ギリシアにおけるコンパスと定規の制限について(その1)その根拠となる資料はほとんどない。

はじめに

 
Heath(1)は、1928年出版の原論の英訳において、多くのテキストで述べられている、「原論の要請によりギリシアの幾何学において作図はコンパスと定規に制限されているということは、根拠がない」としている。つまり、これは原論においてのことであると注意しているのである。さらにKnorrはKnorr(p,6)において、数学史の解説において、あたかも真実であったかのように、繰り返しつぎのように語られているとしている、それは「(ギリシア)の古代初期の時代から、コンパスと定規の制限による作図が、他の作図とは区別されていた。そし、古代人たちは、三大難問をコンパスと定規による現実ばなれした作図に熱心取り組んでいた」と。そして、Steel(1936)年の研究成果に言及しつぎのように述べている(Knorr、p13)「Steelは古代の資料を厳密に吟味し、古代の幾何学の問題解法の研究においては、明確な条件としてのコンパスと定規の制限はなかった」と結論づけたと。さて、以下に示すように、日本語で読める本も同じ事を繰り返しいる(残念ながらSteelの論文は参照できませんでした)

1,一般向けな書物にはどのように語られているか

ギリシアでは、コンパスと定規による制限があり、それはプラトンによるものだとされている。しかし、その根拠となるものがない。さらに、ギリシア数学史においては、その制限が実在した痕跡がない。にもかかわらず、私が参照できた一般向けの本でも、つぎのように、あたかもこの制限があったような記述は多々ある。

矢野健太郎「数学ものがたり」(角川文庫)
(立方体陪積問題にかんして)プラトンとそのお弟子さんたちは、むずかしい器械を使ってこの問題を解くことができたのでした。でもプラトンは「そのような方法は、幾何学の美しさをこわしてしまうものである。定規とコンパスだけで解くことがのぞましい」(『国家』このようなニュアンスの記述があるが、コンパスと定規という言葉はない)といってさらに研究しました。・・・この問題をコンパスと定規だけで解くという難問が残ったのです。・・・(角の三等分、円の方形化とともに)当時の人々は、デロス問題と同じように、コンパスと定規で解こうと試みました・・・当時の人々の中には、コンパスと定規以外の難しい器械を使ってもよいとしてこの問題を解いた人はありました。しかし大部分の人々は、プラトンの言うように、そのような、器械を使うことは幾何学の美しさをそこなうものであると考えたのでしょう。コンパスと定規でこの問題をぜひ解決しようと、実に熱心に研究しました。

吉永良正「数学を愛した人たち」(東京出版)
(立方体倍積問題にかんして)わが神殿の前にある立方体の祭壇は、形はよいが大きさが不調和であり、疫病はこのために起こっている。この祭壇を、形はそのままに、体積をちょうど2倍の立方体に作りかえよ
ただし、設計には目盛りのついていない定規とコンパスという、聖なる用具しか使ってはならぬ・・・


注、アルキメデスの「円と円柱について」のエウキトウスによる注釈(Netz,Works of Archimedes vo1.Cambridge UP p294-298またはGM.p257)がこの部分の出典です。ただし下線部分は原典には見あたらず、創作である。

「古代の悲劇詩人の一人は、グラウコス王のために墓を建てさせたミノス王を舞台に登場させたといわれている。ミノス王は、その墓がどの方向にも100フィートの長さであると聞いて、『汝は王のすまいを小さく作りすぎた。その大きさは二倍にせねばならぬ。急ぎ、その麗しき形をそこなうことなく、その墓の各辺を二倍にせよ』と言った。しかし彼は間違っていたように思われる。というには、各辺を二倍にすれば面積は四倍なり、体積は八倍になるからである。幾何学者たちはそれから、与えられた立方体を、その形を変えっずに二倍にする方法を研究し始めた。そしてこの問題は立方体の倍積と呼ばれたのだが、それは、それは、幾何学者たちが立方体から始めてこれを二倍しようとしたからである。その後、彼らは長い間、空しくその解法を探し求めたが、やがキオスのヒポクラテスが長い線分が短い線分の二倍であるような二つの線分中間に、二つの比例中項を見つけることさえできれば、その立方体は二倍出来るだろうということに気がついた。このことは、一つの難問を、それと同じくらい厄介な別の難問に変形したものである。 さらにまた、その後しばらく経って或るデロスの人々が祭壇を二倍にせよという神託を受け、同じ難問に出会ったということも伝えられている。彼らはプラトンのアカデメイアにいる幾何学者たちのもとえ使者を送ってその解法をたずねた。このようなことが人々の心をとらえ、与えられた二つの線分の中間に比例中項を作図するという問題に、大いに精を出させたのである。アルキュタスは半円柱を使ってこれを解き、エウドクソスは、いわゆる曲線なるものを使ってこれを解いたといわれている。彼らはすべて作図で証明することはできたが、実際に装置を作って役立てることは、メナイモスクが辛うじて、それも難解な方法で行った。」

