おすすめBOOKリスト

No1 川島 隆太 「読み・書き・計算が子供の脳を育てる」 (子供の未来社)

川島は、脳科学の立場から、音読している時、一桁の計算をしている時、声を出しながら書いている時に、脳の前頭前野という場所が、活発に働いていることをその映像とともに紹介している。
まだ、仮説の段階であるが、百マス計算等の理論的根拠になる可能性がある。同じ著者の「自分の脳を自分で育てる(くもん出版)も同じ内容
注、2006年6月に、「祥伝社黄金文庫」に再録

No2 武部 隆 「自閉症の子を持って」 (新潮新書

本のカバーの裏には、「これまで語ることの少なかった自閉症児の父が綴る、痩身の手記」とある。著者は、本書を通じて「心のバリアーフリー」の大切さを訴えたいと考えている。無関心でもいいから「そこにいても構わない」という余裕のある社会になってほしいのだ」本書は、私のように、子供たちに、毎日接しているものにとって、自分の仕事はいったい何のためにあるのか考えなおしてしまう。特に、次に紹介する本を読むと、自分のやっている仕事と、まったく違うことが、アメリカのある州で行われている。

No3 佐藤恵利子・佐藤 裕 「親が見て感じたアメリカ障害児教育の魅力」 (学苑社)

個別教育計画(IEP)に基づく自閉症児教育の素晴らしさや障害児者を自然に受け入れる社会での暮らし易さを綴っています。私も読み終わって、こんな素晴らしい環境と人々、教育行政の姿勢すべてが新鮮で驚きでした。私は、忙しい毎日を送っていますが、「こんなことでいいのか」とつい、考えてしまう。

No4 酒木 保 「自閉症の子どもたち」 (PHP新書)

人と目を合わせない、コミュニケーションがとれない、儀式的な行為を繰り返すなどの行動特性を示す自閉症。「彼らは心を閉ざしている」と決めつけるのはこちら側のモノサシのおしつけではないか?そう考える著者は、自閉症児たちと「いま」「ここ」を共有することを通して、彼らが他者に自分の存在を確立できないこと、ゆえに身体・空間・言語についての感覚に障害が生じていることを明らかにしてきた。子どもたちとの関わりから、人が生きてあることの意味をも問いかける、一治療者の軌跡。(内容紹介より)酒木氏は、「心因論の立場も、器質因論の立場もとりません。また『自閉症という障害が大前提として存在し、そこから言語・行動面の障害が派生している』という考えも、『最初に言語・認知の障害があって、それが原因になって自閉症状が起こってくる』という考えもとりません。このような固定的な捉え方をせず、あくまでも自閉症という「現象」の本質的理解をめざしながら、治療を展開したいと思っています」と述べているが、私は、フッサールが提唱した現象学の「事象そのものへ」という言葉を思い出しました。現象学については次の本が分かりやすい。

N05 竹田 青嗣 「現象学入門」(NHKブックス) 「はじめての現象学」(海鳥社)

フッサールの「イデーン1」等は、難解でとても読み取れない。現象学をやさしく解説している。著者は『現象学の方法は、異なった価値観や判断を持った人間(集団)どうしが共通了解を見出しうる、その「可能性」の原理を取り出そうとしている』と述べている。さらに、『人間にとっての「ほんとう」ということの本質は、原理的に、現にある人間の「生活」の内部からしか取り出せない』と述べる。子どもたちの行動を、さまざまな解釈をあてはめるのではなく、さらに、予見や予断をさけて、「いったいどんな意味があるのか」と、その根っこ、つまり、根元的に考えようとするときに参考になる本である。なお、ハイデガーについての解説もある。

NO6 市川 力 「教えない」英語教育 (中公新書ラクレ)

英語教育に関する本であるが。子どもたちの日本語の学習について「読み聞かせ」や「読書」の効用について次のように述べている。「読み聞かせ」に集中している子どもは・・・じっと聞いてるだけでなく、どうしてそうなったのか?、いったいどうなちゃうんだろう?ぼくだったら〇〇したのに等、本文の内容に関する自分の思いを語り出す。このときに親子の「対話」を思う存分する。このことによって、子どもは文章の流れをしっかりつかみ、理解を深めていく。「読み聞かせ」は、受動的なものではなく、思考力を高める「対話」を活性化するという。さらに著者は「対話」を生き生きとしたものにっするには「親が聞き役になる」ことが鍵であるとし。その後「読書」は思考力を高める最良のものだとし、子ども自身のペースに合わせて、ゆっくりと丹念に筋を追えるからだとする。(たしかにテレビが子どもの思考力に良い影響を与えるかは疑問である。)

