスは、彼が死すべき本性並の者よりすぐれた種から生じたものであることを人々に教えていた。すなわち、彼は同じ日、同じ時刻にクロトンとメタポンティオンでも見られたと人々は言っている。また、オリンピアでも、片方の腿が黄金であるのを見せた。また、彼はゴディオスの息子でプリュギア人のミダスであると、クロトン人のミュルリアスに洩らした。また、白い鷲を叩いたが、鷲はじっといていた。更にまた、コサス河を渡る際、挨拶を受けた。「ご機嫌ようピュタゴラスさん」と河はかれに言ったのである。

資料 DL8-11
彼は非常に威厳のある風貌の人であったと言われている。弟子達も、彼について、極北から来たアポロンであると思っていた。かつて、彼が裸身になったとき、腿が黄金であるのが見られたと話されている。またネッソス河は、彼が渡ったときに、挨拶したと言う人は多くいた。

資料 イアンブリコスVP140-143
ピュタゴラスの徒における信条に対する確信は、最初にそれを語ったのはやたらな人ではなく、神であったということに由来すると人々は思っている。聴聞の事の中の一つはこれである「ピュタゴラスよ、汝は誰であるか」極北のアポロンであると彼らは言う。その証拠になるのは次のことであるとする。すなわち、競技の際立ち上がって腿が黄金であると示したこと、また、極北の人アバリスを饗応した際、道案内となってきた矢を彼から取り上げたことである。アバリスは極北から神殿のために黄金を集め、また、疫病を予言して来たと言われている。彼は神域に滞在したが、かつて、飲んだところも、食したところも見られていない。また、ラケダイモニア人どもの中で、厄払いの共えの祀りを行ったが、そのために、それ以後、ラケダモニアには疫病は起こらなかったといわれている。このアバリスから、持っていた黄金の矢ーーーそれがなくては道を見いだすことは出来なっかたものであるーーーを取り上げ、それを同意させた。また、メタポンティオンにおいて、入港しようとしている船に積まれているものが無事に自分達のものになるのを人々が祈っている際に「屍が、お前達のものに成るだろう」と言った。果たして船は屍を運んできた。また、シュバリスでは野兎を殺した蛇を捉えて片付けた。チュルレニアでも咬んで殺すことをした小蛇を同様にした。クロトンでは、白い鷲を叩いたが、鷲はじっとしていたと人々は言っている。ある人が話を聴くことを望んだが、兆しの現れるまでは話さぬと言った。するとその後で、カウロニアに白熊が現れた。彼の息子の死を彼に報じようとするひとに向かって、彼は自分の方からそれを言った。クロトン人の、ミュリアアスに、自分は、ゴルディオスの息子ミダスであると洩らした。そこでミュリアスは墓について、ピュタゴラスが頼んだことを行う為に本土へ急いだ。また、彼らは言っている、彼の家を買ってこれを毀した人は、何を見たかを敢えてしなかった。この罪の報いで、クロトン聖物窃盗のかどで逮捕された。ピュタゴラスの像から落ちた黄金の髭をとるところを目撃されたからである。これらのこと、また、他にこのようなことを確信のため彼らは語っている。
注、アバリスの矢はもともとアポロンのもの、従って、自分(ピュタゴラス)が矢の所有者つまりアポロンであることを意味する

資料 イアンブリコスVP36
海岸で漁師らのかたわらに立ち止まり、まだ網が海中深く魚をはらんで手操り寄せられている最中に、魚の数をぴたりと予測し、漁師らがいかほどの大漁を引き寄せつつあるかを告げた。それで漁師らが、もし言葉通りであれば、いかなる言いつけでも実行する旨約束すると、かの人はまず魚を正確に数え上げたうえで、生きたまま海は放生せよと言った。らに驚くべきことに、勘定しているあいだ、魚は水の外にいたにもかかわらず、彼がよこに立っているかぎり、一匹も干上がらなかった。かの人は魚の代価までも漁師らに与えてクロトンに帰った。

資料 イアンブリコスVP60ー62
ダウニアの雌熊が住民に甚大な危害を加えているのをかの人は捕らえ、なでてやることしばし、麦菓子と木の実をえさに与え、もはや生きものは襲わぬと誓わせた上で放生した。熊はすぐさま山の雑木林に逃げ込み、以来、ことわりなき異類に襲いかかる姿さえ絶えて見られなかった。タラスでは、牛が雑草生い茂る牧草地で生なりの豆をも食んでいるのをかの人は見て。牛飼いの面前へいき、豆は禁忌するよう雄牛に告げよ忠告した。・・・みずからおもむいて牛の耳へささやきかけると、豆畑から立ち退かせたのみならず、かの牛は二度と豆に食まず、世上「ピュタゴラスの聖牛」とは称され、参拝者が奉献する人間の食べ物で養われつつ、寿齢果てなく、タラスの神殿で春秋を重ね続けたという。オリンピアでは、鷲の飛来するや、ときしも弟子たちに鳥占、徴、天の兆しについて語り、鷲もまた神からの、真に神に愛でられた人間への使いと講説している最中みして、かの人は猛禽を舞い下らせ、撫でた上で放生したという。