注、コンパスと定規にかかわらず、さまざまな曲線を用いた作図で証明できたのであるから、コンパスと定規による制限はなかったように思われる。

最近出版された上垣渉「数学の歴史」ペレ出版社(2006年1月)にも次のように記述されている。
円の方形化問題、角の三等分問題、立方体倍積問題・・・ここで言うところの「作図」とは「直線を引くための定木」と「円を描くためのコンパス」だけを使用して、要求された図形を描くことを意味しています。

次の講談社ブルーバックスの二冊にも述べられている

大野栄一「定規とコンパスでいどむ数学」(p224)
原論の完成のかなり前から、ギリシアは、幾何学の全盛期を迎えていました。そしてだれが言い出したのかは明らかではありませんが、幾何学での作図のための道具は、定規とコンパスに限ることになって、そのなかで、三大難問がわだいになって・・・

スチュアート・ホリングデール「数学を築いた天才たち」(p45ーp47)
古典期初期のギリシア数学は、二つの道具の使用に基づいた。というよりは束縛されていた。・・・三大難問へ進もう、その本来の目的は「定規とコンパス」の作図によってそれらを解くことだった。

2,定木とコンパスの制限についてに関する資料について

ここでは次の資料を参考にしました
「近藤洋逸数学史著作集」第三巻(日本評論社)
斉藤憲W定規とコンパスの神話『ピレポス51Cの翻訳をめぐってW科学史研究第37巻
プラトン全集(岩波書店)
Knorr、The Ancient Tradition of Geometric Problem
プラトン「ピレポス」(京都大学出版局)
Morrow訳 Proclus.A Commentary on First Book of Euclid`s Element.Princeton Up
Thomas訳 GREEK MATHEMATICAL WORKS(GMとして引用) 
Heath(1)訳 THIRTEEN BOOKS OF THE ELEMENT
Heath(2) A history of Greek Mathematics
サボー 「ギリシア数学の始原」(玉川大学出版会)
カジョリ「初等数学史」(共立出版)
ファンデル・ベルデン「数学の黎明」(みすず書房)

3,よく引用される原典資料

 古代ギリシアにおける「定規とコンパスの制限」の主張はは、ハンケルの「古代及び中世数学史」(1874)に始まるようである。ハンケルは、プルタルコスの二つの箇所と、プラトンの「国家」(527a-b)を根拠に(下記の資料ABC)、円と直線より以外の作図手段を禁じたという。(近藤、斉藤を参照しました)。その後、例えば(私はカジョリやヒースの影響が大きかったと思っていますが)上記の書物のように、定規とコンパスの制限が、三大難問とともに記述されている。カジョリやヒースは次のように述べている。

資料A、プラトン「国家」(527a-b)
彼ら(幾何学を少しでも学んだことのある人々)の使っている言葉は、大変滑稽で無理強いされたようなところがある。というのは、彼らはまるで自分たちが行為しているかのように、そして自分たちの語る言葉はすべて行為のためにあるかのように「四角形にする」だとか「与えられた線上に図形を沿えて置く」だとか、すべてこのような言い方をするからだ。実際には、この学問のすべては、もっぱら知ることを目的として研究されているはずなのにね。・・・それが知ろうとするのは、つねにあるものがあって、時によって生じたり滅びたりする特定のものではないということだ。・・・なぜなら幾何学は、つねにあるものを知る知識ののですから。それなたば、よき友よ、それは魂を真理へ向かって引っ張っていく力を持つものだということになるだろうし、哲学的な思考のあり方を作り上げて、いまは不等に下に向けているものを、上方に向けるようにさせる力をもつものだ。
注、つねに
ある
、・・・プラトンはイデアのことを言っている