NO7 伊東俊太郎 「近代科学の源流」 (中央公論社)

この本は、ギリシア科学からはじめてアラビア科学さらにラテン科学について述べた本である
 著者は、17世紀の「科学革命」は突如起こったものではなく、中世に根をおろしており、ギリシアやアラビアの恩恵をうけているとし、従来からいわれているような、ルネサンスと暗黒の中世ではなく、中世には「慣性の法則」「運動量の概念」「落体の法則」等17世紀の創見であるとされているもの萌芽がみられるという。つまり、ルネサンスによって近代と中世を分けてはいけないのであるという。
 自分の勉強不足であるが、私は、ルネサンスに関して、15世紀における「イタリア・ルネサンス」しか知らなかったが、12世紀の「中世ルネサンス」、8世紀の「カロリング・ルネサンス」等があったという。学校では教えてくれなかったような気がする。この本は、先日古本屋で購入したものである。絶版のときは図書館で(中野区立図書館は所蔵している)
注、ルネサンスとは「再生」を意味するフランス語で、19世紀なかばの、フランスの歴史家のJ・ミシュレーがあたえた名前にもとづき、スイスの歴史家J・ブルクハルトがうけついで歴史学上の用語にしたそうです(樺山紘一「ルネサンス」講談社学術文庫p20より

NO8 山本 美芽 「りんごは赤じゃない」 (新潮文庫)

中学校の美術教師、太田恵美子の「心を育てる」授業の感動の記録。先入観を捨てさせる独特な指導法のもとに、教え子たちは中学生とは思えない作品を作り上げ、同時に自信とプライドも育んでいく。「どんな子どもでも、一生懸命磨いてあげるとダイヤのように光り始める」ごモットーのカリスマ教師(カバーの紹介文より)。「ほめる教育」ととらえられているが、太田は、次のように述べている。なにもやっていないのに「君たちはいい子だ」なんて言っても、子どもは納得しない。「そんなものは嬉しくもなんともない。全力をつくしたものが認められるから『やった!』と思うのよ。自信を持つには、自分が輝いていること、がんばったことが実感できる『何か』を形にすることが必要なの。『何か』を形にするまでには、涙と汗があるのよ。自分の目でものを見て、考え、粘り強く形にしていく。失敗もしながら、迷いながら、自分だけを頼りに、手探りで進んでいくのよ。その結果として到達したところを認めるのが、認めるということよ。

NO9 荻野 弘之 「哲学の源風景」古代ギリシアの知恵と言葉 (NHKライブラリー)

ソクラテス以前の古代ギリシアの哲学史である。類書にあるような哲学史とはちがい、随所に現代社会について古代ギリシア哲学の視点から述べている。たとえば「現代は騒音の時代であろう、・・・いたる所で人工の機械音空間をみたしている・・・かつて、詩歌の伝統の中に繊細な感受性を生んだ日本の音の風景は、今や惨憺たる状況にある」「世俗化の進行によって、はたして人間の何が失われるのかは今後とも大きな問題であろう」「情報は累積が可能でありながら、他方一日もたてばもはや古くなってしまい、次々と消費されていく以外ないが、ヘラクレイトスは決してそうでない」など、現代の状況を考えるヒントをギリシア哲学史が与えられてくれるのではないか。続編として、
ソクラテス、プラトン、アリストテレスは同じ著者で、「哲学の饗宴」(NHKライブラリー)

NO10 廣川 洋一 「プラトン学園のアカデメイア」 (講談社学術文庫)

プラトンのアカデメイアはBC387年頃開設され、AD529頃まで、九百数十年続いた学園である。プラトン哲学の解説書は多々あるが、本書のように、学園の自然環境、研究施設、経済等の身体について書かれたものは私の知る限り本書だけである。テアイトス、エウドクソス、メナイクモス等当時の大数学者たちが、このような環境のもとで研究していたのか知り感慨深いものがあった。なお、プラトンは、数学の研究者というよりは、研究の指導者・助言者であった。

NO11 左近司 祥子 「謎の哲学者ピュタゴラス」 (講談社メチエ)

ピュタゴラスに関する本というよりは、ピュタゴラスを素材に、古代ギリシア哲学者から、エンペドクレス、ソクラテス、プラトン、アリストテレス、プロティノス、新プラトン主義者まで扱っている。解説は易しく寝っ転がりながらよめるが、よくある一般向けの本とちがい、原典を明らかにしている。プラトンが語るソクラテスが、ピュタゴラスの影響で変容していく様子(もちろんプラトンが影響されている)やピュタゴラス主義が変容して新プラトン主義に吸収されていったことが解説されている。結局プラトンはピュタゴラスに勝利したのだ?