資料 イアンブリコスVP134
かつてネッソス河を弟子達と大勢で渡りつつ、ピュタゴラスは河に言葉をかけた、すると、皆が固唾を呑むなか、河は朗々と言葉を返したのだ、「挨拶申し上げる、ピュタゴラスよ」。さらには、イタリアのメタポンティオンとシケリアのタウロメニオンで、二都のあいだには陸路でも海路でも幾里もの、毎日かかっても行き着けない距離が介在しているにもかかわらず、同じ日に両地の弟子らとかの人が会し、談論したとは、ほとんど皆が確証するところである。

資料 イアンブリコスVP135
アポロンに仕える神官アバリスが、自分を極北人のアポロンを推し量ったのにたいして、ピュタゴラスは大腿部の紫金であるのをアバリスに開帳して、その推量が正しく知見し、邪見しておらぬと確証した話は喧伝されている。・・・・アバリスは「空をあるく人」そのゆえは、極北人のアポロンの矢を授けられ、これに馭して川と海と通行不能の難所を渡るのが、空を歩くのをさながらであったからだ。まさにこの霊異がピュタゴラスの身にもそのとき起こり、メタポンティオンとタウロメニオンで、両地の弟子らと同じ日に談論したと推測する人もいた。また、かの人は飲んだ井戸水からは地震の発生を、順風満帆の船については沈没を見通したという。

資料 ポルピュリオスVP23-25
ピュタゴラスの教えとさとしは、ことわりなき異類にさえもおよんだ。伝によると、ダウニアの雌熊が住民に甚大な危害を加えているのをピュタゴラスは捕らえ、なでてやることしばし、麦菓子と木の実をえさに与え、もはや生きものは襲わぬと誓わせて上で放生した。熊はすぐさま山の雑木林に逃げ込み、ことわりなき異類に襲いかかる姿さえもはや絶えて見られなかった。タラスでは、牛が雑草生い茂る牧草地で生なりの豆をも食んでいるのをピュタゴラスは見て。牛飼いの面前へいき、豆は禁忌するよう雄牛に忠告した。・・・みずからおもむいて牛の耳へささやきかけると、豆畑から立ち退かせたのみならず、牛は二度と豆に触れず、「聖牛」と称され、参拝者が奉献する食べ物で養われつつ、寿齢果てなく、タラスの神殿で歳をとり続けたという。オリンピアでは、鷲の飛来するや、ときしも弟子たちに鳥占、徴、天の兆しについて語り、鷲は神からの、真に神に愛でられた人間への使いで天の声なりと講説している最中で、ピュタゴラスは猛禽を舞い下らせ、撫でた上で放生したという。また、漁師らのかたわらに立ち止まり、まだ網が海中から大漁の獲物を引いている最中に、魚の数をぴたりと予測し、漁師らがどれほどの大漁を引き寄せつつあるかを予言し、それで、漁師らが、もし言葉どうりであるならばいかなる言いつけでも実行する旨約束すると、ピュタゴラスはまず魚を正確に数え上げたうえで、生きたまま海へ放生せよと言った。さらに驚くべきことに、勘定しているあいだ、魚は水の外にいたにもかかわらず、彼がよこに立っているかぎり、一匹も干上がらなかった。・・・このあと前のページのエウポルボスの話が続く。

資料 ポルピュリオスVP27
所伝では、かつてカウカソス河(カサスの誤記かも)を弟子達と大勢で渡りつつ、ピュタゴラスは河に言葉をかけた、すると、皆が固唾を呑むなか、河は朗々と言葉を返したのだ、「挨拶申し上げる、ピュタゴラスよ」また、イタリアのメタポンティオンとシケリアのタウロメニオンで、二都のあいだには陸路でも海路でも幾里もの、毎日かかっても行き着けない距離が介在しているにもかかわらず、同じ日に両地の弟子らとピュタゴラスが会し、談論したとは、ほとんど皆が確証するところである。