資料B、プルタルコス「食卓歓談集」(岩波文庫p203)
だからこそプラトンは、エウドクソスやアルキュタスやメナイクモスが立方体を二倍することを道具や機械を用いる次元のことにしてしまったと非難したわけだ。二つの比例中項を見つけるのに理性を用いずに、手当たり次第の感覚的なものをつかって何とかしようと試みるようなものだからさ。こうして幾何学の美点が失われ壊されてしまうとプラトンは考えたんだな。だってせっかくの幾何学がまた感覚世界へと逆戻りしてしまい、上へとむかって永遠にして物質から解放された形相、それに照らせば神はつねに神であるような、そういう形相をとらえることをしないことになるからだ。

資料C、プルタルコス「マルケス伝」(岩波文庫p158-159)
この機会技術を初めて起こしたのはエウドクソス及びアルキュタスの一派で幾何学に趣きを加えて美しいものとし論理や図形による証明がうまく行かない問題に感覚的な機械的な模型を当てはめて、二つの中項に関する問題で多くの図形に必要な要素となるものを二人とも機械的な装置に導き、曲線及び線分から一種の中線を作ることができた。しかしプラトンはそれを不満としてこの二人に対し、幾何学の美点を壊滅させて、非物体的な悟性的なものから感覚的なものに外れるようにし、様々な賤しい仕事を必要とする物体を又元のように用いるようになったと非難したために、機会学は幾何学から分離して排斥され、長い間哲学から侮辱されて、軍事的な技術となった。

4,数学史書における記述(カジョリ、Heath、サボー)

資料、カジョリ「初等数学史」(1896、邦訳は1928)、(p83-84)
ギリシア人はこの問題(三大難問をカジョリは「どれもみな定規とコンパスで作図する問題と述べている」)の作図を定規とコンパスだけに制限し、他の器械をゆるさなかった。言い換えれば、図形はただ直線と円だけで作図するのであった。たとえ、その作図が楕円、放物線、双曲線、あるいは他の曲線を用いておこなわれたとしても、かれらにとっては、幾何学的には完成されないのである。実際の事実としてはこのような曲線の助けを得て、これらの問題を機械的に解いたのであるが、しかしそれはかえって避難された。プラトンの言葉を聞こう。そのような機械的方法は「幾何学の美点を放棄し破壊するものである。それは幾何学を永遠無窮の思想の幻影として高く仕上げず、かえって、これをふたたび感覚の世界に引き戻すからである。しかも永遠無窮に高めるものこそ神によって用いられるもので、また、それを用いればこそ神なのである
注、この部分は、プラトン全集にはなく、おそらく、プラトンの言葉ではない。カジョリは、資料Bのプルタルコスを引用していると思われる)

資料、Heath(1921)(p175-176)
おそらく、オイノビデスが、平面の作図に定規とコンパスのだけを使用するという制限を初めてギリシアにもたらした。(オイノビデスはBC450ころ活躍)

さらに、サボーはプロクロスを引用しながら、Heath(p175)に従って、オイノビデスこそ、原論の公準1〜3の創始者であると推測し、定規とコンパスの制限はオイノビデスのものであるとしている。

資料、サボー(1969)「ギリシア数学の始原」(p334-338)
オイノビデスの名は、プロクロスのユークリッドの注釈書の中にも、それぞれの作図に関連して二回あげられている。それらの部分
(Morrowの英訳ではp220とp260)はわれわれにとって非常に重要だから、私はここで、それを二つとも引用しなければならない。まず、ユークリッドに次のような問題がある。