NO12 田内 志文訳 「Good Luch」 (ポプラ社)

54年ぶりに幼なじみにあったマックスは、仕事も財産も、すべてを失った友人に「奇跡の森」の物語を語った。それは、魔法のクローバー(四つ葉のクローバー)をさがす物語である。まず、土を入れ替え、湖から水を引き、木をきり光がさすようにし、土の中の石を取り除き、芽をだすことに成功する。「あせらず、あきらめず、チャンスに備えて下ごしらえをしておくこと、つまり条件を自ら作ること。幸福への下ごしらえは、今すぐに始めることができる」という人生論になっている。中学生にも読める。なお、私の所属している学級は「四葉学級」という名前です。

NO13 成田 文忠 「僕もピアノが弾けたよ」 知的障害をもつ仲間と奏でる音色 (新曜社)

サラリーマンの父親が、自閉症の息子にピアノ(最初はオルガン)を教え、その後ピアノ教室を開きさまざまな障害を持った子供たちとのふれあいの記録。毎年4月には「小さな小さな音楽会」を開いている。著者は、「決してあせらず、強制しない」という方針で指導していると言う。「もともと常識にとらわれない世界の息子に対して、常識を持って対応すること自体が間違え」であり、「とにかく私たちは、出来ないことを気にしがちだが、小さな出来るを伸ばす方向でサポートすると、不思議なことに、出来なかったことが出来るようになる」と、待つことの重要性を強調する。私などは、待てなくてすぐに指導してしまう自分は・・・・と考えてしまう一冊である。

NO14 中島 博他 「フィンランドに学ぶ教育と学力」 (明石書店

 論文集になっているので一部分紹介します。まず、フィンランドでは、読書が盛んで図書館が充実しており、読書を教育の基本としているそうです。例えば、小学校1、2年生の国語の授業時数は合計14時間あるそうです。先日の新聞には次のような投書がありました。「東京都の学力テストの成績が悪いので、朝の読書は中止し、具体的な成果を上げる学習に回すことになった、と中学校教師の友人から聞かされた。こういうことは小学校からも聞く。とても残念だ。今、日本の子供たちに求められるのは、読書によって養われる想像力だと思う。例えば、他者を思いやる力や心だ。自分の行為が何をもたらすのか、ちょっと立ち止まって思いを巡らせること。別の暮らし方をしている人や、世界の片隅に思いをはせることが大切だ。いまある世界から一歩踏み出し、こうありたいと明日を描いてみる想像力と、そこえ向かって努力してみる想像力が、生きる力を育てることなのだと思う。・・・三年先、五年先の教育への希望が語り合えないと教育の現場は嘆いている。・・・今は学力だ、結果が問題だ、という空気は、さらに子供を追いつめる」(朝日新聞10月6日投書欄)
  フィンランドの、教育の指針の一部を紹介します。「全住民を高い水準に教育することにあり、教育制度は、それぞれの人に対して、その能力と必要に応じて、居住地や経済状態や母語の違いにかかわりなく、学ぶ機会を平等に提供するために設計されている」、「生徒の必要に応じることが基本で」「教えることから学ぶこと」「学習のためのスキルを重視し」「国の規制を減らし、地域と学校の権限を拡大し、教師、父母生徒の参加へ」など。文科省の大臣の発言「総合的な時間の見直し」「競争的な雰囲気を強める」とは正反対。
 また、支援教育が我が国でも始まろうとしているが、個別指導計画の作成に関する専門家の関わりは、NO3と同じように充実している。この点は日本も参考にしてほしいものである。

NO15 松浦 俊介訳 「はじめからの数学」全5巻 (青土社) 

第1巻 幾何学 第2巻 代数学 第3巻 数 第4巻 確率と統計 第5巻 数学と自然法則
このシリーズの特色は
・数学の歴史を、実際の使い道と関係させながら見通しよく語る。
・現代の生活や思想に現れる主要な数学の概念を網羅。
・中学生から読めるわかりやすい記述。(中学生には難しいと思う)

NO16 東田 直樹 「みんなの知らない海の音」 (朝日新聞社)