資料 ポルピュリオスVP28ー29
アポロンに仕える神官アバリスが、自分を極北人のアポロンを推し量ったのにたいして、ピュタゴラスは大腿部の紫金であるのをアバリスに示して、その推量が正しいと確証した話は喧伝されている。さらに、船が帰港し、友人たちが、積み荷が自分らのものになるのを期待していると、ピュタゴラスは言った「では?がきみたちのものになろう」。実際船は死体を運んで帰港していたのだった。その他ピュタゴラスについてさらに驚くべき、神秘的な神異が、内容も等しく、異口同音にごまんと伝えられている。一言で言って、何人の身の上にも、いっそう多くの神異も、そう並外れた神異も思いおよばなっかた。なぜなら、ピュタゴラスについて伝えられているのが、地震の誤ちなき予言、すみやかな疫病祓い、強風と雹(ひょう)の降り注ぎの沈静、弟子たちの渡りをたやすくするための、川と海の波立ちの鎮めであるからだ、・・・・アバリスは「空をあるく人」その理由は、極北人のアポロンの矢を授けられ、これに馭して川と海と通行不能の難所を渡るのが、空を歩くのをさながらであったからだ。まさにこの霊異がピュタゴラスの身にもそのとき起こり、メタポンティオンとタウロメニオンで、両地の弟子らと同じ日に談論したと推測する人もいた。

ピュタゴラスの師とされているペレキュデスについてディオゲネス・ラエルティオスは次のようにピュタゴラスの奇談にある同じような証言を残しており、これをピュタゴラスのものとした可能性もあるが確かなことは言えない。しかも、年代的どちらが古いのかもわからない。ピュタゴラスの奇談についてはよく分かっていない

資料 DL11-116
しかし彼あ8ペレキュデスについては数多くの驚嘆すべき話が伝えられている。すなわち、彼がサモス島の海岸を歩いていたとき、一隻の船が順風を受けて進んでいるのを見て、この船は間もなく沈むだろうと言ったのだが、事実そのとうり彼の目の前で沈んでしまった。また、彼は井戸水からくみ上げられた水を飲んで、三日目に地震が来るだろうと予言したが、実際その通りになった。さらにオリンピアからの帰途メッセネに着いたとき、かれは宿の主人のペリラオスに家族ともどもここからたちさるように忠告にした。ペリラオスはその忠告にしたがわなっかたが、メッセはその後敵に占領されてしまった。テオポンポスが「奇談集」において言うところでは、ペレキュデスはラケダイモンの人たちに金や銀を崇めてはならないと語った。そして、夢で彼にこのような命をあたえたのはヘラクレスであり、さらに、同じその夜にヘラクレスは王たちにペレキュデスの言うのとに従うように命じたのだということである。しかし、ある人たちはこの話をピュタゴラスに結びつけている。(次の資料参照
注、地震の予言は、ペレキュデスと同時代のアナクシンマンドロスの予言の報告(キケロ)もあり、これに井戸水の話を付け加えた(Burkertp145)らしい

ペレキュデスとについてはピュタゴラスについては、ポルピュリオスの次の報告があり、それによれば、ピュタゴラスに関する伝承がテオポンポスによってペレキュデスのものとされた。しかし、Burkert(p145)によらば、テオポンポスはアカデメイアとピュタゴラスに対し反感を持っていたので、ピュタゴラスをペレキュデスに置き換え、剽窃したかもしれない。

資料 ポルピュリオス「文献学講義」DK7-6
アンドロンは、「鼎」の中で、哲学者ピュタゴラスの予言にまつわる話を報告して、次のように言っている。あるときメタポンティオンで、喉がかわいたので、井戸から水を汲んで飲んでいるときに、三日目に地震が起きることを予言したという、そして(ポルピュリオスは)このことを別の話を関連させながら、次のように付け加えている「これらの話はアンドロンがピュタゴラスについて記録したものであるが、それをことごとくテオポンポスが剽窃したものである。もっとも、テオポンポスがピュタゴラスについて語ったのであれば、他の人々も彼について知っているので『ピュタゴラス自身が語ったのと同じ話だ』と言うであろう。しかし、その名前を変更したことが、かえって盗作であることを明らかにしてしまったのだ。なぜなら、同じ出来事を扱うのに、別の人の名前に変えて、このことを予言したのはシロスのペレキュデスであると主張して、しかも、名前だけでなく地名まで変更して、盗作であることを隠しているからだ。すなわちアンドロンによれば、地震についての予言はメタポンティオンで語れられたことになっているのに、テオポンポスは、これがシュロスで言われたこととしてあるのである。さらに、船に関する出来事も、シケリアのメガラではなく、サモスから観測されたと言っているし、シュバリス占領の話もメッセに移し替えてしまった。そして、なにか尋常でない話をしているのだと思わせるのに、宿の主人の名前を付け加えて、その人はペリラオスと呼ばれているなどと言っているのである」(ペリラオスについては上の資料参照)

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