命題1-12:与えられた、限りのない直線の上へ、この直線上にない或る与えられた一点から、垂線を引くことができる。

この命題についてプロクロスは次のように述べている。
この問題は最初にオイノビデスが研究対象として取り上げた。かれはこれを天文学に役立つとみたからである。ただし彼は垂直のことを古風な言い方で、グノモンの向きにと呼んでいる。というのはグノモンもまた水平面と直角をなすからである。


オイノビデスに関するプロクロスの別の一節は、次の定理に添えられた註である。
命題1-23:与えられた直線に対し、その上の一点において、与えられた角と同じ角を作図することができる。

この命題に対する(プロクロスの)註は次の通りである

エウデモスの確言するところによれば、この問題もまたオイノビデスの発見したものである。
中略(
サボーはHeathの推測p175を次の三点にまとめて引用して

(A)オイノビデスは確かに上の二つの問題を定規とコンパスだけで実行した最初の人であった
(B)彼はこれらの問題に、単に実際的解決というのではなく、むしろ理論的な解決を見いだした最初の  人だったのであろう。
(C)オイノビデスが重要なのは、まさしく、彼が理論的観点から方法を完全なものにした点にあるのであろう。

・・・源泉資料であるプロクロスは定規とコンパスについては語っていない。ところがHeathの推測は事実無根ではなく・・・プロクロスがオイノビデスについての註記をするきっかけになった例の作図問題(1-12、1-23)はただ理論的観点から興味のあった点である。・・・(原論)の最初の三公準の適用による解法なのである。・・・ところでユークリッドの公準1,2,3では、理論的観点から見るとき、まさに定規とコンパスの幾何学的作図への適用が許容されている。すなわち定規の使用は許されているのだから任意の点から任意の点に直線を引く(公準1)、また線分をそのまま、まっすぐに延長することもでき(公準2)さらに、定規のみでなくコンパスの使用もゆるされているから、任意の点と任意の距離(半径)によって円を描くこともできる(公準3)。従ってオイノビデスが例の問題を《定規とコンパスのみによって解いた》という主張は、別のオイノビデスはユークリッドの最初の三公準を意識的に用いたという主張と同値である。Heathの推測通り、《1-12、1-23に対する理論的解法を初めて見つけた》のであれば、彼はこれらの公準の創始者であったのかもしれない。

5,ギリシア数学史における円と直線以外の主な曲線の使用例(年代順にならべると

オイノビデスは、BC450ころ活躍した、サボーやHeathの推測が正しいとしても、オイノビデスからユークリッドまでに以下のように、コンパスと定規の制限どころか、さまざまな曲線を用いて問題の解法に挑戦していた。さらにプラトン、ユークリッド以後にも用いられている。(Heath、GM、Knorr参照)

さまざまな曲線を用いた主な数学者を年代順にまとめるとつぎのようになる

1,ヒッピアス・・・円積線を発明(後に、角の三等分、円の方形化に使われる
2,アルキュタス・・・三次元の三つの曲線を用いた作図による立方体倍積問題の解法
プラトンはこの頃活躍・・・器械的な作図をエウトキスはプラトンのものとしているがHeathはありえないとしている
3,エウドクソス・・・一種の曲線を用いた作図による立方体倍積問題の解法
4,メナイモスク・・・円積線を用いて2数の中に二つの比例中項をみつけ方法のなかで、放物線と双曲線の性質を用いている。
アリストテレスはこの頃活躍
5、アリスタオス・・・円積線の研究
ユークリッド活躍
6,アルキメデス・・・さまざまな曲線を用いている
7.エラトステネス・・・機械的な作図による立方体倍積問題の解法
8.アポロニウス・・・円錐曲線論
9ニコメデス・・・コンコイドという曲線を用いた作図による立方体倍積問題の解法
10.ディオニッソドロ・・・シッソイドという曲線を用いた作図による立方体倍積問題の解法