自閉傾向にある13才の少年による詩集。『彼の心の底に流れる思想は「この世の中にいらないものはない」だ。木や草や、虫や魚やばい菌だって、この世の中にいらないものはない。僕のような障害者だって命を与えられてこの世の中に生きている。そのことを僕は訴えていこうとしている。』
(p76)自然、色、季節などを題材にした美しい「詩の世界」それが彼の棲家。

NO17 石原 千秋 「国語教育の思想」 (ちくま新書)

色々な考え、答え方や、読み方あってもよい国語の教科書だが、答えは一つ。これが道徳教育であると著者は言う。さらにPISAが求める「読解リテラシー」は、文章や図や表から情報を読み解く力文章を批評的に読む力、これらを記述する力であり、こららが、日本の国語教育に決定的に欠けている要素であるという。

NO18 マリオ・リヴィオ著 斉藤隆央訳 「黄金比はすべてを美しくするか」(早川書房)

著者は宇宙物理学者で、本書で国際ピュタゴラス賞を受賞したという。黄金比の成立から、建築や美術作品における黄金比についての解説がある。膨大な文献を駆使して厳密に検証している。よく言われているような、エジプトの大ピラミッドやパルテノン神殿における黄金比にたいしては疑問視している。いままでの一般向けの書物とは一線を画している。また、ギリシア数学史や、ピュタゴラスとプラトンの後代までの影響についての解説も的を得ている。数学的な面でさらに学びたい人には参考文献に挙げられているHerz-Fischierの本、ピュタゴラスとプラトンについてはBurkertの本がおすすめ。ピュタゴラスの後代までの影響については、参考文献にはのってないが、Charles H、Kahn著「PYTHAGORAS AND PYTHAGOREANS」(Hackett)が概説書として参考になります。 

No19 川島 隆太 「脳を育て、夢をかなえる」 (くもん出版)

NO1と同じ著者の最近(初版2003年)の本で、これよりも豊富な実験の結果が記されている。たとえば「1から10までを頭のなかでとなえているとき」「101から110までを頭のなかでとなえているとき」「47までの素数を頭のなかでとなえているとき」「一桁の足し算を暗算ではやく解いているとき」「「一桁の足し算を暗算でゆっくり解いているとき」「むずかしい計算を暗算で解いているとき」「声を出して読むとき」「声を出さないでよむとき」など。著者は、前書きでコミュニケーションの重要性を指摘し次のように述べている、「母子の会話が前頭前野を左右の脳で活性化することを示していますが、子どもたちの心身の成長に最も大切なのは、勉強でもなく、親子のふれあいだ、と私は考えています」なお、同じ著者の「こどもを賢くする脳の鍛え方」(小学館)には、陰山英夫氏との対談も収められています。

NO20 志の島忠・浪川寛二 「にほん料理名ものしり事典」(PHP文庫)

料理名の解説だけではなく、それを通してその料理が生まれた時代とその背景、当時の生活習慣や食習慣、時代とともにその料理が変わっていったかを解説している。江戸時代の料理書の引用だけではなく、俳句、川柳、長唄、「伊勢物語」、「新古今集」、「万葉集」、「平家物語」等からも引用している。料理名から文化を学ぶ。

NO21 木村俊一 「天才数学者はこう解いた、こう生きた 方程式四千年の歴史」(講談     社メチエ)

古代から、19世紀までの方程式の解法の歴史。数学者のエピソードも紹介。一般向けの本のように話だけではなく、数学的な問題や証明も載せている。

NO22 廣川 洋一 「イソクラテスの修辞学校」 (講談社学術文庫)

プラトンのアカデメイアはよく知られているが、アカデメイアと同じ時代に西洋の修辞的教養の源泉となった、イソクラテスの修辞学校については私もこの本で初めて知りました。アリストテレスのリュケンは、イソクラテスの没後に設立されたそうです。

NO23 片野善一朗 「数学を愛した作家たち」 (新潮新書)

直木賞作家の立原正秋は、書きかけの小説が行き詰まったとき数学書、それも大学程度の数学書を読んだというから驚く。「私は(立原正秋)は書きかけている小説が行き詰まってくると、手当たり次第に数学書をひらく。小説のなかの人間関係というものは、もっとも非論理的である。非論理的な部分が見えなければ小説は書けない。しかしそれにも限度があり、なにも見えない時がある。そのときはじめて数学書をひらく。すると私の前にひとつの方程式が展開する。方程式ほど明晰なものはない。私は明晰なものを前にして、ああ、この明晰さはなんと虚しいことだろう、と思う。すると、行き詰まっていた作中人物が動きはじめるのである。数学の諸先生には申し訳ないが、私は数学書をこのように利用している現状である。直木賞を受けた『白い罌粟』は、今はなき高木貞治の『解析概論』を読んでいるうちにヒントを得た」(p13-14)このような、日本と外国の作家のエピソードがちりばめてあり、作家の知らざれる姿が明かされていおり、一気に読み通した。高木貞治の『解析概論』は、学生時代に私も読んだ記憶がある。

NO24 サンモン・シン 「フェルマーの最終定理」 (新潮文庫)

1621年にディオファントスの「算術」のラテン語訳が出版された。この書物の各ページには余白が多く、フェルマーは、さまざまな論法やコメントを書き入れた。その中に下記の一節があり、それ以後約350年数学者が証明を試みた。1993年アンドリュー・ワイルズがその証明を完成した。この本は、古代ギリシアから、ワイルズまでのさまざまな数学者の取り組みを、エピソードを交えたドキュメンタリーになっている。日本人の志村五郎、谷山豊の業績も適切に扱われており。数学者たちの歴史としてもおもしろい。ただし、ピュタゴラス派の完全数は、もともとは10であり(アリストテレスの報告)などピュタゴラス派の扱いは疑問に残る。フェルマーは次のように書き入れた。
ある三乗数を二つの三乗数の和で表すこと、あるいは、ある四乗数を二つの四乗数の和で表すこと、および一般に、二乗よりもおおきいべきの数を同じべきの数を二つの数の和で表すことは不可能である。私はこの命題の真に驚くべき証明を持っているが、余白が狭すぎるのでここに記することは出来ない。

NO25 花村春樹 訳著 「ノーマリゼーションの父」バンク・ミケルセン(ミネルヴァ書房)

世界で初めて、ノーマリゼーションを提唱した、バンク・ミケルセンの伝記とその思想を解説、本人の論文の翻訳も収められている。ノーマリゼーションの理念は、障害のある一人ひとりの人権を認め、取り巻いている環境条件を変えることによって、生活状況を、障害のない人の生活と可能なかぎり同じにして「共に生きる社会」を実現しようとするものである。この言葉は1971年の国連総会で採択された「知的障害者権利宣言」において初めて国際的に用いられた。特別支援教育が始まろうとする今、原点にもどって考える必要がある。

N026 安藤房治 「インクルーシブ教育の真実」アメリカ障害児リポート (学苑社)

特別支援教育が始まろうとする今、参考になる。著者は9ヶ月間の、アメリカのさまざまな学校等視察の報告。

NO27 「学習障害(LD)及びその周辺の子どもたち」 「ADHD及びその周辺の子どもたち」,「高機能自閉症・アスペルガー症候群及びその周辺の子どもたち」―特性に対する対応を考える― (同成社)

この三冊は、教育の現場にいた著者たちによるもので、イラストや表により具体的にわかりやすく解説されている。また、教育現場ですぐに役立つ対処方法も多数解説されている。現場での子供たちと関わり合いから生まれたもので説得力がある。さらに学びたい人のための参考文献も多数紹介されている。私の経験では、多様な子供たちと実際にかかわらないと分からないことが多い。つまり、障害の名前に分類できないことが多い。

NO28 花村春樹訳・著「ノーマリゼーションの父」N・E・バンクーミケルセン (ミネルヴァ書房)

バンクーミケルセンは、デンマークにおいてノーマリゼーションという考え方を、行政の中に世界で初めて持ち込み、知的障害福祉行政を一新するという功績をあげ「ノーマリゼーションの父」と呼ばれている。ミケルセンはノーマリゼイションは「障害者をノーマルにすることではなく、障害のない人々と同じ生活条件をつくりだすこと」であると言い、その条件としては、地域社会で満足して生活でき、働き、さまざまな活動に参加し、余暇を楽しむことであると言う。この本は、彼の伝記と、論文、講演記録及び花村による解説が収められている。

NO29 安藤房治 「インクルーシブ教育の真実」アメリカ障害児教育レポート (学苑社)

著者の9ヶ月間にわたる、アメリカの小学校から、大学を訪問した報告である。一人ひとりに手話通訳をつけたり、通常の学校で車いすは当然等、日本では考えられないことがあたりまえに行われているしかしさまざまな矛盾を抱えていることも事実、日本の特別支援教育はどこまでできるのか考えさせられる。