このように、定規とコンパスの制限は、オイノビデスやプラトンやユークリッドの後にもその形跡はなく、数学者はさまざまな曲線を用いている。

ユークリッドの「原論」の要請には、円と直線の存在を保証するものがあるが、ユークリッドは「円錐曲線四巻を著し、アポロニウスがさらに四巻を加えて完成させた」(パッポスGM2-p487,Heath(2)参照)とあり、ユークリッド自身も曲線について研究していた。
 上記の資料よりギリシア数学史における定規とコンパスによる制限があったとは考えられない。さらに、アリストテレス、プラトン、プロクロス、エウキトスなど定規とコンパスによる制限についてなにも語っていない(近藤。現代の一般向けの書物に書かれていることは幻想なのである。

6,パッポスにおける問題解法の分類とコンパスと定規の制限・・・パッポスは、第4巻と第7巻でほぼ同じ内容で問題の解法を次のように述べている。その後の部分についてKnorrは「私の知る限り、このパッポスのどちらかというと控えめな言明つまり、他の作図よりも平面的な(円と直線による、コンパスと定規による)作図を、形式的ながら、明確に要求している、古代の唯一の言明である」と述べている(Knorr、p345)。しかし、以下に述べるように、この部分がコンパス定規の制限を表明している可能性は低い。さらに、パッポスは古代末期の3世紀後半に活躍していたので、ギリシア初期からコンパスと定規による制限があったとはいえない。

パッポスによる解法の制限(Knorr、p341 GM2-347-351)
パッポスによれば、幾何学の問題は3つに分類できる、それらは平面的(直線と円周によって解ける)、立体的(1または複数の円錐曲線によって解ける)、線的(さらに複雑な、強制的で自然的ではない、不規則な面や回転をともなう曲線によって解かれる)である。パッポスは、複雑な曲線の伝記的な解説をしている。それによれば、複雑な曲線は、曲面の軌跡や、アレクサンドリアのディミートイアスが「線の考察」で発見した他の曲線や、テュアナのピュロンによって発見されたプレクトイドとさまざまな表面をからみあわせた曲線を取り上げて、彼らは曲線の魅力的な性質を提示したと讃えている。そして、近年の学者たちは、さらに研究をより完全に進め、メネラオスは「逆説的な曲線」と呼んだとしている。他の曲線として、パッポスは、螺旋、円積線、コンコイド、シッソイドの名を挙げている。つぎの箇所がKnorrが指摘する部分でパッポスは次のように述べている

資料、パッポス第4巻(GM2-351、Knorr、p345)
「ともかく、幾何学者たちが、平面的な問題に、円錐曲線(立体的)や線的なもので解く場合、または、一般的にその問題の類(平面的、立体的、線的)とはちがうもので解くときは、少なからず誤りであると思われる。それはちょうど、アポロニウスが『円錐曲線論』第5巻における放物線の問題や、アルキメデスの『螺旋について』にける立体的な傾斜(ネウシス)のようなものである。なぜならそれらは、立体的なものを用いずそれらの定理を発見できからだ。

 この箇所について、Knorrはこのルール(平面的な作図、円と直線による作図)は、「古代の人々が承認していた証拠になるかと疑問視している。なぜなら、アルキメデスやアポロニウスはパッポスの注意に束縛されていないし、さらに、アルキメデスの定理に、パッポスが後に与えた作図は、円錐曲線を用いておりそれ自体として、平面的ではなく立体的であると」(Knorr、p345)述べており、コンパスと定規による制限とは無縁のものである。おそらくパッポスは、問題の解法はより単純な解法がよいと述べたにすぎないと思われる。さらに、パッポスが、曲線の研究を讃えている(上記)ことからも補強される。さらに、Knorr(p346-347)によれば、パッポスは、立方体倍積問題の解法に関して、立体的に解けるにもかかわらず、エラトステネスやヘロンの機械的な解法やニコメデスやパッポス自身の線的な解法を紹介しており一貫性がなく混乱してる。また、第3巻の序文において、平面的な解法によって解く試みを皮肉っている。

結論・・・ギリシアでは、古代よりコンパスと定規による制限があったという言説は幻想である、ギリシア人たちは、自由にさまざまな曲線を用いて問題の解法に取り組んでいた。さらに、パッポスの言説はパッポス自身が一貫性がなく制限にかんする内容を述べたものではないと思われる。なお、プラトンの哲学、数学、プルタルコスによるプラトンに関する記述は次回のリンク先で考察する。

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