NO30 「美味にて候」八百八町を食べ尽くす (産経新聞社

菓子、鮨や天麩羅、蕎麦、日本酒、佃煮等の食文化は江戸時代に発展した。これらを江戸時代の文献等を引用しながら述べている。現在まで続く「老舗」も取り上げている。

NO31 「食の歳時記」江戸明治の味を訪ねて (人物往来社)

NO30と同様、明治時代も含まれる

NO32 滝川一廣 「こころの本質とはなにか」統合失調症、自閉症、不登校のふしぎ (ちくま新書)

統合失調症、自閉症、不登校について、公平に解説している。著者の「私たちの共同世界のありかたがきわめて複雑化し、また人と人の関係がデリケートに繊細化したため、だれにとっても社会的に生きることがむずかしくなっている」という言葉は、発達障害を考える視点になる

NO33 遠藤寛子 「算法少女」(ちくま学芸文庫)

「江戸の数学」(日本工業新聞社)によると、江戸時代(1775年)に、千葉桃三とその娘の共著で「算法少女」という数学書が公刊された。千葉親子は、大阪出身で、江戸の関流(関孝和の流れを引き継ぐ流派)に対抗して著されたようである。この「算法少女」をもとにした小説。中学生が読んでもおもしろいと思う。

NO34 語り 新津武昭、文 伊達宮豊 「ひかない魚」消えてしまった「きよ田」の鮨

銀座に「きよ田」という鮨屋があった、その伝説的な親方、新津武昭が語る、その店に通い続けた各界の著名人たちの物語。(「きよ田」は経営者が代わったがその名はいまも続いている)その顔ぶれの一部ですが名前をあげる。辻邦生、白州次郎、小林秀雄、石川淳、井上靖、市川新之介、北杜夫、谷川俊太郎。

NO35 一志治夫 「失われゆく鮨をもとめて」(新潮社)

目黒にある鮨屋の親方、佐藤衛司の食材を求める旅のドキュメント。親方は、漁師や生産者に会い自ら、納得したものしか使わないという。

NO36 宮本徳藏 「たべもの快楽帖」(文藝春秋社)

いわゆるグルメ本ではなく、老舗の料理を通した上質のエッセイ

NO37 早瀬圭一 「鮨にいきる男たち」(新潮文庫)

17人の鮨職人の人生、いわゆるグルメ本や鮨屋案内ではない。生きいている人間のドラマ。

NO38 早川光 「日本一鮨がわかる本」(ぴあ)

著者は、一週間に3回は鮨屋に行くという。鮨に関するコミック「きららの仕事」の原作者。自身の舌でたしかめた鮨案内。鮨屋のガイドブックでは「東京すし通読本」(エイ文庫)が、すべてではないが、よい店を紹介しています。

NO39 廣川洋一 「ギリシア人の教育」(岩波新書)

ギリシアでの教育の目的は、専門知識ではなく、市民としてよりよく生きる知恵の獲得を意味し、徳を身につけるものであった
学力重視と言われているが、さまざまな社会問題が連日のように報道されている今日、もう一度教育を考え直すきっかけに
なる一冊である。

NO40 リヴィエル・ネッツ、ウィリアム・ノエル「解読、アルキメデス写本」

アルキメデスの「方法」を含む現存する唯一の写本、アルキメデスの羊皮紙の写本の上に書かれた祈祷書である。1906年にドイツのハイベアが翻訳したが、その後姿を消し、なんと1998年にクリスティーズの競売にかけられた。落札したのはある資産家とのこと、この資産家は写本の復元に多大の費用を寄付した。ノエルは学芸員として指揮をとり、ニッツはギリシア数学の専門家として翻訳と解釈に取り組んだ。この二人による解読のノンフィクションである。

NO41 岡田泰介 「東地中海の中の古代ギリシア」(山川出版)

ギリシアの奇跡は、実は、古代ギリシア人が地中海世界の文化を吸収し、自分たちのものにしていったもの。日本語でよめる近年の研究成果

NO42 橋場 弦 「丘の上の民主制」古代アテネの実験 (東京大学出版会)

アテネの民主制の始まりから終わりまでの物語

NO43 徳川 慶朝 「徳川慶喜の食卓」(文春文庫)

慶喜の曾孫にあたる著者が、慶喜及びその後の一橋家の食べ物についてのエッセイ。しかし、慶喜を通じて著者の食に関する考えや人生観を述べている。

戻る